宇野常寛のレビュー一覧
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押井守から特撮や2016年産アニメーションについて、下巻では論じられる。
日本のアニメーションが極めてネオテニー的性質を持つこと、映像からネットワークへと時代が変遷する中で物語の構造が批評性を持ちえなくなったことが宇野常寛氏のディスコースにより暴かれてゆく。
押井守の作品についてはあまり触れてこなかったので上巻ほど解釈に対する感慨を持ち合わせることはなかったが、一見独立した(作られた年代も離散している)作品群に対して連綿と続く思想の噴出を読み取り接続している点に宇野常寛氏の凄みを感じた。
文庫で追加収録された富野由悠季氏との対談が生々しく、また富野氏がまだまだ仕掛けていく気概を読み取ることができ、富野ファンとしては嬉しいおまけだった。 -
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対談は良い。その人がいま考えていることの「原石」が直接提示される。本書のそれは、非常に目映い。本書が語るのはお定まりの「希望」そのものではなく、個々人が自分の間尺にあった「希望」を探すための基本戦略であり、そのために「現代という時代をどのように位置づけるか」という問いが、くり返し問い直されている。
見田宗介による戦後史の区分(「理想の時代」「夢の時代」「虚構の時代」)を受けて、大澤真幸は現代(1995年以降)を「不可能性の時代」と呼び、東浩紀は「動物化するポストモダン」と呼んだ。宇野氏は両者を止揚するかたちで「拡張現実の時代」と言う。このアイデアには正直痺れた。
《ここで言う拡張現実的なものとは現実と虚構の混在、現実の一部が虚構化することで拡張〔多重化〕することです。それは言い換えれば日常と非日常の混在でもある。〔…〕インターネットは現実のコミュニケーションを「拡張」 する方向にしか作用していない。〔…〕…〈ここではない、どこか〉を仮構するのではなく〈いま、ここ〉を多重化する方向へと虚構に求める欲望が変化している。〔…〕…虚構(ゲー ム)と現実(社会関係)がここでは入れ子状に絡まり合って現実を拡張していると言える》[宇野、p40-41]。
現代が「拡張現実の時代」と位置づけられるならば、もはや、大きな「父」の代弁者として「ここにない希望(理想)」を語る言葉には意味がない。あるいは、「父」への抵抗として「ここにない希望(虚構)」を弄んでみても欺瞞的なだけだ。《グローバル資本主義下、ネットワーク社会下においては誰もがただ存在するだけで〔否応なく〕貨幣と情報を通じて小さな決定者であり発信者、つまり小さな「父」として機能してしまう》[宇野、p206]。《もはや僕ら一人一人が経済主体であり、メディアであるこの時代に、〔エルサレム賞受賞スピーチでの村上春樹のように〕「自分は卵の側である」と断言することは非常に危険だと思う。誰もが「壁でもあり卵でもある」世界をとらえ、変えていく言葉が僕は必要だと思うんです》[宇野、p31]。
そうした《誰もが「壁でもあり卵でもある」世界をとらえ、変えていく言葉》として両氏がキーワードとして挙げるのが「ゲーミフィケーション」であり、これは「希望」を創るための基本戦略として非常に説得力がある。
《要するに現実は「クソゲー」すぎるんだ、ということなんですね。〔…〕それなら現実のほうをゲーム化し、ハマりやすいかたちに〔ボトムアップ的に〕かえればいいんじゃないか、と。もはや政治的なイデオロギーや美しい理念だけで人は動かないのだとすれば、ゲームこそが社会運動の原動力となる》[宇野、p194]。
以上が本書の骨格であり、これらアイデアが「原石」状態で提示された本書は、最近の両氏の著作の中で群をぬいて刺激的だ。逆にいえば、本書のアイデアの展開版であるはずの両氏のAKB48論や『リトルピープルの時代』がなぜ面白くないのか、考えこんでしまう(端的に言って、貴重な「原石」を磨くための材料を間違えてしまっているのでは?と思う)。
とにかく、本書が「2010年代(と言うより、1990年代以降)の文化と社会」を読み解く際に(その賛否は別として)無視することのできない一冊であるのは間違いない。
読んで本当に良かったと思えた本の一つ。
(追記)
…と、偉そうに書いてみたものの、この本で個人的に一番印象に残ったのは、じつは宇野氏の「まえがき」での言葉でした。《京都は、いい街だった。いまでも三日に一度くらい「帰りたい」と思う。〔…〕僕はこの好きな街から離れたくなくて、ここでのんびり暮らすつもりだった》[p8]。自分も数年前までまったく同じことを書いていて、今もそう思っています。この一言でこの人に問答無用の親近感を感じました。いつまでも、三日に一度くらい「帰りたい」と思う場所を抱えながら、自分も此処で生きていきたい。そう思いました。 -
