マーク・トウェインのレビュー一覧
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購入済み
ハックの優しすぎるくらい優しい魂が存分に溢れ出ていて、ジムとか、メアリも優しくて、すごく温かい気持ちになる。ブルーハーツの『1000のバイオリン』の歌詞に、「ハックルベリーに会いに行く」という一節があるけど、その気持ちがよくわかった。俺もハックに会いたいよ。
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Posted by ブクログ
ハックルベリーフィンの冒険を読んだ後、読まなければと思っていたこの本をやっと読むことができた。
やはりとても面白かった。
ミシシッピ川河畔の描写も多く、20年前に訪れた、マークトウェインの生家までセントルイスから車でドライブした時のことを思い出した。
ミシシッピ川沿いをずっと北上してたどり着いた。
道中所々で見えたミシシッピ川は水量が多く堂々としている印象だった。
マークトウェインはもちろん知っていたが、まだ本は読んでいなかったので、ただ単に訪れたというだけで終わってしまったが、読んでから行けばよかったと今は後悔の気持ちでいっぱいだ。
できれば再度訪れてみたい。 -
Posted by ブクログ
かつて柴田元幸訳の『ハックルベリー・フィンの冒けん』を読んでいますので、今回は岩波少年文庫の千葉茂樹訳を読んでみました。(コロナ前に浜松まで千葉先生の公演を聞きに行った思い出と共に)
先ず大きく違っていて、なるほどと感激したところは千葉先生の訳へのこだわりです。
ひとつは、マーク・トウェインが冒頭の注釈でいく種類もの方言を熟知し使い分けていると書いているそうですが、それらに重きを置くことはしなかった。ハックやジムに「似非東北弁」のような不自然なことばをしゃべらせたくなかった(これは柴田先生も同じようなことを仰っています)ということ。
もうひとつは、niggerという差別用語の訳し方です。訳注で時代背景を説明した上で、「くろんぼ」と訳すこともできるだろうけれど、それはしなかった。
「はじめてハックやジムのぼうけんに触れる子どもたちには、差別用語を覚えてほしくなかった。本文中にくり返しでてくれば、そうしたことばが頭に残って、抵抗を感じなくなってしまうだろうことが、どうしても自分にゆるせなかった」
批判を承知の上、わがままを通したとありました。
少年文庫として訳しているのですから、このお考えは素晴らしいと思います。
「黒人」とシンプルに訳されて、読んでいてまったく違和感はありませんでした。
4年前に読んだ時も本当に面白かったし、文学的だなぁと思っていましたが、
今回トム・ソーヤーを読んでからでしたので、先ずはトムの性格がよく分かっているのと、なぜハックがそこまでしてダグラス未亡人の家を出て、あんなひどい親父のもとにいても、学校には行かずに済むし悪くないと思ってしまうのか、その背景が理解きるので、より楽しめました。
結局どうしようもない親父の元から逃げて本物の自由を求めて旅に出るのです。トムを見習って、一大事件として!
そしてダグラス未亡人の姉のミス・ワトソンの黒人奴隷ジムと出会います。ジムはミス・ワトソンが自分をニューオリンズに売ってしまうのではと恐れて逃げ出したところだったのです。
教養のなかった黒人奴隷とはいえ、ジムは大人なのです。ハックのひとりぼっちの旅が、2人になったことでどんなに心強かったか。
詐欺師の王様と伯爵に出逢ってからは奴らに翻弄され散々な目にあいましたが、ジムと2人っきりに戻った時はほんとうにのんびりして幸せそうでした。
このぼうけんの間、ハックはミス・ワトソンの黒人の逃亡を助けてしまったという罪を恐れているのですが、同時にいつも目の前にいてくれる、昼も夜も筏の上で歌ってわらって、自分のためになんだってしてくれるジム、「たったひとりのともだち」と言ってくれるジムを、ミス・ワトソンに突き出すことなんてできないとある日心に決めます。
そこからはだんだんと旅は幸運に恵まれていきます。
最後のほうでトム・ソーヤーが登場して、もうほんっとにお腹抱えて笑ってしまうエピソードばかりになっていきます。
トムのことをよく分かってから読むのがやっぱり楽しいですねー。それにしても命がけだってこと分かってない男の子たちが本当におかしくて愛おしいです。
物語の終わり方についてはいろいろと批評されているようですが…。
千葉先生のあとがきに
_すべての近代アメリカ文学は一冊の本からはじまった。それは、マーク・トゥエインの『ハックルベリー・フィンの冒険』で、すべてのアメリカ的作品の源だ。この本以前にはひとつもなく、それ以降にも、この本以上のものはない。
アーネスト・ヘミングウェイ_
と、ヘミングウェイのことばを引用しているとおり、
今カポーティの『遠い声、遠い部屋』の村上春樹新訳を読んでいますが、やはりハック・フィンからの影響があるなあとつくづく感じます。
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Posted by ブクログ
『とりあえず人間は機械』だということが書いてある。
様々な角度から書いてある。
そしてそれを理解できた時、自分は少し人間になれた気がした。
以下全てメモ。
人間は自らの承認を求めて動く単なる機械。
設計どおり作用する。生まれた環境、外的要因、遺伝、生息地から作られた存在で、あるのは質の違いだけ。行動や思考は集積によって生み出された自動作用。
事実として脳波は意志よりも先んじる。意志よりも先に脳。よって後付けの錯覚。外部からの刺激→意志でなく脳。機械と同じ。
心理学的決定論。
人間は環境に変化するカメレオン。
自分で自分を変えることはできない、あくまで外的要因で。ただ気質を教育で抹消することはできない。
人間は自己満足のためだけに行動する。
人間は自らの心もコントロールできない、独立した機関。
人間は経験したイメージを勝手に結合する機械、それがひらめきであり、発見である。よって人間が発明したものなどない。
いまAIにできず、人間にできることとは?
