あらすじ
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自然葬、海洋葬を実際に行ない、葬送の自由を進めてきた著者が、現在、そしてこれからの葬儀のカタチを紹介。直葬(じきそう┴ちょくそう)などの登場でお葬式はますます簡素で小さくなってきました。見送る遺族はお骨を持ち帰らないという葬儀もいよいよ出現。高額な戒名も不要、お墓も不要となってきた新しい時代のお見送りの作法や供養の方法などこれからの時代を見据えた情報を宗教学者が教えます。『0葬』、『葬式は要らない』と葬送に変化を与えたヒット本に続く葬送の在り方を考える第三弾が本書です。
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Posted by ブクログ
葬式と社会との関係性の移ろいを、その歴史を通じて社会学的に紐解いている。
2010年に「葬式はいらない」と題して問題を投げかけ、当然のごとく業界から非難を浴びた筆者であるが、その予測を上回る速度で葬式という社会行為の存在感が薄れつつあるという展開は皮肉が効いていて、その分析も素直に頷ける部分が多かった。
Posted by ブクログ
歴史的になぜ葬式仏教が生まれたか、流れが分かりやすかった。神道と仏教があるが、そのどちらが重んじるられてきたかは、その時代背景による作られたものであることがわかった。
仏式の葬儀の元は曹洞宗。江戸幕府が庶民がキリシタンでない事を証明させるために寺に所属させた。(檀家)江戸幕府は、本山を管理すればよく、本山が末社を管理。末社は檀家を管理する。【寺請制度】
お布施をすることによって、信徒は得を積むことになり、寺は潤う。(近年は僧侶が妻帯するようになったので、家族の生活や子の教育費にもお金がかかるのでお布施も高くなっている。)
曹洞宗の流れを組んだのが、天台宗、浄土宗、真言宗。
流れをくまなかったのが浄土真宗、日蓮宗。
戒名とは言わず法名と言う。
。。。。。。
明治政府は神仏一緒だった昔からの流れを変えた。神社と寺を離し、神社の方を優遇した。天皇の直接統治型に変えるため。→尊仏毀釈の流れが生まれた。
。。。。
昔から作られてきたこれらの制度が今の日本人の生き方に合わなくなってきている。
⚫︎寺と離れ、檀家をやめる動き
⚫︎子孫が少なく、墓を管理する人がいないので、墓を持たない動き
(さらに進むと合葬さえせず、骨を火葬場で処分してもらう動きも考えられる。関東はまだ難しいらしい)
Posted by ブクログ
自分が死んだときに、葬式も墓もいらないと思っていたので、すべてに同意。世の中の流れもそのような方向に向かいつつあるという点は、あまり意識してなかったので意外な事実だった。
Posted by ブクログ
宗教の変化、時代ごとの生活の変化に合わせて、進化してきた葬式。
また現代ではビジネスとしての側面も強くあるけれど、宗教的な意味合いも合わせ持つので疎かにしにくいという心理も働く、葬儀関連の諸々。
親が死んだ時、簡素な葬儀にした事に、後ろめたさを感じたりもしたけれど、やっぱり間違ってなかったと思えた。
しきたりにこだわり、形式だけの葬式にずっと疑問を抱いていた。司会の人の悲しそうな話し方にも白々しさを感じていた。
仏教徒でもないのに戒名つけられるより、生まれてからずっと使ってきた名前でいい。
近場ならまだしも遠い場所まで墓参りも面倒。
こんな風に考える私でも、大切な人の死は寂しいし、本棚の隅に置いた親の写真を見るたびに、心で話しかけたりしている。弔いは気持ちなんだと思う。
Posted by ブクログ
時代の流れといってしまえばそれまでだが、経済が悪化して人付き合いも縮小したら葬式の意味はかなりなくなると思う。必然。前は友人が「親戚の○回忌に参加する」と聞くと日本伝統のイベントっぽくて憧れたものだが、そのうちそういうのも珍しくなるのだろう。
Posted by ブクログ
簡素化、消滅へと進む葬式のこれまでとこれからについてエッセイのような感じで解説。
今のような仏教式の葬式の原型は曹洞宗の葬式で、それは儒教の影響を受け、教団を経済的に支えるというビジネス的な背景のあるものだったということなど、葬式についてこれまで知らなかった知識や最近の流れをいろいろ知ることができた。
個人的には、高額な戒名や故人と直接関係のない人を大勢呼ぶような大規模な葬式はいかがなものかとは思うが、遺族として気持ちを整理する、故人との別れの場として、従来の仏教式の葬式も悪くないと思っているので、葬式消滅に向かう流れには、一抹の寂しさを感じる。