宇野常寛のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
気鋭の評論家、宇野常寛氏によるポップカルチャーの論点を抽出しつつ、現代日本社会を論じるという時代の地図を描き出す入門書的な書籍でございます。視点が斬新で宇野氏の発言はとても読んでいて面白かったです。
本書は気鋭の評論家、宇野常寛氏による現代文明批評を新書という形にし、入門書という形でまとめたものです。僕が宇野氏を知るきっかけとなったのはいまや国民的アイドルグループとなったAKB48について、『ゴーマニズム宣言』などでも知られる小林よしのり氏らとともに、熱く激しい論戦を繰り広げていた様子を動画投稿サイトなどで目にしたからでございました。さらに宇野氏は自費出版で批評雑誌を主宰、刊行しながら自らを『政治評論からAKBまで』と称し、多彩な評論活動を展開されている方だということを本書を通して理解いたしました。
僕自身もサブカルチャー畑出身の人間ですので、宇野氏の紹介する「特撮もの」(仮面ライダーやウルトラマンetc)を自分なりに見ていたつもりではありましたが、正直な話、ここまで深くは見ていなかったことをつくづく思い知らされ、
「まだまだ修行がたりんなぁ」
と反省してしまいました。
冒頭のほうで掲げられているとで見る日本というお話はとても面白かったです。これは宇野氏の友人の社会学者である濱野智史氏がおっしゃったことなのだそうですが、続に『失われた20年』を生きる現代の日本社会とその狭間で蠢く、ソーシャルメディアや動画投稿サイトなどのネット文化のガラパゴス的な発展は自分もまたその恩恵を受けている人間の一人として、とても共感することが多かったです。
さらに自らが高田馬場に拠点を構えているということで、東京という街全体が「距離」ではなくて「時間」に置き換わっているというくだりは僕自身も東京で生活をしていた時期がありますので、その辺のことはとてもヴィヴィッドであり、皮膚感覚で理解ができました。さらに、宇野氏自身が得意とする音楽や特撮から日本の社会やコミュニケーションを論じたあと、本書の真骨頂である『AKB48と日本文化』に入っていくのです。
正直なところ、僕はAKB48については、「広く浅く」というスタンスで、宇野氏のようにCDを何枚も買っては足しげく「握手会」に通ったり「総選挙」で票を投じているわけでありません。『あ、あの娘はいいナ』というメンバーは若干名こそいても、宇野氏が積極的に応援し、更には自らの主催する雑誌の表紙にまで起用した横山由依ちゃんのような存在はいないわけであります。
俗に「識者」と呼ばれる人間がそれこそ口角泡を飛ばして語られる話題が「AKB48」という「事実」が例えようも無く知的に面白いのです。だからこそ僕は2006年当時、付き合いのあった人間から幾度と無くAKB48の公演に誘われておりましたが、そのときは全く興味が無かったので適当な理由をつけては断り続けて現在に至るという経緯を非常に後悔し続けているのかもしれません。もしも、あそこで彼女達の公演に足を運んでいたとしたら、メジャーになる前の彼女達の貴重な瞬間に立ち会えていたのでしょうし、もしかすれば宇野氏とAKBグループについて熱く語りあえていたのかもしれません。返す返すも残念です。
しかし、彼女達のドキュメンタリー映画は見ているので、本書で紹介されているエピソードを読んでも『あぁ、あの話か』という理解はでき、彼女たちが有名になるまでのプロセスがかつてのアイドルとは一線を画す形であったのだと言うことは良くわかるような気がするのでした。最後に、我々は宇野氏や濱野氏がおっしゃるように古いとあたらしいが存在する中に生きているのでしょう。個人的にはその両方を行き来しつつ、日常を送っていると認識しておりますが、他者から見た僕はに属している人間なのでしょう。おそらく。
僕は宇野氏とはまた別のアプローチで「見えないもの」を「観る」ようにはしているつもりですが、僕と宇野氏の違いを挙げるならば、アニメ、ゲーム、アイドルの「濃度」が低い代わりに「文学」と「宗教」さらに「哲学」や「金融・経済」などの視点が入っているのかもしれないと、読み終えた後にそんなことを思いつつ、この文章をしたためております。 -
Posted by ブクログ
宇野常寛さんが、A KB48や朝ドラやダークナイトやエヴァや特撮博物館や大河ドラマや政治やホリエモンについて語りまくる評論集。
どの評論を読んでも、基本的には「ここではない、どこか」ではなくって「いま、ここ」に無限の可能性があるっていうことを言っていて、『堀江さんのこと』に書かれた堀江貴文論にも顕著だけど、既に存在している可能性を深く追求すること、そこに喜びや楽しさがあると。
で、遊びを忘れたら滅亡すると。(平清盛論で)
そもそも、宇野さんのしているポップカルチャー批評も今あるメディアに深く潜ることで、対象物をもっと面白く意味深くしているし、僕がこうして本の感想を書いているのもそういうことかもしれないなーと思います。 -
