島田裕巳のレビュー一覧
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良著。
日本人でいながら、日常的過ぎて解っていなかった仏教の宗派毎の性格が成り立ちを通して良くわかる。
(前に「ビートたけしの“教科書に載らない”日本人の謎」でも仏教扱ってたけど、あれも良かったな。)
仏閣・仏像や歴史が好きだから、あの名刹が○○宗なんだとか、戦国期の本願寺や加賀一向宗のクダリが良くわかって余計に面白かった。
日本史等でも習ってるのにねぇ、神仏習合時の影響で仏教と神社(日本古来の神)の区別もあいまいなこと多いから。
題名は、ちょっと釣りに匂いがするけどね(笑)
全体通して、殆どその主張のためには向いてないから。
それでも、釣られてみても良い本。 -
Posted by ブクログ
近年パワースポットなどと呼ばれ、熱い注目を浴びている場所も、元をただせば何某かの信仰と結び付いている場所であることが多い。そのような聖地と呼ばれる場所が形成されるうえで、決定的に重要なのは祭司である。祭祀が営まれ、それがくり返されることによって、その空間は聖性を帯びてきた。
一方で、数百万単位の人間を集める聖地が、それこそいくつも存在しているのは日本くらいであるという。われわれ日本人の多くは、無宗教でありながら、複数の神を信仰するという離れ業を演じてきた。本書はそんな日本の聖地を辿り、その秘密を解き明かしていく一冊である。
◆本書の目次
第1章 クボ―御嶽 @久高島
第2章 大神神社 @奈良
第3章 天理教協会本部 @奈良
第4章 稲荷山 @京都
第5章 靖国神社 @東京
第6章 伊勢神宮 @三重
第7章 出雲大社 @島根
第8章 沖ノ島 @福岡
どの聖地の場合においても、歴史を経るにつれて、聖地の姿は変わっていく。そこには聖地を作り、それを守っていこうとする側の意志と、それとは必ずしも関係なく、いったん成立した聖地を自分たちの都合に合わせて崇拝の対象にしようとする参拝者側との対立や葛藤が示されている。その信仰において、質をとるか、量をとるかという選択が求められるのである。
例えば、終戦記念日が近づくにつれて、ニュースで話題になることも多い靖国神社。その約一カ月ほどの前の7月13日~16日までのあいだ「みたままつり」というお祭りが開かれているそうだ。みたままつりには毎年30万ほどの参拝者があると言われるが、平均年齢は相当低く「ギャルの祭典」の様相を呈しているという。浴衣姿で夜店を歩く彼女たちの頭に、英霊を慰めるという認識は、おそらく皆無であろう。
一方で質を重視している例には、奈良の大神神社があげられる。この神社には拝殿はあっても本殿はない。本殿のあるべき場所には三輪山があり、この山全体がご神体とされている。拝殿の奥の「三ツ鳥居」の先は禁則地とされ、厳格に封印されている。何のために封印されているかというと、民間信仰に多く見られる「神仏習合」という神道と仏教の入り混じった状態を嫌っているのだ。かくも神様と仏様は、仲が悪い。
さらに、聖地と聖地の間の関わりあいに着目している点も興味深い。例えば、京都の稲荷山と奈良の三輪山などは、山中の構造がかなり共通しており、まるで双子のような関係であるそうだ。そのほかにも、聖地同士のあいだには、神話的、地理的、人的などさまざまな形でのつながりがあり、重要な意味が与えられているものが多い。
重ね重ね思うのは、日本人を無宗教と簡単に片付けることの、危うさである。信仰というものを、意識レベルで見るか、態度レベルで見るかによって、捉え方は大きく変わってくる。我々を守りしものは、ネットワークを形成するくらい、無数にあるということを実感する。 -
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これを、公明党や創価学会への賛美本ととるのも、批判本ととるもの、間違いだと思います。良い所も悪い所も含めて、公明党と創価学会を中立的にとらえてみようという内容になっていると思います。
少なくとも、公明党や創価学会がどのような団体かさえ知らずに批判ばかりしている人は、一読すべきだと思います。
特筆すべきは、戸田から池田への交替によって創価学会の進む方向が変わってきたことではないでしょうか。戸田がもう少し長生きしていたら、こんにちの創価学会は多少、性格の違う団体になっていたかもしれません。
公明党の住民相談については、他党の議員も見習って欲しいと思います。他党が全くやっていないという訳ではないでしょうから、一概には言えませんが。少なくとも、その姿勢は大切なのではないでしょうか。
結局、公明党と創価学会は一致しているのかしていないのか。本書では分離が進んでいるような論調ではありましたが、やっぱり個人的には一致しているのではないかと思います。
良い意味でも悪い意味でも、公明党と創価学会の関係や、自民党との関係も再検討していく必要があるのではないでしょうか。
「創価学会の拡大が続いていた時代には、会員も増え続け、財政的にも豊かだったので、日蓮正宗のことを問題にする必要はなかった。しかし、オイル・ショックで高度経済成長に翳りが見え、創価学会の伸びが止まっていくと、経済的にシビアな状態が生まれた。そうなると、学会員の金が日蓮正宗の側に流れていく構造は、創価学会にとっては負担になる。創価学会が、独自路線を歩もうとした背景には、そうした財政問題があった」(p113) -
