平川克美のレビュー一覧
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ネタバレ資本主義生産様式では、日本に起きている問題の拡大が収束することはありません。
資本主義生産様式では、日本に起きている問題の拡大が加速することはあっても、収束することはありません。もはや、各国単位の問題ではないので、政策で抑え込むことは不可能なのではないかと思われるのです。
>『路地裏の資本主義』は、わたしたちが今生きている、資本主義生産様式の世界を、肌身に感じるやり方で理解したいという思いから名付けられたもの……成熟した資本主義国家の常として、市場が飽和し、人口が減少し、自然過程としての経済成長が望めなくなった今……経済が停滞してから生まれてきた若い人たちの中から、生き延びるための共生へと向かう人たちが現れてきています。シェアハウスという共有空間で暮らす、NPOを働き場所として選ぶ、あるいは地方で生きるという選択も志向され始めています。足下に定常経済は見出せるはずです……。
以上は、この本の「はじめに」から終章にかけての大まかな流れを捉えるために、抽出した言葉です。「マルクスは、資本主義生産様式というものは歴史の必然によって内部矛盾を拡大し続け、ついには自然崩壊するだろうという予見をしたのです。」とのことですが、著者の平川克美さんは、マルクスの予言通りになりつつあると感じているようです。それは、なぜなのか考えてみましょう。
「この十年間の間(第一刷発行2014年9月)の日本に起きているのは、雇用の不安定化であり、格差の確実な拡大であり、中小企業の倒産であり、地方の過疎化であり、高齢者の急激な増加など、数え上げればきりがありません。」資本主義生産様式では、このような問題の拡大が加速することはあっても、収束することはありません。もはや、各国単位の問題ではないので、政策で抑え込むことは不可能なのではないかと思われるのです。 -
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著者の第一作である『反戦略的ビジネスのすすめ』(2004年、洋泉社)の新版です。
「まえがき」には、「一生のうちで1冊だけ書くつもりで書いた本なので、あれやこれや考えめぐらし、脳みそが汗をかくほど無い知恵を絞り、逡巡し、戸惑いながら書きすすめることになった」とあり、「本書の文体が、直線的、論理的、断定的とはならず、絶えず揺れ動き、表現が回りくどく、読者に辛抱を強要するような悪文になったのはそのせいもある」と述べられています。たしかにその後数多く刊行されることになる著者の他の著作にくらべると、一筋縄ではいかない行論についていくことを読者に要求するという意味では、やや敷居の高い内容ではあります。しかしながら、著者の基本的な考えかたは当然のことながら他の著作の内容とつながっており、また著者の盟友である内田樹の思想に呼応するような考えかたも随所に見られるので、それらの本になじんでいる読者にとってはそれほどストレスを感じることなく読めるのではないかと思います。
著者の基本的な立場は、グローバリズムの平板なビジネス観にあらがい、本書のタイトルにあるような「一回半ひねり」のスタンスでビジネスを見なおそうとするものといってよいでしょう。ビジネスにたずさわる者は、自分の技術に対する誇りや顧客に対する気持ち、あるいはおなじ会社に勤める仲間たちに対する信頼といったものに裏打ちされたコミュニケーションを志向しつつ、かならず商品と貨幣というものを媒介とすることでしかこうしたコミュニケーションを遂行できないと著者は考えており、こうした「一回半ひねりのコミュニケーション」という関係を、回り道をしながらも粘り強く説いています。
なお巻末には「付章」として、著者と内田樹のメールによる対話が収録されています。 -
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★★★2019年5月レビュー★★★
鳥取県中部の「汽水空港」という本屋で購入。
人々の生活の息遣いが聞こえる路地裏のような場所から、日本の民主主義を語る。
「株価」や「GDP」といった、現場の感覚とは程遠い数値ではなく、羽田、大田区界隈を歩きながら日本の現実を語る。
印象に残った内容を少し紹介したい
①「学び」について
・・・「学び」とは、目標設定があって、最速でたどり着くのを目的にしたものではない。大学で学ぶという事は、自らを社会の『異物』として選び取ること。
②オリンピックの本質
・・・経済効果?都市開発?
これはオリンピックの本質と関係があるのか?
