あらすじ
老人と青年の対話の形で書かれたマーク・トウェイン晩年の著作。人生に幻滅している老人は、青年に向かって、人間の自由意志を否定し、人間は完全に環境に支配されながら自己中心の欲望で動く機械にすぎないことを論証する。人間社会の理想と、現実の利己心とを対比させつつペシミスティックな人間観で読者をひきつけてゆく。
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Posted by ブクログ
「人間が何かってことは、すべてそのつくりと、そしてまた、遺伝性、生息地、交際関係等々、その上に齎される外的力の結果なんだな。つまり、外的諸力によって動かされ、導かれ、そして強制的に左右されるわけだよー完全にね。自ら創り出すものなんて、なんにもない。」
本書冒頭にあるタイトルの答えとなる一節で、簡単に言うと、人は自分の意思で物事を決めているのではなくこれまでの経験や環境の集積の結果、機械のように物事に対して反応という形で動いているに過ぎないという事だと思う。
そう考えると人生に起こる全てが運命で抗いようがない事であって、今までの後悔やこれからの不安が大したことないように思えるし、だからこそあまり深く考え過ぎずいろんなことに挑戦できそうだなと思った。
だって運命だもんって何にでも思えるようになったらもっとラクに生きていけそうだと思う。
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ニーチェの悲観主義とは比べ物にならないぐらいの悲観論です。人間は自分を安心させたい、自らが満足感を得たいという衝動しか持ち得ないといいます。例えば人の手助けだって、結局は自分の満足感に過ぎないかあるいは良心に対する苦痛の回避というものでしかなく、ある意味で苦痛の回避を買った結果にすぎないのだと。恐るべき悲観論。1度読めば、神経毒のように体を蝕んでいくような気な感覚を味わいます。こんな感覚はニーチェ以来です。人間は自己是認を得たいという衝動しかない。こんな思想のどこに救いがあるのでしょう
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人間とは外部から与えられる様々な力によってのみ動かされる、機械と変わりない存在だという内容。
話の運びが巧く、こちらの抱いた疑問が青年の口から次々と飛び出すので最後まで関心を持って読めた。
終盤に出てきた不幸になる人と幸福になる人の話からは著者の人生に対する諦観のようなものを感じた。
この本の内容を楽観的に受け取るか悲観的に受け取るかは読者自身に委ねられていて、その受け取り方こそが幸せになる素質の有無なのだと思った。
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私たちの思考や言葉は、外的な力によってもたらされた結果でしかない。自己は形成されるものである。
利己も利他も形状が違うだけで中身は一緒。
人間の共通目標は主衝動に基づき、自己満足、自己陶酔することだけ。
教育は、欲望のベクトルを正しい方向に向ける。
著者のこのペシミズムは、さっぱりとした考え方で気質的なものなのかもしれない。
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人間は教育をはじめとする外因からできた機械にすぎない
すべての行動は自己是認を求める。他者への思慮も、自己犠牲も、自分が納得するかどうかが最大の基準となる。
晩年のトウェインがペシミスティックな面を露わにした作品、との解釈が多い。同意であるが、それ以上の解釈の可能性を見出したい。青年の台詞を書いたのもトウェインであるなら、老人がどんなに説得にかかっても何とか食いつこうとする姿勢を見せるのはなぜだろう。
機械にすぎない人間がここまで「進歩」してきたのはなぜだろう。歴史は繰り返す、しかしそれは螺旋階段だと聞いたことがある。
キーは「想像力」と「創造力」に在るかもしれない。
せっかくならば、良い素材をインプットし人類の進歩に寄与していけるようなアウトプットをする機械でありたい。
自分の幸せが中心にあってもいい。
Posted by ブクログ
個人的に何度も読み直したいと思った本。
例えばです。
私の身の回りにはもう亡くなった人も含め、何人か認知症を患っていました。
そのとき、「日常生活でできなくなってしまったこと」が数多くある中でさえ、人を選んで攻撃をする姿を幾人も目にしました。
