山本周五郎のレビュー一覧
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周五郎短編集としては中庸
周五郎ファンです。数多くの著作を読んでおります。短編集では、「おさん」「人情武士道」「雨の山吹」「繁あね」などが秀作を掲載しております。この「花匂う」に掲載の短編は周五郎としては、そこそこの出来の短編を集めております。初めての場合は、先述の短編集から選ばれることをお勧めいたします。(完)
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山本周五郎の短篇小説集『一人(いちにん)ならじ』を読みました。
ここのところ、山本周五郎の作品が続いています。
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合戦の最中、敵が壊そうとする橋を、自分の足を丸太代りに支えて片足を失った武士を描く表題作等、無名の武士の心ばえを捉えた14編。
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1940年(昭和15年)から1957年(昭和32年)に発表された作品14篇が収録… 『花の位置』だけは、時代小説ではなく、現代小説です。
■三十二刻
■殉死
■夏草戦記
■さるすべり
■薯粥
■石ころ
■兵法者
■一人ならじ
■楯輿
■柘榴
■青嵐
■おばな沢
■茶摘は八十八夜から始まる
■花の位置
■解説 木村久邇典
『茶摘は八十八夜から始まる』だけは再読、残りの13篇は初めて読みました… イチバン好きなのは『茶摘は八十八夜から始まる』ですね、、、
改易で岡崎藩にお預けとなった明石六万石の領主・本多出雲守政利の相伴役を買って出た水野平三郎… 自らも痛みを抱いた武士の落魄した者への労りの情と、それによって甦る誇りの存在が描かれており、平三郎が立ち直るとともに、本多政利が人間回復するという展開が感銘深いですね。
次に印象的なのはタイトルのように爽やかな一篇『青嵐』かな、、、
伊能半兵衛に嫁してわずか12日目の登女(とよ)の前に1歳くらいの子どもを負ぶった女が現れ、旦那の子どもであるから養育費が欲しいと言い、登女は動転するが… 友人の陰謀や、お互いの誤解を乗り越えて、より愛情が深くなる展開が好きですね。
それ以外では、合戦の最中、敵が壊そうとする橋を支える丸太がわりに自分の足を使い、片足を失う『一人ならじ』、
敵の武将を倒しても首級(しるし)を掻き取ることをせず、すばやく次の敵を求めて前進する『石ころ』、
他に『三十二刻』、『殉死』、『夏草戦記』、『さるすべり』、『薯粥』など、名誉や名声を求めず、立身栄達も望まず、黙々としておのれの信ずる道を生きる無名の武士たちとその妻の心ばえを描いた“武家もの”の傑作が堪能できました、、、
小説を愉しみながら、ひとの生き方を教えられたような印象… 更迭が相次ぐ某政権、政治家の皆さんに読んでもらって感想を聞いてみたいですね。 -
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山本周五郎の短篇小説集『あとのない仮名』を読みました。
『日日平安―青春時代小説』、『松風の門』、『栄花物語』に続き、山本周五郎の作品です。
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腕利きの植木職人が職を捨て、妻子を捨てた理由とは? 笑って泣ける傑作8篇。
江戸で五指に入る植木職でありながら、妻とのささいな感情の行き違いがもとで、職を捨て、妻子も捨てて遊蕩にふける男の寒々とした内面を虚無的な筆致で描いて、周五郎文学に特異な位置を占める最晩年の傑作「あとのない仮名」、夫婦の変らぬ愛情を、枯死するまで色を変えない竹柏に託した武家ものの好編「竹柏記」ほか、「主計は忙しい」「桑の木物語」「しづやしづ」など、全八編を収める。
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1942年(昭和17年)から1966年(昭和41年)に発表された作品8篇が収録されています。
