【感想・ネタバレ】移動祝祭日のレビュー

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Posted by ブクログ

老いたノーベル賞作家が、若き日の海外生活をノスタルジックに振り返る。売れない作家の苦しみ、貧乏、焦燥感が生き生きと伝わってくる。

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2023年07月13日

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ヘミングウェイの集大成ともいえる作品。2冊目にこの本を選んだのは順序的におかしいかもなと思ったけど、多分これから著書を読むにあたって理解の補助になるだろうと思い、むしろプラスになるのではないかと思ってみたりする。
やはりヘミングウェイの書く文章は明快で生き生きとしていて、さも自分自身がその世界に入り込んでいるかのように感じられて好きだ。もしかしたらリラでのエヴァン・シップマンのトルストイのくだりにあるように、翻訳者の手腕も一因としてあるのかもしれないが...。
この本を通じてエズラ・パウンドやスコット・フィッツジェラルドなどの著書も読んでみたいなと思ったし、リラにも行ってみたいと思った。私のやりたいことが増えたことが読んで得たものの中で1番大きいことだろう。
私にとってのa moveable feastは多分熱海だと思う。ただ、訪れた場所が少ないこともあり、比較対象が少ないため、これから色んな場所に行って、真のa moveable feast見つけたいな。

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2022年07月09日

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芸術家が集う1920年代パリの活気を綴ったメモワール。決して、青春の群像劇ではない。堕落する者もいるパリで、数々の出会いが交錯する。それが作者の才能を刺激し、逞しい創作意欲を育んだ...“祝祭日”とは喝采を浴びた者だけに許される慰めの軌跡ではなかったか...

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2020年12月05日

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往来堂書店『D坂文庫2012冬』から。
文豪が若き日々をパリで過ごした時の回想録。当時の暮らしぶりや交友が赤裸々に語られていて、大文豪も所詮"男"だったんだなぁと、その存在が少し身近になった。それにしても、スコット・フィッツジェラルドとのことを描いた部分は出色。これだけで短編小説として楽しめる。
それから、もうひとつ。これから絵画を観るときは空腹にしよう。

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2018年11月18日

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「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らす事ができたなら、その後の人生をどこですごそうと、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」

という冒頭のエピグラフで有名なヘミングウェイの遺作。以前から気になる本であったのだが、品切れ状態となっていた。新訳で、文庫で出たので早速、読んでみる。

20年代のパリという伝説的な都市と伝説的な芸術家たち。そして、貧しくも、芸術を志す青年と新婚の夫婦の美しい愛。カフェ、レストラン、リゾートなどなどの風俗の記述。様々な芸術家達の姿の辛口の描写。

もう、絵に描いたような「修業時代の芸術家の貧しいけど、幸せな日々」の話である。そして、その美しい日々は、作家としての成功とともに、やってきた「リッチな連中」の侵入によって終わる。

「若くて幸せな日々」を描きながら、61才で自殺した作家の胸中には、どのような思いがよぎっていたのだろうか?

という作品の背景から必然的にやってくるセンチメンタリズムは抜きにしても、なんだか、とても切ない気持ちにさせる作品である。

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2017年05月02日

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お決まりぽいですが、『ミッドナイト・イン・パリ』繋がりで読んだら面白すぎて一気読み。ヘミングウェイが辛辣すぎて笑えて仕方ない。文学に真面目でひとを作品で判断するところとかどこかの誰かみたいで、可笑しかった。こういう男が好きだ。1920年代の狂騒の時代といわれたパリにたくさんの作家たちが集ったのは、アメリカがピューリタン色が強かったせいもあると思うけど、パリに行ったらなにかかわるのかもと思わせるものがあるのかも、昔も今も。短編集を読もう。

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2017年01月11日

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アーネスト・ヘミングウェイ22歳。新妻ハドリーを伴い、文学修業のためパリに渡ってからの思い出の日々を綴った青春回想エッセイです。ヘミングウェイの死後、発表されたものとのことです。

「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリはどこへでもついてくる魂の饗宴=移動祝祭日だからだ。」