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気鋭の若手批評家が、さまざまな分野で新しいことに取り組み中の7人のイケてるメンズたちと対談した一冊。
経験をデザインする自動車づくり、新しい働き方をつくるクラウドソーシング、市民運動としての新しいロビーング、オリンピックと新しい東京の都市計画、日本の美的感覚の更新、などなど、最先端の面白い取り組みや考え方が具体的に紹介されている。
対談する宇野常寛さんも、単なる聞き役に徹しているわけではなく、けっこうガッツリと自説を展開しているので、かなりお腹いっぱいにはなる。しかし彼の言う事はとても面白くて、対談者ともかみ合っているので読みにくいということはない。
オリエンタリズムやジャポニズムを切り売りして日本らしさにするのか、この国の雑種な文化をニュートラルなものとして受け止めるか、という話が面白かった。
「ジャポニズムと心中するアーティスト」ってわかるわ。個人的には、ジャポニズムを徹底的に利用して新しい伝統を造り上げるぐらいの気概が、今の日本には必要だと思うけれど。
読んでいて、日本の明るい未来を「具体的に」ディティールとともに感じることができ、希望にあふれた、魅力のある本だなと思った。 -
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ネタバレ編著者の宇野氏は、1978年生まれの評論家。『PLANETS』という
批評誌の編集長でもあるそうです。本書は、その30代後半の若い批
評家による対談集で、対談相手として選ばれたのは、「それぞれの
ジャンルで具体的な手触りをもった、〈今、ここ〉から未来に確実
につながる、進行中の『静かな革命』の存在」を確信させる面々。
具体的には、デザイナー/ツナグデザイン代表・根津孝太(1969年
生)、クラウドワークス社長・吉田浩一郎(1974年生)、社会起業
家/フローレンス代表・駒崎弘樹(1979年生)、建築学者・門脇耕
三(1977年生)、デジタルクリエイター/チームラボ代表・猪子寿
之(1977年生)、楽天執行役員・尾原和啓(1970年生)、メディア
アーティスト・落合陽一(1987年生)、の7人です。
対談のテーマは、「産業とデザイン」「これからの働き方」「政治
と社会運動」「建築と都市開発」「アートとサブカルチャー」「IT
ビジネス」「メディアとテクノロジー」と多岐にわたっていますが、
どれも、〈来たるべき社会〉を構想しようという、強いモチベーシ
ョンに貫かれているがために、非常に刺激的な内容となっています。
最も刺激的だったのが、トリを務めた落合陽一氏。まだ27歳の大学
院生ですが、この人は凄い。ぶっ飛んでいます。テクノロジーの力
で、本気で魔法を起こそうとしている人です。彼の言う魔法とは、
モノ自体を変えるのでも、自分自身を変えるのでもなく、モノの出
す信号を書き換えることによって、モノと自分との関係を変えるテ
クノロジーの使い方のこと。彼のやろうとしていることが実現すれ
ば、人間の認識は確実に進化します。その時の人類は、まさに〈ニ
ュータイプ〉となるのでしょう。こういうテクノロジーの使い方が
あったのか!とびっくりすると同時に、その方向性に、凄く可能性
を感じさせられます。
そういうぶっ飛び感・未来感はないですが、これからのビジネスの
ヒントに満ちているのが、クラウドワークス・吉田氏と楽天・尾原
氏との対話でした。どちらも40代ですが、やはり40代になると、現
実と夢との折り合いがついてくるのでしょうね。ああ、確かにこれ
からこうなっていかないといけないよなあ、とか、こういうところ
にビジネスチャンスがあるんだよなあ、ということを冷静に考えさ
せられます。こういう世代の違いを感じることができるのも、本書
の面白さでした。
これからの社会を考える上でヒントの詰まった一冊です。次の時代
はこういう若者達が作っていくんだろうな、ということを予感させ
る一冊でもあります。キラキラした若者達に追いていかれないため
にも、是非、読んでみて下さい。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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「ソニーらしさ」なんて考える必要はないんですよ。それと同じで、
「日本人らしさ」を考える必要もない。この日本の風土で育ってき
