成田龍一のレビュー一覧
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高校の新科目「歴史総合」を見据え、5章にわたり、それぞれ古典的著作から最新の研究を踏まえた著作など3冊の歴史書を取り上げ、編者2人と各ゲスト研究者との対話形式で(近現代の)世界史の考え方について考察。
歴史学や歴史教育について考えを深めさせてくれる良著だと感じたが、なかなかヘビーな内容で読み進めるのに苦労した。
こういう歴史研究の動向や歴史学の考え方などを踏まえて高校の歴史教育ができれば理想的なのであろうが、現実はかなり厳しいのではないかと思った。高校生の頭がパンクすると思う。批判されがちだが、やはりある程度の暗記教育的な土台がなければ、このレベルの考察は困難ではないか。このレベルの議論は、大 -
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<目次>
はじめに
第1部 近代化の歴史像
第1章 近世から近代への移行
第2章 近代の構造・近代の展開
第2部 国際秩序の変化と大衆化の歴史像
第3章 帝国主義の展開
第4章 20世紀と二つの世界大戦
第3部 グローバル化の歴史像
第5章 現代世界と私たち
<内容>
今年度から始まった高校の新しい学習指導要領。地歴公民科で新たに発足した『歴史総合』(本校も1年時の必履修科目です)。「主体的に考え、行動する」、その理念を実践するためのヒントを提案したシリーズ(全3巻)の第1巻。今までのんびりと”チョーク&トーク”の授業をしてきた身にすると、かなりハードルが高い。世界 -
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ネタバレ世の中のことにとても疎いので読んでよかった。
印象に残ったワード「全体主義」「差別」「ファシズム」「水道法改正」「種苗法改定」「カジノ」「歴史修正主義」
コロナ禍だからこそ伝えたい「自由」と「権利」と「多様性」
p19「自由や多様性を守る」ということは、(コロナ禍で)マスクをしない人も、バーベキューをする人も、同じ社会で暮らす仲間として尊重するということ…せめて糾弾したり排除したりしないということ…自分たちの安全のためにどうしても行動を変えてもらう必要があるならば、その人の人権や生活が損なわれないよう、民主的な手続きを守りながら、理性的にお願いするということ
p17〜18 社会を民主的 -
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ただ学校で習ってきた”歴史”だったけど、私たちは聖徳太子が居る前提で習った。
だが今聖徳太子はいなかったなど私たちが学んだ事とは違う歴史を現代の子は習っている。
どういう事なのか理解できなかった。
だが、この本を読んで日本史は一つではないことがわかる。
その人その人の視点で歴史が変わる。
聖徳太子が居ないと言われ始めたのもそういう事かと思った。
戦後にはとても興味があったが、時代の渦にいた登場人物もたくさん出てきてその度にその時の作品も紹介していて分かりやすく作品も興味が湧く。
中田敦彦が歴史を語るのは難しいとYouTubeで言っていたが確かに年表での出来事だけが歴史ではないため難しいなと感じ -
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777冊目
戦争から現在(東日本大震災)まで。
戦争によって、今の日本とアジアとの関係が定まったという印象があります。戦時中は戦争のために国民を総動員して、戦後は経済に国民を総動員して経済大国にかけ上がる。また、自由主義連合の一員としてアメリカとの関係構築。特に沖縄の基地問題への対象など、戦後を詳細に見ることで知るきっかけになりました。
ふたつの大震災は、世代的にも特に生々しく思うところがありました。ifはないですが、原発事故がなかったら、今より生きやすい世の中だったような気もします。
多くの先人たちの努力、良い悪いも含めて見ると、日本の歴史も1日にしてならずですね。 -
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ネタバレ<目次>
第1部 国民国家の形成
第1章 幕末・維新(1853~1877)
第2章 民権と憲法(1877~1894)
第2部 帝国主義への展開
第3章 日清・日露の時代(1894~1910)
第4章 デモクラシーと「改造」(1905~1930)
第3部 恐慌と戦争
第5章 恐慌と事変(1930年前後)
<内容>
近現代の通史であるが、「政治」とか「経済」とかをたどるのではなく、「システムとそのもとでの人々の経験」をベースとする通史である。したがって、”厚い”(新書で465ページ)。これは前半で、後半も同じくらい厚い。そして、読んでいてよくわかる。語られることは、著者 -
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戦後、今日まで、近現代日本史がどのように描かれ、修正されてきたかをたどっている。
本書のベースとなる考え方は、歴史(像)というのは、永遠不変のものではなく、その時々の歴史家の問題意識により書き換えられるものであるというものだ。その考え方の本質は、本書で引用されている、「歴史とは(……)現在と過去との尽きぬことを知らぬ対話」というE・H・カーの『歴史とは何か』の一節に端的に表されている。私もこのような歴史の見方には賛同する。このような歴史の考え方を示す歴史哲学の本は数多あるが、それを近現代日本史という長いスパンで実際の歴史学の成果をたどることで実際に示しているところに本書の特色がある。
本書では -
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ネタバレ-----
敗戦後に再出発した歴史学研究は、「社会経済史」をベースにしていました。それが、一九六〇年頃からは「民衆」の観点を強調するようになりました。これが第一の変化です。さらに一九八〇年頃に「社会史」が強く提唱されるようになります。これが第二の変化です。
大胆に言えば、この二つのパラダイム・シフトを受けた近現代日本史は、時代によって三つの見方--第一期の社会経済史をベースにした見方、第二期の民衆の観点を入れた見方、第三期の社会史研究を取り入れた見方があると言えます。
--成田龍一『近現代日本史と歴史学 書き替えられてきた過去』中公新書、2012年、iv頁。
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成田 -
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いささか扇情的な副題(書き替えられてきた過去)と帯の惹句(歴史は書き替えられるー)にも拘わらず、内容は至極まっとうな「史学史」。近現代日本史の叙述が時の政治・社会状況の影響を強く受けてこなかったと考える方がナイーブに過ぎるのであって、その意味では「当たり前」のお話しである。
しかし、そのことを整理し、わかりやすく叙述することは難しい。言うまでもなく、史学史自体が時の政治・社会状況の影響を、また強く受けざるを得ないからだ。その点、本書はマルクス主義の影響が強かった社会経済史、民衆史、社会史といった視角を軸に各時代の歴史叙述がどう変遷してきたかを手堅く描き出している。
もっとも、経済史の立場か