國分功一郎のレビュー一覧

  • 言語が消滅する前に

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    「責任回避論」のところが面白かった。ケーキ屋さんでの例え。相手に(お客)に改めて確認することによって「私は、ちゃんと確認しましたよね」というような自分が責任を負わなくても良くするというくだり。なんでも「責任」を追求してしまうあまり、社会や人間関係が窮屈になっているような印象を抱いていたので。どこかで逃げ道を用意しておかないとならないんだな・・・。今読むべき本だと思う。

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    2022年01月08日
  • 言語が消滅する前に

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    ネタバレ

    今をときめく國分さんと千葉さんの過去からの対談をまとめた本。ご本人たちも述べられていたが、別々に企画されたとは思えないほどに一貫性のある対話になっている。後から編集したこともあるだろうけど、筋は通っている。
    そこで語られているのは、エビデンス主義というか、責任と主体の問題というか、言語なき透明なコミュニケーションの問題というか、抽象的な個人を想定した上でのコミュニケーション、責任の問題なのだと思う。要はそんな個人であり続けることができる人はいない、極めて少ないにもかかわらず、そんな個人であることが要請され続けているということ。
    そんな状況を脱するために複数の時間性の確保とか、文学的な言説とかの話が交わされている訳で、透明なコミュニケーションが全面化した社会に対抗する全面的に強度のあるコミュニケーションの達成は全体主義に陥るので、複数に個々の拠点で別の時間を確保していくしかないということなんだろうけど、そういう時間を確保するためのモメンタムは共同して作りあげていかないと、それぞれの拠点が個別撃破されてしまうということなのだと思う。

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    2021年12月30日
  • 原子力時代における哲学

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    原子力に関する問題を哲学の視点から考察する。戦後間もなく、核兵器反対の風潮は高まったが、核技術そのものへの問いかけはなされてこなかった。そんな中で1950年代といち早くそれに言及したのがハイデッガー。ハイデッガーの思想を応用し、原発や核技術管理について考える。

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    2021年11月14日
  • 哲学の先生と人生の話をしよう

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    チープな言葉で言えばレベルの高いYahoo!知恵袋みたいな本。
    自分も他の人も今まで生きてきた歴史が地層のように堆積して今を形成しているから、すぐに考え方やその人の性格が変わらないし根本の部分を見つめることが大切だと感じた。
    あと人は無意識に言葉や内容を良くも悪くも自分の都合のいいように選んで話していることが多いからその背景にも気付けるようにいつかなることができたらいいなと思った。

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    2021年11月12日
  • 社会の抜け道

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    哲学者の國分さん(39歳くらい)と、社会学者の古市さん(28歳くらい)が、消費社会、デモ、保育園、食の問題、反革命について雑談した本。

    カジュアルな文章で読みやすいし、2人の博識なところが面白い。國分さんの子育て論的な部分も経験者だけにリアルで良かった。

    とても旬な話題を取り上げているので、なるべく早く読んだ方が楽しめると思います。

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    2020年12月25日
  • 来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題

    購入済み

    住民参加制度を取り入れるには

    政治への無関心が広がっていると言われて久しいが、行政がすべてを決めて我々市民は一つ一つの政策に関与できない体制になっていること、そして、いくら選挙で議員を選んだところで何も反映されないどころか、偉そうにふんぞり返っている議員ばかりで誰が信用できるのかなんて分からない、そんな状況じゃあ無関心になるのも当然だなと感じた。

    行政からしたら、住民の意見を反映すると言ったって、誰に何人の人にどうやって意見を交わしたらいいのか難しいだろう。
    ましてや怒鳴り散らす住民が一人でもいたら、会合したところでその人をなだめることだけに時間も手間も費やされるし、行政マンも人間であるから不愉快な気持ちで心を閉ざしたくもなる。そういう住民参加の会合も経験してきた。

