國分功一郎のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
天皇の存在を1条に規定してしまったがゆえに天皇が日本国憲法全体の守護者のようになってしまったという矛盾。平和護憲のシンボルとして天皇が機能しているせいで、リベラルも天皇制が反人権的制度であり廃止すべきと言わないといけないのにむしろ擁護論に回ってしまっている現状など、、。
そのような現状が戦前戦後からどう作られてきたのかも整理されていて非常にわかりやすく、またタイムリーな出版で皇室典範改正のニュース理解に役立ちました。
これを機に海外の皇室の態度や憲法や議会承認との関係も軽く調べてみましたが、各国いろんなやり方をしていて、歴史に裏打ちされている存在というのは厄介だなと思うなど。國府先生にはぜひこの、天皇や王室というのが現代社会や私たち個人にどう機能しているのかもっと深掘りして欲しいです。なぜ彼らは、税金を使って消費ではなく浪費的な生活をさせられているのか、、彼らが身につけるている品々が贅沢なだけではなく品があり真に価値があるものと認識されるのか、、などなど不思議に思うことが多いです。品性とはなんなのか。。。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ
やはり國分先生の本は勉強になる。
自分は浅識であるので、新しいことをたくさん知れた。
ただ、内容の理解は半分くらい?
いや、恥ずかしながら3分の1くらいかな?笑
もっと難しい本も読んでいきたいなと。
メモ
それぞれの単語を二項対立で捉えることは多い。
「対義語」などがまさにそうだ。ただ言葉には中間もある。教える、学ぶ際に忘れがちなことである。
p150「言語とは形式を持った意味作用の構造であり、思考するとは言語の記号を操ること」
p152「言語は思考の可能性の条件」
国語を教える際しっかりと伝えていきたいことだ。
p221「純粋に自発的な同意もありえない」
p354「欲望とは、人間の本質が与えられたその各々のへんじょうにおいてあることをなすように決定されると考えられる限りにおいて人間の本質そのものである。」
p365「思惟能力、つまり考える力をそれに対応できるほど高めていたのなら」
「変状の画一的な出現を避けること」
p392「読解は歴史というコンテキストによって決定される」
p406「悲劇は、法律は人間のために作られたのであって、天使や悪魔のためにつくられたのではない」
p516「選択なき決断、自らの意図からは完全に独立した責任、これこそがギリシア人における意志である。」 -
Posted by ブクログ
『暇』何もすることのない。人の感情は無関係。
『退屈』
何かしたいのにできないという感情、気分。人の感情は関わってくる。
人類の歴史は遊動生活から定住生活を始めた頃から余裕が生まれ退屈が出てきたとある。
その気晴らしとして土偶にデザインが入ってくる。
本書を読む事でお金や自由が満たされても現代人が幸せになれないのが深く理解できる。
ロシアの哲学者、アレクサンドル・コジェーヴが
1950年代米国の自由と便利の世界を歴史の終わり→人類の終わりと評しているのは興味深い。
そして、そのコジェーヴが当時の日本を訪問して日本人こそ歴史以降の人間の姿といっている。
著者はこれについては反論しているが個人的にはコジェーヴに賛成である。確かに理由が『ハラキリ、特攻』の形式が人間的であるのは如何な物かと思うが。
残念ながら今の日本人には無くなったが当時の日本人には気品、知性がコジェーヴがそう考えたのかと思う。やはり東洋思想がこれからは重要だと認識している。
他の方の感想にもあったが暇を埋める為のスマホいじりなども含め、生活の見直しから考えさせられた。そしてたくさんの本を読む事で所謂『環世界』を広げていきたい。
-
Posted by ブクログ
ふと、自分の人生がつまらないと感じてしまう瞬間がある。そんな時、恵まれない環境で必死に生きている人に比べれば贅沢な悩みだと自分を戒め、自らが置かれている環境への感謝を胸にそんな気持ちをやり過ごす。しかしそれでもなお、しばらくすると同じような虚しさがぶり返してくる。このモヤモヤの正体は一体何なのだろうかと日々考えていた。そんな疑問に対して、ひとつの答えを示してくれたのが本書だった。
