望月哲男のレビュー一覧
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タイトル通り、イワン·イリイチが自らの死を自覚し、死の恐怖と戦いながら自分の人生を見つめ直すが、しかし時は非情にも止まることはない……という苦しみを描いた「イワン·イリイチの死」、妻を殺した男が自らの真の罪を告白し、殺害までの一部始終を語る「クロイツェルソナタ」を収録。イワン·イリイチの死は状況が切迫し狭まった視点で自らの死を思い人生を考えるという苦しさが切々と描かれており主人公の視点に没入することができた。またクロイツェルソナタも現代の価値観に通じるところがあり(全く同一というわけではないが)、筆者の先見の明が窺え、また興味深く感じ、収録作どちらも面白く読めた。
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ネタバレ長編ですが、まさかの一気読みでした。とても面白かったです。
金が囚人たちの精神安定剤とか。密輸を芸術だと思っている密輸犯がいたりとか。密輸は麻薬みたいにどうしてもやめられない楽しいものらしいとか……。色々面白い発見がある本。
泣き虫な密輸犯が、監獄内で密輸を働いていることがバレたことで、密輸を我慢しているのだけれど、結局また監獄に酒を持ちこむ……という描写が印象的だった。人間って私たちの想像もつかないような思考をしている。興味深い。
体罰までの時間を少しでも伸ばしたいがために、その場しのぎとしてナイフを振り回して暴れる囚人も印象的。
暴れようとする人がいたらほかの囚人が総出で止めるシーンも意外。連帯責任を避けるためではあるのだけど、監獄ってけっこう秩序があるんだなと思って驚いた。
純朴な登場人物が目立ったのは、主人公がそういう人を好んだからか? アリは可愛いなぁ。ロシア語を教えてくれた主人公に懐いたり、監獄を出て行くときに主人公の首にかじりついて泣き出したり。
基本的にみんな、自分は悪くないと確信しているような気配も興味深かった。
監獄の秩序や個々の感情が面白い。意外とスイスイ読める。
ドストエフスキーは「……」の使い方が特徴あるよね? 「!……」が多い。「俺は知ってるぞ!……」みたいな感じで。セリフのカギかっこの最後に「……」が来たりもする。三点リーダーが演出する「余白」で語るタイプの作家なんやろうか。『罪と罰』などで章終わりに「……」をいっぱい打つ箇所もあったし。
『死の家〜』では、話題を変えるときに「…………」と打っている箇所もあるね。(p.252)
章終わりや話題転換のときの「……」には読点がない気がする。(出先なので罪と罰のほうは確認できないが)
これってドストエフスキー特有の文章って認識でいいのよね? チェーホフやトルストイにはなかったし。ロシア文学のってよりドストの特色なのかな。
………………
芝居で女性役を演じたシロートキン、可愛かったです。
稚児的なシロートキンが、ちゃんと囚人として4000発の笞打ちを食らっていたのは印象に残りましたね。
名前のある登場人物は60人もいたんですねw そら覚えるのが難しい。整理しながら読みましょう。
囚人たちは怯えもするし、また何かに愛情を向けたりもする。
祭りごとには喜び、見栄を張り、情熱に駆られ、憧れを抱く。読書ガイドにもある通り、「まるでおおきな子供」だ。
囚人が囚人の世話をしたり、動物を可愛がったりするシーンは印象深い。
だからといって「仲間意識がある」というわけでもない。いや、平民たちには平民たちの団結はあるか……。
脱獄の部分はハラハラした。やはり監獄モノといえば脱獄だよな(?)。だがあっさりした後味。リアリティがあった。
すべて読み終えた後にもう一度冒頭を見ると、異なった味を覚える。
囚人らの「生態」を静かな目で観察していたゴリャンチコフが、今度は別の観測者の目に捉えられている。
「観察者を観察する者、それをさらに観察する者」という上下に幾重にも折り重なった観察の構造を想像させる。……気がする。
『死の家~』の第1部が芝居で終わるというのも興味深い。「囚人を観察する主人公、それを観察する『私』氏→それを読む我々読者」という観察者の折り重なりが強調される。……気がする。
さすがに私の妄想か?
