あらすじ
宗教の本質に迫る
――安倍元首相銃撃事件でクローズアップされた、宗教と金の問題。
宗教にはなぜ金が集まるのか。歴史を辿り、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教を比較しながら、
明らかにしていく。たとえば、キリスト教では清貧を掲げ、
それを実践する場である修道院や教会に金や土地が集まり、堕落した。
そのことに反発して新たに生まれた修道院も、やがて同じ道を歩む。こうしたことが繰り返されてきた。
いっぽうで、キリスト教における利子禁止の戒律は神学を鍛え、経済学の誕生を促したと著者は言う。
宗教と金の問題を考察するなかで宗教、そして人間の本質に迫る!
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Posted by ブクログ
お布施や戒名料も献金のひとつ。実は身近で献金をしているのでは?
一神教の世界では「利子の禁止」が大きな問題となってきた。旧約聖書では、神は同胞から利子を取ってはならないと命じているから。その命令がとても重要なことになった。商品経済が発展し、貿易が盛んになっていくと、多額の資金が必要になり、徴利の是非が問題として浮上するようになる。キリスト教はユダヤ教にはない原罪の教えがあり、その罪を賄うために教会に通った。原罪がなければ、賄罪の必要もない。利子が禁止されているとはいえ、経済活動が活発になれば、どうしてもそうした神の意識に従っているわけにはいかなくなる。そのため、キリスト教では神学が鍛えられ、利子を合法化する理論を構築していったため、経済学が発展した一因といえる。利子の禁止はイスラム教も同じだが、法学が重視されたのでそこまで発展しなかった。キリスト教における利子禁止の戒律が神学を鍛え上げ、その結果経済学を生み出すことになった。
近代以降、宗教に土地が寄進されることはなくなっていく。経済基盤を失った宗教は、信者からの献金に頼らざるを得なくなる。信者にとってはどれだけ献金したかが教団に貢献した証となり、教団側は、莫大な献金で巨大建造物をつくるようになる。巨大建造物ができれば、信者はそれを歓迎する。自分たちの信仰が目に見える形を取ったことで自信になる。
キリスト教がもっとも大事な概念(利子)を突き詰めていって前途が開けた。イスラム教は場当たり的な対応で凌いできた。現実と戦うのが学問であると理解できる。