意識とは結局のところ情報の統合、生命の本質は情報。
本能とは、昔は考えて行動してたことが遺伝的に受け継がれ習慣化し考えなくても体が動くもの。いわゆる石化した思考。
動物や蟻も観察や推理もできる。人間は彼らより少し複雑な機械というだけ。
金も宝石も悪評も地位も名声も、誰かが価値があると思っているから価値がある。誰も見向きもしなくなったら一文の価値もなくなる。
人間は「わたし」が全てを支配している王のような存在だと思っている。しかし知性と感情は独立して動くし、心が悲しければ勝手に涙を流す。「わたし」とは至極あいまい。これを自動作用という。教育や環境から「知的プログラム」「道徳的プログラム」を設計している。「わたし」はその集合体。
機械とは「設計どおり作用するもの」つまり人間は機械。
良心は自己満足。反対に苦しむことも全て自分が悪いと背負い込むことも人間の驕り。
そして無力だと感じれば他者に自分にも寛容になれる。
気質。
人類は数多の人間の影響や偶然の発見を機械的に取り込み自動で繋ぎ合わせ、この世界を創り上げてきた。
心理学的決定論は弱者の救い。
成功者も犯罪者も自由意志でなく、環境からの刺激を受け起こした行動の帰結の享受者でしかない。 -
Posted by ブクログ
「人間は機械である」
人間は自らの心をコントロールすることはできず、全て気質と環境により受けた影響に自動作用で働いているに過ぎない。
他人を助けることはとても美しいことであるが、それも自己満足でしかない。
人間は自らで何かをすることのできない無力な存在である。しかし、無力を自覚した時、人間は他者にも自分にも寛容になれる。
現代においては、先人たちの発見により様々なものがより便利に変化している。そのため、環境も目まぐるしく変化していき、自動作用で生きづらさを感じるようになっている人も多くいると感じる。
しかし、どうしようもない絶望であってもそれは環境からくる自動作用である。死にたくなったとしても、そのことを自覚していればまた違った選択ができるかもしれない。
自己満足であったとしても自分の人生をより良くすることを大切にしていきたい。そう思える本であった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ自分の中で噛み砕くのに時間がかかっている。まだ発展途中の段階だが、感想を記しておきたい。
【要約】
・19世紀、『トム・ソーヤの冒険』で知られる著者が、妻と子どもに先立たれ晩年に、匿名で執筆。当時、彼の主張は受け入れられなかった。
・著者の主張とは『人間は機械である』。人間は、気質と教育、環境による影響の蓄積からなる集合体で、本人の欲求を満たすために自動で動く。そこに自由意志は存在しない。
・近年、著者の主張を裏付ける科学的な証明がされている。
【感想】
自己欲求を満たすために、人は他者を愛し、憎しみ、時には犠牲になる、は納得できる。興味深いのは、人間は意志が脳に命令して行動するのではなく、書籍や会話など何十年と積み重ねてきたものが欲求をつくり、それを満たすために身体が自動で動く、実は意志は介在していない、という主張だ。
だから、他人と比較したり、心無い言動に怒りを感じる必要はないのだと、私の心を軽くしてくれた。
本書の編集が、読者の理解をかなり助けてくれる。
最後に、編集側からの投げかけで『何も希望を抱かずに、努力せずに、流され続ければいいのか?』『答えは否だ。』とある。
私もそう思う。書籍や会話を沢山することを通じて、自分の望ましい方向を知り、そこへ進むための蓄積を自らしていきたい。