あらすじ
19世紀末ロシアを舞台に描かれる作家志望の男と女優を夢見る女の恋。35歳のチェーホフが“恋だらけの物語”として構想した戯曲は、様々な演出家や時代によって形を変え、100年以上の時を経てなお、世界各地で愛され続けている。「人生の本質を見る真の繊細なまなざしを獲得した」と評された演劇史上不朽の名作が今、現代を生きる人々のための瑞々しい名訳となって甦る。
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わかりやすい
舞台の方を先に観て、いまいち掴みきれなかったのでこちらの本を読みました。
本編後の著者の解説がとても分かりやすく、本書と舞台の映像を見返すことでしっくりこなかった部分がとても心地よくふに落ちました。
とっつきやすい訳
現代の言葉やニュアンスが織り込まれた訳で、読みやすかったです。
最後の解説で、かもめが「喜劇」と言われる理由がよくわかりました。
Posted by ブクログ
わたしが参加している読書会の、10月の課題図書だったので読んだ。
理由は自分でもよくわからないがロシア文学が苦手、戯曲が苦手、ということでチェーホフは読んだことがなかったのだけれども、意外とおもしろかった。
ある夏、ソーリンの(おそらく少し田舎の)家に集まった文化人の会話……としかまとめられないなあ。いろいろなエピソードが重層的に進行するのだけれども、わたしはそのうち、作家志望の青年、トレープレフと、女優志望の若い女性、ニーナのwannabe2人の精神的な破滅と成長の物語が中心なのではないかな、と思った。トレープレフは成長しないwannabe、ニーナは最後の最後で一皮むけるwannabe。わたしにはこの2人の心理状態が手に取るようにわかって、これを会話だけで表せてしまう表現力はすごいなと思ったのだけど、読書会に参加した他の方々はそうでもなかったらしく、あんまり通じなかった。
まあ確かに、よく考えてみればいろいろな見方ができるお話で、狂言回しとして機能しているトレープレフの母親アルカージナは「毒親」に見える。トレープレフが成長しない理由のひとつは母親のせいで、彼女は毒親だけあってそれをまったく自覚していない。
それに、出てくる男はみんな情けないやつら。女はみんな決定的に身勝手。プライドだけ高くて人生があんまりうまくいってないヤツらがとぐろを巻いているだけといえばそうだし、チェーホフがそういうヤツらをバカにして書いているようにしか見えないというか、笑えるから喜劇というより、失笑を誘う人々の展示会みたいな感じもする。これは戯曲だけれども、小説というのは、あんまり「こんなことが書かれている」とか「主題はこれだ」とか決めて読んではいけないね。
120年くらい前に書かれているけど、出てくるテーマが毒親として読めたり、レベルの低い話で苦しむワナビーだったり、話題としては現代も変わらない。人間って進歩しないね。
Posted by ブクログ
「新訳でよみがえる」ということであるが、実はチェーホフを読むのはこれが初めてである。
翻訳物でしかも古い時代の戯曲の場合、まずその言葉遣いからして馴染めない事が多いが、本書は、現代の俳優に向けての新訳であるということで、非常にセリフが現代的であった。思わず何箇所か声に出して読んでしまった。大変刺激的で演劇的興奮をもたらすセリフばかりである。
演劇界や文学界の事情に疎いため、この作品が「悲劇」として捉えられているということを知らなかった。「かもめ」についてレクチャーしてくれた人も、この作品の喜劇性について言及していたため、最初からそういった目で読んでしまったということもあるがが、しかし読後の感想としてはやはりこれは喜劇だと思った。チェーホフ自身もこの作品は喜劇であると位置づけているそうだが、人間の営みや精神の有り様を俯瞰してみれば、すべての人生は喜劇であるともいえるわけで、華やかな名声に憧れて都会へ行ってしまうニーナも、空虚なトリゴーリンも、自滅するトレープレフも、自己中のアルカージナも、その他すべての登場人物がなにがしかの喜劇性を持っている。そして本人たちがそれを自覚していないところがまさに喜劇なのである。