1920年代パリ。第一次世界大戦が終わった後のパリは、次世代の新しい芸術を志す者が集まり、様々な才能が競い合う芸術の都であった!パブロ・ピカソ、ジャン・コクトー、ガートルート・スタイン、ジェイムズ・ジョイス、エズラ・パウンド、フォード・マドックス・フォード、エヴァン・シップマン、スコット・フィッツジェラルド・・・。
名がまだ売れていない若き日のヘミングウェイは、つましい生活を送りながらも、こうしたパリで文学を志し、文学サロンでの多彩な芸術家たちとの交流、美術館訪問、貸本屋で借りる文豪たちの小説、カフェでの執筆とさまざまな出会いを通して、その文学才能を開花させていった。それに、お腹をすかせながらもパリで興ずるボクシング、競馬、カフェでのワイン、高級でないフランス料理、そして妻との新婚生活!
まさにヘミングウェイにとっての青年時代の祝祭の日々が、当時を思い出しながらの会話やシニカルな観察眼を踏まえた文章力にて絶妙に再現され、それらに思わず笑みがこぼれます。また、当時に交流していた「自堕落世代」の芸術家たちへのどちらかといえば厳しくあからさまな批評・批判の数々は、読者にはとても面白いのですが、これは当時の文学界に波乱を巻き起こしたのではないかなあ。(笑)特にフィッツジェラルドとの破天荒な会話や2人珍道中は映画になっても面白いかもしれない。いや、それよりもこの『移動祝祭日』自体、映画でも相当面白くなるだろう。
青年時代の苦くもきれいな思い出に彩られたパリでの生活。解説を読むと、祝祭の記憶をこのような形で封印したかったヘミングウェイの想いが伝わってきて、羨ましくも物悲しい気分にさせられました。
パリ!そこは一度は暮らしてみたい憧れの都。しかし、祝祭の日々は若い時代に味わうものなんですね・・・。あ~ホントに限りなく羨ましい。魂だけは若返らせ、自分も一度は暮らしてみたい!

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2013年11月24日

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彼がなぜ、この本を書いて死んだのか、わかる気がした。彼は誰のためでもなく自分の心のひだがもっとも美しく活発だった頃を、不完全であれ目に見える器に写しておきたかったんだ。

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2012年08月24日

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生前未発表で、1964年(ヘミングウェイは1961年に自殺)に発表された、
ヘミングウェイの事実上の遺作とされている本書。

「やるべきことは決まっている、ただ1つの真実の文章を書くこと、
それだけでいい、自分の知っているいちばん嘘のない分文章を書いてみろ」

を信条に、愛妻ハドリーとともに短編作家として駆け抜けた1920年代の回顧録です。
早朝からお決まりのカフェで執筆に没頭し、午後はハドリーとむつまじく過ごす生活。
そんな生活は質素だったが、彼らは幸福を存分に享受していた。
しかし、やがて注目を受け始めた彼は、「パイロット・フィッシュ」に導かれ、
この幸福な生活に幕を降ろすこととなる。

「日はまた昇る」「老人と海」などで名声を得た後、死の直前に、
このように幸福な情景を容易に想像させる回顧録を執筆できるということは、
彼にとってこの時期は、宝物のような位置づけになっていたのだろうか。
だとすれば、それを崩壊させたという「パイロット・フィッシュ」の存在には、
十分に注意を払いたい。(払えるものなのかはわからない。)
以前読んだ「頂はどこにある?」で述べられていた、まずは現実を直視し、
「真実は何か」を問うこと、これが大事なのかな、とも思った。

なお、「グレートギャツビィ」のスコット・フィッツジェラルドとの対話や旅行記は、
描いていたフィッツジェラルドのイメージ(何にも基づいていないが)を壊しました。

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2011年07月31日

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文豪アーネスト・ヘミングウェイが何者でもなかった頃のこと。

