【感想・ネタバレ】ゼロ年代の想像力のレビュー

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Posted by ブクログ

大きく分けて、
70年代 「大きな物語」に支えられた時代
80年代 「大きな物語」の喪失後も好景気でそれが見えなかった時代
90年代 「物はあるが物語がない」価値観の宙ずりの時代
00年代 究極的には無根拠なのだから決断主義的に「信じたいものを信じる」時代
00年代後半 決断主義が孕む暴力性の克服を模索
という流れになっている。

主に90年代の引きこもりから00年代の決断主義(引きこもっていたら殺される)への変化を当時のアニメを通じて浮かび上がらせている。

自分はおたく、もしくは引きこもりの体質のある人にとっては、それを社会に還元できるのではないかという希望を持たされるだろう。それと同時に、結局は何を信じるかは究極的には無根拠であると放り出され、「open the door」して他者とコミュニケーションをとろう!と突き落とされる。もっともそれができれば苦労はないが。

シンエヴァを見て最後には「大人になれ」と放り出される感じと似ている笑


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2021年04月03日

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ザクザクとした語り口で攻撃的なスタイルも見られるが、それも本書の魅力となっている。
野ブタや涼宮ハルヒなど現在の若者にとって実感を伴った理解がしやすい題材を用いており、批評にあまり親しみがない若者にとっても良い批評体験となるだろう。
良い意味でも悪い意味でも小説のようだった。

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2019年12月17日

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【総当たりからの切り結び】「大きな物語」の終焉からの「セカイ系」を経て、バトル・ロワイヤル型の社会の向こうに位置する想像力を模索することを試みた批評作品。多彩なメディア作品を読み解きながら、2000年代とその次の時代はいかなるものかを検討していきます。著者は、『PLANETS』の編集長を務める宇野常寛。

本当に久しぶりに批評と呼ばれるジャンルの作品を手にしたのですが、非常に刺激的な読書体験となりました。本書に寄せられる批判をも含む形で、頭を一度ぐにゃぐにゃにして物事を捉え直すことができる一冊だと思います。

〜ゼロ年代も終わりに近づいた現在、「成熟」とはコミュニケーション、他者と手を取り合う能力であるとする想像力が生まれている。自分とは異なる物語を生き、異なる超越性を信じる他者と関係を結ぶことこそが、現代における「変身」であり、「成熟」なのだ。〜

『リトル・ピープルの時代』も読んでみようかな☆5つ

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2019年01月14日

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おー、なんとなくぼんやり感じてたことを言語化してくれた感覚!
今さらながらに、長年第一線で活躍してるエンタメ界の人はすごいなあ〜。私の好きなバンドさんの傾向の変化も改めて必然やったんやなあ。
ま、この論が世に出てから10年経って読んでるて相当遅れてるわけだけどw
とりあえず私は90年代文化にどっぷりなので(…)、今後の社会も楽しんでけるように頑張らねば!!
あと「日出処の天子」はすごい高い評価でそれは嬉しいよねー

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2018年11月16日

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目からうろこというか、ものを考えるってこういうことを言うのかーと思った。
エヴァ、恋空、木更津、野ブタ、龍騎、セカチュー、ハルヒ、三丁目……これらワードにピンと来たらぜひご一読を。

今は無数の「正しい」が現れては消える、正しさの戦国時代。
そう考えると、水戸黄門が終わりを告げドラゲナイがヒットする理由も自ずと見えてくる(私見)。

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2015年06月02日

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おもしろかった!いろいろなことに輪郭が浮かび、名前が付いていくような快感。なんで「オタク」系ゲームは心地よく、同時に薄ら寒く感じるのか。メタ視点はなぜ採用されるのか。
あとおもしろいおもちゃ貰っちゃったなーって感じも強い。この本であまり言及されない初音ミクやフェイスブック、最近の半沢直樹の爆発的ヒット、あとはここではある程度所与とされてる「承認」てのはつまりなんなのか。考えたいことがたくさんできたなぁ。
個人的な話になるけど、大学時代に教わったあの先生とか、会社の先輩のあの人とか、この本に影響されてそうな人が何人か思い浮かぶのが面白い。たぶん僕も相当に影響をうけるんだろうな笑。

