「自己承認なんてものは、もはや断片的で確率的なものでしかあり得ない」
失われた10年だったのがいつの間にか20年になって、僕たちが青春を過ごした時代が無意味だったかのようなことを言われちゃって、それを聞く僕たちも、何となくそんな気分になっていたけど、それに異を唱える人がいる。そのうちの二人が著者
...続きを読む。何反省しちゃってるんだふざけるなと。
おっちゃんたちが見ていた世界は確かに停滞の時代だったかもしれないけれど、オッチャン達が見ていなくて僕たちが見ていた世界では時代は確実に進んでいる。僕たちの青春時代は決して反省の対象にされるものではないのだと。著者は、着実に発達してきた自由の拡大を、最大元に享受して発言を続けている。
自由の拡大という進歩と、superflatからcooljapanへと流れる日本文化の肯定感(ちょっと狙いが違うけど)この2つを利用して、日本にドメスティックな希望を見いだす。だから希望論。
同世代の人が本気でそう考え実行しているのは題名のとおり希望になる。素直に未来に対するワクワクした期待感がもてたことが嬉しい。
他には、共同体についての議論が結構あるけど、Facebookとかシェアハウスとかを見ると、確かに断片的な自己承認の詰め合わせで承認欲求を満たそうとしている私たちがいて、そこに僕もいる。そしてその欲求が決して満たされる事はないからこそ、流動的にならざるを得ないという面がある。
これは善し悪しのもんだいではなく、受け入れざるを得ないものなのかもしれない。