農作物が文明を支えたのはある程度一般常識だが、それ以外にも様々な植物が歴史に紐づけられていて非常に面白い。古代オリエントはコムギ・オオムギ、インダス文明はイネ、黄河文明はダイズ・ムギ、長江文明はイネ、アステカ・マヤはトウモロコシ、インカはジャガイモ。生産量トップ5は当然入ってくる(トウモロコシ、コム
...続きを読むギ、イネ、ジャガイモ、トマト)、三大穀物がいずれもイネ科なのは必然のようだ。 自然が豊かな地では農業は発展せず、逆に環境が厳しいところでこそ手間暇かけて農業をやる背景になる点が印象的。アフリカ東部で出現した人類が大地溝帯によって森林から草原での生活に代わり、それがどのような淘汰圧を作用させたのか気になる。牧畜をやるにしても食用にするのが難しいイネ科植物が結局必要なので植物の重要性は変わらない。黄河文明と長江文明の激突である春秋戦国時代も結局は寒冷化による農作地確保の争いが原因。その後、敗れた越の人々は山の中に棚田を拓き、日本にも伝わってきた。もともと自然が豊富だった東日本は縄文時代後期の寒冷化後に遅れて農業が広まってきたとのこと。イネは欧州で主流だったコムギなどと比べて収穫できる量が格段に大きく、日本の人口を支える要因となった。畑を休ませる必要もなく、田んぼでは毎年イネを育てることができるのでなおさらだ。ダイズと合わせれば必要な栄養が全部揃うが、ダイズはほとんどアメリカ大陸からの輸入に頼っている状態。戦国武将はそれぞれ山に囲まれた拠点にいるイメージだが、まさにコメの穀倉地帯を巡る争いだったともいえる。その後平和な江戸時代が来ると平野部の開発も進んだ。もともと東南アジア原産だが南国は自然も豊かなため、北限地域である日本ほどイネに依存しなかった模様。逆に欧州では草原を動物に食べさせて家畜肉でも栄養を取る必要があり、保存のためのコショウが重要で大航海時代を迎える下地となった。十字軍がきっかけでコショウが知られたとされるが、世界史はまさに植物というか食糧に支配されているかのようだ。トルデシーリャス条約の分岐点はもっと大西洋東側かと思ったが、ブラジルはポルトガル領となったように結構西側だったのだと再認識した。その後のサラゴサ条約の境界線がちょうど日本とは…結局は布教活動をしないオランダとの国交が確立する形になる。 ところでアフリカとの交易で黒人奴隷が増えて自国の生産性が落ちたとか、富が腐敗をもたらしたからポルトガルが衰退したと指摘しているが、出資元のイタリア諸国について述べておらず、金融という観点から歴史の本質を見れていないのが残念。オランダについても世界初のバブル経済といわれるチューリップ・バブルが衰退の原因と指摘しているが、商売気が強くて海軍力に投資しておらず軍事力でイギリスに敗れた本質が欠如しているのも残念。
各国の料理は古い伝統の印象があったが、大航海時代がきっかけとなっているケースが多いのは驚くべき事実。トウガラシはアメリカ原産でありながら欧州よりも暑さの厳しいアジアで受け入れられ、トムヤムクンやグリーンカレー、四川料理などが発展。韓国でもトウガラシが受け入れられているのは元の支配下で仏教が禁じていた肉食が習慣化したからだった。聖書に載っていないジャガイモが苦労の末に欧州でも普及するが、その結果ジャガイモを食べる唯一の家畜である豚が広まり、欧州の肉食が進んだ。ドイツのソーセージもポテトも大航海時代の結果の一つ。麦類に変わってジャガイモが主食となると、やせた土地でも寒冷地でも収穫ができ保存もきくため余裕ができ、人口が増えることで国力も上がり、産業化への労働力も確保できる。さらにビタミンCを多く含むため航海食での壊血病も防止できる。アイルランドは単一種のみジャガイモを栽培していたので病気によって大飢饉になり、その時の移民がアメリカで活躍する因果もある。イギリスの船乗りが保存食で採用し、後にイギリス海軍や日本海軍にも取り入れられたカレーの由来は、インドの古くから伝わる伝統料理のイメージがあったが違った。
ジャガイモと同様にアンデス原産のトマトも、大航海時代の結果まずナポリで普及し、スパゲティやピザが誕生した。地中海料理のルーツも大航海時代の賜物というわけだ。
食用以外では産業革命のもとになったインドの綿も紹介されている。綿花と奴隷による三角貿易の他に、綿製品とアヘンによる三角貿易も紹介されている。インドの紅茶も中国産に依存しすぎたイギリスがアッサム種を発見したことが起源となるのでそれほど古い話ではない。
ほかには、中央アジア原産のたまねぎのおかげで古代エジプトが栄えた事例や、戦国時代の軍用食としての味噌なども取り扱われている。