國分功一郎のレビュー一覧
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中3生の模試の国語で、伊藤亜紗さんの『「うつわ」的利他』の一部が題材として出題されていて、興味をもったので読んでみました。
「利他」は「偽善」「自己満足」「押しつけ」と紙一重で、特にネットではそんな言葉で全く関係のない赤の他人から揶揄されたり非難されたりする可能性もあって、最近はうっかり親切な行動もとれないような雰囲気があったりもします。だいたい、「偽善」「自己満足」「押しつけ」をすり抜ける「利他」ってどんなものなんだろう。そんな思いがありました。
伊藤亜紗さんの章は読みやすく分かりやすかったですが、いちばん面白く興味深く読めたのは中島岳志さんの『利他はどこからやってくるのか』でした。志賀直哉 -
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ネタバレオタクと呼ばれている人の中には、モノや概念が純粋に好きな人もいます。しかし、オタクはうまく自己肯定できていない場合が多く、「モノや概念が好きな自分」が好き、「それについて他人より詳しく知っている自分」が好きであり、その意味で「多くの女性とセックスできる自分が好き」というナルシシズムで心の穴を埋めているヤリチンと極めて多くの共通点を持つことが考えられるのです。
つまり、オタクが何かをきっかけにモテるようになり、その対象が「女性」に変われば、彼は簡単にヤリチンになるということです。
二村さんはもっとすごいことも言っています。
モノや概念に熱中することで、「苦手な人間関係から逃げている自分」 -
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20世紀の哲学は、言語論的転回ということだったんだけど、その「言語」が消滅しているという。ならば、21世紀の哲学はどうなのか?
みたいな問いがあるのだが、直接的にそれを考えるというより、SNS、ポピュリズム、コロナなどなど、今起きていることを例にしながら、ぐるぐると周りながら、その問題に近づいていく感じ。
もちろん、答えはないのだけど。
言葉の力をもう一度取り戻すこと。それは、一種の貴族的、権威的なものの復活なのかもしれない。
そして、しばしば思考のプロセスのなかで参照されるのが、アレント。國分さんは、フランス現代思想を踏まえつつ、スピノザの研究を起点にさまざまな思考を展開されているの -
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『暇と退屈の倫理学』の國分氏と、『勉強の哲学』の千葉氏の対談。大学院の先輩後輩なのだと知る。
LINEのスタンプの話があって。
言葉を交わすことから、視覚的な情報の一コマにまで簡略化されたやり方で事足りるようになった。
紡ぐものには、意趣や考えの余地があるけれど、スマホは言葉を〝予測〟さえしてくれる。
ガラケー時代には絵文字一つで送ることに難を示したり、感情を読み取りきれない距離があったはず。
私がスタンプだけのやり取りに抵抗があるのは、ある意味当然だったのだなぁ。
以下、印象に残った箇所の引用。
大きく三つが自分の気になっているポイントらしいと分かった。
中動態的な教育の在り方のこと -
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ネタバレ今をときめく國分さんと千葉さんの過去からの対談をまとめた本。ご本人たちも述べられていたが、別々に企画されたとは思えないほどに一貫性のある対話になっている。後から編集したこともあるだろうけど、筋は通っている。
そこで語られているのは、エビデンス主義というか、責任と主体の問題というか、言語なき透明なコミュニケーションの問題というか、抽象的な個人を想定した上でのコミュニケーション、責任の問題なのだと思う。要はそんな個人であり続けることができる人はいない、極めて少ないにもかかわらず、そんな個人であることが要請され続けているということ。
そんな状況を脱するために複数の時間性の確保とか、文学的な言説とかの