島田裕巳のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
日本人は無宗教の人が多いと言われるが、多くの人がクリスマスは祝うし、正月には神社へお参りしたりする。また先祖のお墓参りも多くの人は欠かさず行っている。どこからどこまでを宗教を信じる人=信者というから微妙だが、昔読んだ本では、神道や仏教、キリスト教などを織り交ぜたミックス宗教を信じてると言えるのかもしれない。もちろん純粋にキリスト教やイスラム教、仏教の信者も沢山いるし、最近では統一教会で話題になったが新興宗教の信者も沢山いるだろう。人それぞれ何らか程度の差こそあれ、何かを信じて生きている人の方が多いかもしれない。また、そうした行為はそれなりに信じる人に勇気や活力を与え、生きる上での指針になっていると感じる。だが、そうした力が思わぬ方向へ人を導く事もあり得る。かつてのオウム真理教の引き起こした事件や、海外におけるテロ事件などもその一つだ。熱心な教徒が心まで完全にコントロールされ、通常では考えられない凄惨な事件を引き起こす事は過去の歴史に於いて何度も人類は経験してきた。中国史の中にも、西洋史の中にも、日本の歴史に於いてもだ。
日本がかつてアジア太平洋を戦場に侵略的な行為を繰り返した戦争では、「八紘一宇」のスローガンの元、世界を万世一系天皇の下に統一する必要があるという考え方が存在した。本書は近年、政権与党の自民党議員がそれを国会答弁で発言した事から、その言葉の意味や成立の過程、その後の社会でどの様に影響してきたかについて述べている。少しこの辺り、太平洋戦争関連の歴史書を読んだ方なら、この八紘一宇の言葉には、満州国設立の歴史を思い浮かべる人も多いだろう。五族協和と並ぶこの言葉をスローガンに、民族の違いを超えて共存する事を目指した満州国。そしてその設立に深く関わった石原莞爾なども本書には登場する。八紘一宇の言葉を中心に繰り広げられる歴史の事件が次々と紹介されていく中で、その言葉を生み出した田中智學の考え方、さらにその土台となった日蓮の教え(智學自身はその後、還俗)。智學は日蓮宗の影響を強く受けながら、日本は天照大神を祖とする万世一系の皇統が支配する国体の考え方を中心とした国柱会を設立。その国柱会を支持する思想家、文学博士の高山 樗牛。文学といえば、石川啄木の「アメニモマケズ」の一節にも仏教に帰依した啄木の姿を見る事ができる。日蓮の教えが彼らのベースにあり、その教えを各々の考え方や生き方に照らし生涯を捧げていく人々。
若い頃は世の中を動かしているのは「教育」と「宗教」だと考えていた私にとって、この日蓮の教えが果たした役割の大きさは計り知れず、かつそれが全ての根元にあるとは言えないまでも、大きく影響し、影響ある人々に手段として用いられた場合に生じさせるインパクトの大きさに改めて驚かされる内容だった。日本は確かにその後戦争に突入し、その方向に向かう道を歩む人々の中に間違いなく、こうした考え方を持つ人間と、それにより全てを正当化しようとする人間がいた。そして、血盟団事件で有名な井上日召、二.二六事件の精神的支柱となった北一輝、同事件やそれ以前の五.一五事件の首謀者となった陸海軍の若く血気盛んな将校達。それら多くの人々の人生が変わっていく背景には、間違いなく宗教的な要因が大きく影響している。戦後も一時期は得票数で第二党まで上り詰めた創価学会。そして様々な新興宗教も生まれ、今なお人々の心の支えとなるだけでなく、心の支配者として君臨している状況は続く。
果たして、世界平和や全ての人々の安全・平穏・平等・幸福にどの程度宗教が寄与しているかは、定量的に測る事はできないものの、人々の生活に深く浸透し、政治や経済を動かす力になっているのも事実だ。我々は決してそれらに制御されてはならないが、寄り添って生きる程度に於いては、少しの安心と活力になり得る宗教。そして今日も「(お命)いただきます」と言いながらご飯を頬張る自分がいるのだ。 -
Posted by ブクログ
特定の宗教団体を取り上げるというよりは歴史的な流れからの日本政治との関わりを述べているように読めた。平明に書いてくれているので読みやすい。
タイトルの政争に関わるとなると真打ちは創価学会となるだろう。大本教の場合は弾圧で政争でもない気がするし。
