島田裕巳のレビュー一覧
-
-
Posted by ブクログ
ネタバレ遠足の事前学習②。諏訪大社つながりで読み始めたが、八幡神社のことが学べた。源頼朝のせいだな。
諏訪大社のことはほとんどなし。寺田鎮子さんの本で詳しく読んだので、再確認にもならない程度の情報量。
この本の肝はそこではなく、八幡神社とか稲荷神社とかのほうであった。そっちについては詳しく、わかりやすく、勉強によくなった。
_____
p5 『浄土真宗はなぜ日本で一番多いのか』
この人の別著。今度読もう。ちなみにうちは曹洞宗だ。
p22 阿佐田神
麻雀小説家の阿佐田哲也が稲荷山に祀られている。麻雀の神として新日本麻雀連盟が祀っているらしい。こんな風に日本では個人を神にできる。東郷神社 -
Posted by ブクログ
予言と言えば、私などにとってはノストラダムスの大予言等が連想されるのですが、本書はその予言、しかも日本社会と予言の関係をテーマにしています。
内容は古事記から安倍晴明、仏教の弥勒菩薩信仰、幕末の予言獣、聖徳太子の「未来日記」に隠れキリシタンの終末論と言った過去から、内村鑑三の再臨運動や大本及びそこから派生した各種新宗教、高度経済成長期の所得倍増計画にオウム真理教と言った近現代までを取り上げおり、それぞれを予言と言うキーワードで解説しています。
前半部分は過去を取り上げていることもあってか、予言と言うキーワードと解説している内容がよく合っていたのですが、後半になるにつれ、例えば、新宗教団体につい -
-
-
Posted by ブクログ
*八幡、天神、稲荷、等々、全国の神社のうち数の多い11系統の神社をとりあげて、由来を解説した本。タイトルと内容は、あまりマッチしていない。
*個人的には、やはり古事記がらみの、伊勢や出雲の話が面白かった。
*全体的に、明治より前の日本では仏教と神道はごたまぜになっているのが普通で、明治の廃仏毀釈を経て、信仰のありかたは相当変わった、というのが、とても雑にまとめると、著者の主張。その辺は別の本で詳しく述べているらしい。
*その別の本とやらを読んだらスッキリするのかもしれないが、「○○は○○の神と習合し、」という説明が頻出するものの「習合する」とはつまりどういうことなのかについては説明がない。
* -
Posted by ブクログ
国内を旅行すると、何気なく寺社仏閣を訪れることあがあるが、寺と神社の違いを意識したことはなかった。仏教には根拠となる仏典があり宗祖があるため相対的に分かりやすいが、神道の祭神は実在したかどうかが曖昧なものもあり、神としての性質も変遷している。八百万の神がいる日本に住む者として、そうしたことを意識してこなかったことに恥じ入る。最近の靖国参拝の問題も同様。実在した人間を神として祀るというのも神道の特殊性だろう。
八幡・稲荷は日本書紀には登場しない渡来人によるもの。天神は菅原道真を祀った者だが、最初は祟りの神で、徐々に善神に変わってきた。伊勢は天照大御神を祀り、天皇と農業に強いつながりがある。春日は -
Posted by ブクログ
宗教関係の島田氏の著作は前々から気になってはいたのだが、
彼のオウムに対する総括とでもいったものを一度きちんと調べ
オウム関係の著作を読んでからでないと、他の著作にはちょっと
手が出しづらいなと思っていた。その、着手するには少々気が重い
作業が億劫で今まで手にしていなかった著者の本を読んだのは
単に古書店で105円という安さで売っていたからだ。安直で申し訳
ない。
で、この本の感想だが、読み物として実に面白いものに仕上がって
いると思う。まず何よりもこれらの新宗教をまとめて取り扱うと
いう著作自体が珍しいのではないだろうか。それだけでも一読の
価値はありそうだ。
気になったのは著者の視点が -
Posted by ブクログ
ネタバレ自分にとっての宗教って、自分と近いようで遠いようで、理解できなくて理解してみたくて…という矛盾する存在。
信じる人に会うたび、少しの嫌悪感と少しの羨ましさを覚えるのです。「いいなあ、信じることができて」と。
宗教をいまいち信じられない自分は、不条理や悲劇などに遭っていない、祈るという行為が発生する事態に遭っていない、ぼんやりと幸せを享受している人間なのだろう。
でも、最後の最後には、わたしも祈るのかもしれない。
自分ができる術をなくしたとき、最後の最後に自分でできることが「祈ること」というのは納得。
著者の宗教に対するあたたかい視点を感じられる作品。むやみに肯定するでも否定するでもない -
Posted by ブクログ
柳田国男の本を読んでから、八幡神に疑問があった。新聞の広告で知った本書を手に取る。
新書でさっと疑問解明ができるとは期待していなかったが。
東大寺建立に協力した八幡神が、各地の国分寺に勧請されたとのこと。これも八幡神社が増えた理由の一つなんだろうな。
出雲の大国主と三輪山の大物主は別の神だったものが習合したもの。成程。
住吉社への話の中で、安曇氏が志賀島で祀っていたのが底津小童命、中津小童命、表津小童命を祭神とする志賀神社とある。海神が子供とする信仰があったわけだ。中沢新一の「大阪アースダイバー」には朝鮮半島からの海民達の日神に仕える女神達の信仰が語られていたが、日光感精の神話は北方の新羅の
表示されていない作品があります
セーフサーチが「中・強」になっているため、一部の作品が表示されていません。お探しの作品がない場合は、セーフサーチをOFFに変更してください。