辻原登のレビュー一覧
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暗い。とことん。どんどん深く狭く寒い穴を延々と転がり落ちていくかの様な読み口。
調べた限りでは物語のモチーフはそのまんまシューベルトの歌曲であろうか。この辺り、全く知識が無いので受け売りだが。
「社会からの疎外」を描くとともに、緒方の場合は進んで死を求めている訳ではなく、彼なりに今よりも良い状態を模索してささやかながら手の中に掴みかけもするが、悉く上手くいかない。
流れ流れて辿り着いた和歌山県切目という場所で、傍目にはあまりに哀しい結末を迎えるのだが、緒方にとっては少し違う。
この世に生を受けてから、人は「訳も分からず、否応なしに」(p395)とりあえず生きるしかない。中にはそれなりに目的 -
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本作は1980年代後半、所謂バブル時代の頃の和歌山を主な舞台とし、当時の実際の事件や動きに虚構を絡ませた、「虚実混じり合った」というような具合に展開する“犯罪モノ”というような小説である。
1人の女と3人の男が主要視点人物ということになる…
ヒロインの「増本カヨ子」はスナックを営む。そこの客である町役場の出納室長の「梶康男」が在り、カヨ子を愛人であると考えている地元暴力団の幹部である「峯尾」が在り、そしてカヨ子の元夫で不動産業の「紙谷覚」が在る。
作中世界の時代、1980年代半ばから後半頃の和歌山というのは、関西空港の建設に向けた土砂を供給する用地の件や空港開港を見込んだ種々の開発関係の事案が -
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「月も隈なきは」が初出されたのが2018年秋でしょ?!もう辻原登さんのファンにならない訳がないです。
この本を手にとったきっかけが文學界2月号で「最近独特な手法で書かれている小説が多いけど、まさに小説とはこのことお手本!」だっけかと小説を書きたい人向けに阿部公彦さんが力説されていて積読していた一冊です。
内容をざっくりお伝えするとすれば、フランス文学者・中条省平さんのお言葉「辻原登は現代日本の純文学を代表する作家で、…ここ数年、純文学とエンタティンメントを途方もない筆力で融合させるクライム・ノヴェル(犯罪小説)の執筆に力を注ぎこんでいる」が1番伝わりやすいと思います。
私はSFが大好きな -
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辻原登『籠の鸚鵡』新潮文庫。
1980年代を舞台にした時代とリアリティを感じる犯罪小説。
辻原登の作品は過去に『闇の奥』と『冬の旅』の2作を読んだ限りだが、文学文学している作品より、本作のような大衆小説の方が断然良いように思う。昭和史を巧く絡めることで、まるで実際にあったかのような事件として描かれる物語は結末が良い。実際の事件の結末は小説のような綺麗なものではなく、本作のようなものだろう。
長崎から和歌山に流れ着き、バーのママをとなった増本カヨ子は夫・紙谷寛の不動産詐欺が地廻りヤクザの若頭・峯尾宏の知るところとなり、峯尾の女にさせられる。峯尾は金のために、カヨ子に町役場の出納室長・梶康男 -
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ベテラン作家による5本の短編集。連作ではなく、共通するのは主人公たちが「不意打ち」をくらって完結すること。バッドな不意打ちもあれば、ハッピーな不意打ちもある。
人間は将来の計画や希望を立てて、それに向かって行動するが、ときにはどうしようもない運命がその企みを一瞬にしてご破算にしてしまう。結局、現実はなるようにしかならない、この世は不意打ちの連続だ。殺人だって、失踪だって、大地震だって突然、予期せずにやってくる。
と、読んでいて不意打ちだらけの世の中をネガティブに考えてしまいそう。が、作者が最後に用意した短編「月の隈なきは」で救われた。こんな不意打ちもあるから、人生はおもしろいし、やめられな -
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タイトルに惹かれて購入した。本にするために行った講義を本に纏めたものだそうで、これを読んだら東京大学の文学部の講義受けた気分に浸れるだろうという甘い考えのもとで読んでみた。思いのほかあまり難しくなく、読み切ることができた。もしかしたら辻原氏が本になった後の一般の読者を意識して、易しくしてくれたのかもしれない。
全体を10の講義に纏めている。
1 我々はみなゴーゴリから、
その外套の下からやってきた
2 我々はみな二葉亭四迷から、
その『あひゞき』から出てきた
3 舌の先まで出かかった名前
~耳に向かって書かれた〈声の物語〉
4 私をどこかに連れてって
~静かに爆発する短 -
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人気なさそうですが(笑)、本屋で何気なく目に付いたので購入。個人的にサイコーです。買ってよかった!!
現実的にはまったくありえないだろう話と、事実と虚構が融合した話と2タイプに分けられます。
前者はその非現実性によって、かえって常識的想像をよせつけないまったき一つの空間を創出しています。後者はスタルヒンと中島敦がつながったり、リルケと凶悪な銀行強盗犯がつながったり、でも、強引さのかけらもなく、虚構が冷たい事実に溶け込んで生命を吹き込むような感覚です。
つまり、どちらもそれぞれの作品の中において、確固たる真実性をもっているのです。
ありえない! 意味わかんない! なんて言わないで、小説