大体、人により、(八つ当たりなど)攻撃する対象は限られてるのですよね。弱者に向かう。もちろん当人が一番の弱者なわけですが、当人が元気だった頃の認識で弱者と思われる人間が攻撃対象になる。強い人間にはあまり向かわない。
わたし、何となく見ていたり、その対象になったりして、
「あぁ、自分に対する弱者強者を見分ける力って、結構人間の根源的な能力なんだなぁ。」なんて思っている。
そこで、いかにうまく取り繕おうとして、勉強したり訓練したりしたところで、
そんな努力なかったかのように身包みはがされる。
それが、人間の性質なんであろうとすると、
自分の性質は、決して素晴らしいものとは言えない。本当に。
今までひたかくしにしているものが、いつしか決壊して漏れ出る可能性を考えると、
自分の性質ってやつについてよく考える。
まだよく見えていない部分も多いのだけど、
せめて「そんなにひどくない」くらいだったらありがたいのですが…。
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あの『トムソーヤの冒険』で知られるマーク・トウェインがこういう本を出していることを知らなかった。内容としては、「人間は自身の心の満足感のために行動する機械である」ということ。読書会や雑談会を開催するときもある程度主催の機嫌によって左右されるので理解できる。創造も外部の影響から練られたものというのも、日本が特に文化や二次創作の発展に強いこともあって腑に落ちやすい。自由意志も精神的欲求による働きでしかなく、金や物自体ではなくそこから得られるものを求めているのも積読・積みゲーが増える理由なのかもしれない。
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マーク・トウェインの人間観には恐れ入った。トウェインではなく正確には老人なのだが、この老人は徹頭徹尾、人間の善性を相対化する。あらゆる行動は自分によかれと自分が満足したい、という動機があるらしい。悪を行う可能性があるという意味では人間は動物以下でもあるらしい。
こんなペシミスティックな老人が近くにいたら鬱陶しいなあ、と感じ、青年がんばれ!と読み進めるのだが、次第に老人に愛着を持ち部分的に共感するようになってしまった。なんだろうこの中毒性、トウェインの風刺の魔力。
これを読んだ後で、中学時代に読み耽ったハックルベリー・フィンやトム・ソーヤを読むとあの頃とは見える世界が大きく変わりそうで、怖くもあり楽しそうでもある。
Posted by ブクログ
老人と青年の対話調で綴られた、「人間とは外からの力に反応して作用するだけの機械である」という主張を説明する内容だった。
言い換えると、「すべて人間は、自らの経験学習と気質に従って、自らの精神的満足を充足するための選択をする」ということが主旨だった。
そのため、自由意志などや自己犠牲などは存在せず、一見すると当人にとって損な善行や苦行も、結局は「そうしなければ別の精神的な不満足によって耐えられない」という天秤で選択された行いになる。
相手を小馬鹿にしたような語り口調と、説得に際し用いられる古い事例は少し読みづらいが、一貫した主張は明確に読み取ることができる。
Posted by ブクログ
人間は、外部の刺激に反応する機械のようなものだと、老人が青年に論破する会話劇。生物として人間を観察する視点で、他の動物と大差ない生き物だと論破する痛快さもある。良心や、道徳的行動など、人間だからこそもちえてそうな美德はことごとく動物的行動の結果にすぎないと論破されてしまう。
一つのものの見方として、さまざまな角度から思考を巡らす時の視点として持っていても良い考え方だと思う。
あの、トムソーヤを描いた作家というのにも驚かされる。シニカルな視点ももちえた作家だったのですね。人間を冷徹なまでも客観的に観察してきた著者だからこそ、表現できた作品なのだと思った。
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キリスト教観の中にあっても、“人間は機械である”という一貫とした考えは、キリスト教観から離れている日本人にとっても、スッと入ってくる考えだと思う。
ただ、読むのは難儀した。
Posted by ブクログ
・人間を悲観的にみる老人と、それに反発する若者の、人間感に関する考え方のやり合い。
・人間機械論。気質と教育により外部からの影響により人は動いたり考える。
・人間は自由意思はなく自由選択。
・物質的価値と精神的価値の境界線はない。物質的価値などなく、全ては精神的価値。
