望月哲男のレビュー一覧
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現代ロシア文学のスター、いや、スターと言うよりはモンスターと評される若手作者の長編小説。こーれーはヤバイです。ヤバ過ぎて、何度も挫折しかけてやっとの思いで読み終えました。人生で一番読むのに苦しんだ作品と言っても過言ではないかもしれない。前衛アート?奇怪なスラング、文豪のクローン、エログロスカトロ何でもござれ、極め付けはスターリンとフルシチョフの濃厚な濡場。読むのに並々ならぬ体力が必要です。
你好、私の優しい坊や。やっとお前がくれた書を読み終えた。正直に言おう。一文字目から腐っている。これを書いたのはどこの醜悪な気狂い野郎だ?おかげで私はMバランスを7ポイント失った。マイナス=ポジット。後はた -
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ドストエフスキー(1821-1881)の後期五大長編のうち『罪と罰』に続く二作目、1868年。『罪と罰』がラスコーリニコフらにより思弁的な哲学議論が展開される思想小説であるのに対し、『白痴』は一般には恋愛小説として括られる。しかしそこで描かれている恋愛は、もちろん単なる男女の抽象的な交情というだけではなく、当時のロシア社会の歪んだ病的な相貌を――さらには近代という時代精神が必然的に到り着かずにはおれない或る種の地獄の姿を――映し出す鏡の役割を果たすことになる。
物語では、多数の登場人物の感情や思惑が複雑に錯綜する。それぞれの感情の細かな動きを正確に追うことすらも難しく感じられた。ナスターシヤ -
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一応架空の主人公を設定していますが、実際にはドストエフスキーの実体験を描いているルポタージュのような小説。ノンフィクション、ドキュメンタリーの好きな私には読みやすかった。描かれる囚人たちの描写も様々で面白く読めた。
鞭打ち刑は想像以上に厳しい物のようで、それで死んでしまうこともあった刑罰のよう。小説内で主人公は「犯罪の差異に刑罰の結果の重みが平等に応対しているか」「同じ刑罰でも、受ける人によって非常に軽い結果となる場合と思い結果になる場合があるが、それは平等なのか」、囚人たちが真に欲しているのは「自由」であり「思い通りにふるまう自由」を求めていること、刑罰が囚人の更生にならないことなどについて -
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ネタバレイワン・イリイチの死について
判事のイワン・イリイチは、職務として自分に関係する人物には丁寧で慇懃に接する一方、職務上の関係がなくなると同時に、他のあらゆる関係を絶っていた。すなわち、職務上のことをきっぱりと切り離して自分の実人生と混同しない性格であった。その性格ゆえ、家族との関係に優先して、社交的であることを大切にし、体裁を保つことを考えていた。
ある時、わき腹が苦しく、正体不明の病気になった彼は、その性格から同僚には強がり、家族からは相手にされず、孤独感と死との恐怖に怯える日々を過ごしていた。酷く衰弱していた彼の慰めとなったのは、嘘を決してつかない性格で、イワンが虚栄心を張らずに心を許せる -
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終わらない上り坂はない。
山登りやヒルクライムでしんどいときにいいきかせる言葉だ。
もしこの坂が永遠につづくとおもうと、のぼりの苦しさの途中で心折れて足をついてしまうだろう。
一方で来年50をむかえる身としては、上り坂のあとに下り坂がある、ということが現実的になってきた。
下り坂のゴールは「死」であろう。
トルストイによる死についての本である。
イワンクロイツはごく平凡な地方官吏。ふとしたことから死にいたる病になり、病床でそのときを迎える。
その死ぬプロセスの間で、自分はほんとに人生をいきてきたのか?人の期待や世間の相場ばかりにあわせてないか?を自問自答し煩悶する。
自分は何もえてない、なんに -
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この巻ではリョーヴィンが百姓と草刈りをする場面が1番好き。疲れと清々しさがよくわかる。
この巻の前半ではリョーヴィンの農業に対する考えや場面が展開され、その後はアンナの問題。
巻末のガイドでは、リョーヴィンの農業の話は退屈に思う人が多いようだと書かれていたけれど、私は退屈に思えなかった。
結婚や離婚の考え方が複雑。
アンナも今まで結婚生活についてはかわいそうだったので…というのを踏まえて、だからこうなっちゃったんだよ…みたいに読めばいいの?
アンナ、どっちやねん!ってツッコミ入れたくなる。
時代背景がわかれば、こういう複雑なことが起こりうるということがわかりました。 -
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不倫が結構当たり前というか。みーんな知ってますよ状態。
カレーニンの“「どうしてここまで放っておいたんだ?こんな見苦しい状況をどうして解消しないのだ?」と義憤を覚えたものだった。”
まさに読者がそれをカレーニンに言いたくなる。
好きなシーンがあって、ヴロンスキーの競馬のシーン。疾走感、躍動感があり、自分自身がヴロンスキーになって走っているかのような描写だ。
タイトルにあるのだから、アンナは主人公になるんだろうけど、なんだか影がうすい… 上流の綺麗な女、恋に流された女っていう印象で。これからパッとしてくるのかな?
最後の方の無理をしているキティの姿が描かれていて、そりゃ無理をしたらいつか -
Posted by ブクログ
真実の愛とは何かという普遍的なテーマを、不倫の恋という側面から切り取る、純文学的な物語でした。アンナはどうすれば良かったのでしょう? 愛してもいない夫の元に留まるのが真実の愛に即した行動だったのか…否。では夫には隠したまま不倫を続け、愛人の子を夫の元で育てるのが正しかったのか…否。では、やはり筋書き通り夫を捨てて愛人と逃げるしかなかったのか…そうかもしれない。確かに、アンナはヴロンスキーの愛さえあれば幸せであり続けられたのかもしれません。けれどそうはいかなかった。普通の人間は、彼女ほど愛に対して純粋ではありません。だから恋人に飽きられたって次の恋を探すなり、冷えた関係のまま共に暮らすなり、とも