【感想・ネタバレ】目的への抵抗―シリーズ哲学講話―(新潮新書)のレビュー

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Posted by ブクログ

暇と退屈の倫理学を読んで
正直、お腹いっぱい状態から、でも忘れないうちに
こちらを読みました。

繋がってるところも理解しやすく
続けて読んでよかったです。

ど素人では、引用文だけ読んでも
???なところも、
つまりこういうことでと、わかりやすくお話しされていて
よかったです。

贅沢とか自由とか
そんなに深く考えることなんてなかったので
まさに、消費社会に閉じ込められて
管理されるまま、疑問も抱かず生きていたんだと
2冊読んでまず、今率直な感想です。

これから生きていく中で
思い出しつつ
楽しむこと、本当の自由でいることが
できたらいいなと思います。

なかなか難しいけど
一方でなんか、気が楽になったというか
これからが楽しみになってきました。

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2024年03月22日

Posted by ブクログ

“人間が自由であるための重要な要素の一つは、人間が目的に縛られないことであり、目的に抗するところにこそ人間の自由がある”

本書は國分功一郎先生による講義、授業の内容を、2部構成でまとめたものである。 

一つはコロナ危機の中で発せられた緊急事態宣言から考えた、危機的状況下での厳しい移動制限に対する哲学の視点からの考え。 

二つ目は、コロナ禍でことあるごとに発せられた「不要不急」という言葉が内包する、必要なものと不要なものを区別するという消費社会の傾向についての考え。 


自分は特に、二つ目の章の中での目的と自由に関する内容がとても興味深いと感じた。

著者は、人間が豊かさを感じるのは、「目的をはみでた部分」によってである。と指摘する。

また、本書の中で哲学者ハンナ・アーレントは“「全体主義」においては、「チェスのためにチェスをすること」が許されない”とし、すべての行為が何かの目的になってしまう世界では、それ自体を楽しむということができ無いと指摘したとの説明があり、
あらゆることが目的に還元されてしまう社会では、目的のために何かを犠牲にすることや、ある行為を目的のための手段としてしかみなさないことが当たりとなり、そこに人間本来の自由は無いという指摘がされている。

特に印象に残った箇所としては、「目的に規定された行動は自由とは言えない」という部分。

仕事で何かをする時には必ず「何が目的か」ということを考えなくてはならない。目的の無い仕事では成果をあげることはできないし、経済的な利益をあげることができないのは当然で、手段を目的化することはダメなことだとさえ言われる。
その点を著者は否定しておらず、生活の中から目的が消えることは絶対にないが、あらゆるものが目的に向かって合理化されてしまう事態には警戒するべきとしている。 
 
目的にのみ縛られ遊びを失った活動からは自由を感じることができず窮屈だ。ある目的のために始めた活動の中で結果として自由や充実感を感じることこそが、目的合理性に対するある種の抵抗なのだと思った。

SNSが発達した現代では、私生活や趣味のような場面でも何かをする時に目的を重要視する人が多くなっていると感じる。何か美味しいものを食べる時には、それ自体を美味しく食べることではなく、インスタに投稿し共感を得ることが目的になり、趣味を楽しむ場合でも、それ自体を楽しむと言うよりも、仕事上の成功につながるだとか、自分のキャリアアップのための活動であったりということが少なくない。

例えば純粋な趣味としてある活動を楽しんでいたが、それをYouTubeで公開し収益を得る活動になってしまった場合などに、趣味がお金や評価を得るための手段となってしまい、純粋に楽しむことができなくなってしまう場合などは、目的に趣味が支配されている状況だなということを考えた。

すべての活動に意味が求められるようになってしまった時代に、何も目的のない活動のようなものに没頭したところで、周囲から好奇の目で見られることもあるかもしれない。 

そんな時代であっても、自分は無駄な活動を大事にしたい。心から楽しいと思える無駄の極みのような活動に没頭し、遊びの持つ自由さを享受できるような人生を送りたいと感じた。

