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Posted by ブクログ
私も目的に縛られているなと思った。特に社会生活を送るうえではすべて目的がないと行動ができなくなっている。仕事をするのもお金のため。勉強するのも仕事で評価されたいため。運動するのも美しくいため、健康でいたいため。社会で良いとされているものにめちゃくちゃ引っ張られ、それが目的になってしまっている。どうやったら目的を超えた何かを感じられるようになるのだろうか。なかなか目的もなく勉強をするのは難しい。
子供の頃は、目的もなく純粋に好きなことを目的もなく楽しんでいたと思う。
自分の好きなことであれば、今も目的もなく行動することができるだろうか。食事のための食事、バレーのためのバレー。一つでも目的のない何かがあれば、楽しく生きていける気がする。
また、この本で消費と浪費の違いを初めて理解した。
消費は終わりがない、満足がこない。浪費は終わりがあり、満足がある。消費は記号。浪費はモノ。
私も立派な消費者の一人であるなと思った。
私に取ってパンケーキを食べている時は、目的もなく浪費者として、贅沢を享受できていると思う!
Posted by ブクログ
単に哲学に興味がある人だけでなく、生活に充実感を感じつつも、漠然とした物足りなさを感じている、そんな人におすすめの一冊。
「自由」について真剣に、かつ遊びをもって考えることができた。
個人的に社会人になってからというもの、顧客数、売上、利益率の目標などといった分かりやすい「目的」を達成するために日々生活している気がする。
もちろん生活の為に何かしらの「目的」を達成することは大切なのだけれど、そればっかりになっている気がするなと、この本を読んだ後には思えてきた。
本著に出てくる対比として、
「目的」と「手段」
「消費」と「贅沢」
「行政」と「立法」
などが並ぶ。
これから通関しているのが新鮮で、かつ著者の思考の深みが伺えた。仕事に熱中しがちな現代人こそ読む一冊。
Posted by ブクログ
「目的への抵抗」
このタイトルを本屋で見た瞬間、私の手がスーッと伸びた。
私は、目的という言葉が、あまり好きではなかった。
けれども、錦の御旗を掲げた軍のように、「目的」という言葉は、批判するにはあまりに絶対勢力すぎる。
ケチをつけたが最後「お前はぜんぜん分かってない!」という批判が矢のように飛んできそうな気がして、ケチをつけるのも憚られたのだ。
だからこのタイトルを見たとき、しかもそれを國分功一郎さんが書いていることを知ったとき、私は大喜びで、本を手に取ったのだ。
素晴らしい内容だった。
特に印象に残った文章を、メモとして引用したい。
ー
重要なのは人間の活動には目的に奉仕する以上の要素があり、活動が目的によって駆動されるとしても、その目的を超え出ることを経験できるところに人間の自由があるということです。(P195より引用)
ー
目的とは「手段の正当化」であること。
人間の自由は、必要を超え出たり、目的からはみ出たりすることを求めるということ。
目的が、自由や贅沢という概念とつながっていることが、面白かったな。
今後もうちょっと読み込んで、自分のなかに落とし込んでいきたいと思う。
Posted by ブクログ
講話を収めているからかめちゃ読みやすい。
第一部のアガンペンの主張から始まる読者への問いかけ。刺激的なものをそれを理由に排斥してしまうのではなく、それを足がかりに自らを問い直すことの意義。
社会にとってチクリと刺してくる虻のような存在としての哲学の役割。
賛成/反対のテンプレを越え、自ら問うてみる姿勢で批判的に物事を見ることの重要性はそれはもうわかる。
ただ自分が考え、主張し何の意味があるのか。「何も変わらないじゃないか」という論調が強いのが昨今の潮流な気がする。
この論調を否定するでもない、フレーミングを提示してくれた。
「あなたがすることのほとんどのことは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」
第二部が深化していき面白かったな。