愛する妻と、お金はないが幸せな日々を送るパリでの時間。
懐かしさと苦さと甘さが混ざった回想録。

100年前のパリをヘミングウェイが、フィッツジェラルドが、ジョイスが、ピカソが歩いて声を交わしていたんだな、本当に。

誰も拒まないパリの懐の深さを知った気分。

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2023年12月27日

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面白かったです。ヘミングウェイの1920年代のパリでの作家としての修業時代、パリで暮らす文壇、画家達、ガートルード・スタイン、フィッツジェラルドとの交流が描かれています。また、最初の妻との破綻と二番目の妻となるポーリンファイファーとの三角関係で悩むヘミングウェイがさらっと書いています。

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2023年12月19日

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序文から心をわしづかみにされた。
若い頃、ほんのわずかな間、パリに滞在したことがある。帰国後もしばらくの間は、熱にうかされたように、パリでのことを思い返せずにはいられなかったから。

無駄のない文章と鋭い観察眼で、ヘミングウェイがいた1920年代のパリと、同時代に生きた作家たちの飾らない様子が描かれており、最後まで興味深く読めた。

この作品はヘミングウェイの死の一年前に完成したそう。その後、猟銃での自死を選んだヘミングウェイ。そんな単純なことではないのかもしれないが、やはり人は死ぬ前に一番幸せだった時のことを思い出さずにはいられないのだろうか…等々、老いることについても考えさせられた。

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2023年02月11日

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大昔、まだ20代の頃旧訳を買ったが、どうしても一冊読み通せなかった。しかし今回、青山浩の新訳を古本で見つけて読んだら、あっさり読めた。

冒頭の章、パリのお気に入りのカフェで若き日のヘミングウェイが短編を書くところが好きで、そこだけは昔から、何十回も読んでいる。

昔読んだ時は、若き日のヘミングウェイに感情移入していたわけだが、今はこの本を書いた年代のヘミングウェイの視点で読む。悲しい。読み通せたのは、そのせいかもしれない。

スコット・フィッツジェラルドに関してはひどい書きぶりで気の毒になるが、確かに旅先で病まれた話を読むと、まあむべなるかなとも思う。
だけどリッツ・ホテルのバーで店員にフィッツジェラルドのことを尋ねられて「長編の傑作を二つ書いている、未完の長編も完成したら傑作になっていただろうと言われている」と答えている。その才能を認め、畏怖していたことは間違いないだろう。

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2021年11月07日

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NHKの100分de名著「ヘミングウェイ・スペシャル」に合わせて購入。
放送終了とほぼ同時に読み終えた。

予備知識なしでは少し読むのが大変だった。
フィクションのようでフィクションでない。不思議な回顧録です。

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2021年10月31日

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気軽に読めたしフランス生活とかワインとか興味深かった。
出版時に物議を醸したであろう内容というのもわかるけど、死後の出発だからどこまで本人は出版物として出すつもりだったのか、出版社が意図的に変更したところやら削ったとこもあるとか無いとかで、本人が仕上げてたらどうだったであろうかと思う。
ただやっぱり通して読んだ回想としてもベッドでちょっと読むとか、誰か待っている間に読むとかするのにちょうど良い章の長さや口調だったな。

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2020年12月04日

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彼の最後の作品。1961年自殺してしまう年に書き上げた。

最初の結婚(4回もしている!)相手ハドリーとのパリでの思い出をエッセイを越えた芸術論、創作論に表しているもの。

作品が売れ始める(認められる)までのみずみずしい感性があふれるように書かれてあり、引き込まれてしまう。いかにしてヘミングウエイになったか。

1921年から1927年までのパリにいる作家達とのやりとりが実名で出てくる。フィッツジェラルドの章など興味津々。

もちろん創作、誇張し過ぎ部分もあるという。

そうだろう。思い出は切なくも美しいのだ。
しかし、翻訳で読んでも文章がいい。やっぱり本当の作家だ。

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2020年08月19日

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« 幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこで過ごそうとも、パリはついてくる。パリはParis est une fête (移動祝祭日) だからだ。 »

彼の冒頭の言葉がすごく心にしっくりと来て読み始めた本。わたしにとっても、パリは移動祝祭日だなあ、と思う。偶然にも、わたしが今住んでいる場所が、彼がパリで始めて暮らした場所と同じ地域。通り、カフェ、全ての場所に馴染みがあってとても感慨深い気持ちで読んだ。
とにかく描写が鮮やかで、読みながら頭の中で、ひとつひとつのシーンをとても簡単に鮮明に描けた。

