沼野充義のレビュー一覧
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わたしが参加している読書会の、10月の課題図書だったので読んだ。
理由は自分でもよくわからないがロシア文学が苦手、戯曲が苦手、ということでチェーホフは読んだことがなかったのだけれども、意外とおもしろかった。
ある夏、ソーリンの(おそらく少し田舎の)家に集まった文化人の会話……としかまとめられないなあ。いろいろなエピソードが重層的に進行するのだけれども、わたしはそのうち、作家志望の青年、トレープレフと、女優志望の若い女性、ニーナのwannabe2人の精神的な破滅と成長の物語が中心なのではないかな、と思った。トレープレフは成長しないwannabe、ニーナは最後の最後で一皮むけるwannabe。わたしにはこの2人の心理状態が手に取るようにわかって、これを会話だけで表せてしまう表現力はすごいなと思ったのだけど、読書会に参加した他の方々はそうでもなかったらしく、あんまり通じなかった。
まあ確かに、よく考えてみればいろいろな見方ができるお話で、狂言回しとして機能しているトレープレフの母親アルカージナは「毒親」に見える。トレープレフが成長しない理由のひとつは母親のせいで、彼女は毒親だけあってそれをまったく自覚していない。
それに、出てくる男はみんな情けないやつら。女はみんな決定的に身勝手。プライドだけ高くて人生があんまりうまくいってないヤツらがとぐろを巻いているだけといえばそうだし、チェーホフがそういうヤツらをバカにして書いているようにしか見えないというか、笑えるから喜劇というより、失笑を誘う人々の展示会みたいな感じもする。これは戯曲だけれども、小説というのは、あんまり「こんなことが書かれている」とか「主題はこれだ」とか決めて読んではいけないね。
120年くらい前に書かれているけど、出てくるテーマが毒親として読めたり、レベルの低い話で苦しむワナビーだったり、話題としては現代も変わらない。人間って進歩しないね。 -
Posted by ブクログ
ロシア文学って“誤解を受けやすい”と思う。その思潮や言動が必ずしも日本人が美徳と考えているものと一致せず、この本は特に、他の露人文豪の作品を並べて見ても、日本人からすると不可解なものが多いように思える。
したがって、自分の感性に合う・合わないだけでこの作品群を評価してしまうのは早合点であり、もっと人間本来の真性に照らして“深く”読むべき。
そうなると分量としては少ないこの短編集の作品を読み終えるのは私にとって意外と時間がかかった。有り体に言うと「この作品、何が言いたいの?」と感じて終わる作品もいくつかあり、1つ読み終えました、ハイ次、とは中々ならず、熟考のためしばらく本を置くというのも1回や2回ではなかった。
そうなったらどうすればいいだろう?そのためのテキストを翻訳者の沼野さんはちゃんと考えて、各作品には「講義ノート」とでも言うべき解説文を付けてくれている。
沼野さんの解説で特に私が興味を引いたのは「せつない」に付けられた『ロシアの「トスカ」』について。
その前に「せつない」の筋に簡単に触れると-
辻ぞり(冬のロシアのいわば“タクシー”)の老御者イオーナは客待ち中に雪が体に積もるのも気にしない。そしてごくたまに来る客を乗せても、心ここにあらずといった様子。しかしイオーナはふと客の方を振り返り、唇を動かして何か言おうとしてるのか?そうとも見える。しかし言葉は出て来ない。そんなこんなで誰かに何かを話そうとするがいっこうに成就しない。それは聞いてもらえないというのもあるが、それよりも、イオーナは話したいのだけど、話すための何かが揃わないと話が喉でつかえてしまい、そのまま飲み込んでしまう、そんな感じ。実は彼は息子を不慮の病気で失ってしまっていた…(これはほんの導入部なので筋の全開はしてません。安心してください。)