■討九郎馳走
■義経の女
■主計は忙しい
■桑の木物語
■竹柏記
■妻の中の女
■しづやしづ
■あとのない仮名
■解説 木村久邇典
相変わらずですが、山本周五郎の短篇は、安定した面白さですね… そんな中で印象に残ったの
原田道場の師範代で、病気がちな師に代わり道場を切り盛りし、いつも忙しがっている牧野主計の抱腹な行動を描いたユーモラスな作品『主計は忙しい』、
その藩に伝わる『杏花亭筆記』に、生まれつきの奔放無埒で勤め方よろしからずと記載されていた土井悠二郎と、藩公の正篤の主従間の友情を描いた感動の物語『桑の木物語』、
高安孝之助は、親友の鉄馬の妹である杉乃に、岡村八束という愛人がいるのを承知で妻に迎える、妻が八束を愛していたることを知っている孝之助は、八束の悪事を妻に話さず、妻も孝之助に心を開くことはなかった… 孝之助と杉乃が真の夫婦になるまでを描いた『竹柏記』、
江戸藩邸に将軍家を招くために御殿を新造すべく資金を調達するために帰国した家老・信夫杏所に対し、内政ひっ迫による窮状を知る勘定奉行の若杉泰二郎は真っ向から家老に反対… 泰二郎の言動に共感するとともに老獪で放蕩者の家老が真実に気付く姿が巧く描かれている『妻の中の女』、
仲間たちと深川の岡場所にやってきた貞吉は、しづと出会った… 貞吉としずの出会いと別れを描いたちょっと切ない『しづやしづ』、
かなぁ… 山本周五郎の作品は読むのをやめられなく魅力がありますねー 次も読んでみようと思います。 -
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山本周五郎の長篇小説『栄花物語』を読みました。
『日日平安―青春時代小説』、『松風の門』に続き、山本周五郎の作品です。
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非難と悪罵を浴びながら、意志堅く改革に取り組んだ老中田沼意次を描く感動の歴史長編。
徳川中期、農村が疲弊し、都市部の商人が力を持ち始めた転換点。
老中首座の重責を担う田沼意次は、貧者への重税、賄賂政治、恣意的人材登用と非難にまみれていた。
――悪政の噂は本当なのか。
出所はどこなのか。
絶望の淵にあっても、孤独に耐え、改革を押し進めた田沼意次という不屈の人間像を新しい視点から描く傑作歴史長編。
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読売新聞東京本社が発行する週刊誌『週刊読売』に、1953年(昭和28年)1月から9月まで連載された作品です。
江戸時代中期、老中田沼意次は金権政治家の汚名にまみれていた… 田沼批判の戯文を書いて出頭を命じられた旗本の青山信二郎は、意次と対面し、その清廉な人柄に引きつけられる、、、
しかし、失脚をもくろむ反田沼派の魔手はいたるところにのびていた… やがて、最愛の息子、意知が城中で斬りつけられ、意次は絶望の淵へと追いつめられてゆく―。
田沼意次曰く、「たとえゆき着くところが身の破滅だとしても、そのときが来るまではこの仕事を続けてゆく、いかなるものも、おれをこの仕事から離すことはできない」田沼意次父子を進取の政治・経済改革者として大胆に捉え直し、従来の歴史観を覆した名作! 経済小説の先駆でもある。
田沼意次は賄賂政治の代名詞のような存在という先入観、イメージがあったのですが… 本作品は、田沼意次、意知父子の視点だけでなく、田沼父子に関わることになる、下級武士の青山信二郎や河合(藤代)保之助、佐野善左衛門、一揆を率いた盗賊の新助(もとは人足の千吉)等の複眼的の視点から、その存在を見直し、商業資本の擡頭を見通した進取の政治家であったという、新しい視点から、絶望の淵にあって、孤独に耐え、改革を押し進めんとする不屈の人間像が描かれていましたね、、、
そして、田沼父子のことだけを描くのではなく、著者らしい市井のドラマ… 男女と友情、政争、思想と家族等も巧く織り込み、時代の流れに振り回される人々のドラマが重層的に展開するところが印象的でしたね。
新助が息を引き取る際に、信二郎が呟く、