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2013年11月23日

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ネタバレ

タイトルの通りゼロ年代の想像力を中心に90年代くらいからの想像力の変遷を、アニメや漫画、ドラマ、映画、文学などから幅広く析出している。
セカイ系、引きこもり/心理主義、行為ではなく設定でのアイデンティティ承認、サヴァイブ系、ゆるやかな共同体、終わりある日常、母性のディストピア、環境整備を担う大人。
自分に身近なテクストが分析の俎上にあげられており、読みやすく興味深く読み進められた。各章のテーマが明確であったこと、何度も主張が繰り返されることも読みやすさの要因でもあった。
想起したのは東浩紀氏、大澤真幸氏(本書にも言及あり)
次はLPの時代を読もう。

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2013年05月14日

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今の世の中を的確に描写した一冊だったように思う。
批評の題材としてマンガやドラマといったポップカルチャーを扱っていたので、今まで思想や批評に感じていた「そんなの、一部の人間だけじゃん」という思いを感じなかった。

思想の内容としては、政治や経済成長といった誰もが持ち合わせる大きな指標がなくなった現在は、それぞれが思い思いの物語(生きる意味や承認欲求を満たすもの)を「敢えて」信じ、その領分を守るために戦い合っている世の中なのだ、というものだった。
こういったことを端的に示してくれただけでも凄いのだけど、それだけでなく、問題点や解決策まで示してくれていたので、もう凄いとしか形容できない。

問題点としては、以下の3つ。

・9.11のような、異なった物語間の争いが生まれること
・「あえて」という前提に甘えて、物語の問題点や他の物語への配慮という面で思考停止に陥りがちだということ
・争いに勝って、自分の物語を確立できたとしても、結局は「沢山の中の一つ」の価値観でしかないため、結局は交換可能なもので、入れ替えられてしまった時のダメージが大きいこと

それに対する解決策は、「交換可能で、終わりがくることを自覚した上で、だからこそ、かけがえのない日常の日々をポジティブに楽しむということ」そして、「交換可能だからこそ、別の場所(物語の中)でも生きていくことは可能だということ」だ。(読んでいる途中に自分が思ったことも混じってるかもしれない…)

また、こういった主題以外にも様々な意見を出していた点も見逃せない。

・ゼロ年代における「成熟」とは、異なった物語を持つ相手とも手を取り合っていけることである
・自分で物語を作るのではなく、物語が生まれ、不特定多数の物語が走る構造を作り出すことが面白い(ニコ動やTwitterのような)

本としては、後半に議論が散財して、全体のつながりが見えにくくなってしまったのは惜しかったけど、それでも最高に面白い本だった。

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2013年03月09日

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2022年に読むと当然ながら、本書の分析は過去の一時点を切り取った評論となる。
しかしながら、2000年から東日本大震災の時期を青春として過ごしてきた人(私)にとっては自分を形作ってきた時代性が分かりやすく批評されており、自分自身の思想の根っこにあるものを見つめ直すことができた。
良書であると思う。

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2022年09月23日

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ジャンプ作品や仮面ライダー、モーレツ大人帝国の逆襲に野ブタをプロデュースなどゼロ年代の作品とか空気が結構好きなので読んでて楽しかったし、こういう作品たちの社会状況の鏡としての見方はできたことなくて勉強になった

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2022年01月20日

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ネタバレ

文化から社会を読む。
オタク文化への文芸的評論。
こういう評論が苦手だった理由を考える。
東に顕著に見られるが、主張を裏付けるための材料を極めて恣意的に選び出していること。
そして本質的に後出しじゃんけんにしかなりえないこと。
それはこの本も例外ではない。
しかしどこかしら、嫌悪できない
言わんとすることを絞り込んでいるのが誠実に見えるためか。
もう少し寝かせる必要がありそう。

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2016年07月15日

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「大きな物語」の凋落

というフレーズは耳タコなんですけど
わかりやすくてよかった。

大きな物語がなくなって、冷たいけれど自由な時代がやってきた
生きる意味は自分で探さなきゃいけないよ
どうする?
ドアを開けろ!

