島田裕巳のレビュー一覧
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[ 内容 ]
現代人にとって、宗教についての知識・教養は不可欠なものになりつつある。
そしてその本質に迫るには、宗教のもつスキャンダラスな側面を無視することはできない。
仏教伝来、大仏開眼、空海VS最澄、末法思想の広がり、信長の蛮行、お蔭参り、大本事件、天皇の人間宣言、踊る宗教、宗教の「お一人様化」…さまざまな意味で対立を引き起こしたもの、一般の宗教史ではあまり触れられないものを中心に、24の事件を現代と通じるかたちで取り上げながら、日本人と宗教の歴史をダイナミックに描く。
[ 目次 ]
新しくやって来た仏教とそれを迎え撃つ神道との対決
大仏開眼という国際的イベントと環境破壊
命をかけて海を渡ってきた鑑真は本望をとげたのか
空海と最澄との戦いはけっきょくどちらが勝利したのか
往生への異様な情熱が時代を席捲する
日蓮の真の敵は空海だった
蓮如がいなかったら親鸞は生き残ったか
茶道はドラッグとして輸入された
禅寺で中国語が使われていた深いわけ
日本を一挙に近代化した織田信長の蛮行
キリシタンは日本をキリスト教化する可能性を持っていたのか
人を神として祀ることは冒涜ではないのか
出開帳という新しいビジネス・モデルの登場
宗教バブルとしてのお蔭参り
廃仏毀釈に飲み込まれた大寺院
宗教的原理主義の先駆けとしての明治政府
天理教は天皇制に対抗したのか
熱病のように広がった聖霊降臨
徹底して弾圧された大本の真の野望は
宗教国家としての満州国と日蓮主義
天皇の人間宣言は何を意味したのか
踊る宗教と戦う宗教が戦後日本を変える
地球温暖化と戦う明治神宮
お一人様宗教の時代
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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島田裕己著「無宗教こそ日本人の宗教である」角川ONEテーマ21
*案外、無宗教ということばは落ち着きがよい。宗教を信じないと言い切ってしまうと、それは自分の信仰の有無にとどまらず、宗教そのものの価値を否定してしまっているようにおもわれるかもしれない。たが、無宗教ならば、それはあくまで自分だけに限定であって、宗教を信仰している人たちに対しては一定の敬意をはらっている。だからこそ、われわれは無宗教ということばを使うことにためらいを感じないのである。
*日本人は無宗教に誇りを感じているのではないか。9・11以降のことになるが、今日の世界情勢のなかで、宗教はグローバル化した経済とならんで、極めて重要で、かつ重大な問題になってきている。それぞれの宗教は、世界平和の実現を求めているとし、平和を実現するための活動を展開してはいるものの、むしろ宗教こそが世界に対立と混乱を生出す原因になっている面がある。ある特定の宗教を信じるということは、他の宗教や信仰を認めないことであり、排他性や排外主義に結びつく。ならば、特定に宗教を信じるよりも無宗教の方が価値あると無意識に感じ始めているのではないか?