「~前略~ 人間は生きている限り、飲んだり食ったり、愛したり憎んだりすることから離れるわけにはいかないものだ、どんなに大きな悲しみも、いつかは忘れてしまうものだし、だからこそ生きてもゆかれるんだ― ~後略~」
という言葉が印象に残りました… 当たり前なことなんだけど、改めてそうなんだよなー と感じましたね。 -
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山本周五郎の短篇小説集『松風の門』を読みました。
『日日平安―青春時代小説』に続き、山本周五郎の作品です。
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幼い頃、剣術の仕合で誤って幼君の右眼を失明させてしまった俊英な家臣がたどる、峻烈な生き様を見事に描いた“武道もの”の典型「松風の門」、しがない行商暮しではあるけれども、心底から愛する女房のために、富裕な実家への帰参を拒絶する男の心意気をしみじみと描く“下町もの”の傑作「釣忍」、ほかに「鼓くらべ」「ぼろと釵」「砦山の十七日」「醜聞」など全13編を収録する。
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1940年(昭和15年)から1964年(昭和39年)に発表された作品13篇が収録されています… 『失恋第五番』だけは、時代小説ではなく、現代小説です。
■松風の門
■鼓くらべ
■狐
■評釈堪忍記
■湯治
■ぼろと釵
■砦山の十七日
■夜の蝶
■釣忍
■月夜の眺め
■薊
■醜聞
■失恋第五番
■解説 木村久邇典
山本周五郎の短篇は、安定した面白さですね… そんな中で印象に残ったのは、
藩主・宗利の幼少時に剣術の仕合で右眼を失明させたことを償うための決死の奉公… 池藤小次郎の忠義の行動に静かな感動を覚える『松風の門』、
伯父の厳しい忠告により堪忍することを宗とした癇癪もちの青年が、周囲から軽蔑されるが、悶々の挙句、ついに堪忍袋の緒を切って、自身の自主性を取り戻すクライマックスが爽快感な『評釈堪忍記』、
性格の異なる、おしずとおたかの姉妹の鮮やかな性格描写、世直し運動家と称する兄・栄二の両親の扱い… 家族への複雑な思いを描いた『湯治』、
保守派の家老を斬って隠し砦に立て籠った青年武士たちの極限状況における17日間の微妙な心理を揺れ動きをテーマにしたサスペンス色の強い『砦山の十七日』、
著者が"一場面もの"と名付けた作品のひとつで、市井の生活の一場面を切り取り、舞台劇を観ているような展開が新鮮な印象を与え、深い余韻を残す『ぼろと釵』と『夜の蝶』、
肉親への愛情を断ち切って裕福な実家への帰参を振り捨て、しがない棒振りの暮らしを選ぶ心意気が爽やかな下町モノ『釣忍』、
かなぁ… 読めば読むほど、味わいが深くなる山本周五郎の作品、次も読んでみようと思います。 -
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そういう身体、そういうこと、ってどういう体のどういうことだ?
と思いつつ読み進めたところ、うーん
記憶も心もどこかへ吹っ飛んで、完全なるあへあへ状態になり、わからない男の名を呼んでしまうとか言う女の「からだの癖」だと。
いやこれ普通に考えれば演技だし、本当とすればある意味脳の欠陥だし。
これを小説にしてしまって、世の男たちは「こんな女がどこかにいるのだ」と憧れちゃうわけで、まあねー周五郎もしてやったりのニタニタかもしれんけども。
別にそんな体でなくたって、忘れられず人生を狂わしてしまう異性は存在すると思うのよ。むしろそこに限定する設定にすれば書く場合には簡単かもね、なんて穿ったことも思いました。ほほほ -
Posted by ブクログ
山本周五郎の短篇時代小説集『おさん』を読みました。
『寝ぼけ署長』、『五瓣の椿』、『赤ひげ診療譚』に続き、山本周五郎の作品です。
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純真な心を持ちながらも、女の“性”ゆえに男から男へわたらずにはいられないおさん――世にも可愛い女が、その可愛さのために不幸にひきずりこまれてゆく宿命の哀しさを描いた『おさん』。
