【感想・ネタバレ】やっぱり世界は文学でできている~対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義2~のレビュー

あらすじ

文芸評論家としても活躍する東大・沼野教授による人気対談集、シリーズ第2弾。日本で海外作品の紹介や翻訳に携わる研究者・翻訳者、実際に文学を作り出している作家たちと、映画や音楽の話への脱線も楽しく、縦横無尽に語り合うことで「いま文学にできることはなにか」を探求していきます。ゲスト:亀山郁夫、野崎歓、都甲幸治、綿矢りさ、楊逸、多和田葉子。文学は実際に役にも立つ!

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Posted by ブクログ

『世界は文学でできている』に引き続き再読です。
このシリーズは世界文学とは何か、翻訳とは何かということを中心に語られていると思います。
二度目でもとても面白く読みました(どれだけ忘れてしまったかということかもしれません)。
この本でお薦めされている本や、沼野さんと対談されている楊逸さん、多和田葉子さんの本、綿矢りささんの本も積んでいるものがあるので読んでみたいと思っています。
おわりにで「世界文学を相手にして一人の人間にいったい何ができるのか。結局のところ、本を読むのは自分一人である。あなたの代わりに誰も本を読んでくれない」というのが響きました。

①あらためて考えるドストエフスキー
亀山郁夫×沼野充義
東日本大震災と「世界文学」
〇3.11以降、たぶん私たちは変わった。「ノスタルジー」を経験できることほど幸福なことはないのではと思うようになった。
〇日本に固有の「もののあはれ」は、一般に翻訳不可能だと考えられている。しかしドストエフスキーが考えていることと「もののあはれ」とはかなり近いものかもしれない。

➁「美しいフランス語」の行方
野崎歓×沼野充義
フランス文学はどこからきて、どこへ行くのか
〇フランス文学はエリート外国文学の時代がかなり長く続いたが二十世紀半ばに行き詰まりがきた。
〇現在は本来フランス語を母語としない移民作家の活躍が目立っている(チェコのクンデラ等)
〇フランスではコクトーの原作の詩は別に有名ではない。だから翻訳によって作られていく世界文学というのは確実にある。

③「世界文学」の始まりとしてのアメリカ
都甲幸治×沼野充義
ポリフォニックな言語状況を生きる
〇時代もランキングもすべての条件を取り払い狭いリングの中に入り乱れて実力だけのデスマッチが繰り返される中で、日本人が面白いと感じたのはやはりシェイクスピアをはじめとする英語文学の力が強かった。
〇第一に「旅は楽しい」ある国で出版された文学が別の言語に訳されて、つまり旅をして世界の他の国で読まれて広がっていくこと。
第二に「多様性はいいことだ」現代の世界では、この人はどこの国の作家だと一言では言えない人が増えている。
第三に「翻訳は豊かにする」何かを失うかもしれないけれど面白い文学があれば失った変わりに得る何かがある。
〇明治の人は英語を学ぶのではなく、英語で学ばなければいけなかった。

④太宰とドストエフスキーに感じる同じもの
綿矢りさ×沼野充義
「世界文学」はここにもある
〇暗い作品でも作品自体の強さが読んだ人に特別な力を与えることがある。
〇フランスでは本がリンゴのように売れる。文化の街。
〇ロシア文学、たとえばナボコフとかドストには、熱に浮かれているような、すごく興奮したものが込められているのはどこからくるのか。小説ならではの迫力がある。

⑤日本語で書く中国の心
楊逸×沼野充義
アジア文学の世界性
〇母語以外の創作には日常に埋没しかけた狭い日本語表現の枠に新たな光を当てて、日本語の多様性に貢献し、日本語を開かれた強く豊かな言葉にする。
〇翻訳というのは、一番わりのあわない仕事だと思う。

⑥母語の外に出る旅
多和田葉子×沼野充義
移動を繰り返しながら書くということ
〇エクソフォニー、あるいは越境というものが現代の世界文学にとって何を意味するのか。
〇現代の世界文学ではこの人の文学はどこの国の文学だと言い切れない人たちが主流になりつつある。
〇亡命者というのは求心力を遠心力の狭間にあって身を引き裂かれるようにして生きていく宿命にある人。
〇多くの日本文学者が年とともに『源氏物語』とか『万葉集』を読みだすのは自然なこと。

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2021年02月18日

Posted by ブクログ

フランス語では文学作品に「ハンカチ」という単語が使えないという話や、ドイツ語などの多言語と比較したとき、日本語が主語を書かなくてもよい言語であること、そのことによって翻訳の際に困ることなど、言語それぞれの特質についての話が面白かった。

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2023年11月23日

Posted by ブクログ

前作よりも沼野さんの立ち位置がこなれてきた感じがする。それぞれの対談者の持ち味が感じられるから。

くり返される部分は編集の段階でなんとかできなかったのだろうか。くどい。

今回の「おわりに」は浅薄な感じがした。ただし、ブロツキーの引用はよかった。

・「もののあはれ」は、もっとダイナミックな、主観と客観の出会いを含んでいる。
・逃避というと悪い意味で使いがちだが、逃げることは必ずしも悪い事ではない。逃げ道がないと人間は生きていけないと言うだけではなくて、それによって出会えるはずもなかったものに出会ったり、新しいものを知るという積極的な意味がある。
・英語を学ぶのではなく、英語で学ばなければならなかった。
・英語圏に限らず、特に現代文学の場合は、翻訳者の名前が表紙に大きくフィーチャーされることはめったにない。
・バイリンガルがスティグマになる場合もある。尊敬どころか軽蔑される。
・「にほん」「にっぽん」という二通りの読み方が国名にあるのは日本ぐらい。
・言語にはそれぞれ限界があって、日本語はお行儀のいい言葉。
・言語を言語にしているのは穴の部分。話しを聞いていないのに子どもが何らかの形で親の記憶を受け継ぎ、心が病むことがある。それはどうしてかという研究の中で、話されていない部分が話しているということがわかってきた。
・われわれが支配者を選ぶ時に、候補者の政治綱領ではなく、読書体験を選択の基準にしたならば、この地上の不幸はもっと少なくなるでしょう。:ヨシフ・ブロツキー

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2016年10月05日

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