(いやでも『謎とき『罪と罰』』を読むと、ドストエフスキーがものすごくよく考えて文章を書いていることが分かるし……。案外何らかの意図はあったりするかも??) -
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ネタバレアンナとリョーヴィンの結末/行く末が非常にリアリスティックで近代的な形で示された
対立し合う人格・思想・習慣を実態に即した記述で描くことのできるトルストイのとてつもなさを感じた
確かに結びとしては、ロシア文学に特有の信仰に目覚める形ではあれど、そのリアリティは他の追随を許さないと思う。結論に至りながらも新たな疑問が開けてそれを考えることを続けるリョーヴィンの知性は、地主貴族という旧来の階級に属していながら、まさに近代人というべきもの
しかし、理性と信仰の対立をどう乗り越えていくかというところにロシア文学らしさも感じた
大長編ながらも、リアリスティックな描写とロマンチックな描写が続き、お互いに影響し合うことで飽きさせない構成となっているため是非読んで欲しい -
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上中下と長編であったし、春休みでほかの予定もあったりして、読むのに3/3から3/24までかかった。こんな長編は久しぶりに読んだな。素晴らしい作品で、本当に読んでよかったと思う!このような古典作品も、今後色々読んでいきたい!また、本は筆者への対話という側面もあるので、自分の人生との絡まり合いで面白さが決まるね。勉強で忙しい時期にも読書ができるとより良いんじゃないかな。
トルストイの作品の中でも最高傑作と言われており、トルストイが5年の歳月をかけて、何度も修正を重ねて書き上げた作品。
全体を通して、さまざまなテーマが複合的に表現されていて、その重層感が私は好きだなと感じた。
上
キチイが、キチイを弄んでいるだけのヴロンスキーに恋をしていて、そのためにリョーヴィンからの結婚の申し込みを断ってしまった。その後の舞踏会で、ヴロンスキーはキチイではなく、その日に恋に落ちたアンナカレリーナとダンスをしていて、その2人の燃え上がった様子を見て自分の立場に絶望し、病に臥せてしまった。その絶望の様子が非常に印象的だった。
でも、この後にドイツの温泉街で同世代の女の子と出会い影響されて、元気になることができた。この時代の貴族たちの人間関係は、非常に閉鎖的なので、失恋などをきっかけにして世界が閉ざされたように感じるのだろうと思った。
また、アンナカレリーナがヴロンスキーの子を妊娠しているという所を読んだ時、最近読んだノルウェイの森や存在の耐えられない軽さとは違い性描写が省かれていたため、急だなと驚いた笑
中
リョーヴィンとキチイの物語と、アンナとヴロンスキーの物語が交互に語られている形式が面白い。それぞれ結婚生活の始まりと、不倫という重く複雑な愛であるから、その対比が面白いのだが、決して一方が幸福で一方が不幸というわけではなく、状況が色々変わっていくのである。
リョーヴィンは、キチイとの結婚の際に、本当に自分でいいのかが恐ろしくなって、それをキチイに確認したり、自分が童貞ではないことを打ち明けたり(これは、ノートを読ませて打ち明けた、もっと軽く伝えることも出来ただろうに)するところが、女ごころを分かっていないという感じだった。でも、これらすべてをキチイは受け入れたのがすごい。さらに、リョーヴィンの兄が病気で死の床に伏しているということで、リョーヴィンが兄のところに訪れるというとき、あまりにも状態が悪い兄や、質の悪い宿をキチイに見せたくない、体験させたくない、気を遣いたくないということで、リョーヴィンはキチイを連れていきたくなかった。でもキチイは、リョーヴィンが行く場所には私もお供して、感情も共有したいということを主張して、喧嘩の末一緒に行くことに。結局、リョーヴィンは兄のひどい状況に関して嫌悪感を感じて何も手を差し伸べられなったのに対し、キチイは病人を励ましたり、薬を飲ませたりと熱心に世話を焼いており、キチイの人を助けるその心に感心した。女性のすごさがここにあるのかもしれない。