    本書に書いていた、住民の意見を反映させることのできるたくさんの制度を作ること。目からウロコの考え方だった。
    だが、それを実現するためには子供の頃から学校などでそのような自分たちの意見を反映させるための話し合いや意見のまとめ方などを訓練しておかなければならないのではないか。
    髪の毛の長さを決めた校則をどうするか、制服を廃止するかどうか、そんな一つのことでもいいから子供たちが意見を出し合い学校生活に反映できるような制度を取り入れたらいいと思う。
    詰め込み式の勉強ばかりで、議論することを訓練してこなかったために行政側も住民側も対立する形になってしまうのじゃないだろうか。

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    2020年06月04日
  • 原子力時代における哲学

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    「原子力時代における哲学」國分功一郎
    哲学講義録。

    フクシマ後の原子力を、ハイデッガーの著作を下敷きに、哲学者が講義する一冊。
    著者によれば、原子力の平和利用についてこれまで語ってきた哲学者は少ない。そんな中、1950年代の原子力発電黎明期に、その技術論的な矛盾を説いているのがハイデッガーである。

    「たとえ原子エネルギーを管理することに成功したとしても、そのことが直ちに、人間が技術の主人になったということになるでしょうか?断じてそうではありません。管理の不可欠なことがとりもなおさず、〈立つ場をとらせる力〉を証明しているのであり、この力の承認を表明しているとともに、この力を制御しえない人間の行為の無能をひそかに暴露しているのです。」(本書p84、原典は「原子力時代と『人間性喪失』」(1963, 読売新聞掲載))

    それではその技術に対してどのような態度をとればよいか。キーワードが、「放下」と「アンキバシエー」だ。その魔的な誘惑や経済合理、或いは生理的嫌悪感から自らを切り放し、諾否ではなく、その意味するところへ近づこうとする態度である。

    僕はこの一冊は哲学への手引き書、あるいは技術論の一冊としてはたいへん興味深いと思うが、哲学書として読んではいけないと思う。なぜなら、まさに取り扱っている主題の「放下」に到達しておらず、そしてその到達していないことへの洞察がないからだ。

    「「本来性」のような問題含みの概念抜きに脱原発の論理を作れるのだろうか。」( p.164)
    「僕は三・一一の後、原発推進派の気持ちを一生懸命考えたんです。原発推進派になりにって、どうしてこんなに原発を使いたいのかと想像してみました。でも、やっぱりわからなかった。」(p.270)


    さて、技術について、国内における知的財産としての「発明」という言葉の定義を引いてみると、「発明とは自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」であり、なおかつ知的財産として認められるのは「産業として実施できるか」という観点が必要となる。
    ここには、社会に有用な技術(知的財産)には、自然法則を利用したものである、技術的思想である、創作したものである、その内容が高度である、そして産業上の利用ができる、という要件が見て取れる。
    原子力発電に限らず、我々が人間社会の中で有用に利用しようとする発明は、こうした要件を満たし、すなわち自然を何らかの目的のために特定の高度で新しい手段を用いて利用するという本質を持っている。
    これはまさに本書で解説されるハイデッガーの技術論そのものだ。

    ではなぜ、ハイデッガーは、(そして著者は、)特別に原子力技術の危険性を感じているのだろうか。
    繰り返しになるが、本書で取り上げるハイデッガーのテクスト『放下』、そしてそれを下敷きとした著者の思想は、おそらく、我々は原子力利用に対してそれを意思とは無関係に(中動態的に)受け取り、そして思想する状態に至っていないこと。それにも関わらず社会がそれに依存している状態であることへの危機感なのではないだろうか。

    原子力については、得てして「推進派」「反対派」「無関心派」などのレッテルで思想を捉えがちだ(著者もそのくびきから逃れられていない)。
    しかし、原子力に対して放下の態度を取る努力(「努力」という言葉に語弊があれば「道筋」)が求められる一方で、なぜそれが努力によってしかなし得ないのかもまた、考えなければならないのではないだろうか。
    原子力は巨大だ。そのシステムは一個の人間を遥かに凌駕する。
    そうした時に、我々は、人間性を剥奪されることへの抵抗として、意思を持ってしまうのではないだろうか。
    そして、その人間的抵抗をなお、いとも簡単に凌駕してしまったのが、フクシマの事故だったのである。

