野坂昭如のレビュー一覧
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1968年出版,第58回直木賞受賞作。「焼け跡闇市派」の金字塔ともいえる作品である。
「火垂るの墓」:戦時を駆け抜けた者による,その過程で犠牲になった者たちへの鎮魂歌。作者の自伝要素もあるそうだ。曳光弾はほんのわずか向こう側でありながらも,生命の切迫すら感じされる文章。蛍は確かに印象的だ。削られた社会について一切の妥協なしに書いたもので,単なる反戦のプロパガンダではない。
「アメリカひじき」:戦後のアメリカ兵がうろつく街とそこで生きる人々をシニカルに書く。アメリカひじきとはブラックテー(紅茶)のこと,それに対する感覚はまさに戦後を象徴するものだろう。大阪弁に加えカタカナの英語を混ぜることで,更に文体が濁る。
その他短編「焼土層」「死児を育てる」「ラ・クンパルシータ」「プアボーイ」を収録。 -
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名前は知っていたが,野坂昭如の作品を読むのは初めてである。当時は作家のみならず広範囲のタレント的な存在だったようだ。
本作はデビュー作だというが,既に安心して読める滑稽さが感じられる(新人らしさというか,危うさがない)。自らをエロ事司と名乗る「スブやん」とその周辺の人々。戦後と現代をつなぐ部分として見逃せない。
解説を先に読んだのだが,なんと澁澤龍彦の文だった。「ひたすら観念のエロティシズム,欠如体としてのエロティシズムにのみ没頭する一種独特な性の探求家」と評している。
全体的に,悪趣味だがユーモアが散りばめられていて,読んでいて面白い。
ある種タブー視される「臭いもの」の描写が,何気に多いのではないか。何気に,というのは,特に情感込めたわけでもなく,気を惹きつけようという意図も感じない,にも関わらず,時間の流れの中に存在感をズシンと構えていることから。
堕胎と水葬が軍隊ラッパに乗せられて,死骸の脇で麻雀しながらオナニー体験談で盛り上がって。グロテスクを吹き飛ばしかねないおかしさがそこに横たわる。しかし時代を考えると,焼けた灰を纏い生きる人々なのであり,ある種の慣れともいえる。
不謹慎ではあるがどこか下品なりの論理を感じさせられる。
p146「〜そやけどエロ事師の本領はなんというても女やで。〜みんな女房もっとる,そやけどその女房では果たしえん夢,せつない願いを胸に秘めて,もっとちがう女,これが女やという女を求めはんのや。実際にはそんな女,この世にいてえへん。いてえへんが,いてるような錯覚を与えたるのが,わいらの義務ちゅうもんや。〜目的は男の救済にあるねん,これごエロ事師の道,エロ道とでもいうかなあ」
ちょっと前にインポだと言われた人間の口上と考えると余計にツッコみたくなる。しかも死んでからようやくビンビンにたったし。
サド侯爵が高らかと読み上げるようなものを,本作の語りでは大阪弁の会話と地の文の交錯でうなっている。それにしてもスブやんは,人々に夢(?)を与えるごとに自身の欲求が遥か向こうに遠ざかってしまっているようだ。かすかに逼迫しているような気もする。
性そのものへのアイロニーというか,ある種人生そのものへのアイロニーを感じた,特にオチ。終盤のパーティでの人物紹介なんかは「ソドム百二十日」を想起せずにはいられない。エロティシズムの観念自体は過去の文学作品にあるテーマであるが,こうも透明な文章は中々ないかもしれない。変に美化しない,悪趣味に誠実,そこが良い。 -
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「火垂るの墓」は、言わずと知れた戦争文学の傑作。
アニメにもなっているので、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。
私も子供時分に、たしか学校の視聴覚室で視聴した記憶があります。
節子がドロップではなく、おはじきを舐めている場面を見ると、恐らく今でも人目をはばからずに泣くと思います。
ただ、原作には、おはじきを舐める場面は出てきません。
それよりも勝手に原作は長編と決めつけていましたが、短編なのですね。
それ以前に、なぜ、今、火垂るの墓? ですね。
実は、割と読書家である自分は長年、野坂昭如をスルーしていました。
40代のぼくには「悪目立ちするタレント」というイメージが強くて、敬遠していたのですね。
それがひょんなきっかけで、野坂の代表作の1つである「エロ事師たち」を昨年初めて読み、野坂の世界観にすっかり魅了されてしまったのです。