というとてもわかりやすくてとても前向きな結論

この素直すぎる前向きさをストレートに押し出してくるところに好感が持てた

木更津キャッツアイが観たくなる。

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2015年03月26日

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宮台真司や小林よしのりが、なぜ援交から天皇へ、脱正義論から戦争論へと主張がかわったのかという解釈がおもしろかった。「安全な痛み」という表現も。

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2015年01月25日

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未来授業でお世話になったのでこの機会に再読したんだけど、今回の衆院選の決断主義的な側面に想いを寄せたり、しばしば指摘される自分の無自覚な父権主義的なところについて鋭い指摘を見出したり、なんか忙しかった。

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2014年12月08日

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宮台真司や大塚英志の思想を90年代末に更新した東浩紀からその先、ゼロ年代を批評する。かつてないほど「自由」でいられる時代に、物語/想像力はどんな意味があるのか。セカイ系ではなくサヴァイヴ系に、仮想現実ではなく拡張現実的に。若干表現の仕方が雑なところはあるけど、大筋としては納得できる。さて、十年代も半ばだが、この10年はどのようにとらえられるのだろうか。

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2016年01月17日

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ぶっちゃけさっぱり分かんなかったとも言える
登場する作品が多すぎてこちら側の知識が追い付いてなかった
ただそれまで存在した東浩紀の言説やセカイ系についてなどについてよく整理されていてよかった
何度も読むことによって理解を深めていきたい本

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2014年03月15日

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95~08 までのサブカルの潮流を世間の風潮から読み解く一本筋のとおった論理展開がなされている。 95~00 までの引きこもり~セカイ系の展開 ⇒ 00~05 の決断主義(サバイブ系) の発展までの流れを分類したのは見事。取り上げる作品も多岐にわたっている。 あとは、ポスト決断主義として、決断主義の弊害をどのように乗り越えるのかについて、啓蒙的に述べていたが、そのへんの内容はいまいち。 ここらは自分で考えていくことだろう。  引用として使っていた 東の動物化するポストモダンを読みたくなった。

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2013年11月16日

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気鋭の評論家、宇野常寛氏のデビュー評論です。文学、アニメ、ゲームからテレビドラマまでを縦横無尽に論じ、更には文庫化する際に4万1千字の原稿を語り下ろしたものが収録されております。膨大な情報量です。

本書は気鋭の評論家、宇野常寛氏のデビュー評論です。2008年の刊行以降より、3・11後までを4万1千字の長きにわたって語り下ろしている原稿を追加して文庫化されたものであります。実のところを言ってしまうと、本書で取り扱われている文学、アニメ、ゲーム、テレビドラマのうち、話の内容についていくことができたのはせいぜい2割がいいところで、ぼく個人に限って言うと、ゲームやテレビドラマをほぼ一切見ないしやりませんので、ついていくのがとても大変でありました。

また、文学についても村上春樹は『ノルウェイの森』『海辺のカフカ』そして『1Q84』などのメジャー作品くらいでライトノベルはほぼ読まず、金原ひとみ、綿矢りさをはじめとして白岩玄などの作品はほぼいっさい見ていないことに改めて気づかされました。アニメについても『新世紀エヴァンゲリオン』(俗に言う『旧劇版』)以降にインスパイアされて作られた「セカイ系」と言うジャンルの作品群があるということをここで初めて知ったので、「ゼロ年代」という時代になって、かつて自分が好きでどっぷりと浸っていた世界から以下に遠く離れてしまったのかということをこれを読みながら痛感してしまいました。

宇野氏はよく自身がメインパーソナリティーを勤める『オールナイトニッポン0』にて
「サブカルチャーやポップカルチャーを批評することは日本社会全体について語っていることと同じことなんだ」
と幾度と無く標榜しており、そういう視点でこれらのサブカルチャーに接していたことが今までほとんど無かったので、宇野氏が愛してやまない仮面ライダー、とくに「クウガ」以降の「平成ライダー」に関する記述を呼んでいると、作品世界と我々の棲んでいるこの社会が以下に地続きであるかということが本当に良くわかり、
「なるほどなぁ」
と思いながらページをめくっておりました。

宇野氏が本書の中で幾度と泣く指摘しているターニングポイントとしてみなしている年は1995年であり、僕がこの年を振り返ってみても、オウム真理教の『地下鉄サリン事件』あり、後に社会的な現象を巻き起こした『新世紀エヴァンゲリオン』がTV放送されていたりと、今思っても本当に現在にとてつもない影響を及ぼしていた1年であったなと考えてしまいました。