芸妓に溺れ込んでいった男が、親友の助力で見事に立ち直ってゆくまでを描いた『葦は見ていた』。
“不思議小説”の傑作『その木戸を通って』。
ほかに『青竹』『みずぐるま』『夜の辛夷(こぶし)』など全10編を収める。
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1943年(昭和17年)から1963年(昭和37年)に発表された10篇が収録されています… 『その木戸を通って』と『おさん』は、今年2月に読んだ短篇集『山本周五郎名品館Ⅰ おたふく』に収録されていたので再読ですね。
■青竹
■夕靄の中
■みずぐるま
■葦は見ていた
■夜の辛夷
■並木河岸
■その木戸を通って
■おさん
■偸盗
■饒舌り過ぎる
■解説:木村久邇典
愉しめる作品が多かったですが、そんな中でも、
手柄を上申しない一徹な武士の生き方に憧れを感じる『青竹』、
老婆の期待を裏切れず、衝動的に口から出た嘘により救われる展開… 明るい未来を予感させる結尾が巧みで、人間であることの哀しみや喜びが感じられる『夕靄の中』、
武家の養女となった太夫が、健気に明るく成長する展開と彼女の天真爛漫な性格に好感がもてた『みずぐるま』、
どんな夫婦にも幾度か訪れる危機を描きつつ、二人だけの共通の遠い思い出が心を引き留める、清々しくて、明るい未来を予感させる結末の『並木河岸』、
不思議小説… 舞台を江戸にしたSFで幻想部分と現実部分の奇妙な調和が愉しめる『その木戸を通って』、
可愛いおんなであるがゆえの宿命の哀しさを描く『おさん』、
の6篇が印象的でしたね… 連続して愉しんでいる山本周五郎の作品、次は長篇を読んでみるかな。 -
Posted by ブクログ
山本周五郎の連作ミステリ短篇集『寝ぼけ署長』を読みました。
山本周五郎の作品は今年2月に読んだ『柳橋物語・むかしも今も』以来ですね。
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“寝ぼけ署長”こと五道三省が人情味溢れる方法で難事件を解決。
周五郎唯一の警察小説。
五年の在任中、署でも官舎でもぐうぐう寝てばかり。
転任が決るや、別れを悲しんで留任を求める市民が押し寄せ大騒ぎ。
罪を憎んで人を憎まず、“寝ぼけ署長”こと五道三省が「中央銀行三十万円紛失事件」や「海南氏恐喝事件」など十件の難事件を、鋭い推理と奇抜な発想の人情味あふれる方法で次々解決。
山本周五郎唯一の警察小説。
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雑誌『新青年』の1946年(昭和21年)12月号から1948年(昭和23年)1月号に連載された警察小説… 作中の時代設定は戦前となっており、作中に登場する警察機構も内務省時代となっています、、、
また、連載当時は作者名が伏せられ「覆面作家」名義で発表され、全3話で終了予定だったようですが、読者から好評だったため連載が延長され、全10話となったそうです。
■中央銀行三十万円紛失事件(『新青年』1946年12月号)
■海南氏恐喝事件(1947年1月号)
■一粒の真珠(1947年2月号)
■新生座事件(1947年3月号)
■眼の中の砂(1947年4月号)
■夜毎十二時(1947年5月号)
■毛骨屋(けぼねや)親分(1947年9月号)
■十目十指(1947年10月号)
■我が歌終る(1947年12月号)
■最後の挨拶(1948年1月号)
■解説 中島河太郎
ある地方都市の警察署に、五道三省(ごどう さんしょう)という風変わりな署長が赴任してきた… 署でも官舎でも寝てばかりで、口さがない新聞からは「寝ぼけ署長」というあだ名をつけられ、署内でも世間からもお人よしの無能だと思われていた署長だが、5年後に離任することになった際には、署内からも世間からも別れを惜しむ人々が続出し、貧民街では留任運動すら起こされることとなった、、、
