望月哲男のレビュー一覧
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エピローグで主要な登場人物たちの大団円が描かれる中、ソーニャについて語られるシーンは薄影のように切ない。著者の歴史論に捧げられたかのようにあっけなく戦死したペーチャよりもむしろ、ソーニャを無駄花と評するナターシャの台詞が割り切れない印象を残す。ソーニャは可哀想なのか? 物語の中でピエールやアンドレイが達した心境、あるいはそれを体現するプラトンの世界観で解釈するとどうなるのだろうか? ピエールが覚醒時に感じた「ただ生きていく」ことの価値に共感できれば、この物語でのソーニャの意味が深く染みわたってくる。実在するなら身近にいて欲しい人だと思う。
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若き将校との許されない愛に走るヒロイン・アンナと、神を信じることができない地主貴族リョーヴィンの、交差しない二人の主人公の人生が描かれる。この大部の小説を通じて、トルストイは同時代(1870年ごろ)のロシアという国全体を描き切る野心を持っていたのではないか--そんな風に思える。
首都の貴族社交界の華やぎから田舎の農夫の草の刈り方まで、あらゆるディテールがおよそ想像で書くのは不可能な詳細さで描き込まれ、トルストイの筆致の巧みさに感嘆せざるを得ない。
しかしそれだけで終わってしまっては、この作品は最高の風俗小説であるという結論になってしまう。この作品を傑作ならしめる深みは、登場人物それぞれの苦 -
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ネタバレロシアの大地に生きる「民」の姿と価値、重要性をトルストイは『戦争と平和』で描いたのではないか。しかし、それはロシアだけのものではなく、日本のものでもある。いや、国籍など問わない、世界共通の価値だろう。
それにしても、エピローグ第2編の歴史学への言及やのちの「数言」は、これ以上の蛇足を他書に感じたことはなかった。小説部分のニコールシカで終わる結末ももう少しなんとかならなかったのか、という想いもある。以上が本作への2つの不満である。あとは優勝だ。
〈メモ〉
4-3-11 ペーチャの戦死
4-3-14 プラトンの無実の爺さんの話し。プラトンの銃殺
4-4-14 モスクワの復興、ラストプチンのビラ -
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ネタバレアンナが汽車に轢かれて自殺するシーンは、表現力が素晴らしく、まるで自分も死んでしまう気がして恐怖心が芽生えてくる。
線路の真ん中まで来て、汽車と衝突する直前、一瞬我に返り、「自分は何をしてしまったんだ!」と思ったのも束の間。すぐに「何か巨大なもの、容赦のないもの」が彼女の頭をドンと突いたのだった。
そのあとはと言うと、ヴロンスキーの喪失感、リョーヴィンの哲学的探究。
アンナの夫カレーニンが妻の浮気にどう対応するかと言うときにもキリスト教が影響を与えていたし、リョーヴィンにもキリスト教が根付いている(というか、後になって自分と宗教的価値観のすり合わせをしている)。
アンナの恋路ではなく、 -
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ネタバレアンドレイ、ナターシャ、ピエールが変転する。そこに長編の良さを見出す。人を長いスパンで捉えた時、変わるものが描けるからだ。
<メモ>
2-3-3 楢の木の変化は、アンドレイの見方を変える。古木も若芽を出す。老成から青春への回帰。ピエール、ナターシャもきっかけに。デタッチメントからコミットメントへ。孤独から人とのつながりへ。煩瑣な人間関係の中で、わたしも孤独を求め突けたが、本当に孤独になったときに、反転してつながりを求めた。犬を飼いたいとも。退職から仕事への意欲も。
2-5-13 アナトールがナターシャにキス。そこから彼女はアンドレイ公爵に醒める。ソーニャは阻止を図る。破談になってしまうのか -
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最初はサロンでのやり取りが延々と続く。人物造形に特徴は出ているが、物語に動きが少なく、退屈に感じる。遺産を受け取ることになるピエールの存在がちょっと面白い。
第二編に至って、集団が軍隊に移ると俄然、物語は動き出す。激しい戦闘シーンが続くわけではないが、戦争の位置付けをめぐって、様々な視点が交錯するのが興味深い。兵士であるアンドレイと外交官であるビリービンのやり取りなど。
最後のニコライの高揚感、負傷、惨めさ。アンドレイ侯爵のやりきれなさ。戦い抜いた、また、人間性を失わなかったトゥーシン大尉(砲兵隊長)の姿にしみじみしたものを感じた。
戦争の諸相を今回だけでも、思う存分描いていた。 -
