『とりあえず人間は機械』だということが書いてある。
様々な角度から書いてある。
そしてそれを理解できた時、自分は少し人間になれた気がした。
以下全てメモ。
人間は自らの承認を求めて動く単なる機械。
設計どおり作用する。生まれた環境、外的要因、遺伝、生息地から作られた存在で、あるのは
...続きを読む質の違いだけ。行動や思考は集積によって生み出された自動作用。
事実として脳波は意志よりも先んじる。意志よりも先に脳。よって後付けの錯覚。外部からの刺激→意志でなく脳。機械と同じ。
心理学的決定論。
人間は環境に変化するカメレオン。
自分で自分を変えることはできない、あくまで外的要因で。ただ気質を教育で抹消することはできない。
人間は自己満足のためだけに行動する。
人間は自らの心もコントロールできない、独立した機関。
人間は経験したイメージを勝手に結合する機械、それがひらめきであり、発見である。よって人間が発明したものなどない。
いまAIにできず、人間にできることとは?
意識とは結局のところ情報の統合、生命の本質は情報。
本能とは、昔は考えて行動してたことが遺伝的に受け継がれ習慣化し考えなくても体が動くもの。いわゆる石化した思考。
動物や蟻も観察や推理もできる。人間は彼らより少し複雑な機械というだけ。
金も宝石も悪評も地位も名声も、誰かが価値があると思っているから価値がある。誰も見向きもしなくなったら一文の価値もなくなる。
人間は「わたし」が全てを支配している王のような存在だと思っている。しかし知性と感情は独立して動くし、心が悲しければ勝手に涙を流す。「わたし」とは至極あいまい。これを自動作用という。教育や環境から「知的プログラム」「道徳的プログラム」を設計している。「わたし」はその集合体。
機械とは「設計どおり作用するもの」つまり人間は機械。
良心は自己満足。反対に苦しむことも全て自分が悪いと背負い込むことも人間の驕り。
そして無力だと感じれば他者に自分にも寛容になれる。
気質。
人類は数多の人間の影響や偶然の発見を機械的に取り込み自動で繋ぎ合わせ、この世界を創り上げてきた。
心理学的決定論は弱者の救い。
成功者も犯罪者も自由意志でなく、環境からの刺激を受け起こした行動の帰結の享受者でしかない。