ラジオパーソナリティのロバート・ハリスさんが番組で良いと言っていたので。
<もしきみが幸福にも青年時代にパリに住んだとすればきみが残りの人生をどこで過ごそうともパリはきみについてまわる。なぜならパリは移動祝祭日だからだ>
ヘミングウェイが20代(1921年〜)の頃の訳4年間、8歳年上で最初の妻ハドリーとパリで過ごした。その間に長男の”バンビ”も生まれる。50代になったヘミングウェイは、30年前の思い出を書く。パリ時代には文化人とも交流した。そのころはまだ新人で作家修行中。後にノーベル賞受賞作家になっても深い思い出だったのだろう。本書はヘミングウェイの死後に、四人目で最後の妻のメアリーが出版した。
パリにいた頃のヘミングウェイはやっと短編集を出したばかりで、収入もなく安アパート暮らしだった(解説によると、妻の資産が相当あったらしいが)。しかし当時のパリはわずか5ドルで二人で楽しく暮らせる時代であり、作家や画家などの芸術家、そんな人たちを後押しする出版社や社交界のパトロンたちと交流していた。ヘミングウェイは執筆用のお気に入りのカフェがあって、たまたま立ち寄った他の作家に「自分の縄張りだ」と反発するようなエピソードも。
そんな作家たちを支えたなかでも印象的だったのは、オデオン通りにある会員制貸本屋の店主シルヴィア・ビーチ。会費が払えないヘミングウェイに「いつでもいいのよ」と本を貸し出した彼女は、まさに1920年代のパリ文学界の重要人物。解説では彼女は1920年代のパリの文学者の中心地で、文学会への貢献者でもあったということが書かれる。かっこいい!!
作家との交流の中でもとても面白く、ちょっと複雑な感情も見られるのがスコット・フィッツジェラルドとのエピソード。
ある時二人は旅行を計画した。ところがまずチケットを持ってるはずのフィッツジェラルドが来ない。「大の大人が列車に乗り遅れるなんて初めて聞いた」などと呆れながら、なんとか合流してみたら、フィッツジェラルドの用意した車は幌がないので雨で足止め足止め足止め。その上酒に弱いフィッツジェラルドはちょっと飲んで、雨にあたって「熱がある!体温計をもってこーい!病院につれていけーー!」と絡む絡む絡む。
ハドリーの元へ帰ったヘミングウェイは「好きじゃない相手とは旅行に行くべきじゃないね」って苦笑い。でもフィッツジェラルドの新作を読んだら「自分は彼にどんな振る舞いをされても、彼の良い友でいなければならない。」と感じるのだった。…そうはいってもその後もフィッツジェラルドとその妻ゼルダはメンドクサイ交流相手!ヘミングウェイとゼルダはお互いを嫌い合っていたようで話半分に聞いたほうが良いのかもしれないが、あるときフィッツジェラルドがしょぼんとして「ゼルダにあんたの”体”じゃ女を幸せにできないって言われたんだ。ぼくのサイズは失格なのか?」と言われたヘミングウェイは「お手洗いに行こうぜ」と連れ出して「問題ないじゃないか!見る角度にもよるから横から見れば良いんだよ!」と慰め…、…、ええ?比べっこしたってこと!?(^^; それでもしょぼんとしているフィッツジェラルドをルーブル美術館に連れ出して男性ヌード彫像を見せて「ほら、君のとサイズかわらないだろ?」と慰める、がまだ「普段じゃなくていざという時のサイズはどうなんだろう」と落ち込み続けている。
男性読者はこのやり取り納得するの??こんな面白いエピソードどうしてもっと広まらないんだ!(^▽^)
さて、この当時はフィッツジェラルドが作家としての大先輩だったが、本書を執筆する30年後までにも複雑な関係が続き、立場が逆転した。本書でヘミングウェイは他の知人への好き嫌いはハッキリ書いているのだが、フィッツジェラルドに対しては、敬意、書く姿勢への反発、嫉妬、憧れ、そして哀れみも混ざり合った複雑な感情が見られる。
本書でも描写が優れているのは最後の「パリに終わりはない」の章。
ハドリーと出かけたスキー旅行の楽しさ、吹雪や雪崩などの恐ろしさとその中での人間の無力さ、そんな美しく厳しい銀世界の描写、なんといってもロッジで食べる料理の美味しそうなこと!!
しかし、パリ生活は破綻仕掛けていた。ヘミングウェイはのちに2番目の妻となるポーリーンと不倫関係にあったのだ。本書ではポーリーンの実名を出さず(出版した当時の妻が削除したのかもしれないが)、「リッチな連中が入り込んできて、自分たちの純粋な環境が壊されてしまった」という嘆き節が感じられる(しかもポーリーンとの離婚理由は、のちに三人目の妻となる女性との不倫)。
実際のヘミングウェイは、ハドリーとポーリーンが納得してくれれば平穏に二重生活できるのに…など身勝手なことも考えたようだが(正直に書いているのがまた正直っていうか)、この原稿執筆のために、最初の妻ハドリーに30年ぶりに連絡を取った。彼にとってハドリーと過ごしたパリの日々は、忘れることのない「移動祝祭日(人生のどこへ行ってもついてくる聖なる思い出)」だったようだ。その数カ月後にヘミングウェイは死去した。
その他
アイザック・ディネーセンの当時の旦那さんと知り合い「彼の最初の奥さんの文章は素晴らしいね」と誉めている。
ヘミングウェイは、ジョルジュ・シムノンを「秀作」と言っている。私もフランス作家ではかなり好き!!
文化活動以外にも、ボクシング、競馬、セーヌ川での釣りを楽しんだり、美術館に寄ったり。
出てきた文化人の中で私が分かったのは、パブロ・ピカソ、ジャン・コクトー、ジェイムズ・ジョイスなど。