*日本人が仏教とであった意味は計り知れないほど大きい。もし入ってこなかったら、日本には原始神道という素朴な信仰しか存在せず、高度で多様性をもつ宗教文化は形成されなかった。そして、最初は仏教の信仰や世界観が死の世界にまで入り込んでいなかった。死と仏教が結びついたのは浄土信仰が取り入れられた後である。今日の日本人が知っている仏教信仰が確立されるまでには、平安時代以降、密教(インドに土着宗教の影響をい受けながら成立した大乗仏教の思想的潮流で、加持祈祷などによって神秘的な儀式を営み、具体的な利益をもたらすことを目的とする:天台宗の最澄や、真言宗の空海な密教経典や法具などを日本に持ち込んだ)や、浄土教信仰(死後、はるか西方にあるとされる極楽浄土に生まれ変わるための信仰で念仏の実勢を伴う:浄土真宗の親鸞であり専修念仏の教えでは難解な仏教の教えではなく「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えればよかったため、庶民層にも広く受け入れられた)、さらには禅(水墨画や山水画、茶道などが形成され、「わび・さび」といった日本独自の美意識が形成された。現在の日本文化の形成には禅の影響なしには考えられない)などが取り入れられた。
*宗教は、教義に前に利害の対立が潜んでいる。イスラム教とキリスト教が対立状態に至ったのは十字軍である。十字軍はやぶれ、キリストが十字架に掛けられて聖地エルサレムで殺された。そこでは、協議の違いが問題になったのではなく、聖地が奪還の戦争であったが、領土拡大という侵略戦争の性格も持ち合わせていた。
*キリスト教とイスラム教の決定的な違いは、キリスト教ではキリストは人間と神の2つの性格を持ち合わせているのに対して、イスラム教では預言者ムハンマドはあくまで人間であった。キリスト教の母体となったユダヤ教にも認められない考え方である。イスラム教、キリスト教、ユダヤ教と信仰する神は同一でありその点では共通しているが、その神をどのようにとらえるかでは違いを見せている。そこに、2つの宗教が対立せざるを得ない根本的な原因がある。
*無宗教は社会に宗教的な対立を生まない。日本人が無宗教であることには大いなる意義がある。日本人が無宗教にたいして公言することに誇りを抱くようになったのも、信仰を強調し、特定の宗教に立脚するより、無宗教であるほうが、対立をうまず、平和をもたらす可能性があることが自覚されるようになった。
*仏教とキリスト教カトリックしか「出家」はない。日本の神道でもイスラム教でも、教団はそれほど重要性をもっていない。実質的には、神道の信者になる方法はない。ユダヤ教でも、ユダヤ人の家に生まれれば自動的にユダヤ教になるわけで入信のための特別な儀礼もない。ヒンドゥー教でも儒教でも道教でも共通だ。そうなると、日本人が無宗教であるのと同じ意味で、イスラム教もユダヤ教もヒンドゥー教も、いずれも実際には無宗教である。生まれながらに行っている活動は、外から見れば宗教活動に見えるが、内からみれば、単なる習慣にすぎない。それらを意識することはなく自分が特定の信者であるという意識も持つことはない。⇒信仰を意識するのは、そこに他の宗教を信仰する人間が現れたときである。イスラム教徒も十字軍などに脅かされなかったら格別イスラム教を宗教として意識することはなかっただろう。⇒そう考えると日本人の無宗教としての意識は決して特別なものではなくなってくる。⇒『世界中のベースが無宗教とも言える。』
*日本人が無宗教であることで、海外から異なる宗教を持つものがやってきても、対立や衝突がおこらない。無宗教の人々はかえって他の宗教を尊重する。とくに真摯に信仰を追及している人々を尊重して高く評価する。宗教によって他者を排除しないことで宗教の自由、信仰の自由が確保されている。
*我々が本当の自由を確保していくためには、特定の宗教を信仰し、それ以外を認めなくなるのではなく、無宗教の立場にたって、あらゆる宗教を排除しない方向に踏み出していくことも大切なのかもしれない。 -
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あなたはどの宗教を信じていますか?