五道署長の在任中、犯罪事件は前後の時期の十分の一、起訴件数も四割以上減少していた… そのため「寝ぼけ署長でも勤まる」などと揶揄されていたが、実は切れ者で辣腕家の署長が、いち早く真相を突き止めており、しかも、人情家の署長が、罪を憎んで人を憎まずの精神から、過ちで罪を犯してしまった人間を可能な限り救済しようと、巧妙に工作していたからだったのである。
そんな署長の活躍ぶりを、署長の秘書のような役割をつとめていた「私」が回想する…… 。
ジャンル的には警察小説なんでしょうが… 人情モノ、人情事件簿的な色の濃い作品でしたねー 警察署長・五道三省の弱者に優しい眼差しは『赤ひげ診療譚』の雰囲気を感じさせられましたね、、、
地元の有力県議を向こうに見事な啖呵を切り、五道署長のもうひとつの意外な顔が明らかになる『毛骨屋親分』、
地域のコミュニティから外されてしまうことの恐怖をテーマにした『十目十指』、
密室殺人(自殺?)を扱い本格ミステリの雰囲気が漂う『我が歌終る』、
そして、警察署を静かに去っていく『最後の挨拶』、
あたりが印象に残りましたね… 人を憎んで罪を憎まず ですね。 -
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山本周五郎作品を初めて読んだ。
伊達騒動の真実は置いといて、歴史小説として面白かったけど、共感することが難しい壮絶な価値観でもあった。
大藩の改易ともなれば、数万人の武士が失業するわけで、その事態を十数人の犠牲で防いだ、という意味では利他的な美談であることは間違いない。
しかしながら、『御家の為』と言われると、現代の価値観からすると、そこまでして守らないといけないほど伊達家はエライのか?とどうしても感じてしまう。
また、原田甲斐が汚名を被って死ぬことで、本当に仙台藩が安泰となる確証があったかというと、かなり分が悪い賭けだったのではないだろうか。ラストの修羅場具合からすると、仙台藩に自治能力無しとして酒井侯が改易に踏み切る可能性はそれなりにあったのではなかろうか。
唯一の障害は、密約の原文を見た久世侯が黙っていない、という点だろうが、酒井侯に『知らぬ存ぜぬ』で押し切られてしまうリスクもあった思う。極めて分の悪い賭けに自分の名誉ではなく汚名を賭けた、という設定がすごい。決して真似が出来ない。
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ジョージ•オーウェルの『動物農場』の、開高健による解説の中で、日本では珍しく成功したといえる政治小説、としてこの作品が言及されていたので、気になって読み始めた。まだ、中と下が残っていて、とても長い。
人名が長くて、かつ館の所在地も含めて、呼び方が3〜4種類くらいあるので、ぼーっとしてるとスジが分からなくなる。(例、主人公の原田甲斐宗輔は船岡に館があって、原田、甲斐、船岡、と場面によって呼び名がちがう。)ロシア小説よりはまだましか。
肝心のお話としては、家藩を守るために、『敵を欺くにはまず味方から』の精神で、理解されない辛さに耐えつつ、布石を打ち続けるところまで。
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ネタバレ
若い頃は大好きな作品だった
しかし最近読み返してみたら、主人公の余りの人間味のなさにちょっと辟易してしまった
両親や兄弟、同僚、恩師、愛人、妻
それぞれの切り捨て方が酷い
お人好しでは務まらぬ厳しい道を歩んでいたのは理解出来るが、だからといって人としてどうなのかというレベル
主水正は長い間立派に留守宅を守っていた妻のつるの意思などおかまいなしに、未練がでるからと子供を作らない事に決めている
愛人との間には二人も子供を作っていたのに可哀想すぎるだろ
主君以外には自分の生き方を絶対人に左右させないのを若い頃はかっこいいと思っていたのだが、やはり年を取るとそんな人間と関わってしまった周囲に目が向いてしまう
この作品は周五郎の晩年にかかれたはずで、作者の疲れが主水正の疲れと重なっているというような解説を読んだ気がするのだが、周五郎自身は主水正の生き方をどう思っていたのだろう
樅の木の原田甲斐も似たようなタイプだから、そういう男に憧れていたのかもしれない