あらすじ
「都市にはラーメンを食べて死ぬ自由があり、瞑想するための場所がある。」
ラーメンとは獣の世界との接続である。
そこには欲望を直接的に満たすために存在する事物との具体的なコミュニケーションだけが存在する。
瞑想とは神の世界との接続である。
それは精神を研ぎ澄まし、抽象的なレベルで認識をアップデートする神聖な時間となる。
そしてこの二つの世界を往復することで、僕たちは人間を超える・・・・・・。
ラーメン富士丸、しんぱち食堂、PARIYA AOYAMA、武蔵野アブラ學会、大船軒、CHATTY CHATTY、はま寿司、ひまわり、とん太、松石、野方ホープ――作者の愛する飲食店での食と思索の日々を描いた12の記録。笑えて、考えさせられて、そしてお腹が空く。小説のような、エッセイのような、そして批評のような一冊。
感情タグBEST3
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宇野さんとTさんとの対話は何か点と点を繋んでいくたしかなやりとり。一見難しそうな話をしているようで、まじめなテイストからふいに面白くなったりもする。新しい扉の先で始まるのは何か。個人的にはとん太と松石のエピソードが良かった。特に立ち食い蕎麦こそ自分と向き合う貴重な時間に違いないと思う。とん太はなんだか心温まる。
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神の世界と動物の世界との往復。朝活の中でおこなう"瞑想"と、朝活後の"食事"(ラーメン等)の記録。思索と無我。このフォーマットを発見した時点で勝ち。面白いエッセイ集であった。
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・ラーメンと瞑想という「縛りプレイ」
この本は「縛りプレイ」なのではないか。
読み終わって数日経ち、この本のエッセイともグルメレポートとも中年男性の2人の対話篇ともネット文化批評とも庭思想のマニフェストともつかない内容、それでも一貫したまとまりを感じる新しさはなんなんだ...!!!と悶々と考えあぐねて思い至ったのがこの「縛りプレイ」だ。
本書で宇野さんが縛りプレイに関してこんな洞察を披露していた
>>>
『縛りプレイ』とはゲームそのものを『つくる』行為に等しいということです。僕たちはゲームを『縛る』ことで、同じゲームを用いた別のゲームを自ら作り出します。〜そうすることでプレーヤーはより深くそのゲームの本質を知ることになります。
>>>本書p130
縛りプレイとは、ゲームのシステム上可能だが必須ではない条件を自ら設けることでゲームの難易度を上げる行為、と定義できるだろうか。
例えば私が好きなゲーム実況者に「ちるにとら」という方がいるのだが、彼(彼女?)はモンスターハンターというゲームを、防具なしの裸でプレイする。その裸という縛りによって、防具をつけていれば生き残れる攻撃も致命傷になり、難易度が跳ね上がっている。しかしだからこそ、ちるにとらはモンスターハンターが現実ではなくシステムに従って動いていること、つまりモンスターはランダムに攻撃を繰り出すように見えて一定のパターンを持った動きしかないないことを露わにし、本質的にはドラクエのようなターン制アクションゲームに変容させてしまっている。
では、本書の「縛り」とは何か。
それが表題「ラーメンと瞑想」だ。
一見なんのつながりもないラーメン(都市の食)と瞑想という人間文化の極北を結びつける縛りプレイによって書かれた本書。
この縛りが、ラーメン-瞑想軸(空間?)を生み、本書が含み込む多様な社会的要素(映画「オッペンハイマー」、男性性、家族関係、対話、ランニング等々)を共生させることに成功している。
これは、現代社会を生きるというゲームの中で、自由資本主義的でない別のゲーム、「庭」というゲーム、創造のゲームを起動させる試みなんじゃないか。
その新しいゲームが露わにするのは、資本主義というシステムが爆発的に生み出した、グルメや文化という「物それ自体」と出会う可能性だ。
だから綺羅星の如く種類のあるラーメンは、人を癒すのではなく、その過剰性によって人を揺さぶる。本書がくれるのは、その満天の星のような資本主義が生み出す物体との出会いと、そこから始まる創作へのワクワクだ。
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高田馬場周辺の美味しいお店の紹介と、哲学や文芸や社会問題に対する二人の人物の対話の記録。ラーメン=獣の世界、瞑想=神の世界。両者を往復することで「人間を超える存在に肉薄する」試み。
中年になって太ったのをきっかけに食事制限とランニングをするようになった著者。ちょうどこの本を読んでいるとき受け取った健康診断の結果がよくなかったのもあり、自分も改善のための節制を始めた。本書は、そうしようと決意するきっかけと指標になった。俺はラーメンも控えるが…。
著者の対話相手T氏のキャラクターがいい。浮世離れした存在感。印象的な発言の数々。
「恐れと悲しみの中を生きる者」
「個体として強くなりつつある」
