島田裕巳のレビュー一覧
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ネタバレ[ 内容 ]
平成元年、週刊誌が坂本弁護士事件を報道して糾弾を開始しオウム真理教はにわかに注目を集める。
その後オウムは一連の騒動を起こし、その間、幸福の科学も台頭、宗教は社会の重大な関心事となり、ついに平成7年、地下鉄サリン事件を迎える。
一方、平成5年、万年野党だった公明党が連立政権に参加、11年以後、与党として君臨し、ついに日本は新宗教団体が政治権力を行使する国となった―。
オウム、創価学会以外にもさまざまな新宗教やスピリチュアル・ブームに沸いた現代日本人の宗教観をあぶり出す。
[ 目次 ]
昭和63年(1988年)自粛騒動と時代の転換
平成元年(1989年)バブルの頂点とオウム真理教 -
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[ 内容 ]
格差社会が到来したと言われ、勝ち組と負け組との差が大きくなったとも伝えられている。
このまま将来性のある職につかなければ、負け組になってしまうのではないか。
そうした恐怖心を抱えている若い世代も少なくない。
では、どうしたらいいのか。
この本では、自分の生きる道をどこに見出したらいいのか、それを考えるヒントを与えることをめざしている。
その出発点になるのが、三種類の日本教、三つの属性ということであり、自分がそのどこに属しているのかを知ることで、考えるための道筋がはっきりしてくるはずである。
[ 目次 ]
序章 本書がなぜ人生を変えるのか
第1章 サラリーマン系に属すべき人々
第 -
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私自身、折伏のターゲットになった経験はないが、学会員のクラスメイトから、公明党議員への投票を頼まれたことはある。だいたい、そういう経験がない人のほうが少ないのかもしれないが。このときの経験から、公明党と創価学会に嫌悪を抱いていた。政教分離の原則はどうなっているんだとも思うし、そういう政党が政権を握っている現況に恐怖を感じてもいる。しかし、本書によれば、我々が生まれる前ごろのほうがより攻撃的で危険な集団だったようだ。
本書では、創価学会の足跡とともに、公明党の歴史もかなり踏み込んで述べられている。そして両者が同一のものではないということも。政治の流れに沿って説明がなされており、非常にわかりや -
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[ 内容 ]
現代人にとって、宗教についての知識・教養は不可欠なものになりつつある。
そしてその本質に迫るには、宗教のもつスキャンダラスな側面を無視することはできない。
仏教伝来、大仏開眼、空海VS最澄、末法思想の広がり、信長の蛮行、お蔭参り、大本事件、天皇の人間宣言、踊る宗教、宗教の「お一人様化」…さまざまな意味で対立を引き起こしたもの、一般の宗教史ではあまり触れられないものを中心に、24の事件を現代と通じるかたちで取り上げながら、日本人と宗教の歴史をダイナミックに描く。
[ 目次 ]
新しくやって来た仏教とそれを迎え撃つ神道との対決
大仏開眼という国際的イベントと環境破壊
命をかけて海を -
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島田裕己著「無宗教こそ日本人の宗教である」角川ONEテーマ21
*案外、無宗教ということばは落ち着きがよい。宗教を信じないと言い切ってしまうと、それは自分の信仰の有無にとどまらず、宗教そのものの価値を否定してしまっているようにおもわれるかもしれない。たが、無宗教ならば、それはあくまで自分だけに限定であって、宗教を信仰している人たちに対しては一定の敬意をはらっている。だからこそ、われわれは無宗教ということばを使うことにためらいを感じないのである。
*日本人は無宗教に誇りを感じているのではないか。9・11以降のことになるが、今日の世界情勢のなかで、宗教はグローバル化した経済とならんで、極めて重要で -
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あなたはどの宗教を信じていますか?