この質問に約7割の日本人は「信じていない」と答える。つまり7割が無宗教と言うことである。
無宗教を語るのは、以前は自嘲的の理由だったが、現在は誇りと思うべきだと著者は言っている。
何故か?一つの宗教に固執・信仰することは排他的になり、しばしば対立や抗争を生み出す要因になる。
しかし無宗教の場合には、自己の信仰自体を曖昧にしており、宗教によって自己と他者を区別しない。
つまり、無宗教は様々な宗教を尊重し、極論だが世界を平和に導くのである。
まぁ無宗教も一貫性が無い、まとまりが無くなるなど悪い点はあると思うけど、良い面・悪い面双方から見ると僕は良いかなって思う。 -
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確固たる信仰を確立できていないことへのコンプレックス。複数の宗教と無節操に関わりを持つが故に日本人は無宗教。ある特定の宗教を信じるということは、他の宗教や信仰を認めないことであり、排他性に結びつく。神仏習合ー土着の神道と外来の仏教が交わったことで生まれた日本に独特な信仰本地垂迹ー日本の神々は実は仏教の諸仏が化身してものだという信仰平安時代に入って、まず密教、その次に浄土教信仰、鎌倉時代に入って、禅が流行。密教の宗法の実践は、国家鎮護や病の治癒、願望の成就などに効果を発揮。密教は、現世における救済、浄土教信仰は来世における救済を目的とし、使者を仏と呼ぶ。禅により、わび、さびといった日本独自の美意識が形成。稲作、祖先崇拝、先祖供養の観念が神仏習合を進めた。日本人はいわば名前のない神一般に祈っている。グローバル化とともに宗教の力はより強くなる。宗教が社会と対立するのは、教義的な問題よりも、経済的な問題が大きい。仏教とキリスト教カトリックにしかない出家キリスト教ー洗礼、仏教ー得度 罪 煩悩イスラム教のあり方は神道に近い。聖職者としての僧侶の地位が確立されないことで、仏教は権力との結びつきを失った。原理主義は、社会に大きな問題が生じ、現行の社会体制が危機的な事態に陥り、閉塞感が強まったにもかかわらず、政策の変更や社会改良運動では問題が解決しないときに、その状況を一気に解決するための方向性として打ち出される。日本人は宗教にいい加減ではない。宗教が世界平和を阻害している。無宗教は社会に宗教的対立を生まない。
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んー。
日本人の系統を、
- 公務員・教員系
- サラリーマン系
- 自営業・自由業系
の3通りに分けて説明する、
というご本です。
この分類、結構的を射ていて、自分の育った環境を
自分も、そして周りの人も良く踏襲していることが
分かります・・・。
ちなみに、この本にのっていないこととして、
私の実感は、
それぞれの系統は特に若いうちは、自分の持っていない
系統の特性にあこがれて、それになりたいって
思ってしまうって傾向が意外と強いって事かな。
結局最後は自分の出自に戻るわけだけど・・・。
ステレオタイプで、ざっくりしすぎの議論展開では
あるけれど、これはこれでわかりやすいと思います。
※ちなみに、"日本教"ってワードをこの本で使うのは、
ちょっと違う気がします・・・。
売れる名前をつけたんでしょう・・・。
ユダヤ人と日本人を読んだ身としてはね・・・。 -
Posted by ブクログ
●無宗教と公言する日本人が、実は宗教に対して強い関心を持ち、ある意味熱心に宗教活動、信仰活動を実践している、、、56
●現代の日本人は、結婚式を神道で行い、葬式は仏教で行うことを、いいかげんで無節操なことだと、自嘲的に語る傾向がある。 しかし、そうした慣習の背景には、神仏宿合という、長い歴史を経て形成されてきた信仰のあり方がある。決してそれは、いいかげんなものでも無節操なものでもない。それは、日本人なりに、日常の生活に合う形で、独自に形を作ってきた信仰のあり方であり、卑下する必要は全く無いのである。76
●自分たちの宗教は何かと問われたとき無宗教と答えるしかないと感じながらも、無宗教だと公言することに、ためらいを覚え、時にはコンプレックスさえ感じてきた。 無宗教のいいかげんさを示す事として、良く引き合いに出されるのが、日本人の神道、仏教、キリスト教とのかかわり方である。 決して無原則にやっているわけではない。 一定の原則があり、異なる宗教のあいだでの役割分担が存在している。