これをベタな悲劇として上演したらさぞやつまらない芝居になるんじゃなかろうかと、そんな不遜なことを思ってしまった。
チェーホフはセリフが面白いのだ。以前見た「羆」を思い出した。あの作品もまたセリフのやりとりがなんとも言えない面白みを含んでいたのである。
まったくいまさらであるが、チェーホフは面白い。
Posted by ブクログ
人との繋がりの中での気持ちをここまで客観的に見れるのは楽しい。
トレープレフは自殺したという事実。その直前のトレープレフは誰だったのだろう。会話をしている時点で現実に存在する人物ではあるが、それが誰かわからない。ほんとにミステリアス
Posted by ブクログ
やっぱり...やっぱり読みづらい。
チェーホフの本、戯曲ばっかで読み慣れない。
が、内容は好きです。
たぶんハリウッドとか劇団四季からしたら卒倒するレベル(偏見)で話にまとまりがないというか、オチがないというか、グルグル回る気分。
そこがなんとも人間を描いているって感じで好き。登場人物みんなして悩みすぎ。人間性に難ありすぎ。これを喜劇とか言ってるチェーホフも尖りすぎ。
私もこの本をこんな風に楽しんじゃってる時点で、中高時代、流行りの少女漫画の話に全くついていけなかった事実を今更ながら噛み締めることになった。
この本のどこに喜劇性を見つけるかで、その人の人間感が問われようにも感じます。
Posted by ブクログ
戯曲を読んだのは久しぶり。
最近読んだのは、井上ひさし『国語元年』の台本くらいだったので頭で舞台をイメージしながら楽しく読み進められた気がする。
悲劇に分類されるこの作品だが、そこまで悲劇じみたものを感じないのは作品の中に様々な恋愛(しかも、達成されることのない)が描かれているからであろうか…
一回読んだだけでは、見えてこない世界が広がっている気がするのでもう少ししてから再読したい。
そして、実際に演劇を見てみたいなと思っている。
Posted by ブクログ
宝塚星組公演で初めて「かもめ」を観た。それがとても良い公演で、久し振りに宝塚で良いお芝居を観た!という気持ちになったし、特にラストシーンは、今思い出しても胸がざわっとする。
それで、すごく好きになったので原作に興味をもったのと、宝塚版では喜劇としての演出ではなかった(と思う)ので、喜劇としてはどんななのかしらと思ったのだった。
でも結局公演の印象が鮮烈で、それが蘇るばかりで、それはそれでとても良かったし、あっけないけど恐ろしい幕切れはやっぱりたまらないんだけど、わたしの力では違う読み方がいまいち出来なかった…。もう一度読んでみようかなぁ。
他の舞台を観てみたい。
Posted by ブクログ
チェーホフはなんかおもしろい。
みんながみんな片思いで報われないなんて筋書きだと、ふつうは悲劇色が強くなりそうなものだけれど、チェーホフはそんな状況を茶化しておどけてるように思える。
冷笑というよりブラックユーモア。そういえばウディ・アレン的と言えなくもないかも? まあそれはいいや。
決して書きすぎず、かわりに「間」をいれるのもかっこいい。
自由なかもめの象徴としてのニーナ。彼女はある日のかもめのようにトリゴーリンという文学者によって他愛なく抹殺される。でもトリゴーリンはそのかもめのことをまったく覚えてない(「覚えていないなあ!」の反復がいかにもおもしろい)。辛気臭いトレープレフはその死すら報われないなあ。
Posted by ブクログ
