沼野充義のレビュー一覧
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大学入試改革で「論理国語」と「文学国語」を分けていることから、文学は論理的ではないと国や経済界は思っているのではないかと感じる。
しかし、文学(小説)を解するためには徹底的に論理的に読む必要があり、文学に論理性がないとは到底いえない。また論理国語とされる試験問題からは、文章の意味は一義的に定まるという考えが読み取れるが、そもそも人間の用いる「ことば」というものは複雑で、文脈や時代の情勢を織り込まないことには意味が正確に取れず、また受け手側のスタンスによっても意味の取り方が変化しうる。
そのため、文学を取り出して囲い込むことは幾重にも間違った政策判断であるように思える。
以上が本書を読んだ感想である。 -
Posted by ブクログ
やっぱり...やっぱり読みづらい。
チェーホフの本、戯曲ばっかで読み慣れない。
が、内容は好きです。
たぶんハリウッドとか劇団四季からしたら卒倒するレベル(偏見)で話にまとまりがないというか、オチがないというか、グルグル回る気分。
そこがなんとも人間を描いているって感じで好き。登場人物みんなして悩みすぎ。人間性に難ありすぎ。これを喜劇とか言ってるチェーホフも尖りすぎ。
私もこの本をこんな風に楽しんじゃってる時点で、中高時代、流行りの少女漫画の話に全くついていけなかった事実を今更ながら噛み締めることになった。
この本のどこに喜劇性を見つけるかで、その人の人間感が問われようにも感じます。
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Posted by ブクログ
読み始めてすぐに緊急手術・入院、退院後の自宅療養と続いて
読み終わるのにめちゃくちゃ時間がかかってしまった。
昨年はロシア革命から100年ということで関連書籍がいくつか出ている。
本書もそのうちのひとつ。
ただ、タイトルにこそ「ロシア革命」と入っているが全体としては革命
前夜からのロシアの芸術・文学史を基礎において、ロシア民族を語る
という感じかな。
トルストイ、ドストエフスキー等の作家をはじめ、芸術家・音楽家の
名前がわんさか出て来るので、ある程度のロシア文化の知識がないと
ふたりの話について行くのが大変。
ロシア文学を読み漁ったのって10代後半から20代にかけてだもの。
細かいところなんて既に忘却の彼方なので、記憶を呼び起こすのも
一苦労だったわ。
それでも、ロシア文化おたく(?)ふたりの対談は面白かった。頭のいい
人の話というのは予備知識がない人間が読んでも理解しやいんだなと
思った。
後半部分では「え、そんなこと言っていいの?」と若干、読んでいる側
が引くような発言もあるが、これもおふたりのロシア愛なのだろうな。
読み終わってロシア人作家の作品を読みたくなった。革命を念頭に置いて
読むと、以前とは違った読み方が出来そうだ。 -
Posted by ブクログ
13篇の作品のそれぞれに、翻訳者によるとっても丁寧な解説が加えられています。チェーホフの作品を読むのは初めてでしたが、この解説のお陰ですんなり作品の世界に入っていくことができました。
残酷だったり、皮肉たっぷりだったり、冷笑的だったり、いずれの物語も真っ直ぐではなく捩くれていて、かなり暗くて危ないです。物語の背景となる自然や人々の暮らし振りの描写からして暗い。この暗さはロシアの風土と歴史と社会制度に根差したもののような気がします(因みにチャイコフスキーやショスタコーヴィチなどのロシアの作曲家の音楽も根が暗いですね。何だか似ていると思います)。
「この短篇はユーモア雑誌に掲載された」などと解説にあるけど、こういった作品を「ユーモア小説」なんて言ってよいのでしょうか? ロシアのユーモアは日本人のユーモアとは相当程度違うものだと思いました。
個人的には「中二階のある家」、「牡蠣」、「ロスチャイルドのバイオリン」がよかったです。これらの作品でチェーホフは、人間をちょっと斜めから眺めているようでいて、実はその身も蓋もない本質をズバリと言い当てている気がします。 -
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文学の意義、可能性、使命について。
あとがきに見られる、沼野さんはいささかナイーブ過ぎる気がした。
・詩は上から目線。小説は下から目線。
・何回も読んでその世界に浸るのはもちろん歓びだが、それとは別に要約しなければつかめないものがある。そのように要約は一つの読み方、批評的な読み方なのだ。
・日本はタブーが多い。タブーがある社会ではユーモアが限られる。
・やっぱり伝えるためには距離を感じさせる必要がある。「過去は一種の外国だ。そこでは様子ややり方もみんな違う」
・シンボルスカ:分からないということにつかまっている。ホイットマン:beginning is studies.自分がずっと入口に立っている、わからないことに向き合っている。
・ブロツキイ:政治というものは常に過去形である、政治の言葉も過去である、それに対して文学の詩の言葉はつねに未来である。。。ビナード:今は、その政治の言葉、権力の言葉もない。今の政治の言葉は広告の言葉、全部賞味期限がある。 -