例えば自分が欲しいと思ってた帽子を購入したとして、他者に馬鹿にされたらその帽子は被らない、価値がなくなる。
・人間は自分から何かを創造することはない、外部環境からの影響のみ受ける。
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暴論的な部分もあるが面白い。一つの考え方として完成している。この考え方をしたら憂鬱になるかと言われたらそうではなくて、気が楽になる。現代における1つの処方箋になると思う。
Posted by ブクログ
この本に登場する人物は2人。1人の青年と1人の老人。物語は、人間について老人が自身の考えを語り、それに対して青年が疑問をぶつけていく形式で進行していく。
著者マーク・トウェインの死後、本書を読んだ彼の妻がひどく泣いたというエピソードからも理解できるように、本書の内容はそう簡単に受け入れられるものではない。
以下、内容をあとから想起するため、岩波書店HPから要約文を引用する。
「人生に幻滅している老人は,青年に向かって,人間の自由意志を否定し,人間は完全に環境に支配されながら自己中心の欲望で動く機械にすぎないことを論証する」
老人は「人間機械論」を唱え、人間は所詮外部から受けた影響をもとに行動する機械でしかないと説く。このような、人間の自由意志を否定する論調は馴染みのないものであり、現代人からは大きな反感を買うことが容易に想像できるが、それでも本書が長く読み続けられている理由は、この主張が人間の一側面を鮮やかに描き出しているからであろう。個人的には、この考え方は受け入れられないが、一方で完全に無視することもできない。
ただ、あえてこの主張に反論すると、これは「反証不可能」な主張である可能性が高い。つまり、人間の行動を理解する際、それがどんな行動であろうと「その原因は外部環境から受けた影響にある」と言ってしまうと、とたんに誰も反証ができなくなってしまう。なぜなら、外部環境を受けない人間などいないのだから。一般的に、反証不可能な知識はその後の議論につながらず、相対的な価値が低いと言われるため、反論をすることは可能である。
ただしかし、やはり人間が外部の影響を多分に受ける存在であるという主張もまた真理なのだろう。問題は、影響を受けながらも、自身の人生の指針を定め、そこに向かって努力を続けることができるか。本書の中で、老人が「せっせと君たちの理想を向上させるように努めることさ。そしてみずからがまず満足すると同時にだな、そうすれば、必ず君たちの隣人、そしてまた社会をも益するはずだから、そうした行為に確信をもって最大の喜びが感じられるところまで、いまも言った理想をますます高く推し進めて行くことだな。」(p.105)と語っているように、どれだけ理想を追求できるかが問題であると思う。自分は外部の環境からの影響を多分に受けるということを念頭に置きつつ、その環境すらも好きなように変えていけるような、緩やかな意志を持って生きたいものだ。
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難しい。難しいけど面白かった。最近なぜか古典を読みたくなって前から名言などでよく名前を見かけて気になっていたマークトウェインの本を読んだ。全般に渡ってペシミズム(悲観主義)で全面的に賛同するというわけではないが、完全に否定することは出来ないなという感じ。確かに自分も何も考えようとしなくても勝手に何か考えついていつのまにかその考えが頭を支配している。ただでも100%そうかと言われると…ンンンとなってしまう。この辺りはまた時間を置いて改めて読んでみたときの為にとっておきたい。とにかく今は読み終えて面白かった。というのとマークトウェインってどんな顔してるんやろということとハックルベリーフィンの冒険も読んでみようということ。100年前に書かれたとは思えないほど現代的な文章、訳し方によるのかもやけど。
Posted by ブクログ
『トム・ソーヤーの冒険』などの作品で知られるアメリカの作家、マーク・トウェイン。
少年時代にこの方の小説世界に触れて、ミシシッピー川という川の名前を知った、という記憶があります。
そのマーク・トウェインが、『人間とは何か』という題名で、人間の本質について書いた文章を残していると知り、書店で探して読んでみることにしました。
老人と青年が対話する形で、書かれています。
その老人が教え諭す話というのが、人間とはどのような存在なのか、ということ。
自分なりの理解を、以下に要約します。
・人間は自分自身の安心感を求めて行動する
・人間の考え、行動は、それまでに得た情報、経験により左右される