下
最後にアンナが鉄道に轢かれて自殺をしてしまった。決してヴロンスキーが何か決定的にアンナを傷つけたとかそういうことではなくて、ヴロンスキーの細かい行動にアンナが勝手に解釈を加えたことによる、喧嘩がきっかけだった。アンナは不倫相手なので、ヴロンスキーの母親が他に結婚相手を紹介してきていてその相手に嫉妬して、ヴロンスキーの愛情がないのではないかと疑った(でもヴロンスキーは全くその人には愛情を持っていない)。
結局恋愛関係は特に、自分の感情をうまく処理することが大事なように思う。相手を信じて疑わないこと。アンナに関しては、不倫相手のヴロンスキーが生活の唯一の柱となっているので、相手を縛りつけようとしてしまっていた。
家で生活の大半を過ごしていて、ヴロンスキーの愛を繋ぎ止めるための美しさを維持することに最大限の努力を払っている。彼のために化粧をしたり、おしゃれな服に着替えをしたりするのだ。この努力をヴロンスキーとしても嬉しく思いつつ、重くも感じている。(アンナは家で本を読むことも多く、それによる知識はいつもヴロンスキーを驚かせていた)
ヴロンスキーは「男の独立」のため、社交界へ出かける予定が多くあり、家の外で過ごす時間が大半。それに対して、アンナは愛情が足りないからそのように外に行くのだ、と詰って口論に発展する。ヴロンスキーは自分が悪いということで言い争いを終了するしかなくて、アンナが最終的に「相手の誤りを証明する」形になることが多いね。予定通り帰ってこないと不安になって、きつい言い方の手紙を送ることもある。
こういう重さや束縛、感情の押し付けが積み重なるとなかなか辛いよね。
でも、たとえ不倫じゃなくても、お互い社会生活を営んでいても、恋愛において相手を縛り付けたくなるのは女性が多く、男性は自分の自由気ままな時間も欲しいと考える人が多いように思う。アンナの気持ちにも私は共感できたし、だからこそ私は「男の独立」を尊重したいと思った。それに、自分の柱は一つじゃ足りないね。
アンナカレリーナと子供の関係性についても考えた。アンナは、ヴロンスキーとの間にできた子供に対しては愛情を注ぐことができなかったんだよね。
ドリイとの会話では、アンナはこれ以上ヴロンスキーとの間に決して子供は作りたくないと言っていた。
あとは、男性の独立について。貴族の話なので、
キチイとリョーヴィンの関係性がどんどん素晴らしくなっている。リョーヴィンの心の動きにも共感した。リョーヴィンが打ち明ける、不安や嫉妬、決してポジティブではない感情を、キチイは自分が何かそれに対して働きかけようとか、自分のせいでその気持ちを誘発してしまったとかを考えずに、受け入れており、それが素敵だなと思った。物語の最後の最後では、リョーヴィンが -
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エピローグで主要な登場人物たちの大団円が描かれる中、ソーニャについて語られるシーンは薄影のように切ない。著者の歴史論に捧げられたかのようにあっけなく戦死したペーチャよりもむしろ、ソーニャを無駄花と評するナターシャの台詞が割り切れない印象を残す。ソーニャは可哀想なのか? 物語の中でピエールやアンドレイが達した心境、あるいはそれを体現するプラトンの世界観で解釈するとどうなるのだろうか? ピエールが覚醒時に感じた「ただ生きていく」ことの価値に共感できれば、この物語でのソーニャの意味が深く染みわたってくる。実在するなら身近にいて欲しい人だと思う。
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若き将校との許されない愛に走るヒロイン・アンナと、神を信じることができない地主貴族リョーヴィンの、交差しない二人の主人公の人生が描かれる。この大部の小説を通じて、トルストイは同時代(1870年ごろ)のロシアという国全体を描き切る野心を持っていたのではないか--そんな風に思える。
