マーク・トウェインのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ウォルトディズニーが少年時代に愛読していたと知り、同じように感じで見たくて完訳を読んでみた。
1876年に書かれた、更に外国の児童文学を読むなんて初めてで途中で挫折すると思いきや、最後までワクワクしながら読んでしまった。1989年生まれ。
特に当時の子どもの姿が生き生きしていたのが印象的だった。
おもちゃや公園がなくても小さな虫を眺めたりいじったり。ゴミのガラクタを物々交換したり。私も子ども時代があり、今子育て中なのだが、子どもは何も与えなくても自ら生み出す力があるんだと再認識させてくれた。
またトムの女の子に対する態度やベッキーの乙女心も懐かしい様に思う。彼らのように甘酸っぱい、悔し -
Posted by ブクログ
【自由意志などない。人間とは機械である。それは自分に全て責任がある訳でもなく、この先であなたを大事にする人が待っているということでもある】
表紙に一目惚れし、ようやく読み切れました。
まず漫画なのですらすら読める。
厚さはありますが、絵も字も大きく、作品内では一貫して「人間は機械である」ことの根拠を示していきます。
しかし、機械である=自由意志などない、全て決まっているからといって、ただ受動的に過ごせということではありませんでした。
自分が弱いことも,至らなかったことも、全ては自分たちが機械であるがゆえ。
だからこそそれを片隅において、全てが自己責任ではない、その先で、必ず幸せになれるこ -
Posted by ブクログ
漫画でわかりやすく、人間とは何かを解説している。トウェインの主張は、一貫した人間機械論である。人間を特別視する人間には、到底受け入れられない思想だと思う。
これは人間は外的要因や情報をインプットして、あとは決められたアウトプットするだけの器に過ぎず、そこに自由意志などないというある種の過激な思想である。
僕はAIの仕組みを学ぶたびに、人間もただの機械だと思うことがある。要するに大量のデータを与えれば、AIだろうが人間同様の思考はできる。倫理観も膨大な教師データがあれば、パターン化できる。その中から最も尤もらしい選択をするだけだ。その選択基準は、環境に依存する。
人間の選択も機械のようなも -
Posted by ブクログ
海賊遊びや戦争ごっこに明け暮れる少年、トムはある日墓場で殺人の現場を目撃してしまい、犯人のインジャンジョーとの運命の糸がもつれる。
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日本人なら誰もが知っていそうな世界的名著の児童文学ですが、これは著者が願った通り、大人向けのお話のように思いました。
まあ、阿呆を煮詰めて濃縮したようなトムや取り巻きの男の子のキャラクター造形は子どもというよりかつて子どもだった大人たちが顔を赤くして読んで共感を示すものでしょうし、いたずらや冒険そのものも自分が子どもの頃にできなかった奔放な遊びを描いているようで憧憬を感じます。
一方でところどころに社会を鋭くえぐる文章が入って -
Posted by ブクログ
「人間が何かってことは、すべてそのつくりと、そしてまた、遺伝性、生息地、交際関係等々、その上に齎される外的力の結果なんだな。つまり、外的諸力によって動かされ、導かれ、そして強制的に左右されるわけだよー完全にね。自ら創り出すものなんて、なんにもない。」
本書冒頭にあるタイトルの答えとなる一節で、簡単に言うと、人は自分の意思で物事を決めているのではなくこれまでの経験や環境の集積の結果、機械のように物事に対して反応という形で動いているに過ぎないという事だと思う。
そう考えると人生に起こる全てが運命で抗いようがない事であって、今までの後悔やこれからの不安が大したことないように思えるし、だからこそあ -
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永遠の、わんぱく坊主!
いたずら好きの、わんぱく坊主だけど、憎めない男の子。正義感も、勇気と、実行力も有り、女の子にも、優しい。今は、海賊や、山賊に憧れているけれど、さて、どんな大人に、なるのだろう。子供の頃に戻って、楽しく読ませてもらった。
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1876年に出版されたアメリカの小説。ミシシッピー川のほとりの小さな町に暮らす少年トム・ソーヤーが仲間たちと共に繰り広げる事件や冒険をユーモアたっぷりに描く。今作の続編である『ハックルベリ・フィンの冒険』と併せて、後のアメリカ文学に大きな影響を与えた。
この本を読んだきっかけは、カート・ヴォネガットが最も影響を受けた作家にトウェインを挙げていたからだ。二人の語り口は、とても良く似ている。しかしさらに調べてみるとアメリカの作家が一様にトウェインの名を挙げていた。
『トム・ソーヤーの冒険』のタイトルは誰でも知っている。児童書で大人が読むものではないように思っていた。しかしこうして読んでみる -
購入済み
ハックの優しすぎるくらい優しい魂が存分に溢れ出ていて、ジムとか、メアリも優しくて、すごく温かい気持ちになる。ブルーハーツの『1000のバイオリン』の歌詞に、「ハックルベリーに会いに行く」という一節があるけど、その気持ちがよくわかった。俺もハックに会いたいよ。
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Posted by ブクログ
ハックルベリーフィンの冒険を読んだ後、読まなければと思っていたこの本をやっと読むことができた。
やはりとても面白かった。
ミシシッピ川河畔の描写も多く、20年前に訪れた、マークトウェインの生家までセントルイスから車でドライブした時のことを思い出した。
ミシシッピ川沿いをずっと北上してたどり着いた。
道中所々で見えたミシシッピ川は水量が多く堂々としている印象だった。
マークトウェインはもちろん知っていたが、まだ本は読んでいなかったので、ただ単に訪れたというだけで終わってしまったが、読んでから行けばよかったと今は後悔の気持ちでいっぱいだ。
できれば再度訪れてみたい。 -
Posted by ブクログ
かつて柴田元幸訳の『ハックルベリー・フィンの冒けん』を読んでいますので、今回は岩波少年文庫の千葉茂樹訳を読んでみました。(コロナ前に浜松まで千葉先生の公演を聞きに行った思い出と共に)
先ず大きく違っていて、なるほどと感激したところは千葉先生の訳へのこだわりです。
ひとつは、マーク・トウェインが冒頭の注釈でいく種類もの方言を熟知し使い分けていると書いているそうですが、それらに重きを置くことはしなかった。ハックやジムに「似非東北弁」のような不自然なことばをしゃべらせたくなかった(これは柴田先生も同じようなことを仰っています)ということ。
もうひとつは、niggerという差別用語の訳し方です。