島田裕巳のレビュー一覧
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■現実には親捨てに近いことは行われている。それが「世帯分離」。
・親と子供が同居していても,それぞれの世帯に分けること
・主に介護費用や保険料を節約するために行われる一種の「裏ワザ」
・介護サービスなどを受けている場合に負担する額が大幅に減る
■年を取れば人に迷惑を掛けないでは生きられなくなる。その点で「子供には迷惑を掛けたくない」という言葉は単なるスローガンであり,きれいごとに過ぎない。そして,かえって子供の生き方を縛る。人には迷惑を掛けないと教えられたことが子供にとっては最も重大な迷惑になる。
■「生涯未婚率」は「50歳未婚率」とも言われるように50歳になるまで一度も結婚したことがない人間の割合を示したもの。
・50歳時点で結婚していない人間の割合ということではない
・1960年時点で男性1.3%,女性1.9%
・1970年時点で男性1.7%,女性3.3%
・1980年時点で男性2.6%,女性4.4%
・1990年時点で男性5.6%,女性4.3%
・2000年時点で男性12.6%,女性5.8%
・2010年時点で男性20.1%,女性10.6%(30~34歳未婚率は男性47.3%,女性34.5%)
■世界的には安楽死という選択肢を認める傾向にある。
・消極的安楽死(延命治療の中止)と積極的安楽死(致死薬投与)に区別
・オランダでは若い人間でも本人の意思が固まっていれば安楽死は可能であり病気とは関係なく「死にたい」と思えば死なせてくれる
・国別自殺率は日本は170か国中17位で,安楽死を認めているオランダは87位
■子供の教育に力を注ぐのは他に子供に対してやれることがないから。
■一時テレビに霊能者が登場し,先祖の祟りと供養の大切さを強調するようなことがあったが今ではそんな人物がテレビに登場することはなくなった。家が永続性を失い脆いものになったことで先祖という存在自体が消滅して「先祖の祟り」という脅し文句にリアリティを感じられなくなった。
■家や家族の関係が脆いものである以上,人は一人で生きていき,一人で死んでいくしかない。子供に介護を期待すること自体がそうした状況からすればあり得ないことであり,子供はそんな義務を果たす必要はないし,親はそれを期待できないと覚悟すべき。
■「自立できないものは生きられない」というのが生物界の根本的なルールであり,人間も例外ではない。 -
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著者の島田裕巳は、一般向けの書籍も多数発表している宗教学者。
本書は、日本の神の性格、皇祖神、神仏習合、人を神に祀ること、神仏分離など、日本人にとっての「神」を、「神道」の歴史から網羅的に考察したもの。特に、最後段に示される、日本人(皇室を含め)の神とのかかわり方が明治に入った時点で根本的な変化を被ったという点は、その後の日本現代史に少なからぬ影響を与えたに違いなく、改めて注目すべきものとも言える。
主な内容は以下。
◆日本の神は、遍在している一神教の神とは異なり、特定の場所にしか祀られることがない。古代の日本人は、特定の山や岩や石を神に出会うのに相応しい神聖な場所としたが、そこには元来社殿などは作られていなかったと考えられる。奈良の大神神社(三輪神社)は、現在も、三輪山を御神体とし、本殿は存在しない。
◆皇祖神の「天照大神」は、元来は倭大国魂神と共に宮中に祀られていたが、様々な禍の原因とされたため、宮廷から遠く離れた伊勢神宮に祀られることになった。天皇の伊勢参拝が明治以前に殆ど行われなかったのは、天照大神の放つ禍々しい力を怖れ、そこから距離をおこうとしてきたためと考えられる。
◆現在日本で最も多い八幡神社に祀られる「八幡神」は『古事記』や『日本書紀』に登場しない渡来神であったと考えられ、もともと大分の宇佐神宮に祀られていたが、応神天皇の霊とされると共に、奈良の大仏建立を守護する神とされ、更に京都の石清水八幡宮に勧請されたことにより、伊勢神宮に次ぐ皇祖神としての信仰を集めるようになった。また、東大寺を守護する役割も果たすようになり、「八幡大菩薩」として神仏習合の象徴的存在となった。更に、源氏、足利氏、徳川氏が氏神としたことで、武神として武士の崇敬を集めることにもなった。