・上記のような理由で、人間は他の動物たちと比べて大きな差はない
そのような老人の主張に対して若者が反論しますが、老人によりことごとく論破されてしまう、という内容になっています。
訳者による”あとがき”によると、本書はマーク・トウェインが60歳前後に書いた、作品のようです。
人生の終盤をむかえ悲しい出来事が続いたことにより、悲観的な人生観を持つようになった、という背景があるとのこと。
ただこの作品で書かれていることは、人間の本質を理解する上で、重要な視点だなあと、感じました。
このような考え方があると知っていることによって、逆に、他人の行動、振る舞いに対する怒りを抑えられるかもしれないなと、感じました。
著者のイメージが変わるという意味で刺激は強い作品ですが、人間とは何か、自分はどのような行動原理で生きているか、考えさせてもらえた一冊でした。
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Posted by ブクログ
人間とは何かという仰々しいタイトルに反して対話形式でとても読み易く、それでいて人間の本質を突いている。
老人の主張は一貫している。
「人は自分の良心を安定させるためにのみ行動する」また「人の良心は、生来の気質と後天的な教育、訓練から得た知識や印象、感情の断片の集合体であり、人はこの主に従う出力機でしかない」というもの。
これは僕自身も常々感じていたことだ。青年は終始それでは人間の価値が下がってしまう、救いがないということを言うが、全くナンセンスだ。価値が下がると感じるのは、ホモサピエンスという少しばかり賢い猿を実際より過大に評価していたにすぎない。著者はまた、偉大な人間、誇り高い人間は嘘の衣装を自慢しているだけだと貶める。つまり銅人間も炭素人間も金人間も、己の生得の原石を磨こうと理想をもち、訓練なり努力なりをしている限りにおいては、人はみな等価値である。そう主張しているのではないか。
この老人は人間を貶める、冷たく、嫌な人間では決してない。長年の観察と検証から発見した事実を言っているのだ。その事実は、確かにある面では残酷で、批判的かもしれない。だがまたある面ではとても公平であり、人を勇気づける代物なのだ。
本書は、少なくとも僕にとっては希望の書であり、ある種の救いとなった。
ありがとうトウェイン。
Posted by ブクログ
一見ようわからぬ問答集かと思いきや、深淵なる人間機械論のダイジェスト版とも取れる、哲学書であった。老人のような境地に至れば、ある意味楽になるだろう。一方で青年のような青臭い思考も維持したい。結局ようわからんというところで。渋い訳もまた妙なるものがあった。
Posted by ブクログ
マークトウェインが考える人間の本質をストレートに表現したこの作品。
衝撃的な内容!ではなくなったのは時代のせいでだろうか。最近ではこの手の本はよく見かけるし、”嫌われる勇気”もシンプルに本質的なことをストレートに伝え、それを青年と老人が議論していくという表現の仕方は非常に似ていたな(いわゆるソクラテス式問答)と読みながら思った。
とても理解しやすかったし、思い当たる反論もないので、素直に受け入れるべき内容なのかなと思ってしまった。
特に人間の欲=精神欲を満たすために行動しているという点で、今の時代、これまでの物質面重視から精神面重視に移り変わろうとしているけど、結局は精神欲を満たそうとしているだけなんだなと。
人間の欲を満たすため、精神面に重きを置いてそれを楽しむ人生もあり、またお金や物への物質的欲を満たしながら精神欲を満たす人生もあり。決してどちらがどうこうという問題ではない。その点は理解しておいたほうがよさそうだ。社会の中では、欲の満たし方が違うグループ同士は、お互いにあまり尊敬はしてなさそうだけど、やっていることは一緒という点。この理解はみんな持っておくべきかなと思う。
また人間の本質はシンプルかもしれないが、人間それ自身や、人間が住む社会はもう少し複雑だ。シンプルな本質を理解したからといって、シンプルに行動するのは大変危険。こういったシンプルな考えが人間の行動の根幹にある(可能性がある)というは知識として持っておき、その上で複雑な社会の中で自分らしく生きていくことが大切なんだろうと思う。
あとは、その上で”せっせと自らの理想を向上するように努める”だけかなと。
Posted by ブクログ
人間は自己を満足させるために生きている。
「人間とは何か」、このシンプルなタイトルとBOOKOFFで100円だったので購入。
