國分功一郎のレビュー一覧
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ネタバレ國分功一郎と古市憲寿。この2人の論客に共通するイメージは「中性的、もしくはフェミニン」な感じじゃないだろうか?「社会の抜け道」という一見、硬そうな政策論かと思わせるタイトルなのに、いきなり「IKEA, コストコ、ショッピングモール、農場→料理」と来る。さらに、デモ、公園、遊びときて、保育園→主婦論へと進む。
徹底的に「日常生活」を出発点として話が進んでいくのですごく読みやすい。それで、随所に哲学的考察が入って来るので勉強になる。哲学が生活と切り離されていた学問として形骸化していったのに変わって台頭してきた社会学。でも、社会学書をいくら読んでも読み応えはなかなか味わえないわけだが、この本はサクサク読めるくせに、結構読み応えがある。
たとえば、保育園→主婦論のところでは、専業主婦や家族主義なんて概念は「歴史の浅い幻影」であるとし、戦後高度経済成長を経て、主婦が労働力の調整弁として機能してきた経緯を考察し、家計が夫の労働だけで賄えなくなった現代では、ワークシェアリングの導入を含めた「ワークライフバランス」の制度設計が急務であると述べる。
本書を通して、一貫した主張は「禁止して罰するような法整備ではなく、社会の持続力を支援するために望ましいモデルとなる制度を整備すること」である。法整備ばかりを急ぐ旧態依然とした政治や官僚の世界の現実とギャップを感じるばかりである。まあ、日本だけの問題ではないから難しいんだろうけどね。面白かった。 -
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至る所でひずんでしまっている社会。しかし、自分だけでは、自分の周りにいる人たちだけではどうにもすぐには変わりそうもない。
けれども、人間を天蓋のように覆っている制度や構造も完璧ではない、実は色んな所で水漏れをしている。
得てして人は革命や劇的な変化を望んでしまうけれども、水漏れから覗く半径1メートルのアクチュアルな世界を、少しずつずらして変化させていくしかない。
古市さんは現状をシニカルに観て肯定しているだけの社会学者だと思われている節があるけれども、むしろ現状を深く読み込み、そして読み替えた結果として現れたそうした社会の水漏れを大切に取っておこうとしているだけなのだと思う。國分さんが、そうした古市さんのスタンスには今までなかった観点から思想という骨を入れているのが面白い。
すこーしだけホネットが言及されます。いろいろ端折られすぎだし、つっこみたかったけれども笑
これだけ読んだ世の中の方は、ホネットをどういう人だと思うのだろう…?
「〜アクセル・ホネットの講演会に行ったことがあります。そこでフランクフルト第三学派と第二学派の子育て論争の話を聞きました。第二学派が第三学派に対して、おまえら生産性が低いって文句をいったら、第三学派のアクセル・ホネットが、俺たちはおまえたちと違って子育てをしているんだっていい返した。」(187) -
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暇と退屈について、筆者自身の見解はまだ模索中。
過去の有名哲学者の考察を引き出して、それぞれに対して検討する形式。読者も一緒に考えようねという考える種本、色々な哲学者紹介本として楽しい時間であった。
「消費ではない浪費」の推奨。現代消費社会に生きる我々において、この実践はとても難しいことであるが、消費主義に絡め取られないよう心に留めておきたい。
他の生物の環世界について、人間を他の生物より安易に上位に置いていた点が、ん?と思った。
人間の持たない感覚を持つ生き物の多いことを踏まえると、それぞれの世界を理解することは人間の感性ではできず、それゆえにどちらがという優越をつけることはできないと思うし傲慢であるとも思う。
ハイデッガーのことを「人間は特別なものだという信念を抱いており、その信念に合うように立論している」と批判的に述べていたが、筆者にも通ずると感じた点が残念であった。
パスカル
「人間の不幸は、人間が部屋にじっとしていられないから起きている」
ラッセル
「退屈とは、事件が起こることを望む気持ちを挫かれたもの」
「退屈の反対は、快楽ではなく興奮」
「幸福の秘訣は、あなたの興味を出来る限り幅広くせよ。あなたの興味を引く人や物に対する反応を敵意ある物ではなく、出来る限り有効的なものにせよ。」
定住してから脳や身体が退屈に