フィッツジェラルドとゼルダとの話が特に面白かった。

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2019年06月27日

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「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこで過ごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ。」
私も若い頃パリで暮らした経験があるので、この表現にはまったく同感。ヘミングウェイが、パリを離れてかなり経ってから書き残したエッセイ集。同時多発テロに揺れるパリで、本書は再び話題になっているという。フィッツジェラルドの別の一面を垣間見たりできるのが魅力のひとつ。巻末の年表に続く訳者の解説も秀逸。

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2015年12月25日

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最初の数編は偏屈なパリの芸術家たちのエピソードとして無類の面白さだが、後半に差し掛かると反省の色が濃く、自尊心の塊に対峙するこちら側の体力が試され、読み進めるのが辛かった。しかしながら、エズラ・パウンドやガートルード・スタインとの会話は面白く、このような簡素な文章に凝縮させる作家の力量に驚かされた。(死後出版ゆえ、文章に他人の手が入っているようですが。)

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2015年01月12日

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若き日のパリ。そこに集まる人々。
名声を確立しても、二度と手に入れることはできない、眩しい思い出。
それは、時間が経つほど、自分の中でさらに美しくなる。
少しせつなくなった。

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2013年09月15日

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恥ずかしながらヘミングウェイの作品を初めてきちんと読んだ。
The Greatest Authorと呼ぶに相応しい巨匠であり、世界の愛読者がパパ・ヘミングウェイと敬愛する存在なのは読んでいなくても勿論知っていた。その大作家が若く無名な一時期、パリで過ごした時代の回顧物語だ。一読して私が驚いたのは、これほどの大物が貸本屋の会費も払えず、毎日腹を空かせ、パン屋やカフェの食べ物の匂いを避けるためにあえて公園の中をうろついて空腹を紛らわせていた、というようなエピソードだ。

戸塚真弓さんのパリの街にまつわるエッセイを三冊ばかり読んだうちに、チェルリー公園を歩きながらパリで暮らし小説家を志していたヘミングウェイが、いろいろ苦悩していた想いを偲ぶというくだりがあった。それを読んではいたけれど、先年チェルリー公園を訪れたときどうしてもこの公園とアメリカ文学の巨匠とのイメージが重ならなかった。

第一次大戦の直後の1920年代、パリにはアメリカ人の音楽家や作家など「パリのアメリカ人」だとか「ロスト・ジェネレーション」と呼ばれる一群の若者がいた。映画音楽の大家コール・ポーターや『華麗なるギャツビー』のフィッツェラルドで、後に『老人と海』で一世を風靡することになるヘミングウェイもその一人だ。この本と、たまたまほぼ同時に観たウッディー・アレンの映画『ミッド・ナイト・イン・パリ』でそのことを知った。どうして彼らは母国よりパリを活動の場として選んだのだろうか。あるいは逆になぜパリは多くの優れた芸術家を育み送り出しつづけているのだろう。

ともかく、この物語(あえて物語といいます)の中で自伝的に語られる「貧しく腹を空かした」無名時代の大作家が創作に苦悩する姿は、それだけでも読む者の胸を打つ。貧しい彼から会費を取ろうとせず、終始支援し続けたシェイクスピア書店の女店主(同書店の貸出本で世界古今の読み物を無名時代の彼は仏語圏にありながら母国語で望むだけ読むことができたのだ)。次の大戦末パルチザンの一員としてパリ入城後真っ先に突入し、「ナチスから解放」したのがそのシェイクスピア書店だったというエピソードなど誠に真っ当に感動物語ではある。しかし、巻末に収められた「解説」を読むと、成功物語の感動は複雑な思いに変わっていく。その中では当時一人目の妻であるハドリーと暮らしていたヘミングウェイは、地方紙の特派員としての安定収入を捨て創作に専念しようとしたことは事実だが、妻のハドリーは大資産家の娘であり、そのときすでに相続していた財産の利息収入だけで当時の平均的パリ市民の年収の十倍に匹敵していたと暴露されてしまっている。彼ら夫婦が実際に質素極まる暮らしぶりだったことも事実であるらしいが、それは「強いられた」貧しさではなく「自ら望んだ」ライフスタイルであったことが解説されている。だから、就職氷河期にフリーターやニートか、良くてもワーキングプアたることを運命づけられた現代日本の「ロス・ジェネ」たちと、元祖「ロスト・ジェネレーション」とよばれた1920年代のパリのアメリカ人たちとは、見かけ上自堕落な世代であること、前の世代の権威も価値も心の底から嫌悪していることなどの点においては共通しているかもしれないが、根本のところで全く違うと言えるだろう。

