沼野充義のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
意思を持った地球外生命体を「海」にしてしまうという大胆な設定が目を引くが、物語の中で繰り広げられるのは古典的なラブストーリーであり、ある種の幽霊譚であり、作中作『ソラリス研究の十年』における細かすぎるSF設定であったりと、読みどころは多い。
しかしオールタイム・ベストにも挙げられる本作に対して物申すのは気が引けるのだが、展開される様々なテーマ一つ一つが重厚すぎて、恐らく本書の最重要テーマであろう「理解を超えた知性とのコンタクト」の部分が霞んでしまった印象を受けた。かつて映画化された際は、ロマンスの部分をピックアップした作品になったようだけど、そりゃ原作者にしてみたら本意じゃないよなあと思う。
SF専門家やインテリ読者が本書を絶賛するのはよく分かるし、読みどころは多いと書いた一方で、市井の読者がSF部分の難解さを解読しながら読み進めるのは相当大変なんじゃないかなあ。余計なお世話かもしれないけど。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ読み終われた!途中途中で「よくわかんないな……この作品でわたしが何かを感じることってできるのかな……」という一抹の不安を抱えながらの読書だったけれど、最後の1文がとても印象的でよかった。
「それでも、残酷な奇跡の時代が過ぎ去ったわけではないという信念を、わたしは揺るぎなく持ち続けていたのだ。」
ケルヴィンはまだソラリスの海という未知から背を向けないことを選択したんだなぁ。
相互不理解という概念?が大好きなんだけど、今後もソラリスの海と意思疎通(コンタクト)をとることはできないかもしれないし、そもそも人間(地球人類)の型におさめて同形式でコンタクトをとろうというその思考そのものが傲慢なのかもしれないけれど、意味のあるなし関わらず、未知への拒絶ではなく蟻の歩みであろうと理解する努力を続けること、それそのものが素敵だなぁ。
人間同士であっても忘れてはいけないことだ……。
ケルヴィンは今後もソラリス学に精を出すんだろうか。出すんだろうな。
ソラリスという未知とその地で起こる現象を説明してるシーンでだいたい「………?^^」になってたけど、【ソラリスの唯一の住人と住人のやることは地球人類にはとうてい理解できない】という説得力はすごく感じた。
ところどころにはじめて見るラテン語のことわざ?みたいなのもあって調べるのも面白かった!
「ignoramus et ignorabimus」が未知への果てしなき挑戦を行うこの作品で引用されているのも面白い。
ケルヴィンとハリーの交流が淡々とした語り口から作者にそこまでの意図はないというか、舞台装置でしかないのだとはわかりつつも苦しかった。
ハリーが最終的に自分は"ソラリスの海が端末として作り出したハリーのコピー"でしかないことを知ってしまうことも、クリスのために(?)自らを滅ぼす決断をしたことも、帰ってくることはなかったことも苦しい。
ケルヴィンがハリーからハリーによく似た誰かとして"ハリー"を見ようとしている(とわたしはみえた)のも理解しあおうとする交流が好きだった。ただ、ケルヴィンは"ハリー"やスナウトにも指摘された通り、わかっている事実からは目を逸らして自分自身ですら騙しているので、"ハリー"と完全な交流というか交信?には至らなかったな……と思った。
"ハリー"のほうがよっぽどもうどこにもいきようがない現実を認めていたんだな……。
数年後とかにまた読みたいなあ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ言わずと知れたSF名作古典。テーマ的には「コンタクト(未知との接触)」ということだけ前知識として入れて読み始めたが、なるほどなぁという感じ。未知の未知たる部分を「真意は分からないが人間の思考を読み取って1番痛々しい記憶の再現を送り込んでくる」と表現したのは単に演出的な効果を最大にするための合理的な選択だったのだろうが、そのせいで「かつて失った大切な人の姿形をした生物を前にあなたはどうするか」的なラブロマンス的な読みができてしまい、作者の意図しない形で広まってしまったのだろう。それこそ本作がSFの枠を超えて多数の人に受容されたのはそのラブロマンス的な読みの要素が多いのだろうが、そのせいで本来表現したかった「宇宙やそこにある生き物は人間の理解の尺度を超えた存在であるはずだ」というSF的ロマン部分が軽視されてしまったのは皮肉というかなんというか。ラブロマンス的な部分に着目するとある意味SFを読まない人向けにも勧められそう……に見せて、実の所そのラブロマンス的な部分を無視したSF的なセンス・オブ・ワンダーを楽しむ作品であり、なんだか罠のような作品である。それこそ翻訳者の方が末尾の解説で書いているように無限の解釈の余地がある作品で、まさしく作中の「海」のような、意図の読めない不思議な作品だった。
-
Posted by ブクログ
特に印象に残った二作の感想。
『火星からの来訪者』
粗削りながらも、すでに後の『ソラリス』に通じるテーマ──人間にとって“他者”とは何か──が浮かび上がっていたのが印象的だった。作中、謎めいた異星生命体と人類の科学者たちが接触を試みるが、そこに成立したのは「対話」ではなく、どこまでも一方的な「観測」だったように思う。特に、教授が体験する“火星のヴィジョン”の場面は、人間側の希望的観測の象徴に感じられた。リオンが何かを伝えようとしたのではなく、教授自身が「意味を見出したい」という欲望から幻を見たのではないか。この作品を通じて、レムは早くも「知性とは、他者と本当に理解し合えるのか?」という問いを投げかけている。その問いは、今なお新しく、静かな余韻を残す。
