高見浩のレビュー一覧
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ネタバレ「太陽や月や星を殺さなくていいのは嬉しいことだ。海で暮らし、これぞ兄弟と思える魚たちを殺す、それ以上何を望むことがあろうか。」
今更ながら、ちゃんと世界の名作を読もう、と手に取った。
まさか、物語のほぼ全てが、巨大な魚、サメたち、そして海そのものと老人が戦う内容とは知らなかった。
鮮やかな海の描写が素晴らしい。
老いても溢れる生命力に突き動かされる老人。
海の寛容や理不尽を全てありのままに受け止め、ただひたすらに生きる。
そういう風に生きれたらシンプルで幸福なのかな?
拙い想像はできるけど、あまりにも解像度が粗く、私は、大地や自然、海から遠い場所で暮らしてしまっているんだなぁ… -
Posted by ブクログ
勘違いしていた。タイトルや序盤の雰囲気から、海と老人の人生を重ね合わせたり、少年との交流を描いたりする寓話的な話なのかと思っていたら、良い意味で裏切られた。
実際にそこにあったのは、一人の老人と一匹の魚が一対一で対峙する世界。
それが圧倒的な迫力と熱を帯びてハードボイルドに迫ってくるせいで、その一人と一匹の世界に引きずり込まれてしまうような熱さを持った作品だった。
そうたらしめているのは、恐らく綿密な洋上の情景描写と、それに立ち向かう老人の意識の流れのリアルさだ。
俯瞰した視点で海の情景を細かに描写する一方で、突然老人の頭の中に入れられたかのように、彼の巡る思考や混濁する意識さえも描かれる。そのせいで、文字から情景が浮かび上がりながらも思考をジャックされ、作品の中にのめり込まされてしまった。
個人としてはこの作品に教訓めいたものはあまり感じず、ただ「友とも言い得た巨大な魚」と老人の、命をかけたタイマンから何を思うかは自由、といった印象だ。
いつの間にか手に汗を握り、生唾を飲み込んでしまうような、そして読んだ後も、老人と魚が相対する世界に一人取り残されたような感覚が燻り続ける傑作でした。 -
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ネタバレ序盤はやや退屈に感じられるも、巨大カジキとの格闘が始まるあたりからは惹きこまれた。不思議な疾走感あり。漁に出てからは、老人の独り言のみで物語が進む。場面もずっと変わらない。これだけ要素を削ぎ落として魅力的な物語に仕上がってるのは凄いと思った。シンプルな美しさを感じた。心理描写が丁寧なのも良かった。カジキとの格闘は他の誰にも見えず、存在するのは骨だけ。他者には何も理解されず、高い評価を受けることもない。お金にもならない。それでも、老人は自分の中で納得できる戦いをしたことで、満足して人生を終えたように感じた。自分の信念や矜持を貫く幸せというのを感じた。
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ヘミングウェイがパリで当時の妻と貧しいながらも執筆に励んでいたときのお話。一冊を通して、ヘミングウェイのパリでの生活が描かれていたものの、編ごとに独立したような構成になっていたので、入り込む難しさがあった。(あと登場人物多かった…)フィッツジェラルドが少し滑稽に描かれていたのは、やっぱりライバル心からだったのかな…こんなに関係が深かったとは知らなかったので面白かった。あとがきを読んで、亡くなる3ヶ月前に当時の妻にこの本を書き上げるために助けを求めていたと知り、最期に人生全体の自伝を書くのではなく、駆け出しの時代に思いを馳せていたことに、言いようのない切なさを感じた。
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ネタバレ上巻でレクター博士がいよいよ本作の敵役であるヴァージャーとの対決に向かうのがこの下巻になる。
これまでのシリーズの中でレクター博士が読者の共感や魅力を集める要因の一つに、彼が抱える「理由(トラウマ)」の存在があるだろう。第二次大戦の戦時中、最愛の妹ミーシャを失ったという壮絶な過去は、彼が現在の怪物へと至る道程における一種の「免罪符」として機能しているのだ。
一方で、彼と対峙するポール・クレンドラーやメイスン・ヴァージャーといった人物からは、本作においては同情の余地が一切排除されている。特にメイスン・ヴァージャーの邪悪さは、レクターと出会う以前から完成されており、そこには酌量すべき背景が見当たらない。この対比が、レクターの行動を「悪をもって悪を制する」一種の因果応報、あるいは勧善懲悪のようなカタルシスへと昇華させているのが本作の構造と言えるだろう。
因果応報という言葉が存在する日本だけでなく、世界中には「悪はいずれ裁かれるべきである」という感覚がある以上、レクターによって裁かれる悪は感情移入ができない方が望ましい。また子供や女性といった弱い者を対象としているメイスンの方がより生理的に受け入れがたいと感じるだろう人間も多いに違いない。彼が思いつく、この場合はレクター博士を豚に食わせて殺すなどといった発想は普通の人間であればちょっとできないだろう。
結局、劇中では彼はレクター博士ではなく他の人間によって殺害されることになるのだが、彼の悲惨な死に方を見てもそこに恐怖はなく、ただ冷めた感情が心の中に広がるだけだろう。自分は彼こそが豚に食われると思っていたのだが、作者のトマス・ハリスはもっと馬鹿馬鹿しい死に方を選択している。