登場人物は青年と老人の二人だけで、彼らの会話が描かれている。青年は人間には意思決定をする力があると信じている、対して老人は人間は自己を満足させるために生きていると信じている。青年は、老人の「人間は自己を満足させるために生きている」という考えを打破するために試行錯誤するが、決して破ることが出来なかった。
私自身、この老人の考えに納得せざる得ない。「人間は自己を満足させるために生きている」という理論は、言い換えると全ての人間の行動原理は自己満足であり、自己犠牲すら自己満足のためなのだ。そして、自己満足は当人の気質や性質からなっており教育や訓練はそれらに若干の影響しか与えることができない。こういった考えを知って正直今、反応に困っている。なぜなら、私は読書から生きるために役に立つことを学ぼういう姿勢で臨んでいる、しかしこの本から得られたものはなんだろうかと感じている。この読書から何を学べたかは今後わかってくると思う。
Posted by ブクログ
考え事をしたいときに読み返す一冊。
極端に自由意志を否定し、人間を機械だと評するおじいちゃん。
現在の行動と環境を規定しているのは、100%過去の行動だとしても、実際に生きていくうえで、それを正論と受け止めるメリットはないと思います。
九割意味のないこと。
けど、ある意味そういった嫌悪感を持つものに触れることが必要なのかもしれないと毎回思いながら読んだりします。
Posted by ブクログ
マーク・トウェインといえば、『トム・ソーヤーの冒険』などの少年文学の巨匠という印象しかなかったのですが、本作のようなパンチの効いた論評本も書かれていたんですね。
対話形式で書かれた作品で、とても読みやすく面白かったです。
内容は、「人間とは機械であると主張する老人」vs「人間の良心を信じる若者」の問答集となっています。
老人が、「人間、それは単なる機械である!なぜなら・・・。」と主張していき、若者が、「いやいや、そうはいうものの人間には良心や愛が・・・。」と反問していくカタチです。
作品からの例証や実体験をいくつか挙げたりして論じていく老人に、半ば若者はたじたじです(笑)
話題が「機械」から、「気質」や「鍛錬」や「善悪」やらと流れていきますが、老人がバッタバッタと「良心」や「道徳観」や「愛」を切り倒していく様はなかなか胸がすきます。
本書は、考え方を説いたフィロソフィー本なのか、はたまた事実を暴いたドキュメンタリー本なのか。
読まれる皆さんの感想が気になります・・・!
主題とは逸れるのですが、私は、第六章「本能と思考」が白眉だと思います。
「本能」の定義、「思考」のホントの意味、「自由意志」の有無について、物質的価値と精神的価値について、「わたし」はたくさんあるということ、人間と他の動物は平等であるということなどなど。
いまもって悩ましかったりする問題や、日本に遅れて入ってきている問題などがたくさんここにはあると思います。
トウェインが亡くなる4年前に出た作品(1906年)ということもあり、老人ロールはトウェイン自身でしょうか。
それにしても、20世紀の初頭ですでにこういった世界観を持っていたトウェインに脱帽しました。
Posted by ブクログ
読む年代により感想が大きく分かれると思う。
10代、20代の方がこの本を読んで感じられるのは虚無感だと思う。
まさに作品中に出てくる青年の心情が投写される気がする。
ただ、年齢を重ねた方が読めば作品に書かれていることは一種の免罪符になり得る。
人は形成するものは産まれ持った気質と教育であり自由意志など持たないと言う事実を延々と突きつける形で進んでいく。
ただ、その事実に対する著者の成否や判断は作品中一切行われず読者に委ねられる。唯一、著者の心情を表してそうなのは最後の一文のみである。
事実を提示するのみで、論理展開が行われないため単調な進行となり、読む人によってはつまらないと言った感想抱くと思う。
人は自由意志を持たない、これをどう捉えるかによって作品の感想が大きく変わる。
若い方は否定的になるであろうし、ある程度経験の積んだ方なら、なるべくしてなった心配するなと言う思いを感じるのではなかろうか。
千差万別あると思いますが、ある一つの価値観に触れる機会を与えてくれる名著だと思います。
Posted by ブクログ
若い時に読んだこの本は自分の人生に無視できない影響を及ぼしているような気がずっとしていた。人間は機械であり、自分は出来損ないの機械なんだろうという思い。
読後、約30年。機械だから何だというのだ、むしろ出来損ないの機械ならではのオモロイ社会を笑い飛ばしながら生きてきた。これでいいのだ。