トリゴーリンの台詞に思わず胸がチクチクとした。いつも“そのこと”しか考えられなくて、一つ仕事が終わればまた次の仕事をしたくてしようがない…。大嫌いだけど、そうしなくちゃいられないっていう麻薬みたいな中毒性が創造することを生業とする人には付きまとって離れないみたいなんだ。そのこと、最近になったようやくわかってきた。
大作家ではないけれど、ある程度の成功を手に入れたトリゴーリンの苦しみと、まだ何も手にしていないニーナの彼への憧れ、やりたいことも中途半端で、周りからも認めてもらえないトレープレフの憂鬱…本当に共感できる。どれもこれも、一生涯のなかで散々味合うことになるんだろうな…。
ニーナの有名になるためだったら友達や家族から悪口を言われたってがまんするっていうくだりのあたりは、ほんと、なんか、胸が痛くなるくらい。否定したいけど、否定しきれない自分がいるから…なんともいえない。そりゃ、有名になりたいもんね。だけど、それには犠牲も伴うってこと。
でも、あがいても自分を囲い込む世界を打ち壊せなくて、最後に自殺してしまうトレープレフの気持ちが、一番、今の自分には共感できるかな。
ニーナみたいに、逆境を乗り越えて、自分の弱さに立ち向かう強さを、手に入れなければなと…読んだ後に思う。
ふぅぅー…
Posted by ブクログ
NHKの「100分de名著」にチェーホフの「かもめ」が取り上げられているのを知り、ミーハーなオレはこの年になって初めて「かもめ」を読んでみた。もう100年以上の前の戯曲なのに、この新鮮さは何だろう。色んな登場人物にチェーホフの作家としての心情を投影しているさまも面白い。今度は神西訳も読まないと。
Posted by ブクログ
ロシア演劇史上不朽の名作が、沼野充義の新訳で甦る! 20012年9月 毎週水曜日!NHK Eテレ「100分de名著」で『かもめ』を紹介予定 (帯より)
“かもめ”は本書が初めて。
ラストがあれ・・・なんで悲喜劇とでもいえるのだろうか(?_?)
配役に好みの俳優さんをイメージして読むというのもまたいい。臨場感がありますよ~!
Posted by ブクログ
劇中の人物達がそれぞれほとんど一方方向的に恋をしている。またその対象が、それほど多くない劇中人物の中で完結しているのが面白い。
それだけ沢山の恋(チェーホフ曰く「五プードの恋」)の物語であるから、喜劇の予感がしたし、チェーホフ自身が喜劇と言っているんだけれど、やっぱり結末のシーンの印象が大きくて、「本当に悲劇じゃないの?」って疑ってしまう。
Posted by ブクログ
話自体はとっても短いし、文字大きいし、
すぐ読んじゃいます。
ラストが秀逸すぎる。忘れられません。
後味はわりと悪いです。が、忘れられません。
Posted by ブクログ
チェーホフの戯曲。
チェーホフ本人は喜劇だと言っているそうだが、私からしたらコースチャ、ニーナ、トリゴーリン、アルカージナのドロドロメロドラマという感じ。
Posted by ブクログ
率直に感想を書くと、よく分からなかったに尽きます。人物の紹介が始めにあるのですが、図とかしてくれていたらもっと分かりやすくなると感じました。もう一回読んでみようと思いますが、分からないなりに読んだ感じでは悲劇としか思えませんでした。これを喜劇というチェーホフの考えが読みとれませんでした。
Posted by ブクログ
「理解できない」というのが、正直な感想。
まず主人公が不在のため、どこに焦点を当てて読んでいいのかがわからない。焦点が定まらないためどの人物にも感情移入ができず、作中で起こる悲劇にも共感できない。
また、チェーホフは登場人物の悲劇を笑いに変えるシニカルな描きかたをするのだが、私には悲劇は悲劇としか感じられず、笑うポイントがわからない。
他の作品も読み進めているところだが、私には高度すぎて理解できそうにない。
ただひとつ言えることは、ドストエフスキーやツルゲーネフの去ったあとの時代を生き抜くために、主人公不在の気分劇を産み出したチェーホフの革新的な取組みはとても面白い。