「偉大なラーメンを食べる前と後では別の存在になっています」
「人間は半分は霊的なものですから、精神が汚れると実体も変化してしまいます」
インターネットの外部で中年(男性)はいかに生きるべきかの模索もテーマとしてあるように感じた。ネットの世界で安易に承認を求めない、ネットの外の世界や事物に関心を持つ、制作を通じて世界と関わる。「三島由紀夫は四十五歳で死んだが、我々は生きなければならない」のだ。「中年男性を救済するのは恋愛でも家族でも国家でもなく、世界や時代に貢献する『事業=作品』と『宇宙と直接つながる技術』であると確信しています」
食事制限と運動がんばるぞ。
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ラーメンと瞑想、ラーメンとは獣の世界であり、瞑想とは神の世界である。二人の中年男性が様々な事柄を議論しながら2つの世界への接近を試みる。書いてて何がなんやらという感じだが、実情この本は、「Tさん」という強烈な人物の行動や思想を知らしめるための手段になっている。こんな人物が本当にいるのだろうか?と疑いたくなるようなエピソードの数。私は2000年代にネットミーム化された「寺生まれのTさん」を自ずと思い出していた。
しかしこのTさんとの出会いと対話が、著者である宇野氏に「庭の話」を書かせる結果となったのだろう。日々中年男性は変化する。中年男性を救うのは物語ではなく、創作である。
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思っていた内容とは違ったけれど,ラーメンに限らず個食の醍醐味とT氏との瞑想,そして広がる創造の世界,興味深かったです.獣の世界には物語はなくに始まる瞑想,特に最後のロレンスについての考察,なるほど.
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宇野さんとT氏が毎週水曜日にランニングし、瞑想をして暴食に近い外食をする中で問答が行なわれる内容をまとめたエッセイ。ここで紹介される飲食店は、どちらかといえば高カロリーで個人的な趣向とは合わない笑 「神との対話」としての瞑想と、「獣の欲望」として一心不乱に貪る食事という、一見すると相容れない行為を連続させることで精神と本能という二面から人間性を充足させていく。
個人的には宇野さんと同年代であり、高カロリーなものを暴食するには躊躇がある。免罪符のように運動する、飯を抜くといった行為を通じてチートデーを設けるというのは、自分自身もよく実行している。宇野さんは直接の知人であり、著作も何冊か読んでいるのでその思考は理解しているが、今回はT氏というトリッキーな存在と哲学的とも呼べる対話を大真面目に語り合うことで、中年以降の男性が選ぶべき生き方の像が少しずつ見えてくる仕掛けだ。
構成として秀逸なのは高尚とも言えるような内容を上から目線で語っている割に、ラーメンや定食屋のような場での食レポ的描写が挟まれることで押し付けがましくなく、等身大の中年男性としての悩みや困難が目の前の美味しい食事によって文字通り消化されていく仕組みになっている。その悩み自体が宇野さんが常々課題視しているプラットフォームでの承認欲求やコミュニティの馴れ合いといったテーマで、それ自体は解決というよりは気にしなくても飯が美味ければ良いよね、というところに着地している。
ラーメンと瞑想はもちろんメタファーであり、個々人にとってはそれが何であれ精神と本能を満たす二面的要素を人生に保持しておくというのは、とくに中年以降のアイデンティティを保つ上では重要に思う。何者にもなれずとも、何かを成し遂げずとも、日々はこれだけ芳醇に充足していくのだという示唆が得られるだろう。
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宇野さんの新刊エッセイ『ラーメンと瞑想』が面白すぎて一気読みした。
『水曜日は働かない』の続編的な要素もあるエッセイで、水曜日に走り、瞑想し、飯を食べるーーというルーティン中、盟友である編集者と社会文化に関する広範で深い議論を繰り広げる。
読者という視点から2人のやりとりを見ていると、習慣と探求を共有できる友の存在が思索に重層性も持たせてくれるのだと、うらやましくなった。
僕がこの本を読みながら感じざるを得なかったのは、AI時代に人はどう生きるのか、というまあよくあるテーマである。生成AIは急速に人間の労働を代替している。
一瞬そのこと自体に萎縮したり悲観しそうになるが、人間の営みの範囲は思うより広い。たとえばAIはラーメンを食べることもなければ、瞑想をすることもない。本の中で「獣の世界への耽溺としてのラーメン的生活と、神世界への接近としての瞑想的生活」と表現されているがーー人間は複数の”環世界らしきもの”を移動する一方、AIはAIのデジタル世界に閉じ込められているように思う。
AIの進化や機序によって仕事や生活がどう変化するのかを占うより、まずは目の前にあるラーメン一杯を楽しむ。流されずに生きる。宇野さんの日常の営みは、違う仕方での『PERFECT DAYS』の平山を想起させた。