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ネタバレ善をなそうという、素朴な信仰の大切さを訴えて終わる。理性の限界を悟った上で。人間くささは否定せずに。アンナの物語であり、リョービンの物語であった。その2人で対立されているのは、エゴイズムの解釈だろう。つまり、エゴに振り回されるか、エゴに誠実に向き合い続けるか。リョービんが絶大な人気や好感を誇るわけではないのがミソだ。
アンナの自殺の場面。そこに至るまでの焦り、怒りが延々と綴られ、自殺しか帰結がない描きだ。ヴロンスキーの時もそうだったが、死なないだけの浅さがそこにはあった。
ヴロンスキーが戦争に赴いてしまうのも、それが讃えられるのも、悲しかった。彼は後半、人格の深化が見られたような気がしたか -
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リョーヴィンとキティの偶然の再開。彼女がこちらを見つけた時の一瞬の輝いた目を見てもう一度確信する。自分には彼女しかないと。このシーンがとてつもなく好きだった。
リョーヴィンを軸とした田舎の描写、恋愛描写は、ナボコフをはじめとした一定数の読者から不評とのことで、確かに一理あると思った。アンナを取り巻く環境に比べ、リョーヴィンの恋愛は生ぬるい。確かにアンナとカレーニン、そしてヴロンスキーらのそれぞれの心情描写、何に悩んでいるかを考える方が有意義なように見える。
カレーニンはアンナの不倫を離婚などという、かえって妻が得するような形で罰するのではなく、別の形で、しかも世間に知られることなく罰したい -
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ネタバレここでもトルストイの筆は冴えている。
巻末の読書ガイドも素晴らしい。今回は読み方。マインドマップと象徴性に注目していて、こういうのを知ると長編の名作を読むのがやめられなくなる。
以下、メモ。ネタバレあり。
・キティ(カーチャ)のニコライの看病。理屈としての死と女性から見た死の違い
・ドリーの妊娠、出産、子育ての苦悩。P390。転じてアンナの生き方への評価のまなざし。
・快活なアンナ。人生の大事な部分に関して、眼を細めてしまう。これは小○今日子や他の不倫した女性にもあてはまる印象だ。あくまで印象だが。
・公爵令嬢ワルワーラの都合のいい、アンナ評。社会的に不健全でも、うわっつらだけ合わせること -
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ネタバレシベリア流刑の具体的な記載を読んだのは初めてだった。どんな場所だったのか、どんな人々が収監されていたのか、どんな生活がそこにあったのか、リアリティをもって知ることができた。
何年もそこから出られないことが決まっている人たちとの極限の共同生活。意外に秩序が保たれていて、仲間としての意識も私の想像以上にあったようだ。かえって囚人同士に任せておいたほうがうまくいくこともあるのだ。
たしかに重大な犯罪を犯した者たちばかりだけれど、彼らを人間として扱うことは最低限必要なことだと思った。それを教えてくれたのはシベリアの民衆だった。
監獄で人間をとことん観察し、自らの経験をもとに考え抜いたからこそ書ける内容 -
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新潮文庫の表紙が暗ぼったくて、また不穏なタイトルと相まって敬遠していましたが、全くの誤解。ドストエフスキーの4年間の投獄経験に基づく本作は、大変面白くて興味深い内容でした。
本作は、ロシア生まれの地主貴族である主人公が、妻殺しの第二種流刑懲役囚として10年間の獄中生活を送り、出獄するまでの囚人たちとの共同生活を通して、驚きや苦痛の断片を書き連ねたルポルタージュです。
当時のロシアの監獄では、足枷こそはめられていますが、大っぴらではないにしろ酒が手に入ったり、タバコが吸えてたりするのが意外でした。それらは、お金がものをいうのですが、やはり手先が器用な人は、どこに身を置いても強いですね。しかし -
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初トルストイ長編
幸せな家族はどれもみな似ているが、
不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある。
圧巻の世界観
登場人物がみんな生きている
熱情や妬みに翻弄されていく貴族たち
確かに昔存在していた時間たちが蘇り、
そこに生きていた人間たちの鼓動が感じられる。
本筋だけを追っていけば、
今日目新しい展開は特にないのだが、
一つ一つの挿話によって、
人物像だけでなく、彼らの生活の香りが浮き彫りになっていく。
アンナとリョーヴィン
アンナは恥辱との戦いであり、
リョーヴィンは自己との戦いであった。
地に足をつけて、自分と対話しながらなんとか生きていく。
それって、いつの時代も通用する教訓