國分功一郎のレビュー一覧
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私も目的に縛られているなと思った。特に社会生活を送るうえではすべて目的がないと行動ができなくなっている。仕事をするのもお金のため。勉強するのも仕事で評価されたいため。運動するのも美しくいため、健康でいたいため。社会で良いとされているものにめちゃくちゃ引っ張られ、それが目的になってしまっている。どうやったら目的を超えた何かを感じられるようになるのだろうか。なかなか目的もなく勉強をするのは難しい。
子供の頃は、目的もなく純粋に好きなことを目的もなく楽しんでいたと思う。
自分の好きなことであれば、今も目的もなく行動することができるだろうか。食事のための食事、バレーのためのバレー。一つでも目的のない何 -
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「はじめての経済思想史」の著者がお勧めしてたので。政治の成り立ちから近代 (18世紀位) までの流れが、教科書にも載っている偉人達が何を主張していたのかを通じて論理的に哲学的に書かれている。ただ、教科書的な話というより、筆者の解釈/言葉で語られているので政治/哲学の初学者でも興味深く読める。著者はロックが嫌いなのか「根拠のない主張は哲学では無い」とぶった切る感も面白い。全体の流れは最終章の結論でおさらいできるのも有り難い。
聞き慣れない「自然状態」「自然権」「社会契約」「一般意思」等の前提条件や成り立ちの話から、普段何気なく使っている「封建制」「国家」「主権」「共和制」「民主主義」の言葉の意 -
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現代の世界において我々は能動態と受動態の枠組みで世界を生きている。しかし、その枠組みに収まりきらない事象が多く存在する。ここで法律を適応するにあたって重要であり、この事象を理解するのに重要だと思った能動態と受動態の定義をまとめておきたい。能動態は行動によって自分の本質を表現することで受動態は自分の本質に関わらず他者から何かをさせられている状態だと言えることができる。しかし、何かそれは法や社会、歴史かもしれないものの見えない圧力によって自分は本質を表現しているつもりなのにも関わらず、実際には冷静で合理的な判断がなされないまたは誰かにやらされていると自分で認識していても別に強制させられているわけで
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暇と退屈からこっちも気になって読んだ。
正直かなり難しい。ちょっと読み飛ばした部分もある。
ただ、中動態という新しい(?)概念も知ることができた。今の言語では中動態が広まっていないのがもどかしくなる。
以下、本書と直接関係ないが感想。
小説などの物語がなくならない理由の一端に、中動態の喪失があるかもしれない。
特に悲劇のような物語では、登場人物は誰かに強制された行動もあれば、進んで自分で行ったとは言えない行動もする。大きな物語の流れの中で、彼らは思い通りに行かない行動を自らとる。こういった行為は能動態/受動態では書き表せない。
物語を読む人は、ストーリーを楽しむだけでなく、確かにあるが表現 -
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単に哲学に興味がある人だけでなく、生活に充実感を感じつつも、漠然とした物足りなさを感じている、そんな人におすすめの一冊。
「自由」について真剣に、かつ遊びをもって考えることができた。
個人的に社会人になってからというもの、顧客数、売上、利益率の目標などといった分かりやすい「目的」を達成するために日々生活している気がする。
もちろん生活の為に何かしらの「目的」を達成することは大切なのだけれど、そればっかりになっている気がするなと、この本を読んだ後には思えてきた。
本著に出てくる対比として、
「目的」と「手段」
「消費」と「贅沢」
「行政」と「立法」
などが並ぶ。
これから通関しているのが新鮮 -
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「目的への抵抗」
このタイトルを本屋で見た瞬間、私の手がスーッと伸びた。
私は、目的という言葉が、あまり好きではなかった。
けれども、錦の御旗を掲げた軍のように、「目的」という言葉は、批判するにはあまりに絶対勢力すぎる。
ケチをつけたが最後「お前はぜんぜん分かってない!」という批判が矢のように飛んできそうな気がして、ケチをつけるのも憚られたのだ。
だからこのタイトルを見たとき、しかもそれを國分功一郎さんが書いていることを知ったとき、私は大喜びで、本を手に取ったのだ。
素晴らしい内容だった。
特に印象に残った文章を、メモとして引用したい。
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重要なのは人間の活動には目的に奉仕する以 -
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古代の世界で使用されていた文法「中動態」を起点に、能動・受動の捉えなおしながら、「私がなにごとかをなす」ことを分析していく哲学書。
先人たちの言語学と哲学の研究を紐解きながら、丁寧に中動態を解釈していくさまに感嘆しかない。前提となる情報で土台を作って、論理をひとつひとつ積み上げて、中動態とはいったいなんなのかを紐解いていく。その過程はまるで、強固な城を建設しているような印象だ。言葉の意味を的確に拾っていかないと、筆者の言わんとしていることについていけなくなるので、辞書をお供に読み進める。哲学は言葉のひとつひとつの意味を大切にする学問であることを実感する。
能動態と受動態の区別は、主語が動詞によ -
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〜感想〜
國分功一郎先生の暇と退屈の倫理学がわかり易く、面白かったので、國分先生が教えてくれるスピノザなら間違いないはずだと思い、本書を手に取りました。結論、國分先生のこともスピノザのこともさらに好きになりました!
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〜印象的なスピノザ論〜
『すべての個体はそれぞれに完全である』
(この家は) 「まだ屋根がついていないから完成していない」
これは、私たちが完成された家についての一般的観念をもっていて、それと比較しているからである。
一般的観念というのはいわゆる偏見で、これまで何度も見たものに基づいて作られた観念にすぎない。それぞれの個体はただ一つの個体と -
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スピノザの診察室から。
スピノザの思想をかじってみようかなくらいのテンションで読んでみたら、価値観がアップデートされるほどの衝撃を受けた。
特に「自由」についての考え方が心に残った。
「自由」とは、自分が何でもできるようになることではなく、自分のできる範囲で力をうまく発揮することだという。
これは自分が最近考えていた、教育観にもつながる。以前は、経験によって自分のレベルが上がれば今できないこともいずれできるようになり、最適な教育が可能になると思っていた。でも、それは違うのかもしれない。教師にも置かれた環境、人間関係などによってできることは制限されるし、公教育における限界もある。それを理解した上 -
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意見や世論はできあがったものとしては存在していない。
作り上げていくもの。
アレントは完成された自由を求める。
革命は漸進的にしかなりえない。
國分
哲学において大切なのは真理じゃなくて、問題とそれに応える概念
ex 依存症患者との出会いで中動態という答えを見つけたように
●教育は中動態的であるべき
プロセスを見せる
悩み続ける
すべてがコミュニケーションに支配されて、すべての手段が交換可能、変換可能になっている。
ね。プロジェクトと言えば、何と言ってもハイデガーですね。ハイデガーは「投企」という言葉を使って、人間をプロジェクトする存在として捉えました。
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確かに人間はプロジェク -
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「免責が引責を可能にする」
この一節に私はしびれた。
なにかミスがあると、世の中では「責任をとれ!」という話になる。言い換えれば「このミスを犯す意志を持ったものは誰か?」というお話。本書では、このような「意志によって根拠付けられる責任」を「堕落した責任」と呼ぶ。
責任とは、そういうものではない。責任とは応答することなのだ、と。そしてその応答としての責任の生成は、実は免責※によって生まれる、と本書はいう。
※ここでいう免責とは、無罪放免にする、という意味ではなく、自らの行為が、意志ではなく、無数の原因によってもたらされた結果であることを理解する手続きのことを指す
この考えに、私は驚いた。