マーク・トウェインのレビュー一覧
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「人間とは何か」に続いて、マークトウェインを読むのは二冊目。
これも彼が絶望的・悲観的視点で書いた著書。その中には人間の愚かさや無知さなどが露呈されている。
この中に出てくるサタンという不思議な少年は子供たちにその人間の愚かさを説明していくが、しかし、唯一人間が持つ能力を肯定的に捉える。それは「笑い」だという。
つまり、人間はどうしようもなく絶望的な状況になるが、その境遇を笑い飛ばす事ができる強さを持っているという。この部分には深く共感する。というのは、自分もちょうど同様のことを考えていたからだ。
失敗したりしても、それをネタにして、笑い飛ばせることってすごく大事な事だと思う。失敗し、そこから必要最低限学び取って、その失敗を繰り返さないように努めればあとは笑い飛ばせばいいと思う。そしたらもっと楽観的に生きられるだろうと。
ちなみに、最後のオチはこの人間世界そのものが夢であるというものであり、なかなか面白いがちょっとあっけない感じがした。 -
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「人生そのものが幻じゃないか」
「あるものは君だけなんだ」
人生や世界が自分自身がつくりだした幻にすぎないとして、それならどうして自分の人生の中身に喜びだけでなく悲しみなどの負の感情が多いのか。そのようなことは決して望んでいないはずだ。もしかしたら、悲しみは決して否定的な要素ではなく、あくまでも喜びを相対化させるために存するだけの要素なのかもしれない。そうすれば自分の作り出した自分の世界の悲しみにも何か積極的な意味を見出せるのかもしれない。というようにあっさりと最終的に自己を肯定してしまって完結していいとは思えず、肯定も否定も全てひっくるめて幻の人生であり、独我論なんだろう。そもそも独我論というカテゴライズされる話ではないという感想もよぎるが、やはりこの小説の最後の主題はキリスト教的な倫理観と鋭く対立する個々の主体を考えさせる独我論だと思った。 -
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ネタバレトム・ソーヤーの物語は確かに小学生の頃に読んだ記憶はあるんだけど、今回再読してみるまでどんな物語だったかはすっかり忘れていました。 記憶に残っていたのは「トム・ソーヤー & ハックルベリー・フィン」という名前とハックが浮浪児だったこと、そして二人の少年がやんちゃだったこと。 そして女の子だった KiKi には必ずしも理解できているとは言い難い「男の子の世界」が描かれた物語だったこと・・・・・ぐらいでしょうか?? あ、あと舞台がミシシッピだったことは絶対に忘れられません。 だってこの物語で「ミシシッピ」という名前を初めて知り、わざわざ地図帳でそれがどこなのか調べた思い出があるぐらいですから(笑)
子供時代には同様に「ハックルベリー・フィンの冒険」も読んだはずなんですけど、こちらも御多分に漏れずどんなお話だったか、まったく記憶にありません ^^; 残念なことにこちらは岩波少年文庫のラインナップには含まれていないようです。 そうそうハックと言えば、KiKi の大好きなアメリカ・TVドラマ「ザ・ホワイトハウス」のトビー(ホワイトハウス広報部部長)の息子の名前がハックだったっけなぁ(笑)
まそれは置いといて、今回再読してみてトムとハックが思いのほか危険な目にあっていたことを再認識し、ちょっとびっくりしてしまいました。 夜中に家を抜け出してあちこちフラフラしていたり、挙句殺人現場を目撃しちゃったり、真犯人が別の人間に罪をきせるのを見ていたり、良心の呵責に耐えかねて真犯人を告発したり、迷子になった洞穴でいきなりその真犯人と出くわしたり・・・・・。 こんなに刺激的なお話しだったっけ???