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●標準家庭という概念の無効性 P9
●情報技術の生むあらたな「中間のもの」P18
●「地理」の死んだ街・東京
P43 七年間住んでつくづく思うのですが、僕はこの東京という街はとても「変な街」だと思っています。たとえば僕は自宅のある高田馬場から距離的には数キロと離れていないはずの護国寺や目白台といった地区のことをとても遠くに感じている。感覚的には九段下や渋谷よりも遠くにあるくらいです。これはどういうことかというと、単純に鉄道のアクセスの問題です。電車の乗り換えの関係で、本来近い場所が遠い場所として機能しているし、その逆のケースも多い。これはおそらく、この街が極度の鉄道依存の街であるために起こっている現象です。
●コミックマーケット、ニコニコ超会議の開催場所について P50
●「虚構の時代」の終わりと東日本大震災 P103 -
Posted by ブクログ
現代史、現代思想。ぼくたちについての思潮、ここ30年間あたりの文化の仕組みや様態が語られています。この国の精神史。
驚くのは取り扱っている「作品」の多さだなあ。純文学からラノベまで。映画から『仮面ライダー』シリーズまで。空撮的。ポップカルチャーの空撮。オタク文化のサラダボール。
90年代に強く影響を受けた「ぼくら」のこれからを、そのあり方を考えていくに十分な素材が盛り付けられている。意味や価値は受け手により千差万別だから、体系化は安易なのかもしれないが、それでも、それを食べてしまう。表現力の妙か。巻末に扱われた「作品」目次(固有名索引)だけでワクワクしてしまいます。ちょっと気になるのは、ある作品がそれよりも前に発表された作品から影響を受けていることを自明としている点。ここに議論の余地を見たい。このことを前提的に仮構しない論じ方もあるのかなあといぶかしがったりもしています。また、本書も商品という枠組みの中の一つであるという観点では、現代という物語カルチャーのn次的作品なのかもしれない。それを読んで頷いたり首をかしげたりする読者がいる。
それぞれの作品に何が底流していて、なぜ人はそれを享受するのか?
歴史的思想史的な文脈における各作品の位置づけなんて、正直、知らなくても楽しめるし、知らないほうが純粋に体感できて面白いのかもしれません。それでもそこにメスを入れていく行為は、スリリングだったなあ。
・ある物語や作品についての社会的思潮的意味が語れるということはそれを愛好する人々の愛好する心を強固で堅固にする。好きであることについての後ろ支えになりはしないか。誰もがそうかもしれないが、自分が愛情を注ぐ事物が価値のあるものであってほしいと願う。カウンターカルチャーはメインストリームではないからこそカウンターなわけであって、それを擁護する思想を希求している。擁護されればそれがいずれメインカルチャーになり、また別の何かが生まれる。
・大きな「物語」ではなく、大きな「ゲーム」の話題について
『ダウンタウン』、『ビートたけし』のような単一の物語ではなく、『M-1』や『AKB』のようなゲームというシステム・舞台装置にこそ大衆が動かされているという見方。評価の過程をも大衆に開示する。
『ハンター×ハンター』における「念能力」(その少し上流には『ジョジョ』における「スタンド能力」がある)の設定・構造が私たちに多くの空想的示唆を提供してくれる。
・同時代に生きる人々は相互補完的に主張する。
この今、現在性に突き動かされていることは自明なので、当然ではあるが。
それでも主義・主張があって、それを言述する。
それでいいと思うし、そうしないとならないと思っている。
・近年の『仮面ライダー』シリーズの文脈。
社会の様態が変容しているのだから、正義の在り方、描かれ方が変わるのも当然かもな。子供には勧善懲悪だけ与えておけばいいというのは妥当なのだろうか。
この手の論説本は、啓発書の一種と受け取ることもできるな。どんな風に読もうが読者の自由なんだけどね。
・物語が意味そのものであり、最新の宗教としての科学が扱えない世の中の「ある箇所」を説明してくれるものなのだとしたら、著者の繰り返す「人間は物語から逃れられない」という言説にも強く肯首する。 -
Posted by ブクログ
連載を読んでいるので木皿泉さんのとこ以外は連載時に読んでいて木皿さんの文章も他での掲載文を読んでいるにも関わらずけっこう読み飛ばしている部分や忘れてしまっている箇所に気付いた。
AKBに関しては知っているけどファンというわけでもなく宇野さんなどが関わっている書籍などは読んでいる程度の僕でも1「ファンタジーの作動する場所」での文章の熱さというか宇野さんはやはりロマンチストなんだなって感じるし涙腺が急に緩くなりそうになる。
