辻原登のレビュー一覧
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人生には時折、予測不能な出来事がある。出会い頭の事故のような「不意撃ち」が、時として、人生の流れを大きく変えていく。そんな短編集。
「渡鹿野」。デリヘル嬢のルミと、送迎ドライバーの左巴。顔見知りではあるが、店の決まりで特に話をしたこともなかった2人は、仕事中に遭遇したある事件がきっかけで連絡先を交換する。2人は徐々に、互いの過去や将来の夢を語り合うようになる。やがてルミは姿を消すが、しばらくして、お伊勢さん近くの島にいるとメールが来る。
渡鹿野はかつて売春島として知られた地である。
流れ流される男と女、風に舞って消える儚い縁。
「仮面」。神戸に住む甲斐。かつて、神戸の震災の際にボランティア -
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ずいぶん以前に読んで好きだった『遊動亭円木』の辻原さんを久しぶりに読んでみようかと。
ただ、私にとって辻原さんは当たり外れの大きな作家さん。で、これは「やや、外れ」という印象です。
合本と言うのでしょうか、中編『抱擁』と短編集『この世でいちばん冴えたやりかた』(旧題『約束よ』)が1冊にまとめられた文庫本です。どちらも”この世ならぬ”という雰囲気と匂い立つようなエロティシズムがあり、また、文章的にも流石と思わせるのですが、ストーリーが私に合わないのでしょうね。
ちなみに『抱擁』はヘンリー・ジェームスの『ぬじの回転』のパスティーシュ作品。二・二六事件を背景に侯爵邸の小間使いと5歳の令嬢・緑子の異様 -
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著者の本は小説以外では書評「熱い読書 冷たい読書」「熊野でプルーストを読む」は読んだ。
本書は、小説とは何かという講義を元にしたもの。
まずゴーゴリと二葉亭四迷を語る講義。
四迷に関しては関川夏央「二葉亭四迷の明治四十一年」を思い返した。「あひびき」の引用があり、国木田独歩の「武蔵野」への影響もより納得させられた。近代が風景をその心境を映す対象として発見したという言説は、橋本治「江戸にフランス革命を」にもあった。
ドン・キホーテ
子供の頃に読んだが、風車に挑んでいくクダリしか記憶がない。グレアム・グリーン、矢作俊彦のパスティーシュは読んだので、原作もそんなものだろうと思っていた。いや~、こ -
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辻原さんの本だからと買ったけど正月に読む本じゃなかったな。
大災害や周囲の狂気や欲望に躓き、転落し続ける主人公。主人公に不幸を齎した人間や主人公と同じく不幸だった人間の人生も語られる。
毎日の新聞やテレビのニュースで知るように、こうした不幸は世に溢れている。僕はどうにか人並みの生活を送っているが、例えば職を失ったら、家庭が失われたら、どうなるだろう。街でホームレスの人を見ると、ふと、そんなことを思うこともある。
違う終幕を予想していたんだが。
求めても仏に遭えない世なのだろうか。
救いのない話だった。辻原さんのペンの力に怖気てしまった。 -
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太平洋戦争末期にボルネオで姿を消した民族学者の三上隆を四度にも渡り、捜索する友人達。三上が追い求めていたのは矮人族。友人達は三上を捜し出す事が出来るのか。
ジョセフ・コンラッドの『闇の奥』に着想を得た作品という事なのだが、ジャングルに消えた三上隆はクルツというより南方熊楠のような人物に映った。この作品もコンラッドの『闇の奥』と同様、ジャングルを舞台に虚構と現実が混沌とした世界が展開して行くのだが、コンラッド『闇の奥』のような重苦しい暗さは感じない。コンラッドが描いた『闇の奥』ではクルツの心の闇にまで迫っており、善と悪の境が解らなくなるような妖しい雰囲気が展開するのだが、この作品では登場人物の -
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ネタバレ戦争に反対していた「毒取る」槇は、脚気に苦しむ兵士を助けるべく医者として戦地に赴く。
そこには、脚気について誤った主張・治療をしなければならず苦悩する森林太郎(森鴎外)がいた。
森宮に帰国後、槇はもとの生活にもどるが、
そこでは社会主義運動が広がり始め、怪しげな空気に包まれていた。
槇は、はからずもその騒動に巻き込まれてしまう。
上巻を読み終えた後、本書の題材である「大逆事件」について少し調べてみました。
槇のモデルとなった医師は、大逆事件で無実の罪で処刑されています。
だからきっと、「この物語も悲しい結末をむかえるんだ」と身構えて読んでいました。
しかし、最後まで読んでいくと、槇は -
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ネタバレ雰囲気は好きです。お屋敷!小間使い!といったら内名あまりがまっさきに出てきてしまうのですが(笑)、より現実的というか、そういう感じはありました・・・序盤は。
後半の展開は「お嬢様を独占したい自分」という点では非常に共感できるものだと思います。おんなのこはこういう感情に陥ったりしません?
そのわりに“ゆきのかもしれないなにか”について理解がおっつかなかった気がします。それが狙いなのでしょうが、読んでいる側からすればもうちょっと最後はスッキリしたいな、なんて・・・
最後の一文も「??」が残ります。うぅん、読解力が足りないのかなぁ。読んだ人とこのオチについて語り合いたいです。雰囲気には惚れているか