「人間は目の前にラーメンが着丼した瞬間に実質的に孤独になる。そして全力で目の前の丼に向き合うことを要求される。そこには、純粋な人間と事物との関係が存在する。多くの愚民たちは誤解しているが、人間は人間とのコミュニケーションによって、多くの場合はむしろ均質化する」
もう何年前だったかも思い出せないけど、宇野さんが連れて行ってくれたとん太のエピソードもあり、また行きたくなったなぁ。
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『庭の話』の実践編!?という謳い文句もどこかでみた気がするが、確かに、食べ物だけに純粋に向き合いそれによって自分がどう変わるかという、庭の話の「事物に触れて変身してしまう」ことを扱っている感じ。
ラーメンは獣の世界、瞑想は神の世界と繋がる、そこを行き来するというコンセプトが好き。
純粋に宇野さんと友人Tさんのやりとりが面白い。クスクス笑ってしまう。
本書の最後では、二人が新しいステージに進んでいくという感じで締めくくられるが、この先どうなって行くのかはまた楽しみ。
「都市にはラーメンを食べて死ぬ自由があり、瞑想するための場所がある。」というコピーも秀逸だなと思うし好きだが、しかし一方で、その言葉の通りある程度の「都市」にしかないのだよな、という課題感もある。
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中年男二人が、水曜日に走り、瞑想し、ラーメンを食べる。そして社会文化に関する議論を交わす。“人間は目の前にラーメンが着丼した瞬間に実質的に孤独になる” 。友人と語り合う時間と、コミュニケーションを排して何かと向き合う時間。そのバランスの心地良さを羨ましく思い、中年となった己の人生に対して一抹の虚しさを感じ、ラーメン美味そうだなと独り言つ。
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批評家、宇野常寛のエッセイ。
友人と、毎週水曜日に、ランニングをし、全力で食事をしたあと、瞑想するという、変わった習慣を持つ男たちのエッセイ。
まず、冒頭。ラーメンという食べ物は、否が応なく、会話を中断し、目の前の丼に向かい合い、孤独に食事をすることになる、それゆえに、食事という行為そのものを楽しむことができる。この導入が非常に良かった。
そして、これは極めて動物的な行動であり、その間に獣になる。それは、瞑想し、世界と一体化になることに、極めて近い行為で…というような形で、小難しい理論が展開していく。
そうした話も、興味を引くのも多々あったが、やっぱり自分がこの本で好きなのは、美味しそうな食事を独特の感性で描く文章たちだ。定食を小宇宙と評したり、とにかくユニークで、読んでいて面白い。
あと、さすがにT氏が変人すぎる。こういう人と友達になりたいなと思っていたのだけども、とてもじゃないが自分には無理そうだ…
Posted by ブクログ
ダイエッターになり、ストイックな生活を送る宇野さんが、ランニングをした後は思いっきりご馳走を食べる。
美味しいものを食べるために、かなり厳選してお店を選び、メニューを選ぶ。
そのときの宇野さんの眼はきっと獲物を狙うハンターのそれなんだろうなと読んでいて感じました。
食レポも美味しさが伝わってきて、読ませられます。
そして、いつもランニングを一緒にするTさんの存在がまた独特でとても良い相棒だなと羨ましくなります。
「恐れと悲しみの中を生きるもの」と自己規定をするTさん。どこでも結跏趺坐で瞑想しちゃうTさん。ヨウジヤマモトでバシッときめるTさん。ルクレティウスやダンテの詩を愛するTさん。合気道をするTさん。娘に中二病と言われてしまうTさん・・・。キャラクターが際立ってます。
・・・ラーメンとは獣の世界、瞑想とは神の世界との接続・・・
本書は、二人が獣の世界と神の世界を行ったり来たりしながら、さまざまなことを語りあう小説のようなエッセイなのですが、羨ましいなと思ったのは、美味しいモノばかり食べてていいなとか、二人の友情?についてもそうなんですが、二人の人生の主軸が、食事と読書、鍛錬、瞑想に重きを置いているところです。
宇野さんやTさんの同世代の者として、なんというかちょっと理想的だなと感じました。
帯にもあるように、クスッと笑えて、考えさせられて、お腹が空く、そんな本です。
Posted by ブクログ
この本には選ばれし胃だけが楽しめる個性派ラーメン達が続々登場するけど、この本自体も中々なヤサイニンニクアブラカラメマシマシだった。
思春期真っ只中にいる40代50代の掛け合い。本文中にあった「厨二病」という言葉がしっくりくる。拗らせを極めたようなやり取りはクセが強いながらも徐々に味変させながら進んでいき、飽ききらない所でエッセイが終わった。
簡単な事実に対して理屈をこねくり回して垂れ流す感じは合う人にはとことんハマるだろうし、合わない人にはトコトンはまらないと思う。そこもなんか、二郎系ラーメン然としている。
尚、私個人の嗜好にはハマらなかった。初読みでは愉しめたけど、既にお腹いっぱいで下し気味。暫くはいいかな~って感じです。