【感想・ネタバレ】無縁仏でいい、という選択 墓も、墓じまいも、遺骨も要らないのレビュー

あらすじ

バチは誰にも当たらない。我々はもう気づいている

――子供や孫が、自分や先祖を供養する必要などない、と。

平均寿命が延伸し、多くの日本人が天寿を全うする。
ゆえに死は必ずしも惜しむべきものではなくなる。人生の時間は圧倒的に増え、生き方も変わり、死に方、死後の扱われ方も大きく変化した。
そして、そもそも現在の葬式や墓の在り方はそれほど長い伝統を持たない。
昨今、家族葬が増え、孤独死・無縁死、無縁墓の増加や墓じまいの高額な離断料が問題になり、人々は葬式と墓と遺骨を持て余している。これまでのような供養を必要としていないのだ。
これは無責任ではなく自然の道理だ。長寿が変えた日本人の死生観――その最前線を考察する。

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

感情タグはまだありません

Posted by ブクログ

作者の前著(「葬式は、要らない(2010年)」、「ゼロ葬、あっさり死ぬ(2014年)」もすでに話題になっていたらしい。

自分事だが、1970年代に、祖父の葬儀で棺桶を担いで墓まで歩いて埋めた記憶があるなあ。
今や火葬が100%近いそうだ。骨を神聖化する習慣は、火葬になってからのこと。
同じ火葬でも、東日本では全拾骨、西日本では部分拾骨らしく、骨壺の大きさが違うそうだ。

伝統(?)と思っていた葬儀、戒名や布施、墓・骨壺などの由来・経緯も解説される。例えば、キリスト教やイスラム教の慈善や喜捨と仏教の布施は根本的な異なる。余裕のあるものが貧しいものに与えるのでなく、布施は貧しくても寺や僧侶に収めるもの。キリスト教が禁教とされた時代の寺請制度の名残。
それを聞くと、仏教式葬儀も戒名も布施など(亡くなった者やそれを送る者のためでもなく、僧侶の都合で作られた習慣なので)不要なのか・・・。

墓は子孫に負担をかけるもの。先祖が勝手に墓を建て、子孫の承諾など受けていないではないか。
墓じまいもする必要がない、とも。放置して無縁墓となるにまかせ、野垂れ死こそ理想なのか。

遺骨の処置には散骨がある。しかし、海に捨てても遺骨は溶けてなくなるわけではない。自然に還らないのであれば火葬場で遺骨をすべて引き取ってもらえばよいではないか。0(ゼロ)葬にすれば墓も安置場所に悩む必要もなくなる。火葬場によっては、温度を上げて遺骨を焼き切るサービスもある。
送骨というサービスもあるようだ。遺骨をゆうパックで寺に送って永代供養墓で合祀する。
また、大学医学部に献体する方法もある。

仏壇は粗大ごみとして捨てられる。墓や遺骨もごみとして捨てられる日が来るのかもしれない。

葬式や墓は伝統ではない。釈迦は人間に執着から解き放たれることを教えたのだ。

0
2026年01月20日

「雑学・エンタメ」ランキング