沼野さんはトスカについて、ロシア語以外の言語への翻訳が困難な独自の語彙を持つと書いている。そして詩人リルケが、自分の中にある最も言い表したい感情がロシア語で言うトスカであり、母語のドイツ語ではその感情のあやが言い表せないと煩悶する様が詳細に引用されている。
つまりトスカとは「ペーソス」ではなく、また「心痛」や「憂鬱」も一面しか表していない。
私が「せつない」を読んで、沼野さんの説明も読んで感じた「トスカ」とは、本来の精神状態では真円の状態であるものが、言葉では言い表せない何か“欠けるもの”が(ごく一部でも)存在し、そのために他人からは真円、つまり普通に見える感情が真円たりえないために心の内部の整合性が取れず、精神的バランスを崩してしまうものと解釈してみた。
そうなると、一般的にはイオーナは誰にでも息子の死を話すことで同情をしてもらえることになるのだが、心に欠けたものがあるために、心が同情を本能的に拒絶し、そのため口から言葉が出なくなるということになる。
それは、他人からすると「同情得られたら楽になるよ」というつもりかもしれないが、イオーナからしたらわかってるかのような態度を取ってほしくない、大切なものを安っぽい言葉で汚してほしくないという感情に結び付き、これは日本でも震災での被災者が安直に「ケアしましょう」と言われるのをものすごく不快に思うのと同じ感情で、人間の共通する心理として理解できる。
ただ、日本語ではそういう感情を的確に言う単語がないが、ロシア語だとそれは「トスカ」になるということだと理解した。
そうなると沼野さんは解説で『「せつない」は元々日本では「ふさぎの虫」と翻訳されていて原題のニュアンスがこれでは伝わらない』と書いてはいるが、私の『「トスカ」=心の中が何か理由不明で欠けている』説に立つと、「ふさぎの虫」(=気分がふさぐことを虫のせいであるとしていう語(大辞林))という邦題も言い得て妙、と言える。
以上のようにロシア文学の意義を正確に移すのがいかに難しいか!それを沼野さんは「キモい」「なごみ系のルックス」「ナンパ」という言葉すら翻訳で用いて、チェーホフの生きた息吹そのままをわたしたちの現代感覚で読めるように配慮している。
異論や批判もあるだろうが(私も正直少し違和感はある)、トータルでは私はこれもアリだと思う。この翻訳が合うか合わないかは時代が証明してくれるから、今結論は出さずに数年後に見てみればよい。ダメならば数年後には先人の訳が残りこの訳は淘汰されることになる。 -
Posted by ブクログ
大学のゼミでこの本からとった「いたずら」の一編を読んだ時からすごく気になっていた。そして思ったとおりはまった。
訳者による気合いのはいった解説(もはや「ロシア文学講義」である)が短編ごとに挿入されるのは、ちょっと野暮ったくはある。けどそのおかげで童話「おおきなかぶ」の謎の「一本足」くん(とても笑える)にも出会えたし、リルケの「トスカ」という言葉をめぐる切実な手紙も素敵だし、なによりチェーホフの逸話はどれも面白いので良しとする。
なかでも自分的に大ヒットは「牡蠣」だ。絶賛。大拍手。
解説にもあるけれど、ピュアな想像力を前に「わ!うれしい!」となっちゃうこと請け合いなのだ。
あと女の人にまつわる話はぜんぶいい。
チェーホフの特徴としてあげられている、
・呼びかけが届かない
・子供の話がとにかく残酷
の2点が気になる。
とりわけ「ワーニカ」における呼びかけの断絶は圧倒的だ。
子供がじいちゃんにはじめて手紙を出すが、そもそも宛名がきちんと書かれていない……という滑稽な話のなかに人間関係の根源的といってもいいような不条理を感じてしまう。それがなにしろ「生きるか死ぬか」がかかっている重大なメッセージなのにもかかわらず。
「ねむい」では子守の娘と泣きじゃくる赤ん坊……もちろん赤ん坊に「言葉」というメッセージを送るわけにはいかない。そう考えるとやはり、あの結末しか考えられない?