た人が一生懸命やれば、それが「日本らしさ」になるんです。日本
らしくあるためにはどうすべきかなんて考えるのは、時間の無駄で
すよ。今、精いっぱいやれることをやれば、それが今の日本らしさ
なんだと僕は思う(根津孝太・カーデザイナー)
動機が怒りから楽しみに変わったことで、自分のなかでも変化があ
ったんです。怒りが動機だったときは、いろいろな人を巻き込むの
に失敗した。怒っている人には誰も近づきたがらないからね。特に、
怒る対象だった行政などは、うまく巻き込むことができなかった。
でも、楽しいと思うようになってからは、巻き込める人が多くなっ
た(駒崎弘樹・社会起業家)
アートによって「カッコいい」という概念をバージョンアップさせ
ることがレバレッジとなって、ゆくゆくは社会全体の価値観が変わ
っていくことになる。もちろん、社会を変えるのはアートだけでは
なくて、思想を使う人もいれば、政治を使う人もいる。僕の場合は
アートを通して「カッコいい」の概念を変えることで、人々がなん
となく直感的に新しい社会の価値観に向かう、みたいな役回りなの
かなと思っているんだよね(猪子寿之・デジタルクリエイター)
やせ細ってしまった中間のコミュニティを、今までとは別のかたち
で太らせるしかない。メディアの肥大に対抗できるのは別のメディ
アではなく、コミュニティなんです。だからインターネットの双方
向性を活かして、趣味やライフスタイルのような共通性にもとづい
たテーマコミュニティをたくさんつくっていくべきなんです(宇野
常寛・評論家)
生活サービスの民主化ってものすごくいいテーマだなあ(…)。
これまでは国や地方が提供していた生活インフラを、それぞれのテ
ーマコミュニティで提供できるということになれば、人々が集まる
理由になってくると思う(尾原和啓・楽天執行役員)
ぼくたちは「ここではないどこか」を仮構する技術=虚構ではなく、
「いま、ここ」を書き換える技術=虚構を求めるようになった。こ
れは実はすごく大きな問題で、僕らより上の世代はどうしても昔の
革命思想に向かうか、脳に電極を挿す自己変革に向かってしまうん
だよ。革命で現実を変えるか、ドラッグや電極で自分を変えるかの
2択になってしまう。しかし今起こっているのは、人間と現実との
関係を変えるテクノロジーの発達なわけだ。これは言い換えれば革
命とは異なる新しい方法での現実の変革方法が生まれたことを意味
するのだけど、20世紀的、映画的、仮想現実的な虚構感の持ち主
には、自分と現実との関係をテクノロジーによって書き換えていく
ことが社会の変革につながるというイメージをどうしても持てない
みたいなんだよね。まだ表面化していないけれど、実はこれは大き
な思想的対立になっていくと思う。
(…)
自分が他ではないこの場所にいることを大切にしたいんです。物理
存在としての人間に立ち戻る、という感じです。(…)
僕としては、「今、ここにいる」こと??「一人で、もしくは誰かと
ここにいること」の価値に立ち戻りたい。
(落合陽一・メディアアーティスト)
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●[2]編集後記
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秋分の日の23日、仕事で東京に行った妻の代わりに、風邪で体調を
崩していた娘の子守りをしていたのですが、様子がどうもおかしい。
ぐったりして、ヒューヒューと苦しそうに息をしています。これは
ヤバいなと思って、救急病院に連れていったら、そのまま入院にな
ってしまいました。どうやら喘息から来る気管支炎のようです。
喘息って言葉、なんかショックですよね。食べ物も気を使ってるし、
東京よりはずっと空気の綺麗なところに住んでいるし、それでも喘
息になってしまうというのは、何故なんだろうなあと思います。ま、
未熟児で生まれたため、もともと呼吸器系は強くはないのですが。
というわけで、今週は娘優先シフトです。面会が9時までなので、
できるだけ娘といられるよう、早い時間にあがり、病院直行です。
久しぶりの病棟、しかも小児病棟に来てみると、ほんと、色々な人
がそれぞれの苦労を抱えて生きているんだよなあと思い知らされま
す。健康な時には見えない世界が、病棟の中にはあります。そうい
う世界を知るためにも、たまにこうやって病院で過ごすのは、決し
て悪いことではないと思います。
一方で、病院って、ほんと病人をつくるところだなあとも思うので
す。薬漬け、チューブ漬けで、柵のついたベッドに閉じ込めて。安
静が一番なのはわかるけれど、これじゃあ生命力が低下していくだ