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2024年02月10日

Posted by ブクログ

第1部はアガンベンのコロナ禍における主張を通して、哲学者の存在意義を説く。それは当たり前と思われていることに虻のようにチクリと刺す役割だ。

第2部は、『暇と退屈の倫理学』に連なる、消費と浪費の違い、目的をはみ出す行為の存在を論じる。

非常によく分かる講義だった。
質疑応答も実りの多いものだった。

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2024年02月05日

Posted by ブクログ

・とてもよみやすい

・"贅沢はそもそも目的からはみ出るものであり、それが贅沢の定義にほかならない"
→目的を見失ってしまうことや手段が目的になってしまうこと,手段に没頭することを悪しきものとせず,これを自覚したらその瞬間をもっと大事にしよう.それこそが贅沢なのだから.
→合理的な目的設定,最短・経済的・効率的な手段だけを執行する生活は息が詰まりますな.ゲームに没頭しフロー状態に入っている瞬間に幸せを感じるのは,ある目的から逸れ,寄り道をしていることを,それ自体を無自覚になるレベルで行えるからではなかろうか.
まさに"行為は目的を超越する限り自由”

消費:記号や情報の接種.上限がない.いくら求めても満たされない.
浪費:上記に該当しない行い.有限.お腹いっぱいになれる.
あらゆる行動が消費性を帯びてしまった現代では,浪費だけで生きることは難しい.それでも「今自分がしようとしていることは,本書の定義上の消費か?浪費か?」と一歩立ち止まって考えるだけで消費に振り回されない暮らしに近づけるんだろう.


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"ものすごく遠くにあるボンヤリした関心事とものすごく近くにある課題を大切にする。その間のことはなかなか思うようにはならないと分かっておく"

コロナ禍、江戸時代の日本、監獄、ベルリンの壁
→"移動の自由"

コロナ危機への人類の反応に対する哲学者の警告
・死者への敬意の忘却/生存にのみ価値を認める社会への違和感
・移動という自由の根源的要素に対する制限を人類が受け入れている異常性
・法なき行政執行という例外状態

行政とは:法律で決められたことを執行する機関
建前上,行政は立法に従属する
しかし実際は個別具体的な問題に関する決定は立法だけではできないため行政が行う.
閣議決定も”行政”.ここで決まったことにあれこれ騒ぎを立てるのは立法なき行政の受け入れ=例外状態の受け入れ
例外状態の最悪の事例が「ナチス」

全体主義の起源
キリスト教のような信念を抱くべき対象がなかった
大義がないからプロパガンダも簡単にインストールできてしまう

なぜ哲学は必要か?→社会にとっての「虻」

死者との交流→葬儀,お盆,お墓
人々が遺していったものを大切にする精神

ガンジー
「あなたのすることのほとんどが無意味であるが,それでもそうしなくてはならない.世界を変えるためではなく,世界によって自分を変えられないようにするためである」

浪費→有限、物が対象、はるか昔から存在
消費→無限、観念や記号・情報が対象、20世紀に登場
"僕らは浪費家になって贅沢を楽しめるはずなのに、消費者にされて記号消費のゲームへと駆り立てられている。"

産業革命・農業革命によりイギリスの食文化は破壊されご飯は美味しくなくなった→贅沢の破壊

ハンナ・アーレント 「人間の条件」
"目的とはまさに手段を正当化するもののことであり、それが目的の定義に他ならない"

筆者
"贅沢はそもそも目的からはみ出るものであり、それが贅沢の定義にほかならない"

目的なき手段、純粋な手段

ハンナアーレント
行為は目的を超越する限りで自由

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2024年01月28日

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『暇と倫理の論理学』の続き。
コロナ禍で國分先生が考えたこと、現在進行中で考えていることについて、大学生・高校生への講義として話したことがまとめられている。

目的が幸福を奪っている?

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2023年12月27日

Posted by ブクログ



アガンベン

死んだ者たちへの敬意の喪失は、歴史への畏怖の喪失へとつながり、これまでに先人たちが積み上げてきた価値への無関心へとつながるのではないでしょうか。

移動の自由が認められることが支配されないための最低条件

現代社会では、生存だけを取り出して、「精神的な生の経験」無しの「身体的な生の経験」を考えることが当たり前のようになってきている。

例外状態の最悪事例、ナチス。

権利は一度捨ててしまうとなかなか取り戻せない

日本の自粛警察、相互監視体制

オープンが加速すると批判的精神が薄まる

政治とは、話すこと

何かを信じる。それを軸にしないと影響されまくる。

自分より以前に死んだ人がいるということに実感を持てなければ、今この世の中で大切にされているものをどうして大切にしなければならないのかは分からないでしょう。
死者の権利

追悼よりも供養
死者を中心に想いを馳せる

哲学者は社外の虻
★グレタさんは哲学者なのでは?

