なかにし礼さんの本で紹介されていたのを読んでこの本のことを知りました。なかにし礼さんが大興奮で書かれていたとおり、すごくおもしろかった。
すべてのページが実話ならではの驚きに満ちた本でした。
裁判のゆくえ、判決がどう出るか、という、大筋が興味深かったのはもちろんですが、それ以外にも、非常に考えさせ
...続きを読むられた点がいくつも。
最初にああそうなのか、と驚いたというか、腑に落ちたのは、第二次世界大戦時の状況に対する思いがユダヤの人々と日本人とはまったく違うということ。いや、考えれば当たり前なんだけれど、私には目からウロコだった。
ホロコーストで多くのユダヤ人が犠牲となった、という事実が、ユダヤ人の間では「助けられた命があったかもしれないのに助けることができず、ただ殺されてしまった」という悲しく辛い悔恨のような思いになっていて、それが「今度はもう、ぼうっと突っ立ってるようなことはしない」「黙って殺されたりはしない」という固い決意になっていることをプロローグ部分を読んでひしひしと感じた。(だから好戦的だ、ということではないです、念のため)
日本人の私はというと、「侵略戦争のような間違いを二度と起こさない」「二度と戦わない」という考え方をひたすら繰り返し聞かされて大きくなったので、その立場の違いからくる教訓の違いに今さらびっくりした。
憲法第九条をノーベル平和賞に、とかいう考えを初めて聞いたとき、ものすごく違和感があって、でもその違和感をうまく言葉にできなかったのだけれど、その理由がこのへんにありそうとも思う。なんというか、自分たちの反省の念や決意を国の大切な理念として掲げるのはいいんだけれど、それをまるで自分たちが平和の象徴であるかのように「いいでしょ?この考え」と言って誇らしげにするのは被害を被った側から見るといかがなものか、という気がしたのかも?
また、ところどころで見えるイギリスの文化についての描写も非常におもしろかった。
「英国の正義はいささかまわりくどく、感情によって動くものではありません。神の臼と同じく、回転はのろいけれど、ときにはきわめて細かい粉を挽くことができます 」と最後の方で書かれていたとおり、感情論を極めて排除し、理性的に、客観的に物事を判断しようとする姿勢、それらが評価されるシステムには、激しく心ときめいた。
著者は、グレイ裁判官が時にアーヴィングの馬鹿げた説にも真摯に耳を傾けている様子に非常にやきもきさせられていたけれど、私は逆に、意識してそうしているのだと感じて感銘を受けた。
先入観を徹底的に排除して公平に判決を下そうとする態度をとることは、判決後に「あの判事は最初から先入観があった」などという誹謗を受けないために非常に重要だと思う。特にエヴァンズの報告書に先入観の危険性があると指摘するあたり(P378 )は圧倒された。
すごいな、こういう人がイギリスの裁判官なのか、と感動した。
ちょうど、砂川事件の最高裁長官のスキャンダルに関するドキュメンタリーを見て、日本の司法が簡単に権力に籠絡されてしまったこの事件にかなりガッカリしたところだったから、よけいにこのプロフェッショナルな姿勢に感動した。まあ、砂川事件はこの件とは時代も論点も違うし全然関係ないんだけど。
プロフェッショナルと言えば、著者側についた弁護側チームのプロ意識にもひどく感動した。「アーヴィングとの戦いは、通りで踏みつけた糞のようなものだ」っていう言い草! 素敵すぎる。
相手の挑発的な言動に感情を乱されて同じレベルに落ちてはいけないとする抑制のきいた大人な態度。すぐ人の言うことに振り回される私には大いに学ぶところがあります。ええ。本当に。
この本は「アメリカ人によるイギリス文化観察日記」的な側面もあって、そこもおもしろかった。著者のリップシュタットがこれまたアメリカ人らしいアメリカ人で(口が達者で、感情がストレート)、その違いがところどころに表れていて、おかしかった。
この裁判では、名誉棄損の立証責任が原告にあるのか被告にあるのかが、アメリカとイギリスでは逆になっている、ということがひとつの重要ポイントになっているのだけれど、私が深く愛する海外ドラマ「グッドワイフ」のシーズン3にも、この点に着目したエピソードがあって、すごくおもしろかったのを思い出した。
ドラマでは、TV会議システムを使ってイギリスの法廷につないで裁判を行っていて、かつらや法廷用語などイギリス独特の作法がおもしろおかしく描かれていたが、この本にもそうしたことが印象的に述べられている。あのドラマのエピソードは実はこの本がアイデア元だったんじゃないだろうか、なんて思ってしまった。
いずれにせよ、イギリスって、ほんとおもしろい国だなぁ、とつくづく思う。
海外ドラマと言えば、第二次大戦を描いた別のドラマ「バンド・オブ・ブラザース」終盤に、強制収容所を発見するシーンが出てくる。某大手ショッピングサイトのビデオ配信サービスでもこのドラマは視聴可能で、実際に私も見てそのシーンにはひどく心揺さぶられたのだけれど、見終わった後でそのサイトの視聴コメント欄を見ていたら、アーヴィングと全く同じ主張を繰り広げているコメント(ホロコーストの事実を疑うような記述、ガス室は消毒施設だったかも、ヒトラーにも功績がある、等)を書き込んでいる人がいて、正直驚いた。
アーヴィングたちの広報努力の結果?をこうして身近なところで目の当たりにしちゃうと、この裁判での戦いは非常に意味があるものにも思えるし、かつ著者が言うように、究極の勝利ではないのだな、とも思う。
映画化の脚本をつとめたデイヴィッド・ヘアが最初のまえがきで言っている、「ポスト真実(トゥルース)の時代」とはこういうことを意味するんだな、とうすら寒くも思った。