Posted by ブクログ
マークトウェイン 「 人間とは何か 」
対話形式による人間論の本。「人間は 自己中心の欲望で動く機械にすぎない」とする 人間機械論 をテーマとしている。
機械に 自己意識や欲望があるわけないので、しっくりこなかったため「人間は 自己満足と周囲の影響がプログラムされた機械にすぎない」と読み替えた。人間には、他者満足のためだけに行動したり、周囲に構わず自己判断するプログラムがない という意味。
この本全体に漂う「創造するのは神のみ、人間は機械にすぎない」という論調だと 人間の意義に たどり着かない気がする。
人間機械論の悲観的現実
*人間の政治意識、趣味、道徳、信仰をつくるのは周囲の影響
*周囲との人間関係しだいで 人間は 正にも不正にもなる
*自分の判断で 自由に善と悪を判断できないことになる
Posted by ブクログ
人間が何かってことは、すべてそのつくりと、遺伝性、生息地、交際関係など、その上にもたらされる外敵力の結果。みずから創り出すものなんでなんにもない。
心を支配する力は人間にはない。
義務はなにも義務だからやるってものではない。それを怠ることが、その人間を不安にさせるからやるに過ぎない。人間の行動は唯一最大の動機、まず自分自身の安心感、心の慰めを求めるという以外にはない。善人も悪人もつまるところ心の満足を得るために必死になっているにすぎない。
人間は自発的にやることはできない。その生息地、人間関係を変えればいい。
気質(生まれながらにもっている性質)はいくら教育しても抹殺できない。ただ元々の気質が少しでも関心を持っている事柄は長年の外力によって影響を受け、さらには行動を変えてしまう。行動はそれが起きた瞬間の外力の結果ではなく、長年積み重なった外力の結果。
本能は石化した思考。習慣によって固形化し、かつては思考していたものがいつのまにか無意識になったもの。
Posted by ブクログ
トム・ソーヤの冒険等でお馴染みの作者が、人間の自由意志を否定し人間とは外的要因によってのみ動く機械的なものだと説いたもの。老人(=マークトゥエイン)と青年の対話形式で話は進む。岩波文庫の赤かぁ・・・と敬遠することなかれ。そこまで分厚くないし、和訳ものにありがちな難しい言葉もないのですらすら読めると思われる。
人間と動物も複雑さは違いこそすれ、もとのメカニズムとしては同じだと老人が説いた時の青年の怒りの反応には「?」と思った。しかしキリスト教では人間は他の動物より高等なものとして位置付けていると思えば、青年の反応はもっともかもしれない。キリスト教のその辺りがわからないと青年の怒りだとか老人の嘆きだとか、そもそもこの本が書かれた意義だとかがわからず終わるのかなとも思う。
要は日本のように無宗教で生まれ育った人はふーん、とかへぇ、とか当然でしょ?とかの感想で済む(実際、概ね私が昔から考えていたとおりのことが書いてある)が、キリスト教の人が読むとこれは全世界を揺るがす大問題作ともなったのだろう。
Posted by ブクログ
【人間は自分をまず第一に考えてる】
人間の他人に対する善意な行為も含め、すべては自分を満たすために行われている。つまり、人間は誰もが自分中心で生きているのだと、かなりペシミスティックに「人間」というものを捉えているのがマーク・トウェインという人物である。
しかし、この考え方には私は大いに賛成であり、そうだと思う。
「まず君の理想をより高く、さらにより高くするように務めることだな。そしてその行き着くところは、みずからを満足させると同時に、隣人たちや、ひろく社会にも善をなすといった行為、そうした行為の中に君自身まず最大の喜びを見出すという境地を志すことさ。」
という彼の言葉は、「自分中心でいいじゃないか。自分を満たしたら次は隣人や社会を幸せにすれば」という突き抜けているというか、開き直った考え方である。
偽善だなんだとたまに世間で話題になることあるけれど、彼の考え方を皆が認めれば、一件落着ではないかと思う。
ただ、本の最後に「あなたの考え方は有害ですよ」ということを青年が述べるところみると、マーク・トウェイン自身も自分の考え方が極端であり、他人から非難を浴びることは承知の上だったのだろう。
最後に彼の人間性というか、「でもみんな受け入れてくれないんだろ」っていう拗ねている感じが出て、私は少し笑った。
Posted by ブクログ
外からの要因が変えていく。
だけど、その人の生まれながらの傾向、気質は変えようがない。
など、著者の考えが、対話的に展開されていく。鵜呑みには、出来ないが、考え方や、アイデアとしては活かせそう。