    「ひょっとしてそもそも意思自体が悪なのです」(p.292、原典は「ロシアの捕虜収容所で年下の男と年上の男の間で行われた夕べの会話」『野の道での会話』)

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    2020年05月09日
  • 社会の抜け道

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    社会は革命で一気に変わるのではなくて、社会の中にある、ちょっと楽しい抜け道みたいなところを、気づいた人が通ったり使ったりしていくうちに少しずつ変わる、という考えに納得。

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    2019年06月20日
  • いつもそばには本があった。

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    この本は、ドゥルーズなど仏哲学を中心とした哲学研究者の國分功一郎さんと、雑誌編集者兼ソシュール研究者でもある互盛央さんが、昔読んだ本に関する文章を相互に交換リレーする形式で綴ったものである。フォーマットとしては珍しく面白い仕掛けだが、それが成功してこの本を特別な本にしたかというと、それほどまでではない。ただ、少なくとも二人の関係性と、主に1990年代初めに学生だった世代が共有する読書空間があって初めて成立した本だという意味で特別な本である。國分さんが1993年に、互さんはその1年前に大学に入学している。自分は1988年入学だが、理系であったこともあり、現代思想にかぶれるようになったのは少し後であることを考えると、おそらく著者らとちょうど同じころに現代思想に触れた世代といえる。そのため、出てくる本、出てくる著者、出てくる言葉、についていちいち溢れ出てくる懐かしさを感じた。1995年に日本で公開されたクロード・ランズマンのドキュメンタリ映画『ショア』(上映時間9時間半!)の話が出てくるに至ると、本当に同時代の空気を感じて生きていたんだなあと思う。

    國分さんが担当する最初の回では、國分さんが大学一年のときに所属していたサークルで柄谷行人の話題が出た話で始まる。そのとき國分さんは柄谷のことを知らなかったそうだが、その後出版されたばかりの『ヒューモアとしての唯物論』を夢中で読んで、その内容に感銘を受けたという話が出てくる。自分の柄谷体験で熱心に読んだ本を挙げるとすると、それとは違う『探求I』『探求II』になるが、そのころに現代思想にはまった人間にとって、柄谷の影響力は今では想像することは難しいのかもしれない。自分が大学院生になったころ、思想書好きで集まったグループで手作りの雑誌を作ったことがあったが、そのグループの中でも柄谷の存在感は頭ひとつ抜けていた(そのグループの中に、東大教授となっている社会学者の北田暁大がいた)。國分さんは、柄谷の最近の著作として『哲学の起源』を出色の出来であり傑作と評しているが、この辺りにもまだ柄谷へのある種の憧憬がまだ生きているということなのかもしれない。自分なら、近年の著作から選ぶのであれば、やはり素直に『世界史の構造』を挙げるが。というように、この世代であれば、柄谷行人については話を継ぐことができるものなのである。

    瓦さんは、自身の研究者としての方向性を作るきっかけとなった本として丸山圭三郎の『ソシュールを読む』と『ソシュールの思想』を挙げている。自分にとっても、シニフィアンとシニフィエの発想、すでにある世界の分類に沿って言語があるのではなく、言語自体によって現実世界が分節されているという思想を眼から鱗が落ちる思いで読んだ。ソシュールは哲学思想の深さと面白さを知ったきっかけの一つでもあった。そして、自分がそのような現代思想の書き手を知った本は『わかりたいあなたのための 現代思想・入門』という本だったのだが、この本について「この本、懐かしく感じる世代のかたがいるはずだ」と書かれてあり、驚いた。この本は単行本ではなく、いわゆるムック本のようなものだが、懐かしく思い出すというのは全くその通りで、自分もこの本から現代思想に入り、どの本を読むべきかのガイドブックとして長く手元においていたものである。ああ、みんなそういう感じで入ったんだな、ムック本でもこうやって広く影響を持つものもあるんだと、そのころの熱とともに思い出した。瓦さんはこの本に出てきた人として山口昌男、廣松渉、今村仁司、蓮實重彦、柄谷行人という名前を挙げているが、まさしく懐かしく感じる名前である。本書に出てくる思想家の名前をあらためて見ると、『わかりたいあなたのための 現代思想・入門』の影響の大きさがわかるような気がする。「若い頃は、豊崎や蓮實重彦の文章に憧れて、むやみに込み入った文章を書こうとしていたのを(恥ずかしく)思い出す」と書かれているが、恥ずかしながら自分もそういう思いを共有する一人である。