◆中世においては神仏習合が基本で、仏教の仏が日本に現れたものが神であると考えられた(本地垂迹説)。天照大神の本地仏は大日如来、八幡神の本地仏は阿弥陀如来とされた。また、中世において別格とされた神は、伊勢、八幡、春日の三つであるが、それは朝廷(伊勢)、公家(貴族で最も権力のあった藤原氏は春日神を祀った)、武家(八幡)という日本的三位一体構造を表すものであった。
◆古代の神の多くは、朝廷や豪族、氏族などの集団を守護する存在として祀られてきたが、平安時代には、菅原道真がその怨霊を鎮めるために天神と習合して祀られ、神の祀り方が変化した。更に近世には、既存の神と習合することなく人が神として祀られるようになり、豊国大明神(豊臣秀吉)や日光東照宮(徳川家康)が造られた。
◆中世以来の神仏習合は、祭礼は神道、葬儀や法要は仏教と両者が棲み分けることにより定着化していたが、幕末期からは神仏分離が推し進められた。皇祖神である天照大神と天皇の系譜上の結びつきが強調され、天皇は自らの祖先としての神を祀る祭司、即ち神主の役割を果たすことになり、伊勢行幸も復活した。こうして神道は仏教を含む他の宗教と区別され、神社信仰が国民道徳として強制されるようになっていったが、これは、明治政府が国民全体を精神的に統合するために、積極的に神への信仰を利用した面が強い。
“多神教・八百万の神々”と言われる“日本人の神”の世界を詳しく把握するために有意義な一冊である。
(2016年6月了) -
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ネタバレ好著です。
「資本主義の終焉と歴史の危機」という本で我々が当たり前、と思っている資本主義は(特に日本で)すでに終焉し、次のパラダイムを探している、という指摘がされました。
それを全く別の角度、「宗教」という切り口で見ると新しい世界感が浮かび上がります。
宗教的には日本は無神論者が多く、多神教ということもあり他の国とは違う、という分析がされてきました。しかし…日本を含め各国「共通に」、
『経済成長期に宗教(特に新宗教、キリスト教に置ける福音主義など)は勢いを伸ばす」
「低成長期に入ると宗教は停滞・衰退していく」
と主張します。
日本において神は神社にいる。神と日常的に接点を持とうとするとミニ神社である神棚をおいて手を合わせるしかない。
それに対してキリスト教、イスラム教の神は常に人と在る。したがって、経済理論にも「みえざる神の手」などの存在を仮定する。
最後、あまり掘り下げられないで終わった論点ですが、(資本主義は終わったとは言え)資本主義には人が必要であり、宗教が存在する余地が生まれる。これがロボット化がすすみ経済に人が必要なくなった時、宗教もなくなるのか。
日本の高度成長期、地方から都市部にでてきた人々をうけいれ、ふれあいの場を提供し、愚痴や相談できる環境を提供したのが創価学会をはじめとする新宗教だった。いまではその役割を終え、各団体とも老齢化が進んでいるという分析はなるほど、と思いました。
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葬式の是非についての記載に留まらず、日本を中心とした仏教史を古代から現代に至るまで、分かり易くかつ葬儀を民俗学、宗教学といった側面から、日本人の死生感と信教の関わりを紐解いた素晴らしい書籍。自分にとって葬式とはどの様な意味を持つのか?そもそも、本当に葬式が必用なのか?戒名の習慣と戒名料の疑問等、読み進むうちにお寺と権力者の繋がり、近代から今日までの庶民の見栄と欺瞞が見え隠れする。そもそも、私を含め一般の日本人の大半は、宗教に無関心であるのに、他国と比べ逸脱して葬式にお金を掛け贅沢に行うのか?こういった点からも疑問を持つべきだと思う。また、お坊さんの殆どが本来の仏教の戒律を破戒し、結婚や飲酒その他もろもろで出家も形だけでしかない。公務員で兼業の人もいる。なのに、出家の証の戒名を授ける。それもランク付けがあり、お金で高いランクが買える。それは何故か… 本文を読めばよく分かります。習慣に惑わされず、一つづつ検証し物事を選択する事の重要性を教えられた。☆5を軽く超えてる。
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■ジハードはイスラームを驚かす異教徒に対する戦いであり,ムスリムの義務とされる。
■ワッハーブ派の創始者であるムハンマド・イブン・アブドルワッハーブは,イブン・タイミーヤから大きな影響を受けた
■一般にイスラーム原理主義とみなされるサラフィー・ジハード主義は,イブン・タイミーヤから始まったといっても間違いはない。