子供時代からこの物語に対して抱いていたイメージってもっと軽めの事件の連発で、トムやハックが微笑ましいという感じだったんだけど、正直なところこの年齢になった KiKi にはポリーおばさんのご苦労が身に沁みちゃうような気分です(笑)。
まあ、元々が子供時代から「いい子」を通してきた KiKi にはトムの無邪気さ、奔放さはまぶしくて羨ましくはあったとしても、大人に刷り込まれたある種の価値観から判断すると「決して褒められたものではない範疇」に入ってしまっていて、実は素直には受け入れられなかったりもしていたんですよね~。 だいたいにおいて今よりはず~っと安全だった時代にあってさえも、子供の夜歩きな~んていうのは KiKi の時代には許された行動ではなかったし・・・・・・(苦笑)
この本の扉にある紹介文(KiKi が持っているのは現在市販されている版より1つ前のシリーズの岩波少年文庫)には「因習にとらわれがちな大人」という文言があるけれど、KiKi にしてみるとこの物語に登場している普通の大人たちはごくごく普通の感覚の持ち主に感じられます。 まあ、KiKi はキリスト教徒ではないので、「日曜学校のお説教」というやつがどんなに子供にとって窮屈 & 退屈極まりないものなのかは実感できていないんだけど、ある意味では KiKi の学んできた世界で言えば「道徳」(しかも単に慣習的で意味がよくわからないような類のものではなく、どちらかといえば納得しやすいもの)に近い感じで、KiKi にはさほど抵抗がなかったりします。
トムが叱られたりする場面ではトムの気持ちもわからないじゃないけれど、さほど不当な罰が与えられているとも思えないしねぇ・・・・・。 まあ、イマドキの学校教育現場の価値観からすると「体罰」として大問題になってしまうような場面は満載ですけど・・・・・。
でも、もしも KiKi がこの物語のポリーおばさんの立場だったらやっぱりトムにはお説教もするだろうし、時にはペンキ塗りみたいな罰も与えるだろうと思っちゃう(笑)。 でもこれまたポリーおばさん同様にトムのことを「手のかかる子」だとは思ったとしても、「悪い子」だとは思わないんじゃないかしら??
今回この物語を読んでつくづく思ったのは、この物語はやっぱり「男の子の物語」なんだなぁ・・・・ということです。 KiKi は自覚としても、そして傍からの評判としても「女の子の割には好奇心が旺盛で何にでも手を出さずにはいられない子」だったけれど、さすがにトムと同じようなことはできなかったし、仮に興味をそそられたとしても怖気づいちゃったことが満載なような気がします。 この物語のあらすじが記憶に残らなかったのは KiKi が♀だったことと無関係ではなさそうです(苦笑) -
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ネタバレトム・ソーヤーの物語は確かに小学生の頃に読んだ記憶はあるんだけど、今回再読してみるまでどんな物語だったかはすっかり忘れていました。 記憶に残っていたのは「トム・ソーヤー & ハックルベリー・フィン」という名前とハックが浮浪児だったこと、そして二人の少年がやんちゃだったこと。 そして女の子だった KiKi には必ずしも理解できているとは言い難い「男の子の世界」が描かれた物語だったこと・・・・・ぐらいでしょうか?? あ、あと舞台がミシシッピだったことは絶対に忘れられません。 だってこの物語で「ミシシッピ」という名前を初めて知り、わざわざ地図帳でそれがどこなのか調べた思い出があるぐらいですから(笑)
子供時代には同様に「ハックルベリー・フィンの冒険」も読んだはずなんですけど、こちらも御多分に漏れずどんなお話だったか、まったく記憶にありません ^^; 残念なことにこちらは岩波少年文庫のラインナップには含まれていないようです。 そうそうハックと言えば、KiKi の大好きなアメリカ・TVドラマ「ザ・ホワイトハウス」のトビー(ホワイトハウス広報部部長)の息子の名前がハックだったっけなぁ(笑)
まそれは置いといて、今回再読してみてトムとハックが思いのほか危険な目にあっていたことを再認識し、ちょっとびっくりしてしまいました。 夜中に家を抜け出してあちこちフラフラしていたり、挙句殺人現場を目撃しちゃったり、真犯人が別の人間に罪をきせるのを見ていたり、良心の呵責に耐えかねて真犯人を告発したり、迷子になった洞穴でいきなりその真犯人と出くわしたり・・・・・。 こんなに刺激的なお話しだったっけ???