この質問に約7割の日本人は「信じていない」と答える。つまり7割が無宗教と言うことである。
無宗教を語るのは、以前は自嘲的の理由だったが、現在は誇りと思うべきだと著者は言っている。
何故か?一つの宗教に固執・信仰することは排他的になり、しばしば対立や抗争を生み出す要因になる。
しかし無宗教の場合には、自己の信仰自体を曖昧にしており、宗教によって自己と他者を区別しない。
つまり、無宗教は様々な宗教を尊重し、極論だが世界を平和に導くのである。
まぁ無宗教も一貫性が無い、まとまりが無くなるなど悪い点はあると思うけど、良い面・悪い面双方から見ると僕 -
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確固たる信仰を確立できていないことへのコンプレックス。複数の宗教と無節操に関わりを持つが故に日本人は無宗教。ある特定の宗教を信じるということは、他の宗教や信仰を認めないことであり、排他性に結びつく。神仏習合ー土着の神道と外来の仏教が交わったことで生まれた日本に独特な信仰本地垂迹ー日本の神々は実は仏教の諸仏が化身してものだという信仰平安時代に入って、まず密教、その次に浄土教信仰、鎌倉時代に入って、禅が流行。密教の宗法の実践は、国家鎮護や病の治癒、願望の成就などに効果を発揮。密教は、現世における救済、浄土教信仰は来世における救済を目的とし、使者を仏と呼ぶ。禅により、わび、さびといった日本独自の美意
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んー。
日本人の系統を、
- 公務員・教員系
- サラリーマン系
- 自営業・自由業系
の3通りに分けて説明する、
というご本です。
この分類、結構的を射ていて、自分の育った環境を
自分も、そして周りの人も良く踏襲していることが
分かります・・・。
ちなみに、この本にのっていないこととして、
私の実感は、
それぞれの系統は特に若いうちは、自分の持っていない
系統の特性にあこがれて、それになりたいって
思ってしまうって傾向が意外と強いって事かな。
結局最後は自分の出自に戻るわけだけど・・・。
ステレオタイプで、ざっくりしすぎの議論展開では
あるけれど、これはこれでわかりやすいと思 -
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●無宗教と公言する日本人が、実は宗教に対して強い関心を持ち、ある意味熱心に宗教活動、信仰活動を実践している、、、56
●現代の日本人は、結婚式を神道で行い、葬式は仏教で行うことを、いいかげんで無節操なことだと、自嘲的に語る傾向がある。 しかし、そうした慣習の背景には、神仏宿合という、長い歴史を経て形成されてきた信仰のあり方がある。決してそれは、いいかげんなものでも無節操なものでもない。それは、日本人なりに、日常の生活に合う形で、独自に形を作ってきた信仰のあり方であり、卑下する必要は全く無いのである。76
●自分たちの宗教は何かと問われたとき無宗教と答えるしかないと感じながらも、無宗教だと公言す -
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日本人の宗教、あるいは宗教性について「無宗教」という言葉でアプローチをはかった一冊。
一つの宗教だけを守ろうとしない無節操さ
宗教コンプレックス(劣等感):日本人は宗教を大切なものと考えながら、今の自分たちが、宗教に真摯な態度で臨んでいないことを嘆かわしく思っている。
⇒自嘲的に「無宗教」
ある特定の宗教を信じるということは、他の宗教や信仰を認めないことであり、排他性や排外主義に結びついていくと考え、特定の宗教を信奉するよりも、無宗教であることに価値を見出す。
⇒強い誇りを持って「無宗教」
「日本人が無に求めてきたのは、私という小さな存在の限界を超えることである。もっと広い世界、もっと豊か -
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1998年4月27日にカルロス・カスタネダはカリフオルニア州ウエストウッドの自宅で肝臓ガンのため死去したという。彼が世に紹介されたのは1968年・UCLAで人類学を学ぶ学生だった時のドクター論文だそうだ。
小生が彼の著作を読んだのは、先に記したチベットのモーツアルトでの紹介からで、1984年だった。「ドンフアンの教え」カスタネダの最初の著作がアメリカで刊行された16年後の事になる。1968年は原子力空母・エンタープライズ寄航問題・東大闘争・三億円事件・・などの年だ。
60〜70年代の「ニューエイジ運動」のゴットファーザと称されたカルロス・カスタネダの著作シリーズと真木悠介氏の「気流の鳴る音」
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