そういった世界の中で碇シンジ君に代表される「引きこもって」しまうタイプと夜神月のように決断主義を用いてバトルロワイヤル式に戦っていくというパラダイムの変化についてのロン表も身につまされるものがあり、そういった事例として沢山のアニメやゲーム作品が挙げられていくのですが、残念ながら僕はそういうものに全くといっていいほど触れておらず、
「あぁ、そういうものなんですか」
というだけの感覚しかもてなかったというところが返す返すも残念でなりません。

自分がこれを読んでいて痛感したことは、多感な時期にほぼ『リアルタイム』で流通していたサブカルチャーやポップカルチャーを完全にスルーしてきたなということで、全くの『一般人』からすれば僕だって十分に「そちら側の」人間であるはずなのに…。宇野氏及び本書との『差異』は一体何なのだろう…。そんな疑問が最後までぬぐうことができずに本書との『距離感』というものが的確につかめなかったナとは正直感じております。

「語り下ろし」で宇野氏が
「『ゼロ年代の想像力』の最大の欠点はAKB48を扱っていないことです」
とおっしゃっており、それが現在にまで至る怒涛のAKB論と、自らのラジオのコーナーで『世界の真実』とまで言い切る「推しメン」横山由依ちゃんへの「推し」へと繋がっていっているのでしょう。サブカルチャー。ポップカルチャーを時代の流れとリンクさせて縦横無尽に語っているので宇野氏の話について聞ける方は純度1000%の『あちら側の人間』であることは僕が保証しますが、ただ消費されるこれらの『コンテンツ』は社会を写す『鏡』であるということを改めて教えてくれたという意味で、本書との出会いは良いものであったということを結びの言葉に換えさせていただきます。

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2013年09月29日

Posted by ブクログ

現代史、現代思想。ぼくたちについての思潮、ここ30年間あたりの文化の仕組みや様態が語られています。この国の精神史。
驚くのは取り扱っている「作品」の多さだなあ。純文学からラノベまで。映画から『仮面ライダー』シリーズまで。空撮的。ポップカルチャーの空撮。オタク文化のサラダボール。

90年代に強く影響を受けた「ぼくら」のこれからを、そのあり方を考えていくに十分な素材が盛り付けられている。意味や価値は受け手により千差万別だから、体系化は安易なのかもしれないが、それでも、それを食べてしまう。表現力の妙か。巻末に扱われた「作品」目次(固有名索引)だけでワクワクしてしまいます。ちょっと気になるのは、ある作品がそれよりも前に発表された作品から影響を受けていることを自明としている点。ここに議論の余地を見たい。このことを前提的に仮構しない論じ方もあるのかなあといぶかしがったりもしています。また、本書も商品という枠組みの中の一つであるという観点では、現代という物語カルチャーのn次的作品なのかもしれない。それを読んで頷いたり首をかしげたりする読者がいる。

それぞれの作品に何が底流していて、なぜ人はそれを享受するのか?
歴史的思想史的な文脈における各作品の位置づけなんて、正直、知らなくても楽しめるし、知らないほうが純粋に体感できて面白いのかもしれません。それでもそこにメスを入れていく行為は、スリリングだったなあ。

・ある物語や作品についての社会的思潮的意味が語れるということはそれを愛好する人々の愛好する心を強固で堅固にする。好きであることについての後ろ支えになりはしないか。誰もがそうかもしれないが、自分が愛情を注ぐ事物が価値のあるものであってほしいと願う。カウンターカルチャーはメインストリームではないからこそカウンターなわけであって、それを擁護する思想を希求している。擁護されればそれがいずれメインカルチャーになり、また別の何かが生まれる。

・大きな「物語」ではなく、大きな「ゲーム」の話題について
『ダウンタウン』、『ビートたけし』のような単一の物語ではなく、『M-1』や『AKB』のようなゲームというシステム・舞台装置にこそ大衆が動かされているという見方。評価の過程をも大衆に開示する。
『ハンター×ハンター』における「念能力」(その少し上流には『ジョジョ』における「スタンド能力」がある)の設定・構造が私たちに多くの空想的示唆を提供してくれる。

