島田裕巳のレビュー一覧
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神聖とされた磐座(いわくら)から山のような巨大なものが祭壇になり、社殿が建てられることで神職の立場を守るとともに神を閉じ込めた。逆に磐座は開かれたものとなった
社殿がない時代は沖ノ島で天照大神と須佐之男による誓約(うけい)が再現されていた
八幡宮は当初は渡来人が祀っていたが、15代天皇応神天皇を祀るようになった。その後に源家が氏神として祀ることで武士の神となった
仏教は解脱は可能だが、祟りを収めることができない主教であったため、菅原道真(雪冤の神)などの祟は神道で収めている。また、徳川家康などの特の高い人物や靖国の英雄なども神道で祀っていた。靖国神社は現在は政教分離の影響から浸透ではなくなった
天理教は中山みきの神憑かれによって始まった
昔の参拝は地面に頭をつけてしていた。浸透の場合は参拝中に特定の神を考えることがない
大化の改新以前に国造として任命さてていた出雲国造は、現人神として存在している
伊勢神宮は天照大神を祀っているが、祟を起こすほど強大な力のため天皇に参拝されていなかった
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増補版ということなので、基本的に既刊に加筆されたもの。最初の方だけが新たな文章なのはわかっていたが少し残念。批判でも礼賛でもなく、組織や歴代会長を分析しており、そういう意味では古さはあまり感じない。日蓮正宗とはもともと相互関係があったが寄進による【堕落】と資金を自分たちに使いたいという思惑から、檀家から離れて葬儀をできなくなるデメリットをおして決別した経緯が理解できた。一つの見方かもしれないが。
文化会館が多数建設されてるのも、以前の大石寺への寄進がなくなったことを考えたら納得。
会長とは著者は会ったことはないそうだが、色々な角度から人物像に迫られており興味深く読むことができた。
最後に戦後社会の戯画と総括、日本の高度成長期に都市部に流入したインテリではない庶民が、学生運動と同じような熱狂の中で拡大してきたものとした。
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お布施や戒名料も献金のひとつ。実は身近で献金をしているのでは?
一神教の世界では「利子の禁止」が大きな問題となってきた。旧約聖書では、神は同胞から利子を取ってはならないと命じているから。その命令がとても重要なことになった。商品経済が発展し、貿易が盛んになっていくと、多額の資金が必要になり、徴利の是非が問題として浮上するようになる。キリスト教はユダヤ教にはない原罪の教えがあり、その罪を賄うために教会に通った。原罪がなければ、賄罪の必要もない。利子が禁止されているとはいえ、経済活動が活発になれば、どうしてもそうした神の意識に従っているわけにはいかなくなる。そのため、キリスト教では神学が鍛えられ、利子を合法化する理論を構築していったため、経済学が発展した一因といえる。利子の禁止はイスラム教も同じだが、法学が重視されたのでそこまで発展しなかった。キリスト教における利子禁止の戒律が神学を鍛え上げ、その結果経済学を生み出すことになった。
近代以降、宗教に土地が寄進されることはなくなっていく。経済基盤を失った宗教は、信者からの献金に頼らざるを得なくなる。信者にとってはどれだけ献金したかが教団に貢献した証となり、教団側は、莫大な献金で巨大建造物をつくるようになる。巨大建造物ができれば、信者はそれを歓迎する。自分たちの信仰が目に見える形を取ったことで自信になる。
キリスト教がもっとも大事な概念(利子)を突き詰めていって前途が開けた。イスラム教は場当たり的な対応で凌いできた。現実と戦うのが学問であると理解できる。 -
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法外な戒名料にお布施。
日本の葬式費用は優に
諸外国の十倍以上。
これを異常値と言わず
に何と言うのでしょう。
当事者たる日本人にも
葬式仏教を疑問に思う
人は少なくありません。
かく言う私もその一人
・・・
だった、というべきか
本書を読んで目から鱗。
多くの寺院は葬式以外
に収入源がない実情。
現代のこの状況を考え
れば葬式仏教化は必然。
そして住職は毎日本尊
の前で、
檀家の故人たちの冥福
を祈り読経しています。
そう、私たちは檀那寺
に対し御先祖様の供養
を委託しているのです。
私たちにはその自覚が
足りません。
足りないが故に高額の
戒名料やお布施に不満
を感じ批判する。
本当にそれでいいのか。
故人を偲ぶこと二の次。
世間体という見栄欲に
振り回され金額の多寡
にこだわる。
そんな葬式は要らない。
たしかにそう思います。 -
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神道とはいったいなんなのだろうか、その謎に挑むのが本書である
・いったいいつ生まれたのか
・だれが始めたのか
・そもそも教義などはない、
・そして、聖典なるものもない、それに代わるものとは、古事記や日本書紀に記された神話である。
現在、その問いに応えることができるものはいない。
歴史に見え隠れする、神道とは、本当に宗教なのであろうか。
気になったことは以下です。
仏教伝来は6世紀とされる、されば、それまでに神道はすでに成立していたのか
仏教と神道は融合して、神仏習合となった。儒教や道教も日本に伝わったが、独立した体系としては日本に定着することはなかったが、仏教や神道に影響を与えた。
もともと日本にあった神道を、惟神(かんながら)といい、古道などともいう。
日本の神を定義したのは、江戸の国学者、本居宣長であった。漢意(からごころ)を排することで本来の日本人の精神性を取り戻すことができると説く。
神道とは、非常にゆるい宗教である。神をまつる自由が確保されている。
宣長はさらに言う、人、鳥獣、草木、海山などであっても、優れた徳のあるものは、全て神である。
禍つ神、神は悪をもたらすもの、天照大神も悪をもたらす神であったからこそ、都から遠ざけれた、伊勢に遠ざけられた。
神道には、祈りの言葉はない、神にまいるときは、何もいわず、何も考えないで、手を打ち、頭を下げる
神の本性、ご神体は、岩であったが、山となり、その山を代表する宮が作られて、神社へと変遷していく。もともと神社には社がなかった。
玄界灘に浮かぶ、沖ノ島、そこで、古代から、秘密の祭祀が行われてきたことはまぎれもないことである、が、その内容は今日まで伝わっていない。
沖ノ島に命がけで島に到達して祭祀をしてもどる、命を賭してまで行ったものは何か、それはわからない
魏志倭人伝の卑弥呼、神がかり、の巫女。神の言葉を継ぐのは、シャーマンであり、それは、ユダヤ教などにもあった。
宇治上神社が、なぜ、世界遺産なのか、それは、本殿が最古の神社建築であるから。
厳島神社の由来は、推古元年、今の形になったのは、平家が氏神となってから。
登呂遺跡にのこされた高床式の建物、それは、伊勢神宮の正殿をもとにしたものであることは明らかであるといっている。
目次
はじめに
第1章 神とは何か
第2章 祭祀に現れる神
第3章 神はいつから神社に鎮座しているのか
第4章 神宮の式年遷宮はいつはじまったのか
第5章 出雲大社の生き神・国造
第6章 神道と仏教の戦い
第7章 社殿のない神社
あとがき
ISBN:9784480074867
出版社:筑摩書房
判型:新書
ページ数:240ページ
定価:860円(本体)
発売日:2022年06月10日
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