國分功一郎のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ俺は牛丼を食べてるのかな、食べさせられているのかな。
承認欲求と所属の欲求の両輪があるとして、その2つが同じくらいのサイズだと人は安定するのかな。
市場というか経済の中で合理的じゃないものに時間を使ってたり、好きだと、もう変態になるじゃないですか。
目的がない純粋な手段というのは一体何なのだろうか。
最も価値の高いものは、ある人の時間であり、それをこんなに使ったんだぞっていう事実なんでしょう。お金を使うなんて、全然大したことない。
遊牧民の方にストレスはありますか?と質問したら、ストレスという言葉が全く伝わらなかった。
人生を目的で敷き詰めて、たった一つの目的に集中させることは、人にものすごくストレスをかける可能性がある。
番組のアンケートで休みの日は何してますかっていう質問がよくあるんですけど、ほっとけって思いますもんね。だって休みの日なんだから。
独身の人でも家に帰って暇な時間があったら、ネットフリックスのかネットなどのエンタメで埋めるじゃないですか。これは不思議な現象。暇に慣れてない。
自己啓発は要するに、世界も他人も変えられないから自分の心持ちを変えようという方向性である。
享受の快を得るには、設定された目的ー手段が入っていないこと。
-
Posted by ブクログ
若林さんと國分功一郎さんの対談本。第一回の対談が行われた頃からいつかの刊行を楽しみにしていた一冊。全5回にわたって現代の社会に生きる中での違和感について2人であれこれと話す様子が収められています。
若林さんファンとして日頃の活動はもちろんのこと著作も全部読んできているし、國分功一郎さんも『中動態の世界』で大ハマりして以降多くの著作を読んできていたので、二人のこの5年間の関心の変遷がよくわかったし、何より私自身の問題意識とも重なる部分が大いにある(だからこそ二人の活動や著作を追ってる訳で)ので非常に面白く、あっという間に読んでしまった。
中心的な課題として置かれているのはやはり行きすぎた新自由主義。しがらみから解放された自由な競争社会の中で、効率が追求され、みんな疲れてしまっているのでは?という辺りの話題について扱われるのは最近の人文系の書籍の中では珍しいことではないですが、二人ならではの対談になっているのがやはり良いですね。基本的には若林さんが質問して、國分さんが自身の研究も含めた哲学的、理論的な部分からの解説を行う応答をするのですが、それだけで終わらず若林さんがしっかり自身の生活や仕事の中での感覚での比喩を行ったり、別角度の話題提供をして、それに國分さんが刺激されて…と進んでいく対話が心地よかった。これ動画とか残してないんだろうか。見たい。
過剰な新自由主義への対抗としては、競争の中で孤立してしまった個人同士がもう一度つながる方法を模索するみたいな話もよく聞きますが、二人の対談では近年の國分さんのテーマである「目的と手段」という方面での掘り下げが行われていたのも良かったですね。特に「遊び」については個人的にも注目のキーワードだったのでもう少し考えていきたいし、國分さんの著作もその二冊については『目的への抵抗』をaudibleで聴いただけになっていたので改めて二冊とも読んでみようと思いました。 -
Posted by ブクログ
購入から3年近く本棚を温めてくれていた。なかなか手が伸びなかった理由はいくつかあって、タイトルが堅そうなこと、文庫とはいえ分厚いこと、勇気を出して開いても序文がなんか違う感じだったこと、が原因だったように思う。
それでも読もうと思ったのは、青山ブックセンターの360人選書で挙げられていたから。積読されていた3年間においてもことあるごとにオススメされていたが、ついに読むべきタイミングというのがきたのであろう。
そして素晴らしすぎる本でした。
「暇」であるとか「退屈」であるとかを考察するために必要とされることの多いこと多いこと。
本著の中盤までは、狩猟採集から農耕へのシフト、消費と浪費、個性、有閑階級などから考察が進められており、その全てが有益でありました。
