あらすじ
ローマ帝国やオスマン帝国、中華帝国やモンゴル帝国にいたるまで、世界の歴史は帝国興亡の軌跡に他ならない。そしてそれは東西の宗教が歩んできた道のりとも重なっている。帝国は領土拡大のため宗教を利用し、宗教は信者獲得のため帝国を利用してきた。「帝国と宗教」という視点から世界史を捉え直す、歴史ファン必読の一冊!
【本書の内容】
第1章 帝国と宗教はどう結びつくのか
第2章 なぜローマ帝国はキリスト教を国教にしたのか
第3章 中華帝国は宗教によって統合されていたのか
第4章 イスラムとモンゴルという二つの帝国
第5章 二つの帝都-ローマとコンスタンティノープル
第6章 オスマン帝国とムガル帝国
第7章 海の帝国から帝国主義へ
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
ローマ帝国やオスマン帝国といった多くの帝国と宗教の関係性を縦断的に読めるのが楽しい。中華帝国やモンゴル帝国の特殊性が垣間見えるのも面白い。仏教って帝国の宗教になったことないんだ……。気が付かなかった。
Posted by ブクログ
島田裕巳氏は、1953年東京都生まれの宗教学者・作家。東大文学部宗教学宗教史学専修課程卒、同大学院人文科学研究科修士課程修了、同博士課程満期退学。柳川啓一氏に師事し、通過儀礼の視点から宗教現象を研究。ヤマギシ会への参加経験を通じて宗教の実践と理想を体験的に探究した。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東大先端科学技術研究センター特任研究員などを歴任。ベストセラーとなった『葬式は、要らない』ほか、宗教史から現代宗教、死生観まで多岐にわたる一般向け著書多数。
本書は、世界の歴史の中で、帝国と宗教がお互いに利用し、利用されてきたさまを考察したもので、2023年に出版された。
概要及び(私にとっての)気付きを挙げると以下である。
◆帝国とは、複数の国家を同時に支配する状態の国を指し、通常、その中には多様な民族と宗教が混じり合っている。よって、一般的には、帝国はその領土拡大と経済発展のために宗教を利用し、また宗教は新たな信者を獲得するために帝国を利用した。
◆ローマ帝国では、帝政以前に共和制が存在したことから、皇帝の位が世襲で受け継がれることがなく、故に、何らかの方法で自らの正統性を示す必要があった。ユダヤ教から生まれたキリスト教は、割礼に代わって洗礼を取り入れるなど、「法の宗教」から離脱を進め、多くの信者を生み出すようになった。そうした中、人間界を超越し、世界を創造した存在とされるキリスト教の神を信仰することが、帝国の安定的な支配につながると考えられた。
◆中国固有の国家観は「中華思想・華夷思想」にあり、「夷」を文明化することが自らの責務と考える。儒教は、宗教というよりも政治思想であり、為政者の交代を「易姓革命」で説明した。また、儒者はあくまでも学者であり、キリスト教の教会のような教団は組織しなかった。紀元1世紀頃に伝わった仏教は、大乗仏教に変貌しており、儒教よりも道教と対立したが、以後、儒教が為政者の政治道徳を示し、仏教が国家の鎮護を担う体制ができた。浄土信仰に基づく白蓮教による乱が元の滅亡に繋がり、キリスト教を基盤とした太平天国の乱が清の打倒に繋がったことは、現在の中国の宗教統制の背景にあるとも考えられる。
◆東洋と西洋の間にできた巨大な帝国として、イスラム帝国とモンゴル帝国があるが、前者がイスラム教と一体だったのに対し、後者は固有の宗教が存在しなかった。7世紀に登場したイスラム教は、聖職者が存在せず、また、イスラム法の定めは宗教から世俗にまで及ぶことから、聖・俗の分離が起こり得ない点で特殊。イスラム法を社会全体に適用させるためには、多神教徒は一掃するか改宗させるしかないと考える一方、帝国の支配において、自分たちの信仰を強制はしなかった。モンゴル帝国は、チンギス・ハーンが神の託宣を受けたという点で、はじまりは宗教的なものだったが、文字を持たず、(遊牧民であるため)礼拝施設も作らず、宗教が確立される基盤自体がなかった。
◆ローマ帝国の東西分裂後は、キリスト教会も西のカトリック教会と東の正教会に分裂した。西のローマ教皇は、カトリック教会の頂点として絶対的な宗教的権威を確立する一方、西ローマ帝国滅亡後、世俗の権力者との争いが絶えなかった。1000年続いた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)では、正教会の総主教座は多数あり、皇帝が教会を政治目的で利用したのに対して、教会の側も譲歩する姿勢をとった。
◆現在のトルコを中心としたオスマン帝国、イランを中心としたティムール帝国、インドを中心としたムガル帝国は、いずれもスンニ派イスラム帝国だったが、ティムール帝国はすぐに衰退し、シーア派の十二イマーム派を国教とするサファヴィー朝ができた。結果、スンニ派帝国の間にシーア派王朝が存在する形となり、以後抗争を繰り返していくことになった。ムガル帝国では、イスラム教がヒンドゥー教に代わって支配的な宗教になることはなく、第二次大戦後のインド、パキスタン、バングラデシュの分離独立に繋がった。
