國分功一郎のレビュー一覧
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至る所でひずんでしまっている社会。しかし、自分だけでは、自分の周りにいる人たちだけではどうにもすぐには変わりそうもない。
けれども、人間を天蓋のように覆っている制度や構造も完璧ではない、実は色んな所で水漏れをしている。
得てして人は革命や劇的な変化を望んでしまうけれども、水漏れから覗く半径1メートルのアクチュアルな世界を、少しずつずらして変化させていくしかない。
古市さんは現状をシニカルに観て肯定しているだけの社会学者だと思われている節があるけれども、むしろ現状を深く読み込み、そして読み替えた結果として現れたそうした社会の水漏れを大切に取っておこうとしているだけなのだと思う。國分さんが、そう -
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奇妙なタイトルである。暇と退屈、一見すると同義に思われる両者に対して、倫理の視点から論説するらしい。割と分厚い本であるが、回りくどい説明が膨らませているのでは?と思いながら読んだ。暇と退屈は、暇だから退屈する、といった因果関係にあるのではなく、相関関係にある。暇と退屈、それぞれの有無で、対応関係を作り、分析を整理していく。暇とは何もすることのない、する必要のない時間を指していて、暇の中にいる人の在り方や感じ方とは無関係で、客観的条件に関わっている。一方、退屈とは、何かをしたいのにできないと言う感情や気分を指していて、人の在り方や感じ方に関わるので、主観的な状態になる。著者は、ハイデッガーの分類
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哲学書はほとんど読んだことはないけれど興味深いテーマなので読んでみた
テーマとしては確かに面白く
今までない視点による気付きも存在したのだが
哲学書がそうなのか
作者が悪いのか
はたまた自分に原因があるのか
いまいち読み進めることができず読破に3週間ほどもかかってしまった
なんというか回りくどく
同じことを繰り返し
多数の引用をして横道に逸れ
その割には独善的に引用先を否定する
論理の展開も納得できるものもあるが自分の感覚的にはあまり受け入れられないようところも少なくない
ただまぁだとしても誰かの論理の流れを追い
それについて思考すること自体が哲学というものなのかな
というわけで暇と退屈につい -
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ネタバレ哲学の先生に
様々な悩みが届けられ、答えてくれるQandA形式。
悩みに対してズバッと答えてくれるものもあれば
文章から読み取れる人間性をグッサグサに刺してくれたり。笑
新しい形の悩み相談というか。
それはこうですね、こうしましょう。
とか、そういうことではなく
その人自身の根本に着目していて、面白い。
悩み相談って
実際は人が全く違う人について考えるんだから
最適解に出会えることなんて少ないと思う。
その人の周辺情報を知らないと尚更。
でも、文章から感じる人間性を深掘っていく感じが面白い。
悩み相談をして、素直に誰かの意見に従える人は
多分そんなに深刻に悩んでいないと思う。笑
だ -
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戦後の憲法学は、日本国民が自ら憲法の価値を理解し、自らの手でこの価値を担うようになること、つまり憲法に対する成熟した態度を養うことを目指してきた。しかし、第二次安倍政権下で憲法が危機に瀕した際に、国民は自らの手で憲法を守ることができず、天皇に頼ってしまった。このことを著者は「天皇への敗北」と表現している。
この主張を一定理解はすれど、そのまま自分の意見とするかどうかには留保があるべきだと感じる。また著者自身もおそらく読者自身が自分で考え、自分の意見を持つことを歓迎するだろう。
哲学講話シリーズを読んできた読者としては、ほとんど哲学への言及がないことに面喰らったが、いま読むべき本ではあると思 -
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読む前
利他はほとんど存在しないでしょう
見返りを求めたり、「利他」的な行為をする自分に酔ったりしてるだけなのでは→結局は利己
でも、親が小さな子を守るみたいな行動は利他だといってもいい?
↓
いずれの章にも共通するものとして、「余白」「うつわ」、つまり自分の意志以外のものの介入を許しているということがあった。逆に、その介入を許さない場合、それは利他ではない
利他が「生まれる」(「する」ではない)時は、自然に、すなわち「オートマチックに」生まれるものであり、それは自分の意志ではなく何か大きな力がはたらいてこそのものである
3章〜5章で論じられていることが利他に結びついているのかあまりわからな -
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難しい!
この本の中では今までの常識を捨てて考えなあかんから読み進めるのに時間がかかった。
日本語を使いながら英語勉強してる時みたいな、量子力学の授業聞いてんのかなとかそんな気分。
途中で著者が分かりやすい例を持ち出してくれた時なんかはちょっと理解できた気がしたけど。
例えば「物思いに耽る」とか「人を好きになる」なんかは能動受動では表せない言葉の例として出てきた。
「責任のある世界は、人が人に応答する世界である」
「銃身からは決して生じえないもの、それは権力である」
何個か熱い文章もあった。
責任を問うときに感じる感情を無碍にしてもいけないし、無罪放免にするわけでもないけど、一旦「近代的 -
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最近YouTubeで政治系の動画にハマりまくっております
政治おもろい
という訳で、またしても國分功一郎先生に教えを乞う
政治動画を見るときの視点に深みとコクが加わるに違いない
コクってなんやねん
本書は政治哲学の基本概念をホッブズ、スピノザ、ルソー、ヒューム、カントといった先人たちの中に見出していく構成
最も印象に残ったのは國分功一郎先生がカントを評して言った「ヒューモラス」というカタカナ語だったりする
意味はユーモアであるとかってことで、英語で書くと「humorous」
発音の通りにカタカナ語になったわけだが…
「humor」はなんでユーモア?ヒューモアじゃなくて?
「humoro