浪費(限界を超えて物を受け取ること)には終わりがあるが、消費にはない。
対象がものではないから。
→浪費こそが目的からの逸脱

何もかもが目的のために行われる状態とは、すべてが目的のための手段になってしまう状態として考えることができます。
=目的という概念の本質は手段を正当化するところ

全体主義が求める人間は、いかなる場合でも、「それ自体のために或る事柄を行なう」ことの絶対にない人間である。だから芸術のための芸術も許されない。もちろん、食事のための食事も許されない。

政治は本来管理ではない

身体がないからSNSは炎上する

目的を理由に言い訳をすることがない

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2023年12月10日

Posted by ブクログ

自分であり続けるために 考えること、すること、を放棄しないでい続けたい

---
ものを考える中でチクリと刺したり、チクリと刺されたりということが起こってほしい

あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく世界によって自分が変えられないようにするためである

動機づけや目的が重要な要因ではないというわけではない。それらは行為の個々の局面を規定する要因であるが、こうした要因を超越するかぎりでのみ行為は自由なのである

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2023年10月17日

Posted by ブクログ

タイトルからは何の本かわからなかった。

今はコロナも5類になり、行動制限も緩和、というかなくなったに等しい。

が、緊急事態宣言下、我々は政府の試行錯誤の政策で、学校の全面休校、

夜の街の制限、移動の制限等、思い切り行動制限を受けた。

コロナ禍の影響度合いがわからぬ中、やむを得ない措置であったといえるが、

ここで考えよ、と著者はいう。

唯々諾々と、無批判にこれを受け入れていいのか、と。

コロナ禍で亡くなった方は遺族に送られることも許されなかった。

それでいいのか、と。アガンベンという哲学者の言葉を引用しつつ語っている。



幸い自分はコロナ禍の影響はたいして受けずにすんだが、

それでも安倍政権の瞑想には閉口したものだ。試行錯誤はやむを得ないとしても、

その政策の無神経さはいかんだろう、というものがあった。

我々市民は任せてはいけないのだ。宮台真司さんのいう「任せてブーたれる」

ではなく、引き受けて考えなくてはいかんのだ。自分で考えないと。

なんだか考えない世の中になっている気がしてならない。



この本はそれに対する警鐘だ。

幸い?この新書は講義で、高校生もZOOMで聴講し、鋭い質問を著者にしている。

未来は明るい、と信じたい

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2023年10月09日

Posted by ブクログ

「暇と退屈〜」以来のファンであることからジャケ買いした一冊であった。またしても著者の思惑にハマってしまった。

「目的への抵抗」というタイトルからは思いもしなかったが、「科学のための科学」という考え方がどの程度世論に受け入れられるのか、段々と自身がなくなり出していた自分にとって、思考の土台となる内容だった。ここから自分なりの考えを深めていきたい。

一生懸命に何かを考えている人の一生懸命に触れると、自らも負けじと考えたくなる、自らを奮い立たせられる一冊でもある。

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2023年08月18日

Posted by ブクログ

「暇と退屈の倫理学」で指摘した「楽しむ」ということの重要性。
人間は自由を求めているようでいて、自由になると暇になり、暇になるから退屈する。だから暇を嫌い、自由を拒否する。ここで忘れられがちなのが「楽しむ」ということ。広い意味での勉強をして楽しみ方を学んで、楽しめるようになることが暇の過ごし方だと國分功一郎は言う。

さて本書である。
その楽しみが、何かの目的のためだったとしたら?それは「目的の手段」となり、「楽しみ」ではなくなってしまうだろう。

ハンナ・アーレントの言葉を引用して作者はこのように持論を展開する。
「目的として定められたある事柄を追求するためには、効果的でありさえすれば、すべての手段が許され、正当化される。こういう考え方を追求してゆけば、最後にはどんな恐るべき結果が生まれるか」(『人間の条件』)
目的の本質はまさしく「手段の正当化」にある。
何だって目的遂行のためには許されるのだ。
目的とは、そういう性質をもったものだ。