子供時代からこの物語に対して抱いていたイメージってもっと軽めの事件の連発で、トムやハックが微笑ましいという感じだったんだけど、正直なところこの年齢になった KiKi にはポリーおばさんのご苦労が身に沁みちゃうような気分です(笑)。
まあ、元々が子供時代から「いい子」を通してきた KiKi にはトムの無邪気さ、奔放さはまぶしくて羨ましくはあったとしても、大人に刷り込まれたある種の価値観から判断すると「決して褒められたものではない範疇」に入ってしまっていて、実は素直には受け入れられなかったりもしていたんですよね~。 だいたいにおいて今よりはず~っと安全だった時代にあってさえも、子供の夜歩きな~んていうのは KiKi の時代には許された行動ではなかったし・・・・・・(苦笑)
この本の扉にある紹介文(KiKi が持っているのは現在市販されている版より1つ前のシリーズの岩波少年文庫)には「因習にとらわれがちな大人」という文言があるけれど、KiKi にしてみるとこの物語に登場している普通の大人たちはごくごく普通の感覚の持ち主に感じられます。 まあ、KiKi はキリスト教徒ではないので、「日曜学校のお説教」というやつがどんなに子供にとって窮屈 & 退屈極まりないものなのかは実感できていないんだけど、ある意味では KiKi の学んできた世界で言えば「道徳」(しかも単に慣習的で意味がよくわからないような類のものではなく、どちらかといえば納得しやすいもの)に近い感じで、KiKi にはさほど抵抗がなかったりします。
トムが叱られたりする場面ではトムの気持ちもわからないじゃないけれど、さほど不当な罰が与えられているとも思えないしねぇ・・・・・。 まあ、イマドキの学校教育現場の価値観からすると「体罰」として大問題になってしまうような場面は満載ですけど・・・・・。
でも、もしも KiKi がこの物語のポリーおばさんの立場だったらやっぱりトムにはお説教もするだろうし、時にはペンキ塗りみたいな罰も与えるだろうと思っちゃう(笑)。 でもこれまたポリーおばさん同様にトムのことを「手のかかる子」だとは思ったとしても、「悪い子」だとは思わないんじゃないかしら??
今回この物語を読んでつくづく思ったのは、この物語はやっぱり「男の子の物語」なんだなぁ・・・・ということです。 KiKi は自覚としても、そして傍からの評判としても「女の子の割には好奇心が旺盛で何にでも手を出さずにはいられない子」だったけれど、さすがにトムと同じようなことはできなかったし、仮に興味をそそられたとしても怖気づいちゃったことが満載なような気がします。 この物語のあらすじが記憶に残らなかったのは KiKi が♀だったことと無関係ではなさそうです(苦笑) -
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いわゆる良心や、宗教的価値観(著者はカソリック教会の価値観に対して述べている)、正義や善といったものが、いかに残酷にひとの命を奪ってきたか、不幸の種となってきかたを描きだしている。
人間社会にとって、良心は不要であり、むしろ害となるのだという論理は、一面では正しいが、他方では現に人間社会にはルールや規範が必要であり、それなくして集団生活は円滑に営み得ないという現実が軽視されているようにも思える。
著者の人間に対する絶望は、痛いほど伝わってくる。
救いはないが、忘れてはならない大切な事実を、著者は教えてくれている。正義では世界は救えない。 -
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【あらすじ】
ニコラウス、セピ、テオドールの3人の少年は、16世紀のオーストリアの小さな村に暮らしていた。そこにある日不思議な少年が現れた。一見感じの良い美少年の正体はなんと天使だった。その上彼の名前はサタン。3人の少年たちは、サタンの巧みな語り口、魅力的な魔法に誘われ不思議な世界へと惹きこまれていく……人間とは、良心とは何か。善悪、幸福は存在するのか。運命とはどのように決まるのか。人はなぜ戦争をするのか。ニコラウスは天使サタンと過ごすうちに、このような疑問にぶつかる。はたしてその答えは――
【解説】
作者は、『トム・ソーヤの冒険』、『ハックルベリー・フィンの冒険』などの著作で知られるマーク・トウェイン。アメリカの楽天主義を代表する作家だといわれているが、晩年に書かれたこの作品では彼の異なった一面、人間不信とペシミズムが色濃く出ている。ひどく悲観的な物語はしかし奇妙に人を惹きつけて離さない。中野好夫訳。亀井俊介解説。
【感想】
私は、同じくマーク・トウェイン晩年の代表作『人間とは何か』を読み、そのあとがきに本書のことが紹介されており興味をもったのでこの本を手にとった。どちらの本も訴えるメッセージは似たようなものである。『人間とは何か』が青年と老人の問答が終始続くのに対して、本書は構成されたストーリーになっている。 -