中学の歴史で「第一次大戦後米国は債務国から債権国に転じた」と教えられたとき、「サイケンコク」って一体なんだ、それがどーしたというんだと思った疑問が、今なら解る。毎月毎月マンションと車のローンを私は払っている。利息を払うためだけに働いているとさえ言える。夢見るのは宝くじで3億とか当てて、その利息だけで生きていけたらどんなにいいだろうということだ。

ここで債権国から来た資産家の夫ヘミングウェイの話に戻ると、解説では触れられていないもうひとつの事実に私は注目する。この『移動祝祭日』が書かれたのは1960年。翌61年に猟銃自殺を遂げた彼の実質的な遺作であるのだ。本邦のノーベル文学賞作家2人中1人も自死した。ヘミングウェイの場合も何故というのは、薄学の私には測りかねる。ただ、私にも言えるのは、この一冊は功なり名遂げた60歳のノーベル文学賞作家が、人生の最後に自身の若き日はこんなにも貧しく美しかった、そう描きたかったということであり、彼が遺した作品以上に、彼自身の人生そのものが偉大な物語であったといえる。偉大な作家の人生を自ら生きたのがヘミングウェイだったのではなかろうか。
私はそれを「演じた」というような軽いものではなく、彼が偉大と信じた人生を最後の瞬間まで貫こうとしたという、けっして軽くはないものだったと信じる。

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2012年06月17日

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一言でまとめてしまえば、「その昔、ごく貧しく、ごく幸せだった頃のパリの物語である」という最後の一文が当てはまる。有名になる前の、1921年から26年までのパリでの生活を綴った本。実質的な遺作だという。
当初、ヘミングウェイは文学修行の場としてイタリアを考えていたが、シャーウッド・アンダスンに諭されてパリに住むことになった。書店兼図書室のシェイクスピア書店店主のシルヴィア・ビーチの厚意で、入会費もままならない状態のヘミングウェイは各国の文学作品に接することになる。
先日読んだ「シェイクスピア&カンパニーの優しき日々」の流れで読んでみようと思ったのだが、後半の三章はパリで出会ったスコット・フィッツジェラルドとゼルダ夫妻に割かれていて、たぶんここがこの本のハイライトなのだろう。
酒に溺れる生活から抜け出そうとするスコットと、逆に引き戻すゼルダ。世間の風潮にあわせて軽妙にアレンジするスコットと、その俗っぽさを批判するヘミングウェイ。注釈や解説も丁寧で、当時のパリの模様が頭に浮かんでくる。もっとも、「この本はフィクションと見なしてもらってもかまわない」そうだが。

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2011年10月30日

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齢40過ぎにして、はじめてヘミングウェイを読んだ。時に狭小、時にフランク、そして万年腹ぺこボクサー。天才然としていない普通の人っぽくて好感が持てた。

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2011年09月24日

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虚実ないまぜの回顧録。小説としておもしろいかというと微妙なところ。事前情報がない方がいいです。なんか事実ねじ曲げてる感が強くなってしまう。でも、ウッデイ・アレンの映画「ミッドナイト・イン・パリ」はちょうどこの頃のヘミングウェイを模写していると思うのでイメージの助けにはなりました。

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2021年11月27日

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1920年代のパリの雰囲気を感じられた。もっとヘミングウェイを読んでから、この本を読んだ方が楽しめるのかもしれない。フィッツジェラルドとのやり取りは映画になりそうだなと楽しく読んだ。