こういった勧善懲悪に近い物語を提示しながらも本作が賛否両論となり、ジョディ・フォスターが出演を断ったのは、物語の終盤にレクターによって救出されたクラリス・スターリングが辿る運命に大きな理由がある。
メイスン・ヴァージャーとの戦いで意識を失うことになった彼女は、レクター博士によって「治療」を受けることになる。その治療は単に肉体的なものではなく、精神的な物も含んでおり、最終的に薬物投与と催眠術的な暗示によって、彼の傍に留まることを選択する。これまでの物語において、レクターは言葉巧みに人を操る能力に長けていたが、クラリスに対して「薬物」という人為的な手段を用いたことは、彼のキャラクター性からは以外な気もするが、勝手に美学を投影していたのだと言われたら、その通りという気もしてしまう。
そしてFBI捜査官としての矜持を持ち、亡き父への想いを抱きながら自己を律してきたクラリスも、この展開により自由意志を持った存在から、レクター博士によって構築された世界の一つになってしまう。彼女が薬物によって自己(アイデンティティ)を書き換えられ、自由意志を失った状態で「幸福」に浸るラストは、あまりに作為的である。一度壊れた心は元通りにはならないという本作の通底するテーマがあるにせよ、彼女が「自分らしさ」を捨て、異質な怪物側の世界を受け入れてしまう展開には、読者として受け入れがたい抵抗感が残る。
改めて客観的に見れば、レクターには善と呼べる要素は何一つない。しかし、悪には悪なりの理由があることを読者に考えさせる力がある。それだけに、最終盤でクラリスの自由意志が介在しない形で物語が閉じられたことは、非常に恣意的であり、彼女のこれまでの歩みを否定しかねない危うさを孕んでいる。
この結末を「一線を超えてしまった者の末路」と捉えるか、あるいは「強引な書き換えによる悲劇」と捉えるかは読み手によって変わってくるとは思う。自分の場合はただ一点、薬物を使ってしまったという要素において、物語が神話的なものからひどく通俗的なものに堕してしまった気がするのだった。 -
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ネタバレジョディ・フォスターが降板してしまったために残念な結果になってしまった映画版を見たということもあり、一度小説を読んでみようと思って手に取った。上下巻に分かれている本作は、上巻では前作の最後に脱獄に成功したハンニバル・レクターがフィレンツェで事件を起こした後にアメリカに戻ってくるまでが描かれる。
先に映画を見ていることもあり、頭の中で映像と合わせながら作品を見ることができるという理由もあるが、翻訳ものとしてはかなり情景が日本人に優しいというか想像がしやすい作品となっていてスイスイと読んでいける。レクター博士が前作と比べてもよりやや人間らしいというか、クラリスに就寝なところがやや違和感があり、そのあたりの違和感が結局最後のエンディングにつながってくるのだろうと思う。
何せ前作である『羊たちの沈黙』が評価が高すぎることもありこの作品はやや評価が低いとされているのだが、ミステリー単体として読んでも十分に面白いと個人的には思っている。 -
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ようやっと読み終わった、、、、!
元々外国の和訳を読むのが苦手(名前、地名、時代背景が分からない)なのと、上巻と比べて物語の描かれ方が違ったのに苦戦をした。上巻は主にクラリス視点で物語が進んでいたのに対して、下巻では一気に時が進んだのに加え、様々な人物の思惑や背景描写が描かれた群像のようになっていた。
上巻ではレクター博士が狂気の象徴として描かれていたのが下巻ではレクター博士の人間としての過去などの肉付け、それにメイスン、グレンドラーなど非常に現実感のある人間の中のいやらしい悪がレクター博士とは別の路線で描かれて交差していた。
最後まで進めば後は一気に読め終えた。面白い。 -
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本作はヘミングウェイの意気込みとは裏腹に発行当初から不評だったというが、確かにヘミングウェイにしては少し冗長的で、普段の力強さを感じなかった。
でもそれは、常に力強く生きてきたヘミングウェイが、戦争を経てヴェネツィアで18歳の美しい娘(アドリアーナイヴァンチッチ)と出会い、肩肘を張らず本来の不器用だが繊細なヘミングウェイに束の間戻れたからではないだろうか。本作発表と同年に「老人と海」に取り掛かったそうだ。やっと肩の力を抜いて生きようとしたヘミングウェイだったが、本作が不評だったこともあり、「俺はまだまだいけるんだぞ」と渾身の力を込めて描いた傑作が「老人と海」だったのではないか、などといったヘミングウェイの人生を感じた。
もし「河を渡って木立の中へ」が絶賛されていたなら、もしかすると老人と海は生まれていなかったかもしれない。でも、ヘミングウェイは人生の最後を安らかな気持ちで穏やかに終えることができていたかもしれない。人生は「たられば」の連続だが、「今をただ生きる」しかないのだとヘミングウェイから教わった。
ヘミングウェイの戦争への悔恨、反戦への願いを強く感じ、小説というよりはヘミングウェイ自身の独白のような作品だった。