本書はまず、人間にとって暇や退屈とは何かを、古代人類の歴史を遡りながら丁寧に紐解いていく。暇や退屈という身近な現象を、哲学だけでなく歴史学や社会学など、あらゆる学問の観点から徹底的に解析していく。加えて、過去の偉大な哲学者たちの思想を丁寧に紹介しつつ、時には批判も交えながら独自の新しい解釈へとたどり着く展開は、専門知識がない初心者であっても思わず引き込まれる非常に興味深い構成になっている。
そして本書は、私たちが日々の生活の中で暇や退屈にどう対処していくべきなのかについても、深く納得できるひとつの考え方を示してくれる。
読み進めるうちに、この本を通読すること自体が、退屈に対する見事な対処法のひとつであるということに気づかされた瞬間は、本当に腑に落ちるものがあった。
自分の内側にある得体の知れない感情と向き合いたい人におすすめしたい1冊。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ実際に何かを理解するといった経験を繰り返すことで、人は次第に自分の知性の性質や本性を発見していく。この理解する過程を無視してしまうと、与えられた情報の奴隷になってしまう。芸術などを楽しむためには知識や教養が必要である、ということはよく知られているが、もっと日常的な楽しみに関しても同じことが言えると思う。一般的につまらないとか退屈だといわれる公園での待ち時間や移動時間を心の底から幸福だと思えるのは、風や光や匂いといった感覚で楽しんでいる部分もあるだろうし、これまで見た小説や映画が自分の感性の一部となっている部分が大きい気がする。ただ、これが「今これがエモい」的な流行の言葉だけを見て、体験しているのであれば、それこそ情報の奴隷でしかない。そう考えると、私が流行り物に苦手意識を持っていたのも、本書でいう「消費」への抵抗感だったのだろうか。
-
Posted by ブクログ
「民主主義とは、民衆が権力を作る政治体制のこと。立憲主義とは、いかなる権力も制限される原理のこと」であり、立憲主義が危機に瀕すると、天皇がグッと前にせり出してきてこれを守ろうとする構造が日本国憲法には内蔵されているという指摘に、今日の日本の状況を鑑み深く納得。日本国民が憲法秩序を守るために成熟した態度をとることが出来ず天皇に頼ってしまったことを、天皇への敗北と評し、戦後、成熟出来ずにいる我々日本国民は、人権が認められず、その身分に即した義務と特権のみがあるという身分制を残した「飛び地」である天皇制の問題を曖昧にせず、潜在的な被害者意識を乗り越え戦争責任を主体的に引き受けられるようになることの必要制に深く同意。また情不感症はダメであるし、また、人情に負けるのもダメであること、人情的なものから目を背けず、その「皮膚感覚」を感じとることの重要性は現在の左派、リベラルの支持率の低さを考える上で大切な指摘に感じた。
-
Posted by ブクログ
まーじでいま読まれるべき本。
憲法一条で規定された天皇は、憲法の存在が脅かされるときに護憲的な役割を果たすという機能が内在されていた。天皇制はもちろん令和のいまリベラルな価値観では到底許容してはならない「飛び地」である…にもかかわらず第二次安倍政権での安保法案改正・あるいはそもそも超民主主義的なふるまいをする安倍政権に対して「民主主義」としてNOを突き付けることができず、天皇の言葉に頼る形になってしまった。これが「天皇"への"敗北」として本書で書かれていることだ。全くもって非常にその通りで、現状の高市政権にていま議論されている皇族数の確保問題も超重要な国民的マターとして進めないといけない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ非常に面白い論考やった。こんな公演、講和を聞いてみたい。
暇倫の國分先生の本はこれで3冊目になるが、読みやすくて面白い。いや、めっちゃ読みにくい時もあるしわかりやすい説明もあれば、説明不足やなあというところもある。普通の哲学書をあんまり読んだ経験は少ないけど、論拠も用意してるし、國分先生の思考の道を、たどるような書き方をしてくれてるのがいいと思う。
これも再読したい本。わかりきってないと思うから。
以下は頭の整理?
不要不急の外出制限が受け入れられたのは、浪費を否定する消費社会、「目的」を至高とする目的社会が土壌にあったのでは?