大量消費の市場社会が、合目的的な社会の形成の一助になっていたかもしれないというのは面白い。ごく当然の論理として、目的化された消費と浪費の反規範化が行われ、それをあまりにも当たり前に受け入れていたことか。
序章の文章「自由は目的を拒み、目的を逃れ、目的を超える」まさしくこれが、紆余曲折を経て主張される。
Posted by ブクログ
目的こそが重要であり、目的のない言動は意味がないと思っていたが、目的に盲目的に縛られることに警鐘を鳴らす。例えば、「行動の自由」は、〇〇の自由の権利の中でも大事なものだが、コロナ禍において、私たちは、行動規制を意外とあっさり受け入れた。法律に基づいたものではなく、要請だったにも関わらず、旅行や出張は消滅し、帰省すら批判の対象となるほどであった。感染を防ぐという目的は正しいと思うが、安易に受け入れることが、その後のさらなる規制等を無批判に受容してしまうことにつながるのではないかという危機感。哲学者は社会の虻で時々ちくりと刺すことで社会を目覚めさせる、というのは言い得て妙。
Posted by ブクログ
高校・大学生向けの講話を書籍化。語りかける文体なので、肩ひじ張らず読みやすい。上に、國分先生の語り口が優しく、構成力もさすが。
ジョルジョ・アガンペンの論考を引合に出しながら、コロナ禍における自粛や不要不急といった対応を分析し、人間の本質に迫る。『暇と退屈の倫理学』で述べた贅沢を楽しもうという主張から更に論考を進め、「信じる」ことの大切さ、目的に縛られない行為の自由の大切さへと思考は深まっていく。
まさにコロナ禍体験者の一人として、行政主導で人間の基本的な主権への制限を無批判に受け入れていた。
感染拡大を防ぐためには必要なことであったと今でも納得はしているけれど、一事が万事このように受け身で従っていく態度はいかがなものかと本書により気づかされた。譲れない信念・超えられてはいけない一線というのは、国からの扇動を拒絶する覚悟を持つためにも意識していこう。
シリーズ化され新刊もでているので、そちらで更に深まった論考をたどっていきたい。
Posted by ブクログ
コロナ禍で行われた自由への強力な制限について取り上げる中で、その必要性には頷きつつも、「目的のためにはどんな手段も正当化されてよいのか?」という切り口で自由とは何かを考えるという筋。
【前半】
現代の哲学者アガンベンはコロナ禍で人々の移動や経済活動、葬式で集まることさえも制限を正当化された事態について批判した。
これによってアガンベンが逆に批判される(炎上する)ことになったが、ソクラテスの言うように哲学者は社会の虻として(p45)ぼんやりしがちな人々の目を覚まさせる役割があるため、アガンベンはそれをしたのだろう。
逆に、役割を果たしていない者の例として教会と法律家を挙げている。「教会は信よりも生を犠牲にする用意がなくてはならない」(p68)、「憲法の諸規定が遵守されているか確かめるのは法律家の仕事だが、」「法律家たちよ、なぜ自分の任務について沈黙しているのか?」(p74)
【後半】
アーレントの全体主義についての議論「手段の正当化こそ、目的を定義するものに他ならない」(p150)、「全体主義の下では、チェスのためにチェスをすることが許されない」(p154)が取り上げられている。
これと、國分の「暇と退屈の倫理学」でテーマとなった「暇と退屈への処方箋は『楽しむこと』であるが、放っておいても何かを楽しめるわけではないため、楽しみ方を学んで楽しむことが鍵となる」(p101)や、
「楽しんだり浪費したり贅沢を享受したりするこたは、生存の必要を越え出る、あるいは目的からはみ出る経験であり、我々は豊かさを感じで人間らしく生きるためにそうした経験を必要としている」(p144)
といった主張とを繋ぎ合わせる。
すると、「行為は、目標や動機づけという要因に規定される局面もあるが、こうした要因を超越しうるかぎりでのみ行為は自由である」(p175)というアーレントの主張が決定的に重要になる(同ページでそのように書かれている)。
自由を守り、人間らしい価値を守って生きるためには、自由への制限や楽しみへの制限に対してはいかなる理由(目的)があっても常に疑い、批判的に見ていく必要があるということだろう。
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