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2021年11月11日

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ネタバレ

前半は余り面白く無かったですが、フィッツジェラルドの辺りは楽しく読めました☆ただ、二番目の嫁さんを完全に悪者に仕立て上げていた点は若干どうかなと思いましたが(^^;)。

アメリカのドルが急速に価値を高めていく中、アメリカ出身の芸術家たちがこぞって物価の安い(でも文化レベルは非常に高い)フランスに集まっていたんだなあという事を感じる事が出来、歴史的にも価値のある作品だと思います♪

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2021年03月18日

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ミッドナイトインパリを観返したくなる。猛烈にって程ではないんだけど、パリの街でヘミングウェイとハドリーに想いを馳せながら時を過ごしてみたいと思う。

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2020年02月04日

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みんなロストジェネレーションよ、という言葉をヘミングウェイに送った女史など、パリで出会ったアーティスト達との交流記。

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2018年12月03日

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過去の読書会課題本。著者が晩年にパリで過ごした若き日の思い出を書き溜めていたものを、その死後、妻が中心となって編集・出版したというモノ。ヘミングウェイの人柄などが見え隠れする部分が多く、そこは面白く読めた。

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2018年04月25日

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三連休が終わった。地下鉄の中で、Siri HustvedtのThe Blindfoldを読んでいた。地方からニューヨークに出てきた19世紀英文学専攻の女子大学生が、生活のために、不思議なバイトをするという出だしだ。彼女の英語は明晰で、とても読みやすい。

死んだ若い女の遺物についての観察をテープに吹き込むという奇妙なバイトだ。遺物が、本当の物になってしまう前に、その息吹を記録するという作業。囁き声でという注文。

The whisper is essential, because the full human voice is too idiosyncratic, too marked with its own history. I’m looking for anonymity so the purity of the object won’t be blocked from coming through, from displaying itself in its nakedness. A whisper has no character.

(囁くことが大切なんです。人間のはっきりとした声はあまりに、その人固有のもので、声自身の歴史にようなものが刻み込まれています。対象の純粋さが、裸のままで、現れてくるのを妨げないために、私には匿名性が必要なのです。囁きには個性がありません。)

不思議なトーンが、今日の東京のぼんやりとした灰色に似あっているような気がした。

ヘミングウェイの移動祝祭日(movable fest)を、昨日の夜、読み終えた。

この無敵のタイトルには、昔から強くひかれつづけてきた。でも、読むのは今回が初めてだ。1Q84、グレートギャツビーとのChain Readingの中で、フィッツジェラルドの件が読みたかったのだ。ただ、題名ほどは、冴えた読後感はなかった。フィッツジェラルドに対する彼の記述には、Fairであろうとすることや、一種のinferiorityやら、負債感がブレンドされた奇妙な味わいがあった。

ただ、フィッツジェラルドの章の最初にエピグラムのように書かれた、ヘミングウェイの文章はとても美しく、その部分だけには、素直な、彼の感情が露出しているような気がした。

「彼の才能は蝶の羽根の鱗粉が綾なす模様のように自然だった。ある時期まで、彼は蝶と同じようにそのことを理解しておらず、模様が払い落されたり、損なわれたりしても、気づかなかった。のちに彼は傷ついた羽根とその構造を意識し、深く考えるようになったが、もはや飛翔への愛が失われていたが故に、飛ぶことはできなかった。残されたのは、いともたやすく飛ぶことができた頃の思い出だけだった。」(高見浩訳)

彼の文学的才能に嫉妬し、夫の失敗を求める妻ゼルダ。文学的創造の泉としてゼルダを必要としながらも、その無軌道さ故に、長編小説というものに代表される文学的達成から不可避的に排除されていくスコット。そういった無軌道な乱舞の中から生み出されたグレートギャツビーという古典。スコット・フィッツジェラルドの文学が、自分の作品よりも長い生命を持つことへの、苦い確信を持っていたはずのヘミングウェイのこの回顧録は渋滞し、混乱している。その中で、唯一、このエピグラフだけは、彼の純粋なスコット・フィッツジェラルドという作品への愛情に満ちているような気がする。

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2011年02月19日

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