戦争に負けた事で神格化された天皇が無くなった事が荒廃を極めた日本における第二の新宗教の勃発となり人々の拠り所となっていたのだろう。高度経済成長期に創価学会が力を伸ばした事(他の団体も同様ではある)、日本の経済的転落が人口減少に結びつき団体の弱体化となった事から見るに政治の票集めとして機能しなくなった場合どの様な顛末に至るか気になる。 -
Posted by ブクログ
カルトか、カルトでないか。
何が境目になるんだろうと思っていた。
新宗教=カルトなのか。
自らの利益追求のために、あからさまな欺瞞をおこなう、破壊性をもつ集団なのか。
セクト的な行動をおこなう集団なのか。
この本では10の団体が取り上げられているが、「そうではない」宗教だから、危険性がないかと言うと、首を傾げる部分もある。
信仰をすることが、自身(の思考を)を捧げる行為である以上、どんな宗教にも、カルト的な部分、性格を捨て切ることは出来ないのではないか。
解釈であるし、判断から手を離してはいけないということだ。
何かを信じること、傾倒すること、団結することには、人間として心地よさを感じることは否めない。
「それ」を知らず、信じなかっただけの自分が、何かを信じることで、犯罪を肯定してしまう人たちを根本から否定することが出来ずにいる。 -
Posted by ブクログ
十大宗教とそれに関連する宗教を記述することで結果的に多くの宗教について解説していたが、例えば白光真宏会は入っていなかった。他の宗教から分かれた、連携したということがあまりない宗教は入れづらかったのかもしれない。あとは有名どころでも、阿含宗、オウム真理教、幸福の科学などはあまり記述なし。
気になったところのメモ。
・新宗教:キリスト教系以外は仏教or/and神道の影響をほぼ受ける
修験の影響を受けた宗教も多い
・真光:野口整体の愉気と活元を宗教的に解釈
・世界救世教系:聖地建設、自然農法への関心
・天理教から璽宇まで:神道系
⇔
・高度経済成長期に巨大になった霊友会、創価学会、立正佼成会など:日蓮系、法華経系
・PLの原点の徳光教:「お振替」という病気直し(モニター法に似ていると思った)
・新宗教:社会が不安定な時期に世直しを掲げて出てくるのが普通。
しかし・・・真如苑、GLAは世直し要素なし。
・カルト:終末論を強調、多額の献金要求
取締により社会性が生まれ成熟するのが普通→成熟を拒むとカルトのまま
古い絶版ムック「神人類と信人類たち」巻末の新宗教カタログで新宗教をさらったときは流れがわからなかったので、歴史が辿れてよかった。 -
Posted by ブクログ
人類がこの2千年足らずの間に複数の帝国を築き、そして滅亡を繰り返したその背景には、宗教の存在が大きく関わっている。日本には神道があり、古くには仏教やキリスト教が外部から入ってきたが、現代社会に至るまで日本の統治に宗教が大きく影響したとは言い難い。日本が海を隔て他国との接点が少なく、侵略されにくい位置にあったことが幸いし、宗教の力を借りずとも統制しやすかった事に起因するだろう。海外を見るとどうであろうか。ユーラシア大陸、ヨーロッパと陸続きで遊牧民などが馬を駆り攻め入ってくるような地域においては、支配者が次々と入れ替わり帝国化するに至っては、支配に宗教の力は大いに役立ってきた。
本書は主に世界三大宗教のキリスト教、イスラム教、仏教を中心に帝国化と宗教の関連性について記した本である。特に前の二つについては現在の世界地図を見ていても紛争の背景に大きく存在感を示し、宗教人口も他のそれと比べ圧倒的に多い。それ程まで力を持つ宗教と言えるが、世界史を学んだ方であれば、オスマントルコやら十字軍の遠征やらで知っているキーワードが頻出するので入りやすいだろう。キリスト教においては本書でも詳しく述べられているが、帝国の支配層と教皇の権力争い、互いに力を示しながらも互いを利用するような歴史があり面白い。本書を通してそうした統治と宗教のあり方を学ぶ第一歩として、新書サイズにコンパクトに収められる本書は入りやすいだろう。 -
Posted by ブクログ
島田裕巳(1953年~)氏は、東大文学部卒、東大大学院人文科学研究科博士課程満期退学、放送教育開発センター(現・メディア教育開発センター)助教授、日本女子大学教授、東大先端科学技術研究センター特任研究員等を経て、東京女子大学非常勤講師。宗教学者として、宗教に関連する一般向け書籍を多数執筆。