「言葉」が届かない状況で小説に何ができるか…というのはすごく今日性のある話というか、いや、小説が小説である限りつきまとうのかな…とか。
短編は普段あまり読まないけれど、「短編すごい!」と思える本だった。
長篇に劣るものとしての短編ではなく、この短さでしか伝えられないものがあるのだと思い知った。 -
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訳者の表現が偏りすぎな部分もあるが(とくに他のロシア文学も読んだことのある自分はナッちゃんで興ざめ)、作品ごとに解説があり、全体的に講義をうけているような雰囲気で、自分のようなチェーホフ初心者にはありがたい一冊だった。
解説は、近くて遠い国ロシアのわかりづらい文化などにも及んでいて、これをきっかけにロシア文化を知ってみようと思った。
もったいない。
いままでの人生でチェーホフを知らなかったなんて。
急に詩的な羅列が入る部分など秀逸で、その言葉の選び方のセンスまで憎たらしいほど素敵である。
訳者がチェーホフを「七分の死に至る絶望と三分のユートピア希求の夢」というふうに表現しているのだが、この分配がぴったりくる人にはたまらなくだいすきになってしまう作家だと思う。 -
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「新訳でよみがえる」ということであるが、実はチェーホフを読むのはこれが初めてである。
翻訳物でしかも古い時代の戯曲の場合、まずその言葉遣いからして馴染めない事が多いが、本書は、現代の俳優に向けての新訳であるということで、非常にセリフが現代的であった。思わず何箇所か声に出して読んでしまった。大変刺激的で演劇的興奮をもたらすセリフばかりである。
演劇界や文学界の事情に疎いため、この作品が「悲劇」として捉えられているということを知らなかった。「かもめ」についてレクチャーしてくれた人も、この作品の喜劇性について言及していたため、最初からそういった目で読んでしまったということもあるがが、しかし読後の感想としてはやはりこれは喜劇だと思った。チェーホフ自身もこの作品は喜劇であると位置づけているそうだが、人間の営みや精神の有り様を俯瞰してみれば、すべての人生は喜劇であるともいえるわけで、華やかな名声に憧れて都会へ行ってしまうニーナも、空虚なトリゴーリンも、自滅するトレープレフも、自己中のアルカージナも、その他すべての登場人物がなにがしかの喜劇性を持っている。そして本人たちがそれを自覚していないところがまさに喜劇なのである。
これをベタな悲劇として上演したらさぞやつまらない芝居になるんじゃなかろうかと、そんな不遜なことを思ってしまった。
チェーホフはセリフが面白いのだ。以前見た「羆」を思い出した。あの作品もまたセリフのやりとりがなんとも言えない面白みを含んでいたのである。
まったくいまさらであるが、チェーホフは面白い。 -
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私が生まれる前に書かれた作品ですが、まったく古びてはいませんでした。
惑星ソラリスを研究するために、ステーションに派遣されたケルヴィン。
しかし同僚である研究者たちは彼を迎えに出ることもなく、それぞれに自分のテリトリーに引きこもっています。
会話すらも拒む態度に、腹立ちを覚えるケルヴィン。
しかし、彼のもとにも『お客さん』が来るにあたって、彼もこのステーションの異常な状態を理解します。
研究者たちそれぞれのもとに訪れた『お客さん』は、彼らが一番思い出したくない、忘れられない、強く脳に刻み込まれている人々の姿をしています。
姿をしているだけではなく、同じ思い出を持ち、同じ言葉で語ります。
思い出したくない悪夢を。
しかし彼らは人間ではありません。
排除しようとしても、何度でも同じ姿で戻ってきて、片時も彼らのそばを離れません。
美しい、けれど思い出したくない、忘れられない悪夢が。
地球に現状を伝えようとしますが、自分たちが狂人として扱われるかもしれない懸念が、行動をためらわせます。
追い詰められて自死した者。
自らの中に籠ってしまう者。
わかり合える手立てを持たない、知的生命体との邂逅。
難しいテーマですが、訳が読みやすくて、すいすい読めました。
作者がつけたこの作品における「おとしまえ」も、賛否があるかもしれません。
私は、ソラリスの海自体は知的生命体ではなく、原始的な反応作用だったら…なんてことも考えてしまいましたが。
でも、自分の黒歴史が、四六時中目の前に出現していたら、そりゃあ正気を保つのは難しいよなあ。
そういった意味で、主人公たちはタフだったと思いました。 -
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ソラリス は単なる未知との遭遇を描いたSFではなく、人間の自己中心性や科学万能主義の限界を浮き彫りにする作品だった。
人類は宇宙進出の過程で未知の知性と出会うことを確信していた。しかしその知性は、「人間に似た存在」であり、意思疎通可能であるという前提がどこかにあった。
その考えを根底から覆すのがソラリスの海である。海は何を考え、何を目的に活動しているのか全く分からない。人類は詳細な研究の末に「ソラリス学」という学問まで築き上げるが、そこで提示される理論はどれも決定打にならず、調べれば調べるほど理解から遠ざかっていくような皮肉がある。
さらに印象的だったのは、海が研究員たちの抑圧された無意識を“来訪者”として実体化させる設定だ。ここにはフロイト的心理学を感じた。
主人公に現れたのは、自分が原因で自殺した元妻だった。主人公は彼女を「本物の人間ではない」と理解しながらも、後悔や罪悪感から、彼女を本物であってほしいと願い続ける。その姿からは、人間が未知を理解する際にも、結局は自分の感情や願望を投影してしまうというテーマを感じた。
なお、ソラリスの海の形態的特徴に関する表現は私にとっては難解で分かりにくかったため、星4/5とした。