    昔読んだ本については、その本を読んだ状況含めて、さまざまな記憶と結びついているものが多い。今は電子書籍で読んでいることもあるのか、年齢のせいなのか、そういう本は少なくなっているような気がする。学生のときに読んだ本のいくつかはその本を読んでいる情景とともに思い出すことができる。なぜその本が印象に残っているのか理由はわからないものもある。例えば、蓮見重彦の『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』は、何か所用があって一人で遅れてスキー場に向かう電車の中で読んだのをなぜかはっきりと覚えている。もちろん、フーコー、ドゥルーズ、デリダ各々の本は、その気合の入った本の装丁とともに印象深い。本書の中でも様々な話題の中心にフーコー、ドゥルーズ、デリダがいる。特にフーコーの『言葉と物』『監獄の誕生』『狂気の歴史』は、丁寧にかぶせられた薄紙をくしゃくしゃにならないように大事にして、読むたびに丁寧に再び本にかけてカバーに入れていた。フーコーの読書体験は、あの装丁とともにある、と言って同意していただける人はどれくらいいるのだろうか。
    他にも、本書の中で今でももっと読まれるべき本として挙げられたロラン・バルトの『テキストの快楽』『S/Z』『物語の構造分析』『零度のエクリチュール』『モードの体系』『恋愛のディスクール・断章』『神話作用』『表徴の帝国』『彼自身によるロラン・バルト』などは、光沢のある真白い、みすず書房の品のある書籍を大学院生時代の部屋で、寝床にしていたロフトに寝ころんで熱心に線を引きながら、ときに印象的な言葉をノートに書き写しながら読んでいたことをやや暗い部屋のくすんだイメージと少し匂う布団のにおいとともに思い出す。

    「本だけがそのような物語を紡ぎ出せるわけではない。だが、本はそのような物語を紡ぎ出すのに最適の媒体である。だからこそ、人類が発明したこの本という媒体は、どれだけメディア環境が変化しようとも、常に高く評価されてきたのである。いつもそばに本があることは、人間が人間らしく生きるために必要な条件だという認識は今も失われていない。
    私のような書き手の端くれもそのことを常に意識してきたし、意識している。そしてこの本は本がもつそのような機能と魅力を読者の皆さんにお伝えするために書かれたのである」ー 國分さんは自身の最後の断章においてこう書いて終わる。もちろん、この本のタイトル『いつもそばには本があった』は、ここから取られたのは間違いない。

    「本がもつそのような機能と魅力」は、同時代に当時の1990年代初めの現代思想にかぶれたものとして、とてもよく伝わってきた。それはすでに自分の中にあったもので、この本を触媒として再び上がってきた感情である。そうした同時代的な空気の共有を、例えば今の大学生の世代では持っているのだろうか。持っていないだろうとも言ってはいないし、仮に同じようには持っていないとしてもそれが劣っていることだとも思っていない。それは時代の違いというべき類のものかもしれないが、しかし寂しい気持ちもある。

    あとがきにて國分さん自身は「機能主義的に本を読んできた」と書く。「機能主義的に」ということが、「知っている」ことを確認し、さらには何を「知らない」かを知ることであるとすると、自分も機能主義的に本を読んできた。決して時間潰しのためでもないし、娯楽のためでもなかった。それこそが國分さんが言う「本がもつ機能と魅力」であるとすれば、自分も機能主義的な本読みだと思う。そして、それは結局のところ贅沢で大いなる悦楽でもあるのだ。

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    2019年04月20日
  • 保育園を呼ぶ声が聞こえる