・同時代に生きる人々は相互補完的に主張する。
この今、現在性に突き動かされていることは自明なので、当然ではあるが。
それでも主義・主張があって、それを言述する。
それでいいと思うし、そうしないとならないと思っている。

・近年の『仮面ライダー』シリーズの文脈。
社会の様態が変容しているのだから、正義の在り方、描かれ方が変わるのも当然かもな。子供には勧善懲悪だけ与えておけばいいというのは妥当なのだろうか。

この手の論説本は、啓発書の一種と受け取ることもできるな。どんな風に読もうが読者の自由なんだけどね。

・物語が意味そのものであり、最新の宗教としての科学が扱えない世の中の「ある箇所」を説明してくれるものなのだとしたら、著者の繰り返す「人間は物語から逃れられない」という言説にも強く肯首する。

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2013年06月30日

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理解できたのはせいぜい5〜6割かな、という意味で☆3。
今の私にとって一番重要だったのは、この議論のもっと下位のステージにある。それは、カルチャーが、ひとにとってなくてはならないものだということ。
その時代を象徴する「文化」は、何か一貫する人間の奥底でつながった深層意識みたいなものが動かしているということや、カルチャーを分析していくことで人間の思考回路が浮き彫りになるということ。それを前提に話が進んでいた、はず。
文化とは娯楽の形をしているが、そのコアに、生きる切実さが組み込まれていると思う。というか、そうであってほしいと思っていた。だからそれを納得できる形で示してもらったことが、いまの私にとってはとても大きな収穫だった。

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2013年06月07日

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 時代の雰囲気はこれまでも時々でかわり、これからも当然変わっていく訳で、その変遷に乗れなかった人が足を引っ張り、その変遷に乗れた人がその足を引き抜こうとするのです。
 時代の雰囲気を拒否するんじゃなく内面化すれば、時代の風を感じることができるのです。

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2013年05月19日

Posted by ブクログ

よく知っているものも、タイトルしか聞いたことのないものも、とにかく95年付近〜ゼロ年代の主要な「流行った」漫画アニメドラマ映画等々があらすじ・主題とともに紹介されているので、世間話のネタになる浅く広い知識を手に入れられた意味でためになった。

あまりに卑近に思えて、自分のなかで系統だっていなかった作品群が筆者の描く系図に則って頭の中に並んだ。鵜呑みにするのもまずかろうが。

筆者の言いたいことは何度も繰り返されているのでよーーく伝わった(くどいくらい)が、別人の文体で書かれた(当たり前だ、別人が書いたのだから)最後のインタビューは要らないと思った。

ともかく東氏の『動物化するポストモダン』を読まないと筆者が何を必死に考察・批判しているのか分からないので同書を近日中に読みたい。

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2013年04月02日

Posted by ブクログ

批評というものを初めて読んだ。
こういうものなんだ。いつもの読書とは違う脳の部分を使った感じ。

こんな世の中も覚悟を持って考えれば、こうやって言葉で説明することができるんだ。
すごい!
僕はなんとなく感じる事しかしてこなかった。
これからも注目です。

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2012年12月18日

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どこかのブックガイドから。ハヤカワ文庫から、ってのがちょっと意外な気もしたけど、JAのラインだとこういうのもアリなんかな?2000年をまたいでの前後10-15年くらいにおける、主にエンタメ界隈からのぞいた世相論。取っつきにくい印象だけど、小難しい部分を半ば読み飛ばすくらいの感じで読むと、それなりに楽しく読み通せる。でも、文中で大きく取り上げられている作品のうち、おそらく半分以上に触れてきていないこともあり、理解は不十分。かといって、それら作品に触れた上でもう一度本書を、とまでは思わんかな。

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2023年07月21日

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「大きな物語」が失われたゼロ年代を生きる者へ。

著者の言っていることはわかるようなわからないような。ゼロ年代が終わり、エヴァは完結し、ソシャゲの存在感が大きくなっている。今、著者は何を考えているのだろう。

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2021年08月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