首都の貴族社交界の華やぎから田舎の農夫の草の刈り方まで、あらゆるディテールがおよそ想像で書くのは不可能な詳細さで描き込まれ、トルストイの筆致の巧みさに感嘆せざるを得ない。
しかしそれだけで終わってしまっては、この作品は最高の風俗小説であるという結論になってしまう。この作品を傑作ならしめる深みは、登場人物それぞれの苦悩や恐れにこそある。
といっても、その苦悩は観念的思弁的なものでなく、もっと俗っぽいものだ。アンナは愛を貫くために、この時代のロシアでは絶望的であった離婚を願う。やがてその願いが叶わないとなると、今度は愛人の愛が失われることを狂わんばかりに恐れる。リョーヴィンは、信仰を持てないことにひとり悩みながら、出産に苦しむ妻の姿に、思わず神の助けを求める。
こうした、諸生活の悩み苦しみ絶望、そこに同時代ロシア社会の矛盾が見え隠れする。そしてやはりこの作品はロシア全体を描き切ろうとしたのではないか、という思いが再び浮かんでくるのである。 -
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ネタバレロシアの大地に生きる「民」の姿と価値、重要性をトルストイは『戦争と平和』で描いたのではないか。しかし、それはロシアだけのものではなく、日本のものでもある。いや、国籍など問わない、世界共通の価値だろう。
それにしても、エピローグ第2編の歴史学への言及やのちの「数言」は、これ以上の蛇足を他書に感じたことはなかった。小説部分のニコールシカで終わる結末ももう少しなんとかならなかったのか、という想いもある。以上が本作への2つの不満である。あとは優勝だ。
〈メモ〉
4-3-11 ペーチャの戦死
4-3-14 プラトンの無実の爺さんの話し。プラトンの銃殺
4-4-14 モスクワの復興、ラストプチンのビラまで!
E-1-7 ロストフの農場経営の真髄
E-1-8 ロストフがマリヤの影響で暴力を振るわないように努力する -
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ネタバレアンナが汽車に轢かれて自殺するシーンは、表現力が素晴らしく、まるで自分も死んでしまう気がして恐怖心が芽生えてくる。
線路の真ん中まで来て、汽車と衝突する直前、一瞬我に返り、「自分は何をしてしまったんだ!」と思ったのも束の間。すぐに「何か巨大なもの、容赦のないもの」が彼女の頭をドンと突いたのだった。
そのあとはと言うと、ヴロンスキーの喪失感、リョーヴィンの哲学的探究。
アンナの夫カレーニンが妻の浮気にどう対応するかと言うときにもキリスト教が影響を与えていたし、リョーヴィンにもキリスト教が根付いている(というか、後になって自分と宗教的価値観のすり合わせをしている)。
アンナの恋路ではなく、本当は宗教をベースとした哲学的思考実験と歴史について論じたいというトルストイが、最後に畳み掛けるように自由に書いているという印象を受けた。 -
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ネタバレアンドレイ、ナターシャ、ピエールが変転する。そこに長編の良さを見出す。人を長いスパンで捉えた時、変わるものが描けるからだ。
<メモ>
2-3-3 楢の木の変化は、アンドレイの見方を変える。古木も若芽を出す。老成から青春への回帰。ピエール、ナターシャもきっかけに。デタッチメントからコミットメントへ。孤独から人とのつながりへ。煩瑣な人間関係の中で、わたしも孤独を求め突けたが、本当に孤独になったときに、反転してつながりを求めた。犬を飼いたいとも。退職から仕事への意欲も。
2-5-13 アナトールがナターシャにキス。そこから彼女はアンドレイ公爵に醒める。ソーニャは阻止を図る。破談になってしまうのか。。