★海外に行ったとき、よく宗教について聞かれた。なんと答えていいのか、答えに窮した。その時の事を、思い返しても、なるほど、自分でこんな感じで宗教を感じていたのかなと思う。基本無宗教といいながら、判ってもらえないので、その場しのぎで、仏教を言っていた。外人は宗教になると熱くなるからメンドクサイんだよね。
ただ、無宗教の自分の現況を理解しても、この内容を外人にどう説明したらいいのだろうか。判ってもらえないだろうな。。。 -
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日本人の宗教、あるいは宗教性について「無宗教」という言葉でアプローチをはかった一冊。
一つの宗教だけを守ろうとしない無節操さ
宗教コンプレックス(劣等感):日本人は宗教を大切なものと考えながら、今の自分たちが、宗教に真摯な態度で臨んでいないことを嘆かわしく思っている。
⇒自嘲的に「無宗教」
ある特定の宗教を信じるということは、他の宗教や信仰を認めないことであり、排他性や排外主義に結びついていくと考え、特定の宗教を信奉するよりも、無宗教であることに価値を見出す。
⇒強い誇りを持って「無宗教」
「日本人が無に求めてきたのは、私という小さな存在の限界を超えることである。もっと広い世界、もっと豊かな世界に出ていくことをなんとか可能にしようということのはずである。限界を設けないことで、本当の自由を得ていく。そうした可能性があるからこそ、日本人は無ということに強い魅力を感じてきたのである。」
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Posted by ブクログ
1998年4月27日にカルロス・カスタネダはカリフオルニア州ウエストウッドの自宅で肝臓ガンのため死去したという。彼が世に紹介されたのは1968年・UCLAで人類学を学ぶ学生だった時のドクター論文だそうだ。
小生が彼の著作を読んだのは、先に記したチベットのモーツアルトでの紹介からで、1984年だった。「ドンフアンの教え」カスタネダの最初の著作がアメリカで刊行された16年後の事になる。1968年は原子力空母・エンタープライズ寄航問題・東大闘争・三億円事件・・などの年だ。
60〜70年代の「ニューエイジ運動」のゴットファーザと称されたカルロス・カスタネダの著作シリーズと真木悠介氏の「気流の鳴る音」細川廣次氏の「知者になる道」、島田裕巳氏の「カルロス・カスタネダ」や中沢新一氏の著作等と併せ読み「ドンフアンの教え」シリーズから教養体験としてものの見方他、多くを学んだ気がする。
それは2006年の今日でも近未来の困難さ、不透明さ、混沌の様相を増しつつある?この世界の解釈に充分有効な気がします。
8年前にカスタネダが死去し、ドンフアンの教えが刊行されてから、今年06年は34年になる。ベトナム戦争でアメリカが建国以来はじめての敗戦による終戦を迎え、反戦運動を軸にヒッピーや帰国、退役した若者たちの既存秩序に対する反抗、カウンターカルチャーの新しい文化運動、あの時代、確かに高度に発展した市場主義・資本主義文化に対し、ベトナム反戦・・を象徴に世界中の若者が新しい何かを生み出そうとしていた。ピーターフォンダの映画・「イージーライダー」やジョーンバエズのフォークソングはそのポピュラーな象徴
として、日本の若者文化にも大きく影響を与えた。カスタネダは日本ではポピュラーな象徴ではなかったが、アメリカの若者達のかなりの階層には、反抗文化のシンボルだったのだ。
全米で西海岸で、70年代、その影響下で、団塊を軸とする日米の若者達は、家庭を持ち、高度成長を駆け抜けた。カルロスを知らなくても、私達もそのひとりだった筈だ。
<続きは以下>
amato-study.comに書評あります。
カスタネダの他の著作と併せて、アマトのお勧め本です。 -
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富岡八幡宮で起きた、元宮司と現?宮司の血生臭い後継者争いというよりは、単純にお金の絡んだ権力争いを枕に、神社の世界を教えてくれる。
すべての神社は伊勢神宮を祖とするに、以前から引っかかっていたが、どれもこれも本当はどうかなんてことは、歴史として伝わったこと、つまりは権力者の意見でしかないと、今更ながら認識する。
お金の取り巻く神社世界、読んでいるだけでそんな神やったらいらんと一蹴してしまいそう。読んでいて、面白いが、行って拝礼する気は一層失せた(笑)