人はモノは体験の浪費により贅沢を楽しむことができる。対して消費は、バズってますとか人気ですとかのただの情報の摂取になったり大量生産大量消費によるある目的を満たすためだけの購入、摂取になる。
消費社会では目的に沿った行動だけが重視される。対して浪費はただの個人の満足。こういうのをしていこう。
不要不急の外出制限が受け入れられたのは、目的が無いなら出ていくなという立法府ではない行政府による命令、要請に人が納得したということ。これは行政による越権行為のはず。これで法律学者は何も言わないのはなぜか?また、葬儀もされずに死んでいく人たちも大勢いたが、死者の権利、死者への敬意が奪われている現状に教会が声を上げないのはなぜか?イタリアの哲学者アガンベンは、そう声明を出して炎上した。
普通に考えてコロナ禍の緊急事態なので炎上するでしょと思うかもしれんが、誰も声をあげないのは違う。哲学者はソクラテスの言う通り社会の虻なのでチクリと刺す必要がある。もちろん緊急事態なので社会の対応も必要ではあった。反マスク反ワクチンみたいな人もいたけど、その人たちとは違う今の緊急事態は例外状態だよ、専門家は声を上げろよ?という指摘。
実は人はこういう例外状態にコロナ禍以前から慣れてしまっている。テロへの対策、紛争状態などで、行政が立法を超えて要請命令を出すことは日常茶飯事になっている。立法が立てた法の内側で実務をする行政が、暫定的な命令要請を社会にしてもだれも違和感を覚えなくなってきている。
目的があるから仕方ない。
でも目的とは「手段を選ばずに遂行すべきモノ」という意味なので、(実際、手段を選ばないときは批判されるが、批判されなければ手段を選ばなくていいし、一定の倫理観を持つ人じゃないと批判しないし、なんなら批判されても果たせば目的を果たしたことになる)目的のための手段というものは本質的に目的に制限されている。
純粋な手段を楽しみましょう。
人は浪費を楽しむように手段そのものを楽しみましょう。そうすれば消費社会、目的社会への見方も変わってくるかもしれない。 -
Posted by ブクログ
私も目的に縛られているなと思った。特に社会生活を送るうえではすべて目的がないと行動ができなくなっている。仕事をするのもお金のため。勉強するのも仕事で評価されたいため。運動するのも美しくいため、健康でいたいため。社会で良いとされているものにめちゃくちゃ引っ張られ、それが目的になってしまっている。どうやったら目的を超えた何かを感じられるようになるのだろうか。なかなか目的もなく勉強をするのは難しい。
子供の頃は、目的もなく純粋に好きなことを目的もなく楽しんでいたと思う。
自分の好きなことであれば、今も目的もなく行動することができるだろうか。食事のための食事、バレーのためのバレー。一つでも目的のない何かがあれば、楽しく生きていける気がする。
また、この本で消費と浪費の違いを初めて理解した。
消費は終わりがない、満足がこない。浪費は終わりがあり、満足がある。消費は記号。浪費はモノ。
私も立派な消費者の一人であるなと思った。
私に取ってパンケーキを食べている時は、目的もなく浪費者として、贅沢を享受できていると思う!
-
Posted by ブクログ
「はじめての経済思想史」の著者がお勧めしてたので。政治の成り立ちから近代 (18世紀位) までの流れが、教科書にも載っている偉人達が何を主張していたのかを通じて論理的に哲学的に書かれている。ただ、教科書的な話というより、筆者の解釈/言葉で語られているので政治/哲学の初学者でも興味深く読める。著者はロックが嫌いなのか「根拠のない主張は哲学では無い」とぶった切る感も面白い。全体の流れは最終章の結論でおさらいできるのも有り難い。
聞き慣れない「自然状態」「自然権」「社会契約」「一般意思」等の前提条件や成り立ちの話から、普段何気なく使っている「封建制」「国家」「主権」「共和制」「民主主義」の言葉の意味を再認識しながら話が繋がっていくのは気持ち良い。立法が最重要である一方で、その執行権(行政権)は個別対応であり、肥大化/暴走の懸念と正義の遵守/統制のバランスが如何に難しいかは現代にも通ずる話。(全員でない全員による)民主主義は欺瞞であるが、その価値を問い続けるのが大事だと(by カント)。
ところどころでキーワードとして出てくる「所有」の話をもう少し突っ込んで聞きたかった。また、本書は主に西洋史での流れだが、日本の歴史/政治に当てはめて話も聞きたくなる。 -
Posted by ブクログ
現代の世界において我々は能動態と受動態の枠組みで世界を生きている。しかし、その枠組みに収まりきらない事象が多く存在する。ここで法律を適応するにあたって重要であり、この事象を理解するのに重要だと思った能動態と受動態の定義をまとめておきたい。能動態は行動によって自分の本質を表現することで受動態は自分の本質に関わらず他者から何かをさせられている状態だと言えることができる。しかし、何かそれは法や社会、歴史かもしれないものの見えない圧力によって自分は本質を表現しているつもりなのにも関わらず、実際には冷静で合理的な判断がなされないまたは誰かにやらされていると自分で認識していても別に強制させられているわけでもないことが多々ある。このような事象は中動態と能動態の枠組みにしか収まりきらない。それを知るだけでも世界の見方は少し変わると思う。
-
Posted by ブクログ
暇と退屈からこっちも気になって読んだ。
正直かなり難しい。ちょっと読み飛ばした部分もある。
ただ、中動態という新しい(?)概念も知ることができた。今の言語では中動態が広まっていないのがもどかしくなる。
以下、本書と直接関係ないが感想。
小説などの物語がなくならない理由の一端に、中動態の喪失があるかもしれない。
特に悲劇のような物語では、登場人物は誰かに強制された行動もあれば、進んで自分で行ったとは言えない行動もする。大きな物語の流れの中で、彼らは思い通りに行かない行動を自らとる。こういった行為は能動態/受動態では書き表せない。
物語を読む人は、ストーリーを楽しむだけでなく、確かにあるが表現できず忘れてしまった中動態へのノスタルジーを感じているのかもしれない。