辻原登のレビュー一覧
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人生の機微と、計らずも運命の波に翻弄される人びとを描いた文学小説。第二十四回伊藤整文学賞受賞作。敢えてそうしたのだろうか、エンターテイメントの要素もありながらも、極めてそれを抑えたかのような作品だった。
物語は主人公の緒方隆雄が5年の刑期を終えて刑務所から出所するところから始まる。そして、緒方に関係する人びとの人生が走馬灯のように描かれ、次第にこの物語の核心である緒方の転落の人生が炙り出されていく。
最初の不幸な躓きから、堰を切ったように崩壊していく緒方の人生。緒方の人生の向かう方向を変えた人びとの人生もまた決して順風満帆ではない。目まぐるしく移ろいゆく時代の中で、人生の機微に翻弄され続ける緒方… -
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『東京大学で世界文学を学ぶ』
辻原登
小説家は、フィクションをもって隠喩を解体し、また別の隠喩をつくっていく。……隠喩を解体するのは、隠喩でもってるすしかない。(p26)
……作家は何かを現実に訴えかけるときもやっぱり隠喩に頼ってしまう。それは別に作家でなくてもそうですが、ひょっとしたらここに落とし穴があるかもしれない。(p28)
暗喩について。ここでよく読まないとわからないが、村上春樹氏を批判している。大江健三郎に対するスーザン・ソンタグのように。
我々の生きているふつうの次元を超えた時間と空間を文章に盛り込んでいく。そいういう世界です。(p34)
時間の描き方。時は、一瞬であり、長い未来であるということ。
作品のほうが勝手に近づいていて、もう1回読んでくれと呼びかける。同時に我々も、もう1回読んでみようと何ものかに駆りたてられる。この両方によって再読、想起という世界が成立します。そこで初めて我々は、生の意味を「感得、感受」することが可能になるのです(p295)
小説がわれわれを捉えるのは再読されたとき、という言葉に続いて。然り。
実に丁寧に書かれている良書。 -
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おすすめ!これは二回読まなきゃいけないやつ。big issueの書評にあって気になっててbookoffで見つけて一気に読んだ!もちろん買って笑。
小人族を探して行方不明になったミカミ博士と、彼を捜す人たちの話し。
「空想があってこそ現実が生まれて、またその現実によって空想が大きくなる」っていうのがテーマだったのかな。読んでると、ファンタジーなのか実際にあった話なのか区別がつかなくなる。読み終わって色々事実確認のためにググってしまって、まさにテーマ通りになった気がする。
もととなった同名の小説、コンラッドの「闇の奥(Heart of Darkness)」も是非読んでみたい。コンラッドの「闇の奥」はイギリスの植民地政策を暗に批判したものらしい。 -
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円朝~でもうまいなあとうなったけど今作も思わぬところでゾクっとさせられる。
まず、入りは思いっきり怪談調。
熊野の奥に「小人の村」があるから行こうと意気込んで男三人が山へ入る。
そこで経験したことについては誰も語らない。
そして主人公が父親の家の遺品を整理しに行き、偶然見つけた手紙に誘われるように物語は進む。
戦中戦後父親が探していた三上隆という博物学者。彼は小人の存在を信じ、調査を続けていた。
主人公の父親がメンバーの一人だった三上隆捜索隊のジャングルでの冒険譚、首狩族、小人たち、ふっと話に現れては消える三上隆らしき人物の影。
通常、物語は最初「え、なにこのエピソードたちどうやってつながるの」って思って後半に行くにつれて視界が晴れる。でもこの物語は真逆。
和歌山カレー事件が絡み、捜索隊は第5次にまで至り、熊野の奥を探検したうちの一人の息子から父親が吹き込んでいたテープを受け取り、ここでまた主人公の私は言葉を精査して物語を作り上げる。
終盤、主人公らは第5次捜索隊として中国のマツタケツアーに紛れ込んで山の奥深く、外国人が通常立ち入りを禁止されている奥地にまで行って三上隆の実像を探り当てようと奮闘する。最後の一行であんなにシンプルに救われるなんてすごいです。
狙ってジャングル、ピグミー、宗教的なものを選んだわけじゃないのに「13」のあとにこういう物語を読めた偶然に感謝。 -
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ネタバレ小説論から文化論へ。
面白い!