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ネタバレ"誰かが「人間だもの」と言い続けている時、その人はその社会に慣れていこうとしています。たとえ息苦しいものであろうと、その社会を変えようとするのではなく、それに慣れようとしているのです。もちろん、いったいどうしてそれを責めることができるでしょう。そんなことは間違っています。その人はただ、人間的な精神の仕組みに忠実に、人間であろうとしているのです。 ところが、人間だれしも、「哲学者」になることがありうるのです。人間的な精神の仕組みになぜか抗ってしまうことが時折起こるのです。それは問いを発することとして、あるいは、何かを知ろうと強く願うこととして、その人に降りかかります"
このまえがきは、國分功一郎と若林正恭とを結ぶ共通の思考の根をよく表している。
特に、「目的の概念」に関するやりとりが非常に示唆に富む。人は、金を手段に人生という目的に到達するつもりがいつしか、時間という人生のほとんどそのものを手段に必要以上の金稼ぎに勤しんでしんでしまう。それ自体として目的となる快に、健康を含めていたカントの議論も刺激的だ。
暇でなければ民主主義は不可能だという議論を読み、私も高校生の頃から全く同じ考えを持っていたことを思い出した。民主主義がより金権的になるきらいがあるので選挙期間を延ばすことの是非はともかくとして、私たちは暇な時間がなさすぎる。 -
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利他とは何か、という題名だったので利他の本質について追求していく本なのだと思っていたが、「利他」という事柄をそれぞれの専門家がそれぞれ定義づけし、考察するような内容となっており、「利他についての諸考察」等の題名の方がしっくりとくる気がしている。
様々な角度から利他を語り、全体を俯瞰して見るとぼんやりと全体像が見えてくるような。
まるで、ピカソの多視点画をみながら全体像を探っているような本だと思った。
しかし、この本を読んで最終的に絵の全体像が見えてこない気がするのは、各専門家が利他について相互に刺激を受け、お互いの観点を踏まえた一段上の視点を提示するのが少ないからだろう。
せっかくこれだけの人材を持ち寄り、研究しているのであればもっと各専門家の視点がクロスオーバーしながら語るような内容があつくても良かったのではないかと思う。 -
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ネタバレ新書とはまた違うのかな、丁寧に説明してくれているおかげか割と読みやすかった。
哲学の入門書として優しく手を引いてくれている感じもしながら、これは実用書とも言えるんじゃないかと思った。
人間である限り退屈してしまうのは仕方ないから、「消費」しないように気をつけて「とりさらわれ」の状態を求め、できるだけそれを長く持たせようと思った。
あと色んな哲学書を覗くことができてオトク感があった。
あとは、定住にまつわる人類学的な話であったり、現代の資本主義経済の仕組みであったり、虫から環世界について考えてみたり、様々な分野を経由して、身近にあるものを出発点として考えてるので読んでいて楽しかった。
これから退屈を感じるたびに本書の内容を思い出すだろうなと思った。 -
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退屈から逃げるには、贅沢をする。つまり浪費すること。
浪費は、物そのものをちゃんと受け取ることで、これはどこかで満足に届く。逆に、記号とか観念を追いかける消費は、いくらやっても満足が来ないから退屈が深まる。話題だから行く店、みたいなやつ。
物を主体的に楽しむには訓練がいる。楽しめないなら、その対象を楽しむための知識や経験がまだ足りてないだけ。受け取る力は育てられる。
そうやって受け取って、享受して、生活を楽しめるようになると、ときどき何かに完全に持っていかれる瞬間が来る。それを待ち構えられる状態を作っておくことが、人間らしく生きることだと学んだ。
退屈をなくす方法を学んだというより、「物事を受け取る力を育てることが、人生そのものを豊かにする」という本だった。 -
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一気に読んだ。一気に読まな中身入ってこないと思ったから。
書店でピックアップされてたけど、個人的にはうーん…。自分の理解力の問題なのかもしれないけど、うーん…。
退屈だとか暇だとかの概念を人類史やら環時間の違いから紐解くけど結論が自身の心の豊かさ、とか今後の社会の変化でまとめられてて不完全燃焼。な、わりに、哲学だから「実用性」に欠けるんよね。読者に考えてもらうことが著者の目的って言うてるから、それは仕方ないのかもしれないけど。退屈を回避するために日常の中に楽しみを見出す、その方向はわかってるけど方法がわからないから人は苦労してるんじゃないん?
