島田裕巳のレビュー一覧
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聖職者は妻帯しない、そんな話から始まるものの
後半は民俗学の柳田國男も登場し、性(セックス)男色の話が宗教とどうか関係するのかよくわからない顛末。
最終章のイエスの母であるマリアは処女でイエスを産んだことは無原罪であり、これが様々なことを意味し規範となっているとしる。
イエスの復活で登場するマグダラのマリアとは違うという事がはっきり分かった。(今更だろうけど)
日本の宗教では妻帯を認めているものもあり、この経緯やその発展は成る程と思う。
イスラム教については、馴染みがなく知る機会がなかなかないが、どうしても女性が幼く嫁ぐイメージが抜けない。この本にもその辺りの例があるし、布を纏い晒すことを控えるというものは宗教からの習慣。
決して良し悪しではなく日本人はイスラム教を知らな過ぎると感じた。 -
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ネタバレp4
神社は神道の施設でお寺は仏教の施設である
神社には鳥居があるけれどお寺にはない
ミシュラングリーンガイドジャポンに山では富士山と高尾山だけが三ツ星となっている。
高尾山には薬王院と言うお寺があり真言宗に属している仏教寺院がある。ところがそこには本社あるいは権現堂と呼ばれる神社があってその前には鳥居が立っている
…
鳥居の立つお寺は各地にある。
鳥居のない神社もある。
第1章 神のための場と人のための場
釈迦よりも宗祖を尊ぶ日本仏教
神社特有の分霊と勧請(かんじょう)
神社は神のための場所だから人が住めない
仏の場としてのお寺と修行のためのお寺
第2章 神社の歴史
神社において重要なのは建物ではなく祭事だった
磐座(いわくら)に神を招く
高天原(たかまがはら、たかあまはら)に帰る
第3章 お寺の歴史
仏教における建築の重要性
お寺の歴史は仏舎利(遺骨)から始まる
キリスト教の聖遺物崇拝(骨)
奈良時代のお寺は大学のような存在
庶民(修行専念ムリ)の仏教のきっかけは浄土信仰、念仏
禅寺は仏像より人間の空間が重視された
江戸時代は共同墓地で土葬が多く墓は建てなかった
仏壇の位牌が供養の対象になった
寺請制で仏教の信仰が江戸幕府によって強制
「江戸名所図会」神社や寺はエンタメ空間
第4章 神仏習合 隠された神社とお寺の歴史
文明を取り入れるために仏教を受け入れた日本
神が仏教に帰依する? 神宮寺
仏教優位の理論 本地垂迹(ほんじすいじゃく)
仏は形に描かれやすいが、神は描かれにくい
p171
現代では、神社の前では拍手、お寺では合掌する。
しかし神仏集合の時代には神社で拍手を打つ習慣は無かった。それは明治になってから定められたもので以前はどちらも合掌だった。神と仏を区別しなかった。
神仏分離以降はどちらの信者か区別することになり、どちらを選んでいいか多くの人が迷うようになった。
第5章 現代の神社とお寺
国家に貢献した人物が神社に祀られた
金比羅宮にこんぴらさんが祀られていない
明治に権現(ごんげん)が否定され改称を迫られた
変わるお寺の存在意義
代々の第一次産業は先祖の供養が必要
寺の坊主は人間関係のしがらみがない相談役
上京した次男以下は現世利益の新宗教、葬儀不要
宗教の信仰は女性40代男性50代から
男は49歳まで2割弱、50代で41%、60歳で56%
女は29歳まで2割、10歳ごとに10%ずつ増える
文化財の博物館としてのお寺
清浄な神域の神社
地域で結束する必要がなくなる時代、神社やお寺も経営を求められるようになってきた。
若い頃は刺激的な事に心を奪われていた人でも、歳を重ねるにつれ心を癒してくれるものに惹かれていく。 -
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ネタバレp9
南都六宗>法相、倶舎、華厳、律、三論、成実。
天台宗>
法華系……日蓮宗→日蓮正宗
禅系…曹洞宗、臨済宗→黄檗宗(おうばくしゅう)
浄土系…融通念仏宗、浄土宗→浄土真宗、時宗
p20
奈良時代、僧侶が官僚の時代で宗派は学派に近かった。
国の試験で正式な僧侶に。持統天皇時は10名。
奈良の東大寺は南都六宗+天台真言の「八宗兼学」の寺。
p23
鎌倉時代。
法然が浄土宗を起こす。念仏以外の教えや実践を聖道門と呼び、念仏で極楽浄土を目指す浄土門を目指した。
法然を批判した日蓮が法華経への信仰以外を否定。
禅宗の曹洞宗や臨済宗は不立文字(ふりゆうもんじ)と言うように教えを文字にして表現することを戒めたが、他の宗派を批判することはなかった。
p24
江戸時代、寺請制度で檀家制。
昭和15年の宗教団体法で28宗に。宗教法人は認可ではなく認証。
p30
聖徳太子の法華信仰。
仏教とヒンドゥー教の習合した密教は護摩を焚いたり祈祷したりする儀礼等が用いられる。
浄土真教はインド仏教(輪廻苦)には無い極楽転生。
禅は瞑想の一種。現世利益や浄土往生などの実利効果ではなく、精神安定や生活規範として機能し、武家に好まれた。茶道や花道、武士道に影響。
p71