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ネタバレ文庫と書きながら、本当は新書版。
無夜は「ハックルベリィ・フィンの冒険」を先に読んでました。トムの冒険はそれよりちょっとだけ前です。
残酷描写あり。学校は今なら体罰騒動になりそうな教育を施している。
こうして読むとポーリーおばさんって、とっても良い人だなあ(しみじみ)トムに何度騙されても、ちょこっとご機嫌を取ってもらうと、またころりと騙される。疑うことを知らないらしい。かわいそうに。
それにしても、トムの紹介欄に『うそを憎み』とあるのだが、彼が作品中についている嘘の多さは……。
内容。いたずらっ子のトムは友達のハックと夜中に墓場にいき、そこで殺人事件を目撃する。係わり合いになるのを恐れた二人はそれを秘密にしておこうとするが、無実の人間がその犯人にされそうになってしまい、トムは法廷で証言する。真犯人は逃亡してしまい、トムもハックも夜な夜な悪夢に苛まれる。
だが、そのプレッシャーにも慣れ、二人は宝捜しごっこを思い立つ。有名な幽霊屋敷に出向いて、そこにいた真犯人を見つけてしまう。ひと財産の金貨と一緒に……。
殺人犯だからって餓死させるのはどうかと思うのだが。二週間、洞窟に閉じ込められ、死亡。……嫌な感じに残酷。子供向けにしては悪人の死に方が生々しい。 -
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こうやって、絶望しか残してくれない作品が好きだ。何くそ!って皆で生きることについて考えるから。千絵はサタンの言っていること全て知っていたし、頷ける。未来が見えないからというより、未来に対する想像力が欠けているために幸運と不運の区別がつかなくなっている時がよくある。
こうやって俯瞰して達観しても、痛みは消えないんだよ。見方を変えなくてはきっと永劫人や社会に絶望し嘲笑するしかないだろう。もし幻に過ぎないのなら、いいじゃない!果しない想像力をパンプス箱の中に閉まって鍵をかけて、千絵は素晴らしい幻の中で生きていきたいと思うよ。
人間は少数の者に支配されていて、多数の者に支配されることは決してないっていうくだりには鳥肌が立った!千絵にとっては、完全に思索を深め心を強くする本。
皆にはどうかな、現代人にとてもウケる本だと思うよ。 -
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奴隷制が残るアメリカ南部を舞台にして、暴力的な父親から逃れるハックと逃亡奴隷ジムの冒険。
大学で読まされたアメリカ文学はあるが、自主的に最初から最後まで読んだアメリカ文学としては初めて(翻訳だけど)。始めは、翻訳の変ななまりが気になったが、数章読めば全然気にならなくなった。よく1人でこんなことするよなー、というくらいハックは勇気のある子だと思ったり、ハックの二枚舌に感心したり、ある意味で素直な子だなーと思ったりして、面白かった。ジムはよく迷信を口にするが、当時の奴隷はこんな感じだったのだろうか、と思った。冒険そのものも面白いが、当時の南部の様子が描かれている部分も、歴史紀行をしている感じで、テレビを見るよりも自由に想像できて楽しい。たぶんこれが小説の良いところなのだと思う。当時の南部の様子は一言でいえば「血生臭い」という印象だった。週に一度は死体を見そうなイメージ。
(続きは下巻のレビューへ) -
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Adventures of Huckleberry Finn(1885年、米)。
どこまでも陽気で陰影のない「トム・ソーヤーの冒険」に比べると、こちらは結構ビターな印象。黒人奴隷の人権問題が絡んできたり、大人の犯罪や紛争に巻き込まれたり…。トムの冒険はファンタジーだが、ハックの冒険は命懸けのサバイバル。一歩間違えば、皮肉めいた重い話になってしまいかねない内容だ。
しかし、児童文学として耐え得る軽やかさは、かろうじて失われていない。その理由は、ハックの逞しさ、ジムの善良さ、人種を超えた彼等の友情、そして何より、雄大なミシシッピ川の美しい描写のためだろう。ハック達が自由を求めてミシシッピを下る過程は、自由を求めて新天地へ降り立ったアメリカ人にとって象徴的であり、心の原風景なのではないだろうか。ヘミングウェイが本書を「アメリカ文学の源泉」と称したらしいが、さもあらんと頷ける。
個人的には、ジムを救出する穴を掘る場面での、トムとハックの掛け合いがツボ。ロマンティストで意固地なトムと、リアリストで合理的なハック。その対比が面白くて、何度読んでも笑ってしまう。