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     前期高齢者の男性が読んで、何だか暗澹としてくる現場の報告です。

     自分の子供たちのことをきちんと考えなかったし、ましてや保育園とかについて実質的行動を何もしなかった「子育て」だったことに対して、まず振り返らないと、というのが一つ。

     今、目の前の、お孫さんたちや、その母親、父親の置かれている社会的現実に対してというのが二つ目。

     話し合っていらっしゃる、三人の、なんというか、態度に好感を持ちました。国分さんの本はファンですが、残りの二人の本を読むことから、はじめようか、そんな感じです。

     自分の中で何かが始まるといいなと思っています。

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    2019年03月09日
  • 原子力支援  「原子力の平和利用」がなぜ世界に核兵器を拡散させたか

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    原子力支援の提供側と被提供側双方に様々な思惑(経済的利益、周辺国への脅威等)があり、結果的に核兵器拡散につながった可能性が高いことが統計的分析により示された。IAEAにとって日本がよい事例(原子力支援を受けていながら核兵器保有を企図しなかった例)であることは興味深かった。

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    2019年02月24日
  • 近代政治哲学 ──自然・主権・行政

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    人が集まり、そこでできる、せざるを得ないルール作り。
    それが、どんな「哲学」で成り立っているのか、それを整理する著書。
    分かりやすい良著。

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    2019年01月28日
  • 来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題

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    ネタバレ

    2013年に行われた東京都小平市での、
    都道328号線建設をめぐって行われた住民投票と、
    その住民投票が実現するまでに及ぶ住民の運動を起点に、
    議会制民主主義の欠陥を分析し、
    それをどのような方法で補っていけばよいかを論じた本です。

    議会制民主主義においては、
    民衆の代わりとなる代議士が政治を行いますが、
    実際に政策などを実現するのは行政であり、
    その行政には独断的な強い決定権がある。
    つまり、この国を動かしているのは民衆が選んだ政治家ではなくて、
    公務員たち行政の側だというところに、
    日本の民主主義の欠陥があることを解説しています。
    そこをどうしていけば民意が反映されるのかを考えたところが、
    本書の一番の読みどころだと僕は思いました。

    法という否定的・消極的なもの、
    制度という肯定的・積極的なもの、
    という分析にはうなりましたね。
    だから「制度が多いほど、人は自由になる」と。
    ドゥルーズの制度論に依るかたちで述べられている
    この部分は特にエキサイティングでした。
    そういった制度を増やす方向で、
    たとえば住民投票制度をつくり、おこなうことで、
    行政も民主的な方へもっていくことができる。

    また、最後のほうで、
    「民主的であるかどうか」と
    「民主主義であるかどうか」とを考えることの違いについて、
    前者が実感であり感覚的判断あるのに対して、
    後者が概念的判断であることの説き明かしにも膝を打ちました。
    そして、感覚的な「民主的であるかどうか」を考えるほうがよいのだ、
    とする姿勢にも教えられるものがあり、共感を持ちました。

    中盤などでは、なんてことないように書かれている考えが、
    非常にするどく人間心理をとらえていたのもおもしろかったですよ。
    それは、我慢をしすぎて生きていると我慢を他人にも強いるようになり、
    せっかく「我慢しないように社会を変えよう」と声をあげる人がいるのに、
    「我慢しなさい」とその人を引きずり降ろそうとするものだ、というところなどです。

    著者はむずかしい概念を扱う学者なのでしょうが、
    それを人間の実感を大事にしたかたちで語るところに、
    読者を惹きつけるものがあるのかなあと思いました。

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    2018年05月08日
  • 近代政治哲学 ──自然・主権・行政

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    タイトル通り近代政治哲学の主要な人物における理論、主張の概説なのだが、紹介されている7人の考え方にどのような差異があり、またどのように変遷を辿ってきたのか、そしてなおも解決されていない課題には何があるのか、という点に言及がある。結論といえるものはなく、最後はこちらへ投げる形で終えているのは、その先は我々が、あるいは読者自身が考えるもの、ということだろう。平易な文章で読みやすかった。

