椎名誠のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
海辺で作った砂の城が、ゆっくりと乾燥していきいつの間にかもうその形をとどめていないのに気づいてしまった喪失感。最初はそう思った。過去そうであったものが、知らないものに形を変えられてしまったような。
でも読み終わって考えていたらそうではないことに気がついた。もともと砂は一粒の細かな何かで作られていて、ただ形を変えただけのこと。そんな石も貝もそれぞれ元素で構成されていること。
「帰る」とは「還る」ではない。「還る」なら、どこからか生まれてまた違う形になるめぐりめぐる旅だろう。肉体は土に還り、魂は宗教という概念を作り出してしまった人間によって神の御許に戻る。「帰る」とは出てしまったものだ。帰ることを目的にする人は余りいなく、目的地や目標があって、そこから戻る工程が「帰る」ことになるのだろう。つまり「帰る」は廻らない。
でもうまれてしまった茫洋とした思いは、どこにも行けないかわりに、どこにも帰れない。行き場をなくした思いの終着点はどこなのだろうか。
もう20年近くシーナ家を私小説のような、エッセイのような形で見ていて、さながら「北の国から」で純と蛍の成長を見守っているかのような気持ちになってしまっているのだが、シーナ家のみんなが抱える思い、そして不幸にしておこってしまった忘れもしない9.11のテロ。家族、友人、仕事仲間。幾人ものいくつもの想いがすれ違い、触れ合いながら袖触れ合ってまたどこかに行ってしまう。みな今、現在のベースを移しながら歩みを続けている。もしくは歩かされている。
家があるなら帰れば良い。「気をつけて帰るんだよ。家に着くまでが遠足ですよ」と使い古され、埃が出るくらいの冗談を笑いながらいってあげよう。故郷に帰る人には、「ゆっくりして、旧友や親とあってきなよ、親孝行、したいときは親はなしっていうよ」と冗談めかして送るのだろう。亡くなった方には「頑張って生きましたね、忘れませんよ」とご冥福を祈って天国に送り出すだろう。僕は、自分の実家には、時間ができたら帰るといって3年近く帰っていない。
自らが生んでしまった「私」という自意識が育てた誰にも気づかれない「思い」はどこに向かって帰るべきなのだろうか。そもそもどこに向かっているのだろうか。このわだかまりは、わだかまったまま「存在」として残り続け、いろいろな形で僕を悩ますのだろうか。そうならば、帰り道を探す前に果ての地をつくらなくてはいけない。わだかまりの墓場を、墓標を作ってあげなければ、この想いは成仏しない。どこにも行けないし、帰れない。
まずは目的地を決めて、そこにに向かって歩こう。目的地についたら、一度来た道を振り返ろう。同じ道なら来た時よりは早く帰れるし、別の道ならまた道中に楽しみや悲しみがあるだろう。早く帰ることよりも、道中の天候に振り回されながらも疲労困憊になりながらも、ベッドを目指して歩こう。
こんな一人の思いのキャッチボールを、この本を通じでさせてもらったような気持ちだ。まだまだ、シーナ家の話は続いていく。僕の人生も悩みも続いていく。帰るべき場所をまずは探して。 -
Posted by ブクログ
家族がばらばらになっていくこと、老いや病気や死、とか読んでいて気が沈むような話が多かったけれども、嫌いじゃない。気は沈むのだけれど、これも人生の側面だというか、しかたないというか、そういうところを淡々と見せてくれるような感じがして、なにか落ち着くような気も。
まさに、日本文学の私小説っぽいかも、と。
この作品、エッセイと思っていたけれども、ちょっとフィクションも入っているような感じがしてきて、そこがまた私小説っぽいんだけれど、どうなんだろう?(バーで知り合った派手っぽい中年女性のアパートに行った、とか、二人組に暗がりにつれてかれて殴って倒したとか、酔っぱらって植え込みだかどこかで寝ていて警官に起こされた、とか、事実なのか???)
気が沈むといいつつ、続編の「大きな約束」も早く読みたい。 -
Posted by ブクログ
20代はじめころまで椎名誠のエッセイはほぼすべて読んでいたのだけれど、いつしか読まなくなってしまい、今回は20年ぶりくらいに読んだかも。
「昭和軽薄体」なんて言われてた文体が、いまや、なんともしっとりと落ち着いていて、読んでいるとなにか心なぐさめられるような気が。
「岳物語」から、子供は成長して家を出て、シーナさんも年をとり。ああ、あの椎名さんの家族でもいつもいつも明るく正しくハッピーってことではなくて、椎名さんでも気弱になることもあるのだなあ、とか思って、逆にほっとするような。
中年期の鬱っぽい感じもすごくよく共感できて、なんだかしみじみと読んだ。よかった。
やっぱりひさびさに読んでも椎名さんのエッセイはいいな。
「春画」をぬかしてたのでそれも読んで、あと、この続きも読んでいきたい。