またこうも言う。
「全体的支配はその目的を実際に達しようとするならば、『チェスのためにチェスをすることにももはやまったく中立性を認めない』ところまで行かねばなら」ない。つまり、全体主義が求める人間は、いかなる場合にも「それ自体のためにある事柄を行う」ことは絶対にない。
全体主義は一つの目的遂行のために人間を動かす。
全体主義の元では、芸術も目的のために存在するものである。芸術自体を目的として楽しむなんてことは許されない。

おそろしや。

チェスの引用だったが、この引用の部分で、藤井聡太くんを思い出した。藤井くんは目的のために将棋をやっているか?いや、もちろん違うだろう。結果として七冠や八冠を得ようとも、ただただ楽しいから将棋をしてるに違いない。
大谷翔平だってそうだろう。二刀流を史上初で達成するという名誉やタイトルのために野球をやってるんじゃないよなあ。楽しそうだもんなぁ。二人とも。
目的から解放されているからこそ楽しいのだし、我々も彼らの清々しさから楽しみのお裾分けを気持ちよくもらえていると言うわけだ。

結果として充実感を得ることと、充実感を得ることを目的として何かをするのは、大きく異なる。

確かに確かに。

この本でも例として挙げられている学校の文化祭もそうだ。本当に彼ら彼女ら楽しそうに一生懸命やるよね。受験勉強も放っておいて笑
ああ、無駄なことを楽しむって、なんて人間的!

そういえば、谷川俊太郎の「生きる」という詩にも。
生きるとは「ヨハンシュトラウス」であり、「ミニスカート」であり、「ブランコをこぐということ」であると。

先達たちはとっくに知っている。大事なことを。

「目的への抵抗」という表題の意味が読み終わって腑に落ちる気持ちよさ。
大いに「浪費」し贅沢を楽しもうと思う。

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2023年08月06日

Posted by ブクログ

哲学を思考の軸としてコロナ禍を論評した本作は『暇と退屈の倫理学』の続編として読むことができる。
コロナ禍での政府対応については、誰もが自分なりの意見を持っていると思われるので、冷静な著者の見解に触れる意義は大きいと思う。
個人的には「不要不急」についての考察が出色だと感じた。

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2023年07月17日

Posted by ブクログ

暇と退屈の倫理学を読んで何か残ったものがある人は読むべき。

・コテンラジオで言うところの、宗教OSから国民国家OS,今は資本主義OSへと変遷していく中で、「大きな物語」を信じて生を全うする生き方ができなくなり、個人個人が自分の生きる意味や役割を考えなければいけなくなった(自分は、自分自身が一人で立てなくなった時の「よすが」を自分で用意しないといけなくなったと思っています)。その答えとして、言葉として平易だが「自由を享受する」ことが必要だというのが暇と〜の一つの答えだった。そしてそれを考えるためのアプローチを「自分の頭で考え始める」ことが大事なのだと。
一方で本書は、それだけでなく社会における自分の役割や「信じること」の大切さについても言及されており、新たな視座を得られたと思う。
・改めて「浪費」と「消費」を区別することの大切さ。そして消費は目的へ還元するものであり、目的に振り回されないことが大事。
・政治と行政管理の区別。前者は政治家、後者は官僚。ここを区別して、民衆が着目すべきは「政治」。ここが一緒くたに議論されている現状は肌感ともマッチする。
・目的から自由である行動を忘れた時、人間は目的のためにあらゆる手段とあらゆる犠牲とを正当化することになる(ナチス、コロナ)
・行政は目的合理的だが、政治も含めてあらゆることがそこに還元されることに警戒しないといけない。
・「目的のために手段や犠牲を正当化すると言う論理から離れることができる限りで、人は自由である。人間の自由は、必要を越え出たり目的からはみ出たりすることを求める。その意味で、人間の自由は広い意味での贅沢と不可分だと言って良いかもしれません。そこに人間が人間らしく生きる喜びと楽しみがあるのだと思います。」

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2023年06月24日

Posted by ブクログ

面白い。
講義、生徒との対話がまとめられているので読みやすい。
主題はもちろんだけれど、哲学的思考に触れられるのが面白い。
引用されているガンジーの言葉が残った。

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2023年06月10日

Posted by ブクログ

ただ詩のために、詩を書き、学び、詩自体を愉しみたい。

まとめ
195 目的合理的な社会は絶対に無くならないが、「無駄な(遊び)ことも必要」と異議することは一定の価値がある。
 人間活動には、目的のために行動する以上の要素があり、活動が目的によって動機づけられているとしても、その目的を超え出ることを経験できるところに人間の自由がある。
 人間の自由は、必要を超え出たり、目的からはみ出したりすることを求める。