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書いたのがオウム真理教を擁護する言動で世間を賑わした「もぐり」もやる宗教学者なので話半分で行こうと決めて取りかかった。やはり宗教に関連する多量の本で稼ぐ人という感じだ。wikiを見て呆れた。
しかし日本の現状分析はなかなかなもの。参政党躍進の仕組みをよく捉えていると思う。世間に満ちる不満や不平を非政治的な手法で絡め取っていく参政党の技もしっかり押さえていた。
しかしこんな怪しげな党に政治を任せるわけにはいかないとしか思えなかった。
本書の最終部分で党と支持者との乖離の必然性が述べられているのを読んで、潰れるのを待とうと思った。
油断せずに。
私は民主主義者。 -
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ネタバレ正直、読んでの感想はこんなにドライになれるなら苦労しないよだ。
墓じまい・仏壇しまい等を考えたくて買って読んだが、自分の感覚と親世代との感覚があまりに異なりすぎるので、今更それを気にしなくていいと言われても、二の足を踏んでしまう。
子どもの視点で親に対する考え方等を見ていると、確かにそうすべきだと考えるし、そう子供にも面倒を掛けさせたくない。今の状態を、次世代に負の遺産として残すわけにはいかないとの決意は強くなり、それに対する客観的論拠もあるが、感情論が先行する場合はどうしたもんなんだろ。
といいつつ、よくわからない墓の対応、さっさと進めよう。 -
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先日、父の葬儀をしたので、本書を読んだ。私は本書でも述べられてる「葬式仏教」に対して本当に納得がいってない。(本来の仏教の考え方は共感しているが)
まず価格の高さに納得がいかない。ややデータは古いものの、本書には日本の葬儀費用の平均が200万を超えているとあった。他の世界は数十万程度で、はっきり言って葬式は贅沢なものである。
またお布施や戒名といったものが、ブラックボックスなこともだ。戒名は本来修行した者に与えられる名前であるはずなのに、仏道に励んでるわけでもない故人に与えられるというのもよくわからない。
そもそもの話であるが、檀家制度に納得がいってない。本来は戸籍管理やキリスト教への信者をなくすための制度であったはずなのに、それが今までも形骸化して残っているし、ほとんど関係ない私までもその寺の信者になってるなど、信教の自由に反している。
家制度や檀家制度が形骸化している現代において、葬式が家から個人のものになる流れは避けられないだろう。それで寺側は困るだろうが、これも盛者必衰。葬式仏教に胡座をかいて、価値観をアップデートせず、経営をおざなりにしてきた寺の怠慢であると私は思う。
父の死を悲しむよりも、菩提寺への住職への失望、不満の方がまさってしまった。 -
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作者の前著(「葬式は、要らない(2010年)」、「ゼロ葬、あっさり死ぬ(2014年)」もすでに話題になっていたらしい。
自分事だが、1970年代に、祖父の葬儀で棺桶を担いで墓まで歩いて埋めた記憶があるなあ。
今や火葬が100%近いそうだ。骨を神聖化する習慣は、火葬になってからのこと。
同じ火葬でも、東日本では全拾骨、西日本では部分拾骨らしく、骨壺の大きさが違うそうだ。
伝統(?)と思っていた葬儀、戒名や布施、墓・骨壺などの由来・経緯も解説される。例えば、キリスト教やイスラム教の慈善や喜捨と仏教の布施は根本的な異なる。余裕のあるものが貧しいものに与えるのでなく、布施は貧しくても寺や僧侶に収めるもの。キリスト教が禁教とされた時代の寺請制度の名残。
それを聞くと、仏教式葬儀も戒名も布施など(亡くなった者やそれを送る者のためでもなく、僧侶の都合で作られた習慣なので)不要なのか・・・。
墓は子孫に負担をかけるもの。先祖が勝手に墓を建て、子孫の承諾など受けていないではないか。
墓じまいもする必要がない、とも。放置して無縁墓となるにまかせ、野垂れ死こそ理想なのか。
遺骨の処置には散骨がある。しかし、海に捨てても遺骨は溶けてなくなるわけではない。自然に還らないのであれば火葬場で遺骨をすべて引き取ってもらえばよいではないか。0(ゼロ)葬にすれば墓も安置場所に悩む必要もなくなる。火葬場によっては、温度を上げて遺骨を焼き切るサービスもある。
送骨というサービスもあるようだ。遺骨をゆうパックで寺に送って永代供養墓で合祀する。
また、大学医学部に献体する方法もある。
仏壇は粗大ごみとして捨てられる。墓や遺骨もごみとして捨てられる日が来るのかもしれない。
葬式や墓は伝統ではない。釈迦は人間に執着から解き放たれることを教えたのだ。
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