2「糸子のために」も掲載時に読んで膝を打ったものだった。そうか糸子は洋装し自ら動いた事や後半のメタフィクション展開に僕は新しい朝ドラを感じていたのを思い出した。
僕は『平清盛』での兎丸の存在の話もすごく惹かれるものがあった。僕も平氏でも源氏でもないからだ。だとしたら僕は遊びの心と新しい可能性にどこからか現れる新しいシステムに期待してしまう人なのだろう。
あと僕が堀江さんの事が好きというか好意的に受け止めているのは書籍を読んだだけじゃなくて宇野さんが書く堀江さんについてのことがけっこう影響してるんだろうなって。
このサイズで毎年連載をまとめると来年はここに「あまちゃん」論などが入ってくるのだろうけどそうやって地層のように積み重ねていく批評、物語や現象は読者にとって新しい視点や受けとり方を提示していってほしい。 -
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理解できたのはせいぜい5〜6割かな、という意味で☆3。
今の私にとって一番重要だったのは、この議論のもっと下位のステージにある。それは、カルチャーが、ひとにとってなくてはならないものだということ。
その時代を象徴する「文化」は、何か一貫する人間の奥底でつながった深層意識みたいなものが動かしているということや、カルチャーを分析していくことで人間の思考回路が浮き彫りになるということ。それを前提に話が進んでいた、はず。
文化とは娯楽の形をしているが、そのコアに、生きる切実さが組み込まれていると思う。というか、そうであってほしいと思っていた。だからそれを納得できる形で示してもらったことが、いまの私にとってはとても大きな収穫だった。 -
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AKB48に「マジ」で嵌った4氏が叫ぶ、推し愛と社会学的分析の結晶。
AKB48、ならびに48Projectがこれだけのムーブメントを巻き起こし、他のアイドルとは一線を画している特徴というのは、劇場というホームグラウンドを抱えている点が大きい。
おニャン子クラブであったり、モーニング娘。であったり、過去の大所帯アイドルグループには、このようなホームグラウンドを抱えた例はなく、故にマスメディアとの結びつきがブレイクのうえで必要不可欠であったが、AKB48は劇場という下地を抱えている分だけ地盤がしっかりとしており、マスメディアへの露出は、より間口を拡大するためのあくまでも副次的な要素に過ぎないのである。
もちろん、このような形態をソーシャルメディア全盛の時代に思いついたという幸運は決して見逃すことが出来ない点。今でこそ、Google+を利用したソーシャルメディアによるマーケティング手法を意図的に、かつ積極的に利用しているが、グループ立ち上げ当初に既にそこまで考えが及んでいたとは考えにくい。
些か盲目的になりすぎてはいないか、こんな言説はあまりに馬鹿げているのではないか、と失笑を買いそうな熱の入りようであり、その点に関しては否定しない。引き合いに出される他グループに対する認識は、やや甘めに見える。ここまでAKB48に対して入れ込んでしまったら、もはや致し方ないことなのかもしれないが笑
だが、一見、馬鹿馬鹿しくも映るこういった議論の中に、社会を紐解くための意外なヒントが転がっていたりする胡散臭さが、実は社会学という学問の本質であり、面白さであると個人的には思う。
変なバイアスをかけて堅苦しく読まずに、熱いおっさんたちがソーシャルメディアでAKB討論をしているところにちょっと耳(目?)を傾けるような、軽いノリで読み進めば面白い本。 -
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よく知っているものも、タイトルしか聞いたことのないものも、とにかく95年付近〜ゼロ年代の主要な「流行った」漫画アニメドラマ映画等々があらすじ・主題とともに紹介されているので、世間話のネタになる浅く広い知識を手に入れられた意味でためになった。
あまりに卑近に思えて、自分のなかで系統だっていなかった作品群が筆者の描く系図に則って頭の中に並んだ。鵜呑みにするのもまずかろうが。
筆者の言いたいことは何度も繰り返されているのでよーーく伝わった(くどいくらい)が、別人の文体で書かれた(当たり前だ、別人が書いたのだから)最後のインタビューは要らないと思った。
ともかく東氏の『動物化するポストモダン』を読まないと筆者が何を必死に考察・批判しているのか分からないので同書を近日中に読みたい。 -
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ネタバレマンガ・アニメ・ゲームなどのサブカルチャーを代表とする「周辺領域」であった〈夜の世界〉の想像力が、政治や経済といった〈昼の世界〉を書き換えていく・・・