『異質』
スタニスワフ・レムの短編『異質』は、少年が「永久機関を発明した」と物理学者の家を訪ねるという、ユーモラスな導入から始まる。しかし、物語は思いがけない方向へ進み、ラストは唖然とさせられる。
作中では「プランク定数」や「シュレーディンガー方程式」などが語られ、科学の理論がいかに不確実性と隣り合わせであるかが示唆される。確率的に“ありえない”はずの出来事が、ほんの僅かな可能性のもとで起こり得る——その問いかけが、後の『ソラリス』や『無敵』に通じる「人間には理解できない存在」や「科学の限界」というレムの核心的テーマに直結している。短くも鋭いこの作品は、知性への皮肉と想像力への畏怖が詰まった、まさに“プロト・レム”的一編。 -
Posted by ブクログ
順調に刊行が続くレム・コレクション。誠に喜ばしい限りです。人間よりも人間らしいロボット二人の寓意に満ちた珍道中。とは言ってもそこはレム。歯応えありすぎるほどあるよ〜。簡単には噛み砕けないよ〜。言葉遊び部分も多く、原文が読めたらもっと楽しめるんだろうなぁと思うと同時に、日本語への落とし込みに翻訳者は悶絶ものだろうなと思いました。この文化間ギャップが興味深くもあります。
1965年の作品ですが現在の生成AIを先取りする記述があまりに現代的で驚愕する。主人公のロボットたちが建造師と言われているのもシビれます。英語ではなんて訳されているのだろう。builder?クリエイターも今やソフトよりの印象となってしまったし。建造師となるともっと重厚長大なハードウェアも作る感じがしていいね。物語中ではビルほどもあるAIを作っていてこの辺りもリアル。
作ったものが世界を消滅させかねないトラブルの元になったりもするけれど、やっぱり何か作り出せる人でありたいと思う。その方が楽しいし。
次回刊行の「地球の平和」も楽しみ。 -
Posted by ブクログ
世界文学の読書案内として手に取ったが、対談の中で、日本の作家も多く紹介されていて、期せずして、今まで食わず嫌いでいた、現代日本の作家や、ドストエフスキーや、夏目漱石などの古典小説を読んでみようかな、と思うきっかけになった。
対談形式のため、読みやすくはあるが、あまり本を読んできていなかったので、作家と、文学研究者の両者の話に理解しきれない部分もあった。
ただ、あまりに古典文学を読むのには遠く離れた世代、人生であり、自分には読みきれないとはじめから諦めていたのだが、ドストエフスキーの魅力について、単純に面白いこと、と挙げられていることや、ドストエフスキーのキリスト教文学的な要素を日本の読者が全幅に理解するのは難しいと、翻訳者、研究者自身であっても認めているところをみて、古典小説全体を理解しきる必要はなく、ただただ楽しむ、という姿勢で読んでも良いのか!と肩の力が抜け、この本をきっかけに、避け続けていた古典の一つの、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を読み始めた。
読んでみると、登場人物ひとりひとりの振る舞いや、言葉に、人間味と個性が充溢している様が強烈で面白く、驚くほどスイスイと読み進められている。
今後はドストエフスキー以外の古典や、日本の作家にもチャレンジしていきたい。
この本を読んで最も衝撃的だったのは、亀山郁夫さんと、著者の沼野充義さんの対談の中で、団塊の世代である亀山さんと、その少し後輩(亀山さんが院生のときに沼野さんが学部生)にあたる2人の中で、世代間格差を大きく感じると言う話と、お二人が自分たちが生きている時代には、教養主義の時代が終わっており、団塊の世代以降の競争社会で生きる人間には成熟がないと話していたところだった。
私は自分の親より歳上の団塊の世代の人々に対して、教養主義的なイメージを抱いていたし、彼らが、インターネットネイティブかつ、生まれた頃からテレビゲームに囲まれて生きて来た自分たちとは異なり、成熟した大人であることを信じて疑わなかったので、そんなに以前から、人間として成熟することができない悩みが存在していたことが、目から鱗だった。
もちろん、沼野さんや、亀山さんの言うところの成熟とは、私たちの世代がぼんやりとしてしかイメージできない成熟とははっきりと解像度が異なるものだとは思うが、お二人の対談で初めて、自分の親より上の世代の人たちを、自身に重ねて捉えられるような気がした。
一方で、お二人が成熟していないと言うならば、我々の世代の成熟など望むべくもないことなのかという絶望も突きつけられた。
私たちの世代は、これからますます、スピードを増していくであろう情報社会の中で、個別性のみが先鋭化していき、同じ年に生まれたもの同士であっても、感覚を共有することは難しくなり、孤立を深めていくのではないか。
わかりあえなさを受け入れた上で、それぞれの人生を生きていくことが求められるが、一方で街中には共生、絆、共感ばかりを求めるキャッチコピーばかりが並び、多様性が表で叫ばれていても、同調圧力が強まっているようにすら思える。
私たちがどうやって生きていけば良いのか、そのヒントを得るために読書がしたい。
どうか、社会に立ち止まり、考える時間が与えられますように。