オリンピックがナチス・ドイツの国威発揚の場として利用された過去を忘れてはいけない。
③国家にも必要な最低限の品性
・・・カジノはマッチポンプ式。
「カジノで経済成長を」というのは「ヒロポンで活力を」というのと同じ響きをもっている。
また、「家族の崩壊」ということについて、本のあちこちで語っているのも興味深かった。核家族化が進むと同時に、生活の仕組み、街の仕組みが変わっていったのか。決して古い家族制度を礼賛するわけではないが、何となく寂しさを感じる。 -
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中学生、あるいは高校生ぐらいの読者を対象にしているシリーズの一冊。ほかの出版社の、ぼくは気に入っている「よりみちパンセ」のシリーズより少し年上の読者が想定読者か?
内容は、あれこれあるのだけれど、高橋源一郎の、アメリカの大統領だった、オバマの広島訪問演説に対する解説(?)が俊逸、さすが「ゲンちゃん」という内容で、記憶に残った。
内田樹の編集方針も悪くない。学校の先生方も通勤電車で、一つずつお読みになればいいのではないでしょうか。ここで、さまざまに指摘されている社会の変化の中で、教育が、それはあかんやろ、という方向を支えていることに、ギョッとなさるかもしれない。 -
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まず内容ですが、
第1章 いちばん自分らしい場所
第2章 つながるということの本質
第3章 好き嫌いと価値観の共有
第4章 師匠の存在、家族が自己にもたらすもの
自分の居場所を見つけられない人が増えてきているという時代、それぞれ違う立場で活躍してきた内田樹・平川克美・名越康文の朋友の3人が、自分らしさとは、つながりとは何かについて鼎談。
昔話に花が咲いたと思ったら、話は思わぬ方向に……。
叡智が詰まった言葉の数々にハッとさせられる一冊でした。
内田さん平川さんは私とまったく同世代です。
だから余計に発言内容に親近感が持てました。
同世代が時代時代を共有してきた感覚にとっても親しみがもてるのです。
69歳にもなりますと、心和む内容が精神衛生上いいようで(笑)。 -
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前大阪市長の平松邦夫が立ち上げた「公共政策ラボ」主催のシンポジウムの模様をまとめた一冊。この本を手に取った理由は、ほかでもない内田樹が討論をリードしているから。早くから橋本徹の教育に関する施策に異議を唱えていた内田樹が、その橋本徹に選挙で敗れた平松邦夫とタッグを組んだわけだから、ちょっと見過ごすことができなかった。
内容は、内田樹がかねてから唱えている(かつ、ワタシも賛同している)「贈与経済」という考え方を、国家規模、グローバル規模であてはめていったらどうなるか、という討論が中心になっている。そして、これをあてはめていくとグローバル社会から脱してゆくことになる、というのがこのシンポジウムのコアの部分なんだろう。なるほど名うての論客達の討論からは、思わず唸るような数々の指摘が。でも、この国はそれほどグローバルな社会を持っているんだろうか、という疑問がふとわいてくる。善し悪しはともかく、グローバルな社会を目指そうとしているんだろうが、いま現在はまだそんなレベルには到達していない。この本の指摘するところは十分刺激的だが、後の時代に「早過ぎた指摘」と評される可能性があるような気もする。 -
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高校生が文章を読むに当たり、基本的な考え方をあたえてくれる、良本。
平川克美「人口減少社会について根源的に考えてみる」ではグラフの見方とともに、当たり前のようにように言われている言説について批判的な見方を示唆する。
仲野徹「科学者の考え方-生命科学からの私見」ではパラダイムシフト、疑う、シンプルに考えるなど科学を発展させている考えが書かれている。
白井聡「消費社会とは何か-『お買い物』の論理を超えて」ではボードリヤールの考えを援用し、いわゆる「消費」的な感覚が政治や教育にも適用させようとする現在の社会のゆがみと弊害を述べる。
山崎雅弘「『国を愛する』ってなんだろう」では、政治的無関心が生む危険と愛国の意味の多義性について分かりやすく述べている。 -
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【読書メモ】
p185
・何のために勉強するのですか?