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    2018年02月12日
  • 近代政治哲学 ──自然・主権・行政

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    近代政治思想といえば、社会契約説がすぐに頭に浮かぶが、ボダン、スピノザ、ヒューム、そしてカントの政治論をそこに並べてみれば、ホッブズやロックの思想がまた違って見えてくる。

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    2017年10月26日
  • 近代政治哲学 ──自然・主権・行政

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    たまたま目に入って、気になったので読んでみる。

    フランスのポスト構造主義のドゥルーズの訳者による政治哲学入門と思ったら、実は、こっちのほうが本業らしい。ほ〜。

    かくいうわたしも、実は、政治学のM.A.だったりするので、メジャーな関心に近かったりする。

    といっても、政治哲学をちゃんと勉強したわけでない。が、一応、ホッブス、スピノザ、ロック、ルソー、ヒューム、カント、程度はいろいろだが、読みかじったことはある本たちである。こうした古典を読んでいて、なんだかな〜?と思いつつ、明確に言語化できなかった疑問が、本当にクリアにされていて、すごいスッキリです。目から鱗がたくさんありました。

    他の人が読んでどうなのかは全く分からないけど、個人的にはすごい知的エンターティメントでした。

    ちなみに、読んでいて共感度が高かった哲学者は、スピノザとヒュームかな。このへんは、実は、ドゥルーズとも関連性の強い哲学者だと思うので、ある意味、最初に戻って、やっぱりね、でした。

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    2017年05月01日
  • 近代政治哲学 ──自然・主権・行政

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    ボダン、ホッブズ、スピノザ、ロック、ルソー、ヒューム、カントの政治論を解説している。少しルソーに肩入れしすぎのようにも。

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    2018年10月14日
  • 近代政治哲学 ──自然・主権・行政

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    ボダン、ホッブズ、スピノザ、ロック、ルソー、ヒューム、カントの政治哲学について考察している本です。

    単なる概説ではなく、哲学史的な叙述を通して著者自身の政治哲学上の問題意識を明瞭に浮かびあがらせるというスタイルになっています。著者自身の問題意識が最初に見えてくるのは、ロックの章です。ここで著者は、ロックの「自然権」理解があいまいだと批判し、彼が「自然権」という概念のうちに、ほんらいそれにもとづいて説明されなければならないはずの規範性が密輸入されていることを指摘しています。

    さらに著者自身の問題意識が明瞭になるのは、ルソーの章です。ここで著者は、多くの論者たちを悩ませてきた「一般意志」についてあらためて考察をおこない、一般意志とは、そこから個別的具体的な政策が導き出されるようなものとしてあらかじめ確定することはできず、むしろ立法権に基づく法律の成立をもって一般意志が行使されたとして、遡及的に一般意志が見いだされるという解釈を示しています。

    ここまでくれば、ヒュームの経験論を経て、カントの規範的倫理学に基づく法哲学までは一直線です。この先がおもしろくなるのに……という思いにさせられてしまいますが、「近代政治哲学」という書名のためか、著者自身の政治哲学上の立場を明瞭にすることは控えられています。ただしその方向性は本書の叙述からも十分にうかがえますし、行政権をめぐる議論など、興味深い切り口がいくつも示されていて、読者自身が本書につづく考察を試みることをさそっています。

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    2024年03月25日
  • 社会の抜け道

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    軽い雑談トークのように作られながら、結構重要なトピックがいくつか。30年前にもこの議論はあったけど今もあんまり変わってないよね〜なこともあれば、この30年でものすごく変化したこともある。(後者はもちろんネットの普及によるところが大きい。)
    どちらも、目をそむけたり都合のいい解釈をしたりせず、真っ向から受け止め適応していかなくちゃならないんだよなあ。。。

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    2015年12月15日
  • 近代政治哲学 ──自然・主権・行政

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    ボダン,ホッブス,スピノザ,ロック,ルソー,ヒューム,カントの思想を概括して,自然権に関する論考を延々と述べている.でも,理解しきれない.哲学者の読書量がすごいことが分かった.

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    2015年11月28日