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前作よりも沼野さんの立ち位置がこなれてきた感じがする。それぞれの対談者の持ち味が感じられるから。
くり返される部分は編集の段階でなんとかできなかったのだろうか。くどい。
今回の「おわりに」は浅薄な感じがした。ただし、ブロツキーの引用はよかった。
・「もののあはれ」は、もっとダイナミックな、主観と客観の出会いを含んでいる。
・逃避というと悪い意味で使いがちだが、逃げることは必ずしも悪い事ではない。逃げ道がないと人間は生きていけないと言うだけではなくて、それによって出会えるはずもなかったものに出会ったり、新しいものを知るという積極的な意味がある。
・英語を学ぶのではなく、英語で学ばなければならなかった。
・英語圏に限らず、特に現代文学の場合は、翻訳者の名前が表紙に大きくフィーチャーされることはめったにない。
・バイリンガルがスティグマになる場合もある。尊敬どころか軽蔑される。
・「にほん」「にっぽん」という二通りの読み方が国名にあるのは日本ぐらい。
・言語にはそれぞれ限界があって、日本語はお行儀のいい言葉。
・言語を言語にしているのは穴の部分。話しを聞いていないのに子どもが何らかの形で親の記憶を受け継ぎ、心が病むことがある。それはどうしてかという研究の中で、話されていない部分が話しているということがわかってきた。
・われわれが支配者を選ぶ時に、候補者の政治綱領ではなく、読書体験を選択の基準にしたならば、この地上の不幸はもっと少なくなるでしょう。:ヨシフ・ブロツキー -
Posted by ブクログ
対談としてはかみ合っていない。進行役の沼野氏が話しすぎ。これならば、沼野氏の単著として構想した方がよりよい本になったのでは。
だからといって、内容に眉をひそめる部分があるとか、得るものがないという訳ではない。
対談者を生かし切れていないのでは、という残念さが残った。
最後の亀山氏は良かった。
「おわりに」の言葉は力があった。
・日本文学も世界文学
・途上国から、本当の文学が登場するかもしれない
・文学はどれを読むかではなく、読み方
・「ここに骨を埋めるか」という質問への怒り
・ノスタルジーの感覚こそが、生命感覚の根幹部にあり、それこそが生命の結晶なのではないか。ノスタルジーとは深い意味において、復活と蘇生の感覚。 -
Posted by ブクログ
文学とは何か、これからの文学は、文学の楽しみ方……と多岐にわたる文学講義は、元々中高生向けに開かれた(らしい)イベントでの講義を本にしたものだから、たいへん親切で読みやすく、こちらの視界を自然に広げてくれて面白い。読書案内としても良質。知らない作品に興味を持つのはもちろん、村上春樹は食わず嫌いだったのだけど、読んでみようかな、という気になった。それだけ紹介の仕方が絶妙。
そもそもは世界文学に興味を持ちたいと思って手にとったのだけど、のっけから「世界文学というくくりにどれほどの意味があるのか」「文学もグローバルである」という話で面食らった。安易にカテゴライズして苦手意識持ってすみませんでした。でも一番印象に残ったのはロシア文学という(カテゴライズされた)ジャンルでしたすみません。
終わりに三・一一についても言及されている。学者として一人の人間としての葛藤がそのまま吐露されていて、あの災害の凄まじさが蘇った。蘇るということはつまり死んでいた、忘れていたわけで、己の浅はかさを恥じ入るばかり。こんなに真摯に文学と現実について懊悩する人がいる一方、文学を逃避か時間潰しにしか考えてない私がいる。バラストかな、なんて笑ってもいられないんだなあ…… -
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宝塚星組公演で初めて「かもめ」を観た。それがとても良い公演で、久し振りに宝塚で良いお芝居を観た!という気持ちになったし、特にラストシーンは、今思い出しても胸がざわっとする。
それで、すごく好きになったので原作に興味をもったのと、宝塚版では喜劇としての演出ではなかった(と思う)ので、喜劇としてはどんななのかしらと思ったのだった。
でも結局公演の印象が鮮烈で、それが蘇るばかりで、それはそれでとても良かったし、あっけないけど恐ろしい幕切れはやっぱりたまらないんだけど、わたしの力では違う読み方がいまいち出来なかった…。もう一度読んでみようかなぁ。
他の舞台を観てみたい。 -
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ネタバレ『世界は文学でできている』
沼野充義
つまり、世界文学というのは、私が、あなたが何をどう読むのかだということなんです。突き放した言い方に聞こえるかもしれませんが、最初から与えられたリストに従って「これだけは読まなきゃ」と時部を縛りながら読むのではなく、読みたいものを夢中になって読んでいるうちに、次に読みたい本が出てきて、その結果、自分の世界が世界に向かって広がっていく、というのが本当は一番いいのでしょう。(p99)
★リストというのは目安としてあることを忘れてはならない。小学生のころ、無為に図書室で選んでいたことを思い出す。