それで、野坂を世に送り出した「火垂るの墓」を読んでみようと手に取った次第。
本作は、文庫でわずか35ページの短編。
それでも重厚な戦争文学になっているのですから、野坂恐るべしです。
併録されている「アメリカひじき」もおもしろく読みました。
こちらも戦争文学の範疇に入るでしょう。
敗戦国の日本国民のアメリカ人に対する屈折した心情が、実によく描かれています。
小島信夫「アメリカン・スクール」も同じテーマを扱っており、私も好きな作品。
エンタメなら「アメリカひじき」、純文学なら「アメリカン・スクール」と、文学を志す人には両作は良いテキストになるのではないでしょうか。 -
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6つの短編集。ただただ飢えと暮らしの惨めさがリアルで、読んで暗い気分になります。多分これは誇張ではなく、現実に戦後の日本の至るところで起きていたはずなのだ。それからもう?まだ?72年。
読点が少なく畳み掛けられるような文体が、あっという間の転落、流れるような時と行動の移り変わりに読者を連れていきます。
ほたるの墓はアニメで観てトラウマだったけど、それでもこの本の他の短編と比べて、空襲、戦後の食糧難、必死に生きる人々を兄弟愛で「綺麗に」書いていたと知った。
死児を育てる、ラ・クンパルシータの、家族の食べ物を盗み他人を蹴落としてもとにかく食べ物を口にしなければならない、口に入れたいと願ってしまう残酷さ。アメリカひじきの、戦後の日本の、卑屈さ惨めさ。
飢えというのは道徳を超えた、非道いものだという印象しか受けない。糠団子、黒くドロドロした雑炊なんて食べたことないけれども。 -
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「日本の将来について考える時、ぼくに希望は全くない」
この一文から、この本は始まります。
おそらく、こういう歯に着せぬ物言いを、できる人というのは、
今の社会では、非常に限られていると思います。
この本で、野坂氏は、食料自給率にやたらこだわっています。
「人間の一番の基本は食にある。食べることで人は生きている。(中略)
食はそれぞれの国の生き方と、つながり、そのには歴史があり伝統も息づいている」
だが、日本は、それを「捨てた」と言う。
「大事なもの」を捨てた基盤の上で、今の豊かな社会があることへの
脆弱性を危惧しているのだろう。
もし、海外からの供給がなくなったら、いとも簡単に崩壊するであろう社会に
自分達は生きている。
野坂氏の、物言いは、極端であるが、あながち間違いでもない。
きちんと、データーを提示すれば、看破出来そうだが、
野坂氏は、作家の直感に基づいて、発言している。
それは、戦後しばらくの食料難を経験し、生きるとは、どういうことなのかを、
皮膚感覚でわかっているからだろう。
氏は言う。
「薄っぺらでお手軽な世の中に、幾重にも正体不明の闇が広がっている。(中略)
金や物を崇め、合理化とやらをすすめてきた日本。無駄だと省かれたものの中にこそ、日本の誇りがあった」
そして、最後に
「結局、何が豊かなのか判らぬまま、日本は滅びようとしている。戦後、その都度決着をつけてこなかったこの国、当然の報い」
これが御年80歳を超える方の発言である。
心地良いことばかりが、喧伝される世の中で、氏の主張は、やはり厳しい。
しかし、こういう事を言う人がいなくなると、社会はどんどん閉塞感に覆われてしまう
かもしれない。 -
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戦争が終わった後の日本で生きることを「エロ」を通して描いた名作。エロには人間の歪さや本能、醜悪さ、そして美しさが詰まっている。他人には理解できないとされる嗜好を、共有し実現させる登場人物達は、法律で取り締まれても、その慈愛の精神は尊い。
戦時中を生き延び、その世界でしか生きられない人間が、その世界で生きることを選びとり、生きる意味を見出そうと必死にもがき続けるなか、戦争を知らない世代があっさりとその境界線を超える残酷さとそれでも知恵を使って生き延びようとする人間の覚悟を、エロを通じることでライトに、そしてストレートに伝えてくる。
人間の本能と秘事と強く生きようとする意志、生き抜く覚悟は不変のものだから、訴えるものは強く、古くならない。
軽妙に現実を描く作者はやはり時代の寵児であり、大いなる語り手であったのだろうと再認識させられる一冊。