筒井康隆のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
使える音が徐々に減っていく小説。音が消えるとそれを使うものが 実際に消えて行ってしまう世界。
読むのにかなり体力が必要だった。はじめはほとんど違和感なく進んでいくからいいのだけど、だんだんと難しい単語が増えていくから何を言いたいのかじっくり考えて辞書を引いていかないといけなかった。でもそれが楽しかった。
この本の後に読む本はいつもよりもサクサク読めると思う。トレーニングだ。
かなりメタ的な視点が含まれていて、作中の主人公が始めの方でいっていた現実と虚構が同時に起こっている感覚が少しわかった。
言葉が減ると登場人物の性格も変わっていくのが顕著に表れていて、人のパーソナリティと言葉が密接に関わっていることを再認識した。 -
Posted by ブクログ
コピー&ペースト小説、漫☆画太郎小説、はたまた何度も見るが微妙に細部が違う夢小説、サザエさん小説、走馬灯小説、エンドレスエイト小説 形容できません
多分、真面目な読者程序盤早々に面を食らって本を閉じるか呆れると思うけれど、よく耳にする日本音楽を頭に浮かべて欲しい。恐らく同じ単語は繰り返されているし、何なら背景に流れる音楽は何周か同じフレームが流れているはず。そのガワを文学に取り入れたのがこの作品だと思う
物語、ストーリーテリングより技法運営を見る本、だろか。
何か20年後くらいの僕の頭の中、見え方はこうなっているような気がして。そんなこと考えながら読んでいたら本編339頁に4時間もかかりました
もう少し歳を重ねたら何か違う物が見えてきそう(気付けそう)
話筋とはまったく関係ないかもしれないがスルメ味がまだ隠されているような豊かさがある
それが御大の策略なのかはわかりませんが… -
Posted by ブクログ
ネタバレ職場の人に借りたもの。
筒井康隆は名前だけ知っている状態だったが、たいへん面白い。主人公の七瀬がいろんな家庭で人の心を覗き見るオムニバス形式。
夫婦や家族の在り方は、どの時代も似たようなものなのかもしれないと思えた。
好奇心で家庭に踏み込む七瀬を無鉄砲に感じたり、でも年頃の女の子らしいと感じたり、能力のせいか歳のわりに達観している様子も受けとめやすかった。
続編を見たくなった。
ちょくちょく表れる男性の欲望は、女性からするとやはり狂気で気持ちが悪く、恐ろしい。
「水蜜桃」は特にだった。自分も10代、20代の頃はよく変な男の目線や言葉に傷ついてきたが、素晴らしく気持ち悪い性欲を表現しているなと感嘆。
「紅蓮菩薩」は、妻の感情の描写が恐ろしく、怒りの表現が引き込まれた。ただ、子どもの描写がほぼ無いことと、最後の結末を思うと子どもが本当に気の毒でしかない…。 -
Posted by ブクログ
マルチバース(という言葉)もインターネットもない頃に、これらがもたらした世界の中での自我というものが表現されていて凄いと思うし、終章に出てくる、「はっきりした本物などはない、それらもパロディ(模倣)である」という感覚も、生成AI作品時代を予見しているようだ。
著者の描く、非現実的な光景やドタバタの状況は、読んでいて「何が描かれているか」がわかりやすく伝わってきてストレスがないのを実感した。これは説明が筋道だって的確だからだろうと思う。
違和感を覚えた世界からの脱走という切り口での自我からの逃走というテーマが最後まで明確に貫かれていて、少し理屈っぽいというか、全編ドタバタではあるものの、個人的にはもう少しナンセンスなおふざけに振り切ってもらったほうが良かったかなぁ。 -
Posted by ブクログ
老人同士のバトルロイヤルを、70歳のじいさんが書いたというだけで面白い。読み終えてから作者について調べると、同郷・同校だったこともあり、なんとなく親近感が湧いた。
一方で筒井康隆本人は、家の近所で気に食わない若者を杖で殴りつけるなど、かなり豪快で過激な人物だったらしい。いわゆる「老害」と呼ばれるようなタイプだが、私は結構こういうジジイは嫌いじゃない。
本書では、少子高齢化社会を「良識による悲劇」「何もできない老人の氾濫」と痛烈に批判し、介護に追われる家族の苦悩をさまざまな視点から描いている。
そんな作品を読むと、筒井さんは自分の傍若無人な振る舞いが社会や家族から白い目で見られていることを十分自覚していたのではないかと思う。自覚したうえで反発し続けながらも、その一方でどこか負い目も感じていたのではないだろうか。
また、本書には自身の理想的な死に様も投影されているように感じた。老害と呼ばれようが、死ぬまで気に入らない社会や若者に噛みつき続け、その果てに彼らの手で命を落とす。そんな最期を望んでいたのではないか。
しかし現実には、誰にも殺されず、老衰でも死ねず、ただ長く生き続けてしまった。その「死に損なった老人」の姿を、主人公・九一郎に重ねているようにも思えた。
著者を知ってからもう一度読むと、また面白い一冊だと思う。 -
Posted by ブクログ
単行本は1986年刊。もとは「SFアドベンチャー」連載(84.4~86.6)。12話からなる。
読ませるが、筒井康隆にしては古典的だし、定型的過ぎないか。古典的・定型的というのは、「遍歴」小説風という意味で。後年のほかの作家の作品群(たとえば時雨沢恵一の連作『キノの旅』など)は、まったくもってこの路線だもん。
新潮文庫の解説は、筒井と同世代の、科学史の村上陽一郎(執筆時は東大教授)。一種のビルドゥングス・ロマンととらえている(ありゃ、「遍歴」小説じゃん)。そういえば、村上先生は、漱石の『三四郎』もビルドゥングス・ロマンと言っていたような。 -
Posted by ブクログ
2025年刊。もとは「文學界」連載(24.4~25.4、頚椎負傷のため途中に休載が入った)。
幼年期から老年期の現在までを語る。演劇に熱をあげた高校時代、SFにのめり込んでいった青年期が詳しい。中年期以降、多産な時期は駆け足。
東京移住は31歳。原宿前の新居には、いろんな仲間が押しかけてきた。ある夜は、下で「おう」という声。ベランダから顔を出すと、小松左京と星新一。まるで中学生の遊び友達。
『おれの血は他人の血』は月刊「ポケットパンチOh!」に連載された。担当編集者は、のちに血液型性格学で一世を風靡する能見正比古。筒井はそんなことはまったく知らずに、あの作品を書いたのだとか。まるでギャグみたい。(ちなみに、この作品は映画化された。主演はいまは亡きサイクリストの火野正平。)
(p.s. 筒井は2009年から10年にかけて、朝日新聞の書評欄に「漂流――本から本へ」を連載した。幼少期・少年期・青年期にどんな本を読んだか、それが作家としての自分にどう影響を与えたかを、その時のエピソードも含めて語っていた。連載は66回。メリハリのついた、よくできた自叙伝だった。別バージョンの筒井康隆自伝。)