視野の拡大と飛翔。
★★★
1 ゴーゴリ。カフカ。ナボコフ。
言語表現の根底には比喩の問題。
古びた比喩を壊すこと。その繰り返し。
何がリアルなのか。
2 二葉亭四迷 日本
NOVEL 内面を書く文章がない。
近代になって、行動の前に考える人間の登場。
近代的=ロマンチシズム。
近代人=個人。
成長する個人の見る自然。
リアル感=カタルシス。
自然=客観。
近代の散文は自然・風景をとらえる。あるがまま。印象主義。
内面がはっきりするのは肉体が病のとき。
詩想をとらえる。純粋言語を日本語によって救い出す。
ベンヤミン。翻訳者は自国語を外国語によって拡大し深める。
描写の問題と翻訳の問題。大和言葉のリアルと漢文のリアル。さらに欧米の外国語。
3 舌の先まで出かかった名前
近代小説は本になった物語。共同体から切り離された個人が作った。作者。
手の先に道具を持つ。さらに見えない言語としての言語を持つ。これは進化ではなく変化。
物語は共同体の共有体験。複数。
内面の動機を描くのが近代小説。
4 短編小説
長編にいろいろ背負ってもらいながら、短く爆発させる。
小さい器の中に人間をそっくり縮めてみせる。
爆発点。転換点。
5 ドン・キホーテ
読む人であり、後半には読まれる人にもなる。
偽の物語を受けて、後篇は行先を変更する。
自分の偽の物語が印刷されている場面に立ち会う。
小説が小説を意識した瞬間。理性を失う。
イエスのパロディ。
6 ボヴァリー夫人
重層性を、帽子やケーキを通じて示唆する。
読書する女。
7 白痴
主体は対象を欲望するが、そのあいだには媒体=モデルがいる。三角形。
媒体と主題の距離。
人間は生身で湿っている。小説の登場人物は乾かされた素材。燃え上がりやすい。
近代小説の終わりは死。
8 物騒なフィクション
ストーリーとプロット。
探偵小説。
世界文学は。日本は。イスラムは。
9 「枯葉の中の青い炎」
10 「ねじの回転」のパスティーシュ -
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ネタバレ和歌山県「森宮」を舞台に、実在の人物をモデルに描かれた時代小説。
大国ロシアを敵として無謀な戦いを挑む小国日本。
世論の大半が開戦戦争を支持する異様なムードの中、
海外で学んで日本に帰ってきた「ドクトル槇」は、戦争に反対する立場を主張する。
『戦争を扇動するのは悪徳の人手、実際に戦うのは美徳の人だ』
しかし医者としての使命を果たすべく、槇は、当時不治の病であった「脚気」から人々を守ろうと戦地に赴くのであった。
ドクトル槇を中心に、時代の流れに巻き込まれていく「森宮」の人々の物語を描いていく。
若くして「山林王」となった美貌の「千晴」をめぐる愛憎劇の行方も気になるところ。
『萎びたり枯れたりしないように、水をやるのは欠かさないつもりだ。』
秘めた想いをあたためる人々のせつなさが胸をうつ。
和歌山県の新宮は私にとって身近な土地です。
あの美しい緑の街がどのような歴史をたどったのか、下巻も楽しみです。 -
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ネタバレ自伝的な素材を生かした短編をそろえた短編集。作家自身に限りなく近い「私」が登場し、主な舞台は郷里の新宮である。それでは作品が事実に基づいているかといえば、首を傾げねばならない。辻原登は、そんなに簡単に素の自分を語るようなタイプの作家ではない。
近松門左衛門の芸論を弟子が書き写した中に「虚実皮膜論」というものがある。高校生時代に古文で学んだ。虚と実の間にこそ慰みがあるといった内容のものであったと記憶する。本当ばかりを書いてもだめで、かといって嘘ばかり書き連ねても人を満足させることはできない。身体を覆う外皮(嘘)と剥き身の身体(真実)の間にこそフィクションの持つ妙味というものがあるといった話で皮膜と書いて「ひにく」と呼ばせるルビが振られていた。
辻原登は歴史的事実を丹念に掘り起こし周到に準備した材料の中に全くのフィクションを混入し、まるでそれが歴史上の出来事であったかのように虚構を創作する。その手際のよさは圧巻で、拵え物と分かっていてもついつい乗せられ、豊穣な物語世界を堪能させられる。辻原を読む愉楽はそこにある。今回は、その歴史的事実を自分史にしてみたというところか。
今回の自伝的作風もどこまで本当の話か分かったものではないのだが、それはそれとして、作家が自分を語り、自分の両親を語ることの意味について考えさせられた。小説家が描くのだから、事実であるはずがないのに、読者は語り口の上手さについそれを真実だと信じてしまうのだ。作家は作品の中で父を矮小化し続けてきたことに負い目を感じ(あるいは感じている振りをして)、本当の父の姿を描こうと試みる。それが表題作「父、断章」である。対になる「母、断章」と比べてもフィクション色の薄い自伝風の作品になっている。
泉鏡花の「葛飾砂子」を枕に、谷崎潤一郎と佐藤春夫の妻交換の逸話を引きながら、文豪ゆかりのバーで過去の女性を思い出す「夏の帽子」がいい。題名からすでに涼しげな夏服につばの広い帽子をかぶった若い娘の姿が想像される。それだけで胸がキュンとなるのは作家と同世代の読者だけだろうか。功なり名遂げた人気作家が、修行時代暮らしていた神戸での講演を無事やりとげた余韻に耽るうち、ずっと忘れていたかつての恋人を思い出す。甲斐性のない作家志望の青年を応援し続けた娘を、成功した男は見捨てて東京で妻を娶ったのだった。講演の翌日妻と合流した男はかつて娘と登った六甲山のケーブルの中で、過去の不実を悔いる。この感傷、どこかで味わったというデジャビュにも似た思いが湧いた。種を明かせば冒頭の泉鏡花だ。映画演劇では『瀧の白糸』として知られる『義血侠血』をはじめ、男につくす薄幸の女を描いた作品が多い。伏線に鏡花の名文の持つリズムを持ってくるあたり心憎い。
巻末に置かれた「天気」は、新宮を舞台に過去へと遡行する等身大の作家が登場し、この短編集の自伝性を色濃いものにする。雲ひとつない青空が一天にわかに掻き曇り、沛然たる雨を降らす。天気の変化が過去を呼び寄せる予兆となり、リアリズム小説が一気に幻想味を帯びてくる。余韻の残る結末にため息をついた。他に「午後四時までのアンナ」、「チパシリ」、「虫王」の三篇を収める。