余暇自体は増えていないにもかかわらず、エンターテイメントのジャンルは多様化しましたから、限られた時間の壮絶な奪い合いが始まって、結果、本の売上げも、テレビの視聴率も落ちることになった。読書は今、そのサバイバルの渦中に投げ込まれています。(p108)
★なるほど。現在は多様化が生んだ状況。
……純文学畑の人たちは、僕も含めて、文学はもうちょっと人間が生きる上で大きな影響を及ぼすものだ。単なる束の間の興奮ではないということを言ってきたんだと思います。(p136)
★つまりは、そういうことだろう。そう感じられるかは私たちにとって大切なことだろう。
つまり、「物語」(ストーリー)は、神話や昔話などに典型的に現れますが、さまざまな事件を生起する順番にアレンジした語りであるのに対して、「プロット」は因果関係などによってその事件を並べ替え、再構成したもので、小説家によって再構成されたプロットを読む読者は、記憶力と知性を要求されるようになる。(p138)
★難しい文章。例えば推理小説。死体から始まる。そして犯人へたどり着く。書かれる順番としては逆である。
文学というのは自分で読んで、感じて、経験して、分析して、そこから何かを得ていくという「読む」プロセスが一番基本です。だからインターネットで情報が集まるのが速くなったからといって、パソコンが自分の代わりに読んで、感じてくれるわけではない。どんな便利なメディアが出てきたところで、それを使うのは自分の頭だし、本を読むのは自分です。(p151)
★インターネットはすぐ情報を手にできる。だからもう情報の価値は昔より変わっているのではないか。今求められるのは分析したり、自分で考える能力だ。
そもそも彼らの小説は、宗教文学と呼んでもいいくらいでしょう。(p327)
★ドストエフスキーとトルストイについて。つまりキリスト教。
たとえば「いじめ」を語るにしても、いじめられる側だけに理屈があるのではなく、いじめる側にも理屈がある、という善悪の相対化と言いますか、そういった視点が出ている。(p333)
★『ヘヴン』について。善悪の相対性がこの作品にも書かれている。
『許されざる者』というのは不思議なことに、ドストエフスキー的なものとトルストイ的なものが混在している小説なんですよ。非常に贅沢な物語空間になっている。(p338)
……あれほどのことがったにもかかわらず、まあ、ほとんど普段どおりの平穏な日常を他の大部分の東京の住人と同じように送ってきたということを意味する。
しかし、あれほどのことがあったのに、文学は前と同じでいいのだろうか。世界文学の読み方も変わるべきなのだろうか。それとも変わるべきではないのだろうか。(p360)
★それは私の心にもよぎった感覚だ。結論としてイエスともノーとも分からないと述べる。
それはおそらく誤読ではなく、現代や状況を超えて生き、新たな力さえも獲得する文学の普遍的な力を示すものではないだろうか。(p370)
★震災前に書かれたものも、震災後にはその事を語っているように思える。それは誤読ではなく、「文学の普遍的な力」と述べている。なるほど。 -
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チェーホフはなんかおもしろい。
みんながみんな片思いで報われないなんて筋書きだと、ふつうは悲劇色が強くなりそうなものだけれど、チェーホフはそんな状況を茶化しておどけてるように思える。
冷笑というよりブラックユーモア。そういえばウディ・アレン的と言えなくもないかも? まあそれはいいや。
決して書きすぎず、かわりに「間」をいれるのもかっこいい。
自由なかもめの象徴としてのニーナ。彼女はある日のかもめのようにトリゴーリンという文学者によって他愛なく抹殺される。でもトリゴーリンはそのかもめのことをまったく覚えてない(「覚えていないなあ!」の反復がいかにもおもしろい)。辛気臭いトレープレフはその死すら報われないなあ。 -
Posted by ブクログ
トリゴーリンの台詞に思わず胸がチクチクとした。いつも“そのこと”しか考えられなくて、一つ仕事が終わればまた次の仕事をしたくてしようがない…。大嫌いだけど、そうしなくちゃいられないっていう麻薬みたいな中毒性が創造することを生業とする人には付きまとって離れないみたいなんだ。そのこと、最近になったようやくわかってきた。
大作家ではないけれど、ある程度の成功を手に入れたトリゴーリンの苦しみと、まだ何も手にしていないニーナの彼への憧れ、やりたいことも中途半端で、周りからも認めてもらえないトレープレフの憂鬱…本当に共感できる。どれもこれも、一生涯のなかで散々味合うことになるんだろうな…。
ニーナの有名になるためだったら友達や家族から悪口を言われたってがまんするっていうくだりのあたりは、ほんと、なんか、胸が痛くなるくらい。否定したいけど、否定しきれない自分がいるから…なんともいえない。そりゃ、有名になりたいもんね。だけど、それには犠牲も伴うってこと。
でも、あがいても自分を囲い込む世界を打ち壊せなくて、最後に自殺してしまうトレープレフの気持ちが、一番、今の自分には共感できるかな。
ニーナみたいに、逆境を乗り越えて、自分の弱さに立ち向かう強さを、手に入れなければなと…読んだ後に思う。
ふぅぅー…