天台本覚論の中の草木成仏…植物が芽生え花や実をつけ枯れるまでの過程が仏道修行の過程と重ね合わされ、さらに草木はそのままで成仏していると解く。中国にも存在したが、日本ではあらゆるものがそのままで仏になっているとする徹底した現実肯定の思想に発展した。この思想の背景には古代的なアミニズムの考え方がある。そのままで成仏しているなら改めて修行する必要は無いことになる。本来仏教は釈迦が家庭を出家したように、現実の価値を否定する現世拒否の必要を特徴としている。が、日本では草木成仏の考え方が広く受け入れられた。能楽には草や花が主人公となっている作品があり、一神教の人間と動植物を激しく区別する考え方とは相容れないものである。宗教そのものの存在意義を否定しかねない。日本人の無宗教の根底はここにある。
p199
創価学会と日蓮宗の関係
p218
現在の仏教式の葬儀の基本は曹洞宗が作り上げたものである。修行の途中でなくなった雲水を弔うための亡僧葬儀法が一般の在家信者の葬儀にも応用された。死者に対して剃髪の真似をしその上で戒律を授け戒名を与える。それが葬儀の中で最も重要な部分になっている。
この葬儀の形式を取らない宗派は浄土真宗と日蓮宗である。死者を出家させると言うやり方を取らない在家中心。僧侶と在家との間に根本的な区別はないため。
戒名に関しても浄土真宗はそれを法名と呼び、必ず「釋しゃく(尼)」の字を含む。日蓮宗は「日(女性なら妙も)」の字を必ず含む。
p225
浄土真宗の寺院の総数は2万カ所を超える。寺院総数がおよそ77,000カ所なのでおよそ26%。なぜこれほど浄土真宗は日本の社会に浸透しているのだろうか?簡単に言えばそれは庶民の信仰だからである。
p227
浄土真宗では親鸞が非僧非俗の立場をとることを鮮明にし自ら妻帯し子供ももうけた。浄土真宗では血縁を通して信仰が継承される。日蓮宗の場合は僧侶と俗信徒との間は明確に区別されている。
近代、浄土真宗の歎異抄についての再発見。 -
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明日神社を直しにいく。
ちょっとその前のinputとして読んでみた。
神道は、「ない」宗教 (創唱者、教え、経典がない)
日本の民族宗教というのは確かに言われてみれば新鮮だった。
また、仏教と一時期は融合して、明治に神仏分離が起こったことも書いてあった。(確かに歴史の授業でやった気がする)
他の国の自然宗教、民族宗教が世界宗教に飲み込まれていていったものが多いなか、日本に神道が残ったのは大変興味深い。
別件だが、クリスマスはヨーロッパの土着宗教がキリスト教に与えた影響だというのは知らなかった。
(神宮と名がつくのは、伊勢神宮を始め皇室関係の寺院を指すことも知らなかった。)
「神社の境内の中には、人の住む場所はない」(cf. 寺院)
というのも新しい発見だった。
本居宣長いわく、良いものも悪いものも、それが他に比べて秀でているものを「神」と呼ぶらしい。 -
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「いつまでも親がいる」よくぞこの題名で本を出版してくれた、この本の最高点はこの題名だ。
何か解決法、というか心の持ちようが示唆されているのかと思い購入。もはや自分にとってこれは喫緊の命題なのだ。例えば戦争をしていたり戦争直後、1960年ころはまだいつ死ぬかわからない社会、これを「生死観A」、現在はあるていど病気の治療などが進み皆が長生きする人生100年時代、といわれる社会で「生死観B」とする。
「生死観B」の社会は大人になった親と子が共に長期間暮らす社会。今は「生死観」を変えて生活するようですね、と言っている。
そして厄介なことに「生死観」を変えるのは子供の方だ、ということだ、と思う。年取った親は社会が変わっている現状を認識できない。
島田氏は「映画は父を殺すためにある」などの著書で、子供は親殺し、親を精神的に乗り越えるという「通過儀礼」を経て一人前の大人になるのだ、ということを言っている人。この本では狂言の野村万作氏(1931生)が親の万蔵が47歳の時死んで、やっと自分なりの狂言を表現できるようになった、との言葉を紹介。その万作の子供は萬斎(1966生)だが、この万作氏、ある番組で子の萬斎(その芸を)をけっこうきつく批判して、「これじゃあ子供は自由になれないな」と島田氏は思ったという。
「長寿社会になったことで、親はいつまでも生きている。それはめでたく有難いことだが、一方で重石が無くならないことを意味する。親があまりに長生きすれば、子供の方が先に亡くなってしまうこともある。そうなれば、生涯にわたって親から解放されないということにもなってくる」とも。・・そうなのだ。
親は子がストレスを感じている~自分が重石になって子を束縛していることは全く気ずいていない。だいたい今の90代の人の親はまだまだ人生50年時代の世界で、自分ではおおむね60歳までには親から解放されている。むしろ末っ子だったりすると20代で親は亡くなり、「親が重石」だということをまったく理解できないと思う。そこらへんが問題なのだ。
宗教学者なので生死観についてキリスト教やイスラム教、仏教、道教、儒教などの考え方も紹介しているが、やはり冒頭の「生死観B」という長生社会への考え方シフト、これだと思う。・・あきらめろってことですかね。
2021.2.28初版第1刷 購入