けじゃないか、と現代医療のあり方に対する疑問もわいてきます。
とまあ、病院にいると、色々なことを考えさせられ、気付かされる
のですが、ここのところ、休日以外、なかなか娘と話す時間もなか
ったので、娘とゆっくり過ごす良い機会になっているのも事実。色
々立て込んでいる時期ですが、実り多い入院時間となるよう、娘に
尽くそうと思います。 -
Posted by ブクログ
気鋭の評論家、宇野常寛氏のデビュー評論です。文学、アニメ、ゲームからテレビドラマまでを縦横無尽に論じ、更には文庫化する際に4万1000字の原稿を語り下ろしたものが収録されております。膨大な情報量です。
本書は気鋭の評論家、宇野常寛氏のデビュー評論です。2008年の刊行以降より、3・11後までを4万1000字の長きにわたって語り下ろしている原稿を追加して文庫化されたものであります。
実のところを言ってしまうと、本書で取り扱われている文学、アニメ、ゲーム、テレビドラマのうち、話の内容についていくことができたのはせいぜい2割がいいところで、ぼく個人に限って言うと、ゲームやテレビドラマをほぼ一切見ないしやりませんので、ついていくのがとても大変でありました。
また、文学についても村上春樹は『ノルウェイの森』『海辺のカフカ』そして『1Q84』などのメジャー作品くらいでライトノベルはほぼ読まず、金原ひとみ、綿矢りさをはじめとして白岩玄などの作品はほぼいっさい見ていないことに改めて気づかされました。
アニメについても『新世紀エヴァンゲリオン』(俗に言う『旧劇版』)以降にインスパイアされて作られた「セカイ系」と言うジャンルの作品群があるということをここで初めて知ったので、「ゼロ年代」という時代になって、かつて自分が好きでどっぷりと浸っていた世界から以下に遠く離れてしまったのかということをこれを読みながら痛感してしまいました。
宇野氏はよく自身がメインパーソナリティーを勤める『オールナイトニッポン0』にて
「サブカルチャーやポップカルチャーを批評することは日本社会全体について語っていることと同じことなんだ」
と幾度と無く標榜しており、そういう視点でこれらのサブカルチャーに接していたことが今までほとんど無かったので、宇野氏が愛してやまない仮面ライダー、とくに「クウガ」以降の「平成ライダー」に関する記述を呼んでいると、作品世界と我々の棲んでいるこの社会が以下に地続きであるかということが本当に良く分かり、
「なるほどなぁ」
と思いながらページをめくっておりました。
宇野氏が本書の中で幾度と泣く指摘しているターニングポイントとしてみなしている年は1995年であり、僕がこの年を振り返ってみても、オウム真理教の『地下鉄サリン事件』あり、後に社会的な現象を巻き起こした『新世紀エヴァンゲリオン』がTV放送されていたりと、今思っても本当に現在にとてつもない影響を及ぼしていた1年であったなと考えてしまいました。
そういった世界の中で碇シンジ君に代表される「引きこもって」しまうタイプと夜神月のように決断主義を用いてバトルロワイヤル式に戦っていくというパラダイムの変化についての論評も身につまされるものがあり、そういった事例として沢山のアニメやゲーム作品が挙げられていくのですが、残念ながら僕はそういうものに全くといっていいほど触れておらず、
「あぁ、そういうものなんですか」
というだけの感覚しかもてなかったというところが返す返すも残念でなりません。
自分がこれを読んでいて痛感したことは、多感な時期にほぼ『リアルタイム』で流通していたサブカルチャーやポップカルチャーを完全にスルーしてきたなということで、全くの『一般人』からすれば僕だって十分に「そちら側の」人間であるはずなのに…。
宇野氏及び本書との『差異』は一体何なのだろう…。そんな疑問が最後までぬぐうことができずに本書との『距離感』というものが的確につかめなかったナとは正直感じております。
「語り下ろし」で宇野氏が
「『ゼロ年代の想像力』の最大の欠点はAKB48を扱っていないことです」
とおっしゃっており、それが現在にまで至る怒涛のAKB論と、自らのラジオのコーナーで『世界の真実』とまで言い切る「推しメン」横山由依ちゃんへの「推し」へと繋がっていっているのでしょう。
サブカルチャー。ポップカルチャーを時代の流れとリンクさせて縦横無尽に語っているので宇野氏の話について聞ける方は純度1000%の『あちら側の人間』であることは僕が保証しますが、ただ消費されるこれらの『コンテンツ』は社会を写す『鏡』であるということを改めて教えてくれたという意味で、本書との出会いは良いものであったということを結びの言葉に換えさせていただきます。