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2024年05月11日

Posted by ブクログ

コロナ禍に行われた2度の講話を収録。「不要不急」の言葉を対象として、「目的」や「自由」など概念との関係を考察していく。コロナ禍で登場し今ではコロナ以外の場面でも当たり前のように使われるようになってしまったこの言葉の何が危ういのか、改めて考える視座をもらえます。

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2024年05月02日

Posted by ブクログ

コロナ禍における「制限」や「不要不急」の概念を問い直すことを通じて、「目的」が手段に及ぼす影響を考えた本。
『暇と退屈の倫理学』と同著者なので、思想が繋がっていて面白かった。

自分はコロナ禍の制限下において、覚えた違和感に対し衝動的に転職をしたのだけど、この本を通じてその時感じていた違和感を再構築することが出来た。
当時自分で書き残した論考をなぞる形になったが、自己の自由を守るためだったと考えられる。
⬇⬇⬇
感性を育てる note.com/rubbish_heap/n… #note

また、高校生に向けた講和をまとめた本だったので、思考の出発点である「問いの再構築」が持つ意味を改めて再確認出来た。
人や本から見聞きした論点は披露することが出来ても使用することは出来ない。自ら再構築することで、初めて使用することが出来る。
何を考えるにしても忘れないようにしたい。

理科の実験とかも同じ構図なんだよな、と。理論は知っていても使えない、再現実験を通して初めて自身の思考武器となる。
当時は「実験ってなんなんだ…」とよく思ったものだけど、中高生の時に体得しておきたかった感覚ではある笑。
結果として同じものが構築されても、自分で再構築することが肝要。

全体としてもとてもライトな本だったので、この情報過多な社会の中で、「自分の足で生きている気がしない」というような漠然とした不安を覚えている人にオススメしたい本だった。哲学の入門としても。

あとあんまり深く考えたことがなかった「三権分立」について考える機会になったのでよかったな。
行政権/立法権、それぞれの力関係、歴史から見る暴走が起こり得るパターン、それを抑え込むための機構/思想に対する解像度がかなり上がった。

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2024年04月30日

Posted by ブクログ

着眼点も面白い上に、若年層向けの講話の記録ということもあって、簡単なワードで解説されてて良かった。こんな講義が受けられるなら大学に行ってみたいな。

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2024年04月28日

Posted by ブクログ

ネタバレ

自由の意味を考えることはあるでしょうか?個人的にはポストコロナでもたまに自由について悶々とすることがあり、さらに國分さんの『暇と退屈の倫理学』の続編という位置付けでもあるということで読んで見ました。対話形式なので読みやすくストンと落ちました。

福沢諭吉は、社会の常識や身分などに縛られないことを自由と解釈したようです。ですが、漢字にすれ自由は「自らに由る」。國分さんのいうのも自らに由る、なのかな。この自由は自らの意志をよりどころにすることを意味した言葉といえます。仏教でいう、煩悩・執着から解き放たれた状態「解脱」に近いのかもしれません。

千年王国を信じ、目的へ矢のように向かっていくのが西洋的な価値観、風土とも言われます。歴史の授業だと、自由もその文脈で語られ、フランス革命はじめ様々な革命もそう位置付けられいます。日本を含むアジアとはやや感覚が違いますが、日本は明治以降、福沢諭吉らの貢献もあり、西洋価値観を血肉にしようとしてきました。英語ではfreedomとlibertyの違いなんて言い方もしますが、〇〇への自由、〇〇からの自由はlibertyに近く、より合目的な性格を強めるのだろうと理解しています。

個人的には、どちらの自由もあってよいのですが、どちらの自由を語っているのか、重きを置いているのか、人生の場面場面で自分と対話するよう心がけることが肝要だと感じました。それを気づかせてくれた意味でもよかったです。

195ページの言葉はよかったので抜粋します。

目的のために手段や犠牲を正当化すると言う論理から離れることができる限りで、人間は自由である。人間の自由は、必要を超えてたり、目的からはねたりすることを求める。その意味で、人間の自由は広い意味での贅沢と不可分だと言っても良いかもしれません。そこに人間が人間らしく生きる喜びと楽しみがあるのだと思います。