自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を言う。ただそのためだけに勉強するのです。山本義隆
p190
・同じことを、違った側面から考える視点を与えてもらうためにディスカッションをするのです。当たり前のことですが、自分は自分の考えに染まりきっています。そこへ、違う刺激を与えてもらって、自分の考えを方向転換させたり、バージョンアップさせたりすることが重要なのです。
p103
・科学がグローバルである最大の理由は、真実をあつかうからということです。
…科学的な視点は予測できない社会を生きるうえでの全員にとってマストなものの見方なのかもしれない。情緒的に考えたとしても、それを相手に理解できる自分の言葉で伝えて、ブラッシュアップしていかなきゃいけない。誰かが先に答えを用意してくれている時代でないのであれば、自分の考え、意思を言語化して、まず自分を納得させることができなければ、何も頼りにするものがなくなってしまうから。自分を納得させるために、何故自分がそう考え、思ったのか、その前に何が頭に浮かんだのかを自分自身に伝えなければならない。
科学的なものの見方とは、パラダイムが人間の思考をいかに制限・固定・維持しているかを理解したうえで①まず疑う、②データに基づいて具体的に説明する③合理的に考える④いっしょに考えてグロ−バルに展開してくという流れ。
・消費社会について
…資本主義がすすみ、消費社会が到来した。最初は「必要だから」何かを求めていたものが、今では「これを持っていると周りから羨望の眼差しを向けられるから」といった“意味”に価値が置かれている。だって、物が溢れる時代に、物をほしがり続けてもらわないと資本主義は回らないのだから。
しかし、そうした消費社会の高度化が人間精神の在り方に異常を来していると筆者は述べる。「お買い物」の論理を、その論理が当てはまらないもにまで当てはめようとしているからだ。
選挙の投票や教育はその良い例。
投票は、投票したい候補者がいないし行っても無駄、という合理的な考えで処理されることがあるが、その危険性はでかい。あなたがほしがるものをお膳立てしてくれるわけではない。あなたが何もしなかった行為そのものが、結局はあなたとあなた以外の人にふりかかることになる。だから、「もっともマシ」だと思う人に投票することが求められる。
また、教育はお金を払えばすぐに分かりやすい商品価値が返されるものではない。つまり、商品として捉えるならば出来損ない。さらに教育が商品とみなされたが、教育は不可能になる。学ぶ主体が「消費者である」と自己認識している限り、最低限の支出で最大限の有用性を得ようとしている限り、教育は死ぬ。お客様→学ぶ主体
・「愛国心」について
…そもそも「国」をどう捉えるかは3種類ある
①外国的に「独立国」として承認されている国家の領土
②その領土内に住む国民を特定の政府が統治する国家体制
③政府に統治される側の、一人一人の国民の命と生活環境
時代的背景によって、上記の優先順位は前後する。
第二次世界大戦で、ドイツ軍に攻め入れられたフランスは、わずか6週間で降伏を宣言した。③市民の命を最優先にし、①領土の半分を失い、③ドイツ寄りの中立の立場をとることになった。
一方、太平洋戦争中の日本は、軍人や市民の命が犠牲になったとして、早く負けを認めて戦争をお渡せようという空気は起きなかった。なぜなら②天皇とその天皇が統治する国家体制が何よりの崇高なものであったわけで、③はそれを支えるために存在していると解釈されていたから。
日本で「愛国心」というと、この戦時中のイメージが先行されてしまうきらいがある。なぜなら、平和な時代の③を優先する愛国心(いわゆる新バージョンの愛国心)の概念ができあがっていないから。
反戦運動をする人に対して「裏切り者」や「売国奴」などど軽々しく言うひとにとっての愛国心は、②と③を最優先にさせたもので、指導者が決めた物事について疑いをかけずに従順に突き進んでくれる都合の良い存在。いわゆる「馬鹿」なのだけれど、そんな存在を刺激するには近隣諸国に敵をつくって、危機を煽れば良い。そういったかれらにとっての愛国心は、本当は国を破滅に導くとも知らずに、彼らはついてくるから。
「もしかしたら、自分の国の指導者は間違った判断をするかもしれない」と考える市民、そして命を最優先に考える市民にとっての「愛国心」は上の人たちとは違うことを理解しておく必要がある。
自国の黒歴史、つまり、戦争のために命を落とした人たちの死が無駄であったか、そうでなかったかは軽々しく結論付けられないが、それを決めるのは現在と将来の私達の行動にかかっている。
P281
ブレーズ・パスカル「われわれは絶望が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶望のほうへ走っている」(パンセ)