これだけ多くのことに触れていきながら、わたしが一度も挫折することなく読み進められたのは、知的好奇心を満たしてくれるような構成、著者の言葉を借りるなら「学びの方法」を感じさせてくれるような内容なのだからだと思います。
現在の社会の多くが文化産業という名の「消費者」の時間をどれだけ簒奪できるか競争に終始している状況で、「暇と退屈の倫理学」が未だかつてなく必要とされている気がします。わたしが数年越しに手に取ったのも、心のどこかでそんなことを感じていたのかもしれません。
万人におすすめできるすばらしい本です。 -
Posted by ブクログ
最後にアーレントが出てくるのは反則でした。これによって、前著『目的への抵抗』の続編的な立ち位置だと最後に再確認できました。
前半の論文パートはライトな哲学好きには少し難しいお話でしたが、後半の講話部分で再読したような感覚になり、理解が深まりました。
話変わって個人的な出来事です。僕はただ本が好きで、その中でも哲学とか社会学、修辞学を好んで読んでいます。それをある日知人に言ったところ、「それを読んでどうなりたいのか、生きづらいのか」などと言われました。理由の分からない不快感を感じたものの、その時は上手く答えられませんでした。ただ本著でそれが少し分かった気がします。僕は目的はなく、ただ読書が楽しい、学問を修めることが楽しい(享受、あるいは第三象限)のです。それが知人には目的がなく、ただ読むという行為に納得が見出だせなかったのでしょう。今ならキメ顔で「じゃあ君はなぜコーヒーを好んで飲むのかい」と質問返しができる気がします。
今述べたのは軽めの事象ですが、この状態を笑って過ごせるのは現代が平和だからなのかもしれません。終盤に著者は警鐘を鳴らしました。第三象限が汚染される危険性です。田舎の僻地で日々を勤しむサラリーマン(僕)にすらその危険が迫っていました。資本主義の思想的な侵食は、思ったより深刻なのかもしれません。
最後には「経験」「習慣」という2つの概念の登場で幕を閉じました。「目的」「手段」から一歩距離を置き、次はどういった展開を見せてくださるのか。楽しみです。(第三象限) 素敵な一冊でした。
余談ですが部数を飛ばしている『暇と退屈の倫理学』といい、國分先生のご著書はテーマが違えど論旨が一貫しており、とても読み易いです。若林さんとの共著も楽しみです。 -
Posted by ブクログ
これ、メチャクチャいい本です!
ぜひ読んでほしい。
「暇と退屈」のコアな部分のおさらい。
新自由主義社会、成果主義社会で何が失われて、何を取り戻すのか、2人の実感を元に具体例を挙げて示そうとしてくれてる本。そして,その難しさと、その魅力。
若林の真摯さがとてもとてもいい。(あとがきは頑張りすぎ笑 でもそこも好感が持てる)
國分功一郎の「暇と退屈の倫理学」を読んでからこの本を読むか、この本を読んでから國分功一郎の著作を読むか、どちらがいいかなと思いつつ読んだ。
できれば先に共有できることがあった上で読んだ方が理解が深まるとは思う。
けど、この本は多くの人に薦めたいから、(特に若い人たちに)読んでようが読んでなかろうが、まず読みやすいこの対談を手に取って、丁寧に書かれた補註(伝わることを願って書かれているからとてもよい)に刺激を受けて、また一冊と、世界が広がるといいなと思う。
この本の感動は、千葉雅也の「現代思想入門」を読んだ時と似ているな思った。とにかく、読者にわかりやすく伝えようというホスピタリティに溢れている。好感度が高い、著者たちの誠実さが伝わる本。
あといくら稼げるか、どのくらいお金を残せるか、そんなことを考える自分を、ちゃんと暇を作れよ!と反省させてくれた。
「ネタバレ」した社会で、勝ち組になろうとするのはカッコ悪いね。
たくさん本を読みたくなった。なんかうれしい本です。
-
Posted by ブクログ
「結局、最近は多様性だのダイバーシティだの体のいい言葉ばかり並べてるけど、実のところどこにそんなものがあるんだろう」というのは私が常日頃思っていることなんですが、その疑問がお二人の対話を読むについて少しずつ解きほぐされていったような感覚がありました。別に多様性だけをテーマにした本ではないし、私自身の疑問に対する正解を示してもらえるものでもないですが、視野が広くなる感じですかね。うまく言語化できませんが。。