■サラフィー主義とはクルアーンとハディースに基づいた初期イスラームの時代への回帰を目指す立場。
■スンナ派はハナフィー派,マーリキー派,シャーフィイー派,ハンバリー派の四つの法学派に分かれるが,サラフィー主義はこうした法学派が生まれる以前のイスラーム世界を理想視する。
■田中智学が唱えた「八紘一宇」は法華経に対する信仰を中心として世界を統一するという遠大な理想 -
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神道の神社を系統ごとに説明した一冊。様々な種類があることについて疑問を持ち始めたら、その解決にはうってつけな内容。
メインで紹介されているのが、国内に多いものを中心に、小見出し順に、八幡、天神、稲荷、伊勢、出雲、春日、熊野、祇園、諏訪、白山、住吉。しかし、白山の項にて日吉、浅間、日光など一連の山岳関係信仰が、住吉の中に宗像、恵比須、金比羅など海神系が含まれるなど、小見出しよりも豊富な内容になっている。
一冊の新書にしては内容が豊富であるため、事実の列挙のような書かれ方になっているようなきらいがある。
稲荷、春日、祇園など、普通はその縁起は触れることはないのではないか。義務教育の中でようやく天神信仰の単著がわかるのではないかと思う。高校の日本史のレベルでも上っ面な理解すら難しいと思う。好事家の世界か。
読むにつけて、地主神、渡来神、神仏の習合が激しいことがよく分かる。古い神社ほど式年遷宮が残っているとか。江戸間で神仏習合があったからこそ栄えた信仰が多かったとか、逆に明治以降は神仏分離により、居心地の悪そうな整理をされた寺社が多かったように思う。春日、熊野、祇園とかは典型的なように思う。
著者の他の著作も読みたくなってきた。日本仏教版と思える「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」とか、神仏習合系と思える「神も仏も大好きな日本人」とかね。 -
Posted by ブクログ
ネタバレチェック項目8箇所。東洋の宗教では、世間のなかで出世してお金を儲けるのではなく、欲望を抱かず満足して生きる「小欲知足」という考え方があったらしい、プア充は、その「小欲知足」の思想を、現代の日本に適した形にアレンジしたもの、収入が低いからこそ、豊かに安定した生活ができて、楽しく幸せに生きられるという考え方なんだ。この本を読みながら、ちょっと立ち止まって一緒に考えよう、今の生活を続けた未来に、何が待っているのか、定年後、死ぬまでの間、仕事なしで何を楽しみに生きていくのか。「会社というのは、株主に利益をもたらすためにあるものだから、株式会社である限りは、成長という使命からは永遠に逃れられないだろう、大きな会社であればあるほど資本も大きいわけだから、プレッシャーも大きいだろうね、みんな、そのプレッシャーにずいぶんと振り回されているわけだ」。「会社の成長使命に、君たち個人が振り回される必要はないんだ。『成長しなければならない』『稼がないといけない』現代社会が作りだしているそんな幻想に、みんな不安をあおられているだけなんだよ」。「余裕がなさすぎて時間の管理ができず、間に合わせるためにタクシーに乗るなんてのも、無駄遣いだな。時間をお金で買うという賢い利用方法もあるからな。だが、時間と心の余裕がないための支出は、無駄な支出といえるだろうな」。「日本は海外に比べて犯罪も少ないし、どこのお店に行ってもサービスのレベルが高く、店員も親切だ。平和な国だから、国民も温和で他人に優しい。極端な話、日本ではホームレスになっても生きていける。社会全体が豊かだから、たいしたお金がなくても生きていける国なんだよ。こんなに生きやすい国はなかなかないだろうね」。「仕事にやりがいを求める生き方も、もちろんあるだろう。だが、そういう人はベンチャー企業や大手の忙しい会社に行けばいいんだ。仕事にやりがいを見出さなくても、世の中に楽しいことはたくさんある。『仕事は、一日の3分の1の時間を費やすんだから、そこにやりがいを見出さないと人生はつまらなくなる』なんてのは思い込みだ」。「世界の宗教の半分は禁欲を基本としている。禁欲しているからこそ、たまに行われるハレの日の行事が、楽しいんだよ。禁欲からの解放だな」、「『待つ』ことは、人間にとって実は意外と大事なことなんだよ。お祭りだって、毎日あったら特別でもなんでもないだろう?」
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