◆大航海時代以降のヨーロッパの海の帝国は、初期のスペインとポルトガルが中南米にカトリック信仰を広め、後期のオランダや英国が北米にプロテスタント信仰を広めた。
現代の世界を動かしている力のひとつは、間違いなく宗教であるが、それを背景とした問題を解決することは容易ではないし、ほとんど不可能にすら見える。なぜなら、宗教とは、ほぼ理屈ではないからだ。しかし、一方で、この世界に複数の宗教が存在する以上、その宗教(信者)の間で少しでも歩み寄れなければ、今後も悲劇が繰り返されるだけなのだ。
私は、国際情勢には関心が高く、ゆえにこれまでも宗教に関する本を読んできたが、本書の、宗教と世俗の権力との歴史的な結び付きという視点は、面白く、頭の整理にもなった。特に、後段に出てくる、現在のシーア派のイランとスンニ派の国々の対立や、インドとパキスタンの対立にそのまま繋がる内容は、目から鱗で興味深かった。
宗教、国際情勢、いずれに関心がある向きにとっても、一読していい一冊と思う。
(2025年11月了)
Posted by ブクログ
帝国主義と密接に関わる宗教。ときに国をまとめ、ときに分裂し支配し支配されてきた歴史。帝国は滅亡しても宗教は世界中に分布し諍いや分断、支配を生んでいる。
Posted by ブクログ
世界の歴史をつかむのにぴったりでした。
技術革新などが頻繁ではない状況では
土地を増やして税を多く取ることしか
国としての収入を増やす方法はない、という説明はとても納得がいきました。
権力のない民はどういった治世だと
結局一番幸せなんだろうかと考えるきっかけになりました。
Posted by ブクログ
帝国は領土拡大のため宗教を利用し、宗教は信者獲得のため帝国を利用してきた。本書は、この二つの関係性をかつての帝国を示しながら紐解く。しかし、帝国にも宗教にも内在する「拡大性の本能」は何ゆえか。一人で静かに信仰し、ありのままの領土で満足する国家にはなり得なかったのか。この両者における人間の性欲にも通底する「拡大と支配」の論理が知りたかった。
しかし、書かれるのは来歴とそこに偶発的に発生し、その偶発性を当時の利害関係で構造的に捌いてきた、ある種の連鎖反応のみだ。恐らく、生物のみならず、組織や信仰が拡大本能を持つのは、競合からの支配に対する、ゲーム理論のような状況だ。やらねばやられ、支配される。地域的コンセンサスが社会から世界的コンセンサスへと広がらずには、安心できない。安心できないから、自己拡大が必要となる。人間は、いつだって他人を説得する事に躍起になるし、理想通りに動かぬ他人や構造にストレスを貯めるのは、支配欲ゆえだが、これは同時に防御本能でもある。合わせて、生存本能、という所だろうか。
さて、本著。
大日本帝国の版図が最大に広がったのは、大平洋戦争が始まって間もない1942年で、740万平方キロメートルに及んだ。これはササン朝ペルシアに匹敵する。ローマ帝国の650万やオスマン帝国の520万平方キロメートルよりも大きい。そこまで広がる必要があったのか。これが冒頭の疑問だ。
ー 論語に示された孔子の教えを基盤として、生み出された儒教においては、五常が重視される。五常「仁義礼智信」からなるもので、思いやりの心を持ち、自らの欲望にとらわれず、人間関係を円滑に営み、物事を深く学んで、人の信頼を得なければならないということ。
この教えを組み込みながらも、かくすればかくなるものと知りながら…。世の中大半がそうだ。防御本能が免疫暴走を起こす。そういえば、拡大性はウイルスに近い。ならば、戦争とは、サイトカインストームか。帝国も宗教も戦争を繰り返す。突き詰めるほどに、所詮。
Posted by ブクログ
人類がこの2千年足らずの間に複数の帝国を築き、そして滅亡を繰り返したその背景には、宗教の存在が大きく関わっている。日本には神道があり、古くには仏教やキリスト教が外部から入ってきたが、現代社会に至るまで日本の統治に宗教が大きく影響したとは言い難い。日本が海を隔て他国との接点が少なく、侵略されにくい位置にあったことが幸いし、宗教の力を借りずとも統制しやすかった事に起因するだろう。海外を見るとどうであろうか。ユーラシア大陸、ヨーロッパと陸続きで遊牧民などが馬を駆り攻め入ってくるような地域においては、支配者が次々と入れ替わり帝国化するに至っては、支配に宗教の力は大いに役立ってきた。
本書は主に世界三大宗教のキリスト教、イスラム教、仏教を中心に帝国化と宗教の関連性について記した本である。特に前の二つについては現在の世界地図を見ていても紛争の背景に大きく存在感を示し、宗教人口も他のそれと比べ圧倒的に多い。それ程まで力を持つ宗教と言えるが、世界史を学んだ方であれば、オスマントルコやら十字軍の遠征やらで知っているキーワードが頻出するので入りやすいだろう。キリスト教においては本書でも詳しく述べられているが、帝国の支配層と教皇の権力争い、互いに力を示しながらも互いを利用するような歴史があり面白い。本書を通してそうした統治と宗教のあり方を学ぶ第一歩として、新書サイズにコンパクトに収められる本書は入りやすいだろう。