そして、人は本当の意味で自立していないと外的要因に対して思っている以上に無力だということ。このこと自体は大半の人が認識していることですけど、じゃあどうすればいいのか、どうやったら自分軸で幸せになれるのかっていうことのヒントをくれる本でもあると思います。
すごく読みやすい本なので普段はこういったジャンルの本を読まない方にもおすすめです。
-
Posted by ブクログ
エチカを読みたい!と思って、この『はじめてのスピノザ』を入門書として手に取ってみた。とても読みやすかったので、次は同じ國分功一郎さんの『読む人の肖像』を読んでみようと思った。
【以下メモ】
今までは、ソクラテスの説いた「善く生きる」を目標にして生きてきたつもりだったけど、「善い」ことがなんなのかあまり考えずにやってきてしまっていた。振り返ってみると、私にとって「善い」とは、人道的、倫理的に適ったもの、あるいは、万人に対して「良い」と証明できるもの、と定義していたと思う。
「善い」は絶対的(=客観的)な基準となって世の中に存在していて、それを希求すること(=正解を見つけること)が「善く生きる」ことだと思っていた。だから私は、自分にとっての正解とは何かを吟味しないまま「善い」を探していた節があった。
この本に書かれているスピノザの主張は、この世界には絶対的な「善い」は無く、組み合わせとしての善悪が存在するだけだという。「善い」は自分の活動能力を最大化させるから私にとって「善い」し、「悪い」は自分の活動能力を減退させるから私にとって「悪い」。
自分や社会が切り離された個別のものとして存在しているのではなく、全ては繋がりの中にあるという考え方をしていて、その中で自分の活動能力を高めることができる組み合わせ(=善いこと)を探していくことが大切だと説いている。
私は、上手くできなかったこと、やりたいと思った通りに行動しなかったことに対して、「善く生きられていない!」と自分を責めていたが、それは「善い」を自分を裁く杓子定規として使ってしまっていたということだと思う。目を向けるべきは、なぜそれができなかったのか、その周りにある背景、私の気持ち、つまり「原因」の方にあったのだ!という部分が大変腑に落ちた。 -
Posted by ブクログ
富増章成氏の「それ、ホント?と考える力がつく西洋哲学」で興味を惹かれ、スピノザの哲学の世界に少し足を踏み入れてみました。
スピノザは生涯で2冊しか書物を残していないそうですが、その一つである「エチカ」は、幾何学で哲学を論じるというユニークなものです。
エチカの大きなテーマは「人間の自由」です。
スピノザは、人間の自由について、自分に与えられている条件のもと、その条件に従い自分の力をうまく発揮できること、それこそが自由の状態であると言います。
一般に、人間には自由な「意志」があり、その意志に基づいて行動することが「自由」なのだ、と思われていますが、スピノザはそうは考えません。
人間は常に外部からの影響と刺激を受けており、人間の為す行為は様々な要因に基づくものであり、意志が行動を一元的に決定しているわけではない、というのがこの考えを理解するポイントになります。
何事もその人の意志によって為されているとか、自分の意志で行動した結果の責任は全てその人自身が負うべきだと考えることは、いわば意志への信仰であり、言い換えれば人間の行為は全て意志で解決できる、ということにもなります(このことは自己責任論にもつながる)。
しかし、アルコール依存症、薬物依存症、不登校などなど、世の中には意志の力だけではどうにもならない事象は多々あり、それを「意志が弱いからそうなるのだ」と責めることはその人を追い詰めるだけになってしまうのです。
行動には意志以外の様々な要因や必然がある、ということを理解しておくことで、自分の意志だけに責任を負わせることなく、人間はもう少し自由になれるのかもしれません。
哲学とはいったい何なのか。