自己啓発本じゃなくて哲学書やからそんなもんやろって言われるとそれ以上は何も言えないけど。 -
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哲学書でおなじみの國分先生の新刊タイトルがこれだったので「?!」となりつつ読んだ。
なかなかどこから手をつけたらいいか分からないような問題なので、きっかけがあってよかったなと思う。これを機にもうすこし色々調べたり考えたりしてみたい。
以下印象に残ったことの雑メモ
・立憲民主制について
民主制だけでは「民意なんだからなにしてもいいだろう」に陥る可能性があるし、立憲制だけでは「決まりなんだから服従しろ」に陥る可能性がある。
どちらにも陥らないように立憲民主制が必要である。
・天皇への敗北について
天皇制自体が憲法第1条ありきなので、天皇が護憲派なのは当たり前。第9条を守りたい護憲派は、天皇が現憲法を擁護した際に両手を上げて歓喜した訳で、結局天皇の権威を借りることでしか主張を守れなかった。これが天皇への敗北である。
└1条と9条の関係について
柄谷行人によれば、マッカーサーの意図は天皇制の維持(1条)であり、国際世論を納得させるために戦争放棄をうたった9条を入れた。つまりもともとは1条のために9条が必要だったのが、今は9条を守るために1条を欲している。ここに構造の逆転が発生している。
・天皇の基本的人権について
天皇は人権の認められない身分制の「飛び地」になっている。まずは「我々は天皇を基本的人権の尊重における例外にしてしまっている」とハッキリ口にするべきではないのか。
天皇制についてはそこから国民で議論してはどうか。
・日本のねじれ、自己欺瞞について
日本が敗戦し、米国に占領され、憲法を押しつけられたという事実を、日本国民は正面から受け止めずに知らぬ振りをしてきた。
引用
「昭和の文人」と「昭和の憲法学者」が教えてくれているのは、ごまかすなということです。筋の通らないことをやり過ごすなということです。
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まだ自分には理解できない部分は多分にあったので、もっと知識や哲学に関する素養がついてから改めて再読してみたいと思いました。
能動態の対義語は受動態というのはよく知られていますが、ここでは「中動態」と呼ばれる概念について深掘りしていくものでした。
「私はあなたを愛しています」「私はあなたに愛されています」 これはよくある能動態、受動態の文章ですが、
「私はあなたに恋に落とされた」となると、恋をしているし(能動)、落とされている(受動)、という中途半端な態となっています。
その曖昧さや態の歴史を様々な哲学者を取り上げながら分析していく本でした。
國分功一郎さんって哲学者挙げて、批評して深掘りしながら進めるの好きだなあと感じました。 -
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ネタバレ國分功一郎の『天皇への敗北』を読んだ。わりとまともにこの国の民主主義と立憲主義の安倍以降の危機、中野重治、江藤淳、加藤典洋、天皇の戦争責任…などに関しての、著者の批評的整理が記してある。誰にでも読めるし、おそらく内容も理解しやすく書かれている。
内容の議論には正直なところ新鮮味やユニークさは無く、個人的には今更こんなことを…と感じたが、現在の我が国の政治社会の空気の流れとその源流、原動を鑑みれば、これをあらためてわかりやすく整理する必要があるということか。勿論けっして幼稚な内容ではないが、整理する必要があるという事態が極めて幼稚ではないだろうか。
新書サイズだし、國分だし、読みやすさは保証できる。ただ興味や関心や危機感が無いのなら読む意味はまったく無い。
それにしても…天皇に関する本書の扱い、新潮から出すにはギリギリな内容だったか?