私は従来、死生観に関わる本をよく読み、著者の本でも、『「日本人の神」入門』、『人は死んだらどこに行くのか』、『無宗教こそ日本人の宗教である』等を読んできたが、アラ還世代に入った数年前から、人生後半の生き方を説いた本も読むようになり、本書を手に取った。
本書は、人生100年時代と言われるようになった現代において、我々はどのように生きていけばいいのかについて、宗教学者の視点から考えたものである。著者はこれまで200冊を超える本を出してきたが、その中の多数の本からの引用があり、ある意味、著者の主張のひとつのまとめ的な位置付けとして読むこともできそうである。(尚、多くの老後指南書に書かれているような、ノウハウ的なものはほとんど書かれていない)
印象に残った点を挙げると以下である。
◆人生100年時代が訪れ、人々の死生観は、自分はいつ死ぬかわからないと考える「死生観A」から、自分の人生の終わりを80~90歳に設定し、そこから人生を逆算して考える「死生観B」に変わった。
◆世界のすべての宗教は、死生観Aの時代に生まれ、人生が短く、先祖は十分に生きられなかったという考えから、子孫は先祖の供養を行い、その成仏を祈ってきたが、死生観Bが支配的な現代においては、死者は亡くなった時点で成仏・極楽往生していると考えられ、死後の追善供養は不要である。
◆かつて土葬が主流だった時代は、一般庶民は埋め墓に埋葬するだけで、家族が代々入るような墓はなかった。現代に多く見られるような墓は、火葬が主流となり、火葬後の遺骨を埋葬する必要性から生まれたものであり、意外に歴史は浅く、一時的なブームと言えるものである。サラリーマン世帯が増え、家を継承していくという意味が薄れた今、墓は不要である。
◆若くして死ぬことが減った現代では、人は社会的な死(老人ホームに入る、認知症になる、等)を経て、肉体的な死を迎えることが多く、人の死は、瞬間的なものから、次第にフェードアウトしていくものに変わったのであり、多くの他人を呼ぶような葬式は不要である。
◆年をとったら、超然として「こころの出家」を果たすことにより、こころの平安を得るべき。具体的には、世の中の様々な出来事にいちいち目くじらを立てるのではなく、自分には関係のない事項については、あえて関心を持たない、放っておくというようなスタンスである。
寿命の長期化が人々の死生観を変え、それが死に関わるしきたり(追善供養、墓、葬式、等)を変えていくというロジックは目から鱗であり、一読の意味はある。(「こころの出家」を目指すという考え方も共感できるが、如何にしてそれを果たすのかの説明には物足りなさがあり、残念)
(2023年12月了) -
Posted by ブクログ
柴田錬三郎が言ったように日蓮は「法螺吹き」ではないか?良観との「祈雨対決」仏教者が「7日のうちに雨降らば弟子となろう」と思い切った挑発を言うだろうか。自伝的文章にあるといっても疑わしい(と思う)。女性信徒への情感溢れる書簡が有名だが、ほとんど色気なし。自ら「なぜ正しいことを主張して迫害される」と苦悩する人間像。対蒙古防衛体制に邪魔者なのを無自覚。
鎌倉から佐渡へ流罪。佐渡で曼荼羅を書き上げたところで小説は終わり。 名脇役の源空丸は、佐渡で怪我をして亡くなりその際、日蓮が念仏を唱えたのはちょっと不思議
〇法門上は、本尊は最重要の争点。
佐渡始顕本尊は実在せず(だから「文字が金色になった」と空想を巡らせる)はじめて本尊を書いたのはまだ鎌倉に居るときなので史実とは異なる(もちろん作者は承知だろうが)
島田の意図は、従来の激しくプロテストする怪傑のイメージを改め「念仏に寛容」な日蓮を打ち出してみることにあったと思う。『斬首場・竜の口での奇跡』にしても、あまりに堂々とした態度に気圧されて、平左衛門でさえ刀を降りおろせなかった‥とする。それは《奇跡》よりも人の心を打つことであるから、幕府は一層恐れ弾圧し、弾圧は宗教を強くした‥
表示されていない作品があります
セーフサーチが「中・強」になっているため、一部の作品が表示されていません。お探しの作品がない場合は、セーフサーチをOFFに変更してください。