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ヘミングウェイ
(1899-1961)シカゴ近郊生れ。1918年第1次大戦に赤十字要員として参加、負傷する。1921年より1928年までパリに住み、『われらの時代』『日はまた昇る』『男だけの世界』などを刊行。その後『武器よさらば』、短編「キリマンジャロの雪」などを発表。スペイン内戦、第2次大戦にも従軍記者として参加。1952年『老人と海』を発表、ピューリッツア賞を受賞。1954年、ノーベル文学賞を受賞。1961年、猟銃で自裁。
老人と海(新潮文庫)
by ヘミングウェイ、高見浩
老人の頭のなかで、海は一貫して〝ラ・マール〟だった。スペイン語で海を女性扱いしてそう呼ぶのが、海を愛...続きを読む する者の 慣わしだった。そうして海を愛する者も、ときに海を 悪しざまに言うことがあるが、女性に見立てることには変わりない。若い漁師たち、釣り綱の浮き代わりにブイを使ったり、サメの肝臓で 儲けて買ったエンジン付きの舟で漁に出たりする連中のなかには、海を〝エル・マール〟と男性形で呼ぶ者もいる。そういう連中は海を競争相手か、単なる仕事場か、甚だしい場合は敵のように見なす。だが、老人はいつも海を女性ととらえていた。大きな恵みを与えてくれたり、出し惜しみしたりする存在ととらえていた。ときに海が荒れたり邪険に振舞ったりしても、それは海の 本然 というものなのだ。海も月の影響を受けるんだろう、人間の女と同じように。老人はそう思っていた。
大量のプランクトンは魚が寄ってくる証拠だから、老人も嬉しかった。日が高く昇って水中に 妖しい光が 射しているのは好天がつづく証拠だし、陸地にかかる雲の形もそれを裏づけている。だが、鳥はもうほとんど姿を消していた。いま海面で目に入るのは、日に 灼けて黄ばんだ海藻ホンダワラと紫色の電気クラゲ、カツオノエボシくらいのものだ。海藻はあちこちに集まって浮いており、クラゲは 虹 色 に輝くゼラチン状の浮袋の 体 をなして浮かんでいる。クラゲは横に倒れたと思うと、また立ち直る。泡のように楽しげに浮かんでいるが、背後には一ヤードもある紫色の有毒の糸を引いている。
海亀の中では、アオウミガメとタイマイが老人は気に入っていた。身ごなしが優雅で、俊敏で、相当の値打ちがあるからだ。図体がでかくて愚鈍なアカウミガメは、愛すべきうすのろと見ていた。黄色い甲羅に守られて、変わった流儀の交尾をするやつだが、目を閉じて満足そうにクラゲをパクついているところなど、なんとも 愛嬌 がある。
海亀獲りの舟には何年も乗ったが、亀を神秘的な生き物だと思ったことはない。むしろ可哀そうな連中だと思っていた。体長が小舟ほどもあり、重さが一トンもあるようなオサガメでもそうだ。漁師たちの大半が亀に冷たいのは、亀の心臓というやつ、殺されて切り刻まれても、まだ数時間も脈打っているからだ。だが、おれの心臓だってそんなものだし、手足だって連中とそう変わらんぞ、と老人は思っている。かねてから海亀の白い卵を食べているのは、精をつけるためだ。掛け値なしに大物の魚に出会う九月と十月に備えて、五月は毎日のように白い卵を食べている。
結果、暗い深海にもぐったまま、どんな 罠 も仕掛けも策も及ばぬ遠くを目指すことにしたのだろう。それでこっちも、どんな人間も追いつけないところまで追いかけることにした。世界中のだれの手も届かないところまで追うことにした。そのあげく、いまこうして、正午からずっと、あいつとつながっている。おれもあいつも、孤立無援だ。 漁師になったのは間違いだったか、と一瞬弱気になって、いやなに、漁師に生まれついたればこそのおれだろうがと、思い直す。明るくなったらマグロを食うのを忘れんようにしよう。
もう二日間も 試合 の結果を知らずにいるんだな、と老人は思った。が、なに、心配は要らんさ。おれだってディマジオに笑われんようにしなきゃ。なにしろあの男は、 踵 の 骨 棘 の痛みにもめげずに、打っても守っても 完璧 にやってのけるんだから。そういや、骨棘ってのは何だ? ウン・エスプエラ・デ・ウエソってやつ。足の踵の骨の一部が 蹴爪 のように突起してしまうらしい。おれたちには縁がないが、踵の中に 軍鶏 の蹴爪ができたみたいに痛むんだろうか? おれには到底耐えられそうにない。軍鶏なんぞは片目を失っても、両目を失っても、闘いつづけるが、ああいう 真似 もおれにはできん。人間ってやつは、 所詮、したたかな鳥や獣の敵ではない。それでもおれはせめて、いまあの暗い海中にいるやつのようでありたいが。