…本来、日常という「死」へ向かう最大にして最後の物語に対峙することを求めながらも、それを恐れている人間こそが、それが手に入らないことに傷ついては「自分は非日常的なロマンティシズムがないと満たされない特別な人間だ」と(根拠もなく)思い込むことで、プライドを保とうとする。だが、彼らに必要なのは決して「非日常的なロマンティシズム」でもなければ、「超越」でもない。肥大した自己評価を捨て、素直に自分の欲望と向き合う謙虚さでしかないのだ。そしてそれは、決して不幸なことではなく、むしろ私たちに与えられた最大の可能性のひとつなのだ。

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2020年03月08日

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東浩紀の「動物化するポストモダン」論を更新すべく著されたゼロ年代論。大きな物語が存在しない時代に、自己や物語のキャラ化、他者回避の到来を述べた東に対し、宇野は決断主義が到来してるぞと先を歩いてみせる。経済成長の終焉から規制改革が生まれたように、碇シンジは自身の根拠を持たない宙ぶらりんに耐えられず、夜神月に取って代わられたのだと。
しばしば批判されるように取り上げる作品の恣意性を感じなくもないが、サブカルという人の性癖の問題で世相を語ろうとする以上、それは甘んじて受けるべき批判だろう。
決断主義がはらむ暴力性なども問題にしている。規制緩和が生んだ暴力の問題に通じているが、大きな物語の時代だろうが小さな物語の時代だろうが、決断主義に特化した問題ではないと思うので、別枠で暴力論をやればいいと思う。
主に東日本大震災以前の議論であるため、震災以降の社会を見るための土台の議論として相応しい。宙ぶらりんを耐えられる強度を持たないのであれば、これから我々はどんなマシなシバ神を信仰するべきのか見極めなければならないのだから。

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2018年04月10日

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ラジオ「オールナイトニッポンゼロ」で宇野常寛を知った。

「がんばっても,豊かになれない」ゼロ年代をどう考えればいいのか,マンガ,アニメ,映画やテレビドラマ,仮面ライダーなどを題材に解説する。

紹介する作品を知らない人にも分かるように比較的丁寧に解説されているのでわかりやすい。そのせいで分厚いのかもしれない。

この本にかぎらず,注を入れる位置はどうにかならないものか。この本は各章末にあるが,全16章もある中で章が変わるたびに注のあるページを探すのはめんどう。個人的には,本文と同じ見開き内に注があったほうがいいと思うが,どうなんだろう。

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2014年01月28日

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非常に興味深い評論。やや筆者の筆が走りすぎている感がありますか。決断主義/安全に痛い/サヴァイブ系といった「言葉」にはある種の共感を覚えつつも、象徴として抽出していることになるすべての各作品について、読者体験/視聴者体験を持った人間がどれくらいいるだろうか。世相の鏡としては、一定程度の正確性を持ち得るだろうが、個別の読者像/視聴者像が重ならないように思えます。作品群が、もはや拡散してしまった現代にあって、同一のラインで論じることへの違和感はどうしても生じてしまうのかもしれないという印象を持ちました。

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2013年12月15日

Posted by ブクログ

 「もはや世の中は何も私たちに与えてくれない。正しい価値も、生きる意味も、すべて私たちは自分で調達しなければならない」
 2000年以降のアニメや漫画、小説、映画を引き合いにあげ、現代の「想像力」の変遷をとき、ふんわりとした淡い色合いで彩られているソーシャルな現在へと向かっていく社会の変化をたどっていく。刊行されたのは08年だから、東日本大震災のことには全くふれていないけど、変化の萌芽を感じとることはできる。
 現代は歴史や政治が与えてくれる「大きな物語」が崩壊し、個人個人が選びとる「小さな物語」が跋扈している状態で、大きな物語に規定される価値観の支えを失った不安な個人が集団化している、というのが議論の根幹のテーマだ。そこから曖昧で不安な個人が、どう自らの物語を構築していくかをとき続ける。
 自己啓発書ではないから、こうしろ、ということはないのだけれど、ひとつひとつの議論にうなずかされる。私たちは物語から逃れることはできない。だが。個人で物語を選ぶことができる現代は限りのない自由で溢れている、という希望を語って結論を迎える。
 読みにくさの源泉は著者独特の言葉の回し方。語りたい言葉がたくさんあって、それを自分の中でジャンル分けしていく。一回一回戻りながら読んでいったが、宇野辞書が欲しいと何度も思った。

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2013年04月08日

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