余談だが、神道は宗教ではないとの意見もあり、驚いた。崇拝すれば信仰と思っていた。経典・教義があって宗教たリえる? 組織のない宗教はあるが。
納得できるようなできないような。結論はでない。また、考えてみよう。 -
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宗教による対立は多数派vs少数派や独立などにより少数派に転じる際に強く起きるらしい。
以下掻い摘んだメモ。
・キリストの誕生日は聖書には季節含め記載が無い。ローマ帝国で拡大される中、ライバルとなるミトラス教が12/25を太陽を崇拝する日と定めており、これに対抗するため「正義の太陽」であるキリストが誕生した日と定めたことがクリスマスの発祥。
このように世界宗教が民族宗教を駆逐していく中で相手の要素を取り込んで変容することがあった。
・十字軍遠征時ではキリストよりイスラムの方が文明が進んでいた(ギリシア文明を切り捨てたか受け入れたかの差)ため、これを機にルネサンスなどが興った。ここからイスラムとキリストの対立が始まった。
・プロテスタントはカトリック協会のやり方が腐敗していたとはいうがサン・ピエトロ大聖堂など大規模な建築に罪が贖われることに対する期待は大きかった。期待に応えるため、資金調達は当時欠かせない課題だった。一概に腐敗堕落していたとは言えない。
・フランスのプロテスタントはユグノーと言う。何度も迫害され、争ったが今日ではフランスには1~2%しかプロテスタントはいない。
・ジハードという言葉には聖、神聖という意味はない。イスラム教はキリスト教や仏教と違って聖なる世界と俗なる世界を区別しない。
・大日本帝国憲法を作るためヨーロッパを視察した伊藤博文らは、キリスト教の役割に注目。日本にこれに当たるものはなかったため、皇室の神聖性を強調した。
・イスラム教地域はキリスト教地域より進んでいたが十字軍によりギリシア文明等を手に入れ、ルネサンス等が起こり、高度な文明を築きあげる。その後拮抗するが産業革命によりキリスト教地域の優位性が築かれる。それにより、イスラム教地域の植民地化が進み、社会的に不利な立場に追い込まれる。それを打破するためにサラフィージハード主義が強く唱えられ、過激派はジハードと称してテロ行為に及ぶようになる。
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Posted by ブクログ
日本の政界に蔓延る最大の宗教団体の事績が淡々と一応中立的に綴られる。
日蓮の教義をテーラリングし、カリスマを仕立て、団結を煽っていたが今後は緩やかな衰退と思われる。
個人的には仏法は戦いだ!等、会長さまの名言集が微笑ましい。自称リベラルな人は本当に独善的だなと思う。
もともとは日蓮が政治について語っていたため、日蓮系の宗教は政治色が強いのだなとか、やっぱ公明党は当初の目論見が創価学会による神権政治だったのだなとか、やっぱり創価と色々納得。
個人的には未顧客開拓の一環で、日本侵略中のムスリム達に折伏大行進をしてみてほしい。成功したら少しは日本社会から感謝されるかも。 -
Posted by ブクログ
日本の新宗教
神道系でも仏教系でも、開祖を神と位置付ける。
神格化した個人崇拝の形態。
個人崇拝に集金システムと等級評価システムをくっつける。
でっちあげ神話、演出した奇跡。
そして、現実のお困りごとや社会的孤立を包摂すると見せかけて社会や既存の共同体から隔絶する。
だいたい、新宗教はこの材料でできてるのかと認識した。
色々いるけど日蓮系はロックで行動派。折伏大行進しかり。
法難に酔うと認知が歪んで変なことになるのかも。
また、そもそもトンチキな教えにハマる人がいる事実、教育の敗北によるのか、耐え難い苦境のせいで転がり込んでしまうのか。
少なくとも、日本のマクロ経済政策は緊縮一辺倒で国民を富ませず。
今よりもっと一人ひとりが貧しかった時代においては、拠り所を宗教共同体に求められていたが、いまは推しかつが大体してる部分もあるやに見受けられる。
ただ、この本が出た時にはまだ、日本にイスラム教徒が集住して問題を起こしてる未来は想像できなかったのだろう。
新宗教は怖いが、いまはむしろムスリムの物理的なジハードや文化的侵略、異文化強制の政治が日本の問題と感じる。
なお、著者の国家間は左寄りなのか、余計な皇統論が散見される点に注意。