自分から 諦めちまうなど愚かなこった、と老人は思った。それは罪というもんだ。いや、罪なんてことは考えまい。それでなくとも厄介なことがどっさりある。そもそも、罪とはどういうものか、からきしわからんし。 そう、わかっちゃいない。罪なんてものがあるのかどうかも、わからん。たぶん、あの魚を殺したのは罪だったのだ。たとえ自分が生きるため、大勢の人間を食わせるためにやったとしても、罪だったんだろうよ。となると、何をやっても罪だということになる。もうやめよう、罪のことを考えるのは。いまさら手遅れだし、この世には罪のことを考えるのを 生業 にしている連中もいる。そういう連中に任せよう。おまえはそもそもが、漁師になるために生まれたんだ、魚が魚になるために生まれたようにな。聖ペテロだって、あのディマジオの親父さんだって、漁師だったんだ。
「知らなかったわ、サメにはあんなに立派な美しい尻尾があったなんて」 「おれもだよ」つれの男が言った。 道の先の小屋では、老人がまた眠り込んでいた。うつ伏せになったままの老人を、少年がそばにすわって見守っていた。老人はライオンの夢を見ていた。
で、もう一つの秘密というのはこうです。シンボリズムなどはありません。海は海、老人は老人。少年は少年で、魚は魚。サメはサメ以外の何物でもない。世間で言うシンボリズムなどはゴミです。肝心なのは、自分がものを知り尽くした先に何が見えてくるか。作家は過分なほどに対象を熟知しているべきなのです。
もし、一つのキャラクターがリアリティをもって描かれているのでなければ、それはシンボルたりえない、もしある作品がストーリーを語っているのでなければ、それは神話たりえない──中略──だからきみ(*ヘミングウェイ) はわれわれに一つのキャラクターと一つのストーリーを与えている。そして読者は、キャラクターとストーリーの中で、それらが自分に示唆するシンボリックな、あるいは神話的な特質を読みとればいいのだ。(「ヘミングウェイ キューバの日々」宮下嶺夫訳)
ジョー・ディマジオ(一九一四─一九九九)。本書の主人公である老人の、心の支えとも励みともなっているディマジオ。彼は当時のヤンキースの代名詞と呼ぶにふさわしい、文字通りのスーパー・スターだった。老人の言葉にもあるとおり、シチリアからの貧しい移民である漁師を父として生まれた。右投げ右打ちの外野手で、ヤンキースには、一九三六年から一九四二年、及び、一九四六年から一九五一年の二期にわたって在籍。無類のスラッガーで、一九四一年には、大リーグで現在に至るも破られていない、五六試合連続安打の大記録を達成している。生涯に首位打者二回、本塁打王二回、MVP三回の栄誉に輝いた。私生活では、一九五四年一月に、「お熱いのがお好き」で知られる映画女優マリリン・モンローと結婚し、翌二月に新婚旅行を兼ねて日本を訪れてもいる。この結婚は破局に終わるのだが、ディマジオは終生モンローを愛しつづけたと言われる。事実、彼はその後生涯、独身を貫いたのだった。
マノーリンは二十二歳なのか、十歳以下なのか? この作品を虚心に読めば、マノーリンの言動、心理状態、親子関係、老人との会話等から、まず二十二歳の青年とは思えない。ヘミングウェイはやはり、問題のheを息子のほうのシスラーのつもりで書いたのだろうと見る。その際もヘミングウェイは、マノーリンを、正確に、十歳以下の少年、と意識していたわけではなく、だいたい十歳前後から十三、四歳ぐらいのつもりだったのではないだろうか。一九五八年公開の映画「老人と海」は、ヘミングウェイがその脚本を十分吟味した末、最終的にゴー・サインを出した作品だが、マノーリンを演じたフェリペ・パソスは当時十一歳の少年だった。けれども、ヘミングウェイはその子役が気に入らなかったという説をもって、マノーリンは少年ではないという説の有力な傍証とする見方もある。この映画の脚本を書いたのは、長年ヘミングウェイと家族ぐるみの付き合いをし、ヘミングウェイを 畏敬 していた脚本家ピーター・ヴィアテルだが、彼はその回想録で、ヘミングウェイはその子役が〝オタマジャクシとアニタ・ルースを掛け合わせたようで気に入らん〟と言っていたと明記している。アニタ・ルースとは、当時人気のあった女流小説家兼映画脚本家である。つまり、ヘミングウェイは子役の 年齢 が気に入らなかったのではなく、その 顔立ち が気に食わなかったのだと見ていいと思う(たしかに、映画に登場するマノーリンは、いまに残るアニタ・ルースの顔写真にちょっと似ている気がする)。この作品にちりばめられたさまざまな要素を勘案して、訳者自身はマノーリンを十三、四歳くらいの少年と見立てて訳したことを記しておく。十四歳くらいと見れば、老人がマノーリンに向かって、〝おれがおまえくらいの歳には、ひらの水夫をやってたんだ〟と…