著者のあとがきにもあるように、フランスの現代哲学の第一人者であるドゥルーズ曰く「哲学とは概念を想像する営み」だということです。
つまり、ある問題に直面した際に新たな概念が創造される、このような概念の連なりが哲学を形づくることになるわけです。
哲学は確かに難しいですが、善悪の概念、自由の概念などを考えることは生きる上で意味のあることだと思いますし、なにより、自分の悩みを自分自身で解決することにもつながります。
「エチカ」本編もいずれ読んでみたいと思います。 -
Posted by ブクログ
3日で読み切った。現在の右傾化した政治のもと、天皇上皇が戦後新憲法によって象徴天皇制のもと立憲主義と憲法擁護、憲法の実践してきたのは平成の天皇だと思う。退位の時の天皇の記者会見は国民に深く刻まれていると思う。在任中に戦争がなかったことを涙しながら語られていた。
国分功一郎が国民は天皇の憲法擁護の姿勢に深くひれ伏すのである。安倍晋三の改憲に待ったしたのも天皇だと。
加藤典洋、中野重治、江藤淳、高橋弘樹などの論考を引き合いに天皇への敗北を導きだしている。、とくに加藤典洋のアジアの人たち2000万の犠牲者に謝罪する前に310万の日本人犠牲者に謝罪しろとした意見に多くの識者が反駁したように加藤典洋には否定している。天皇の戦争責任にも言及して、戦後81年戦争責任を国民的議論をしてよいのではないかとしている。
今のヒステリックな理由のわからなはな好戦的な右傾化した政府、理由のわからぬ皇室典範改正などがされた社会だからこそもっと議論すべきだし、この本は光を放っている。 -
Posted by ブクログ
天皇の存在を1条に規定してしまったがゆえに天皇が日本国憲法全体の守護者のようになってしまったという矛盾。平和護憲のシンボルとして天皇が機能しているせいで、リベラルも天皇制が反人権的制度であり廃止すべきと言わないといけないのにむしろ擁護論に回ってしまっている現状など、、。
そのような現状が戦前戦後からどう作られてきたのかも整理されていて非常にわかりやすく、またタイムリーな出版で皇室典範改正のニュース理解に役立ちました。
これを機に海外の皇室の態度や憲法や議会承認との関係も軽く調べてみましたが、各国いろんなやり方をしていて、歴史に裏打ちされている存在というのは厄介だなと思うなど。國府先生にはぜひこの、天皇や王室というのが現代社会や私たち個人にどう機能しているのかもっと深掘りして欲しいです。なぜ彼らは、税金を使って消費ではなく浪費的な生活をさせられているのか、、彼らが身につけるている品々が贅沢なだけではなく品があり真に価値があるものと認識されるのか、、などなど不思議に思うことが多いです。品性とはなんなのか。。。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ
やはり國分先生の本は勉強になる。
自分は浅識であるので、新しいことをたくさん知れた。
ただ、内容の理解は半分くらい?
いや、恥ずかしながら3分の1くらいかな?笑
もっと難しい本も読んでいきたいなと。
メモ
それぞれの単語を二項対立で捉えることは多い。
「対義語」などがまさにそうだ。ただ言葉には中間もある。教える、学ぶ際に忘れがちなことである。
p150「言語とは形式を持った意味作用の構造であり、思考するとは言語の記号を操ること」
p152「言語は思考の可能性の条件」
国語を教える際しっかりと伝えていきたいことだ。
p221「純粋に自発的な同意もありえない」
p354「欲望とは、人間の本質が与えられたその各々のへんじょうにおいてあることをなすように決定されると考えられる限りにおいて人間の本質そのものである。」
p365「思惟能力、つまり考える力をそれに対応できるほど高めていたのなら」
「変状の画一的な出現を避けること」
p392「読解は歴史というコンテキストによって決定される」
p406「悲劇は、法律は人間のために作られたのであって、天使や悪魔のためにつくられたのではない」
p516「選択なき決断、自らの意図からは完全に独立した責任、これこそがギリシア人における意志である。」