すでに『PLANETS vol.8』を読んでいたので、すんなりと読めてしまう。『P8』での多くの刺激的な議論から抽出されたさまざまな論点が、この「〈夜の世界〉からの社会変革の戦略」を帰納的に論証していくかのように、新書としてまとめられている。
論点①クールジャパン:日本が世界に輸出できるもの
それはソフトそのもの(作品)ではなく、ニコ動やコミケといったコミュニケーションのインフラである。消費と創作の主体が一致してしまうような(二次創作)、現実と虚構の境界があいまいになった「中間の空間」にこそ、輸出されるべき「日本的想像力」はある。
論点②地理と文化の関係は分断された
地理が文化を決定するのではなく、文化が地理を決定する。そして祝祭の場としての現実空間に文化が要求するのは、建築の機能、とくにその規模=サイズの問題だけである。あたらしいホワイトカラー層の出現と、鉄道網に支えられたいままでの〈昼の世界〉とはべつの「夜の東京」とは・・・
論点③価値はコンテンツからコミュニケーションへ
情報化の進行によって、コンテンツの単価はゼロに近づいていき、コンテンツを媒介としたコミュニケーションこそが価値を帯びる。カラオケや初音ミク。楽曲自体の価値をその作品の内部だけで批評することには意味がなくなっている。
論点④ゲーミフィケーション化する社会
従来は不可視的といわれてきたコミュニケーションにおけるあいまいな「雰囲気」や「空気」のゲーミフィケーションによる可視化・数値化。「市民」と「動物」の二項対立から、双方向的で「中動態」的な(ほんらいの)人間へ。人間観の解体と更新。
論点⑤反現実の歴史構造とファンタジーの作用する場所
戦後的想像力、そして「虚構の時代」「終わりなき日常」の終焉。現実と虚構の境界が崩壊したのちにこそ作用する、あたらしい想像力の生成。〈ここではない、どこか〉へ連れていくのではなく、〈いま、ここ〉を異化させていくものとしての想像力。
論点⑥すべての論点を包摂する論点としてのAKBシステム。
〈劇場という現場とソーシャルメディア(夜の世界)〉が、〈マスメディアやヒットチャート(昼の世界)〉を席巻していく。楽曲そのものの価値よりもコミュニケーションの価値。「推す」という感情が社会を作る、社会に作用する。秋元康自身による二次創作、彼とファンとの循環的なn次創作。
少数派たるサブカルチャーそのものが発信できる想像力に限るよりも、コミュニケーションのありようを変容させていくようなテクノロジーのもつ経済力や想像力を広く動員していくほうが、具体的な社会変革のモーメントを産み出すのではないだろうか。
とはいえ、日本的な想像力や経済力・動員力、そしてさらに「百合」的なエロティックな欲望を兼ね備えた存在がAKBなのだ、という主張は説得力がある。
ただし、性的な文脈や巨大な経済(現金収集)システムとしてのAKB批判をやんわりかわそうとすればするほど、日本社会を変革するうえで避けられない論点である〈性(と家族)〉と〈金(再分配と循環)〉についてなにか奥歯に挟まった言説にとどまってしまう、というジレンマを抱え続けてしまうと思う。 -
Posted by ブクログ
昨年の大河『平清盛』を論じるネット界隈で偶然宇野氏を知り、現代のサブカルチャーを批評する人たちの動きに興味を持つようになった最近。先日はETV特集にも出演した宇野氏が考えていることが、新書本らしく端的にわかりやすくまとめられたというのが本書のようである。
論点3〔音楽消費とコンテンツの「価値」〕、論点5〔ファンタジーの作用する場所〕は、とりわけ興味深く読み進めた。そして論点6〔日本文化最大の論点〕(内容はとある国民的アイドルグループについて)をクライマックスにもってくるような強かさこそが、彼の批評家としての活動の原動力なのだろうか、と感じた。
情報社会で立ちまわる宇野氏が、あえて先日のようにETV特集というテレビメディアに出演したり、書籍(新書本というタイプの)という形で社会へはたらきかけたりすることの意図をさぐるのも興味深い。 -
Posted by ブクログ
宇野さんの活動を追っていたり連載を読んでいるとこれは前に言ってた事や書いてた事をわかりやすく、普段読まない人に手に取ってもらおうとしているのがよくわかる。
だから新書でということなのだろう。
『リトル・ピープルの時代』から『PLANETS』vol.8からそしてその先へ向かうための過程にあるものたちが書かれている。
宇野さんがEテレに出たりとかそういう活動が普段届かない層に向けて昼の世界を夜の世界に導くためのものだと思うがどんどん仕掛けていく決意というかある種の本気の遊びなのだろう。
またAKBの話かよという人もいるのかもしれない。僕はAKBに関して詳しくはないが宇野さんや濱野さんが語る事で興味はあるし確かにアークテクスチャやデータベース、二次創作など様々な現代的なものが内包された文化としてそれはある。どこに向かうのかはやはり気になる。
平清盛や新劇場版エヴァなんかの話も読みたいがそれは文化批評で補完されるだろうからそちらを楽しみにする。