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2024年03月03日

Posted by ブクログ

ちょっと忘れ去られてしまったコロナ禍の自粛、不要不急など国家によって自由に行動することに制限された人々をもう一度思い出しながら、当時たたかれた哲学者アガンベンの「伝染病の発明」の解説から始まります。
当時、感染者を増やさないための政策として行動の自粛や不要不急を呼びかけて当たり前だと思っていました。
人間が生き延びることは、言うまでもなく大切なこと。しかし、ただ単に生存していることで良いのか。宗教的要素もありますが先人たちが積み上げた価値も含めて考える文化や歴史、敬意もなく、ただ単に生存だけで人間は生きていけるのかを考えさせ、分かりやすく解説。

ここには書かれていませんでしたが、もしかしたら人間は生存し続けるために生きているのではなく、常に自由でいるために生きている。と言うとスッキリするのかもしれませんね。

その自由は常に国家によって制限があるようです。三権分立の立法、行政、司法の関係も、簡単に自粛制限したり不要不急を呼びかけが当たり前になれば徐々に行政の言いなりになり、中学校で習った三角の形をした三権分立は行政→立法→司法のような一列の形に変わってきてしまうのでは。(だから安倍派の萩生田氏や二階氏をそう簡単に逮捕出来ないのかもね。)

人間はその自由を目的として行動をしている、とするとその目的とは何か。
中盤から本のタイトルらしい内容になりました。
手始めにグルメブームで例えると食べることが手段、snsにアップすることが目的だと、浪費ではなく消費であり、贅沢に当てはまらない、つまり自由とは言えない。何となくわかる。

ハンナアーレントさんの言葉を紹介して、
「目的とはまさに手段を正当化するもののことであり、それが目的の定義にほかならない」は約65年も前のこと。目的の本質とは手段の正当化という意味らしいのですが、つまり目的を立てて贅沢をしようとしたら、それは贅沢ではなくなってしまう。贅沢はそもそも目的からはみ出るものであり、それが贅沢の定義に他ならないようです。

その目的の概念に対してアーレントが「少年キム」の児童書を参照しながら、自由の概念について定義していました。
結局、目的の概念を知らずに人間が生きていると、贅沢の味わいや豊かさ、本当の満足度は上がらない、ということが良く分かりました。読んで良かったです。
自由でいるためには選挙も大事ですが、別のやり方で政治や行政を動かすことが出来る新しい民主主義も目指したいですね。
國分功一郎さんの文章は常にスッキリ感を味わえるのが、いつも楽しみです。

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2024年01月10日

Posted by ブクログ

消費社会は贅沢を避けようとする。贅沢を避けようとするのは「もったいない」と思っているからではなく、全てを目的と手段に閉じ込める消費社会の倫理を徹底するため。

ワタシは贅沢を適度に取り入れられる状態でありたい。

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2024年01月03日

Posted by ブクログ

大学での講演2本をまとめたもの。

暇と退屈の倫理学を政治的な側面から考察したものと捉えられる。

序盤、学生に向けたメッセージが印象に残る。

将来への不安に対して、目の前のことに懸命に取り組むことと遠い未来を漠然とでもイメージしておくことの2つが大切であるという。
近い将来の出来事は思うようにいかないことが多いから、それに一喜一憂せず、その時やるべきことに向き合うこと。
そうすると想いもよらない能力(自分への理解や他者との付き合い方など)が身につく。

一方で遠い未来にどうありたいかを考えることで、大きく道を外すことも減らせる。
たとえば、何かを成し遂げたいとか、何かを本質的に考えていたいとか、具体的でなくて良い。

目的と手段、を軸とした考察はコロナ禍の状況に対するアガンベンによる批評から始まる。

不要不急の外出を避けるなどの様々な制限を抵抗なしに受け入れる風潮を批判している。

全てを合目的的に考えてはいけない。
余剰の部分こそが人間的な生につながる。

その点が暇と退屈の、、、でいう「贅沢」の理論とリンクする。

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2024年01月01日

Posted by ブクログ

『暇と退屈の倫理学』の続編的なもの。大学の講話が話し言葉で掲載されているのでとても読みやすい!
私は考えるのが好きなので考える本を読んじゃう。それが楽しくて目的は特にない。國分さん、もはやファンです。

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2023年11月12日

Posted by ブクログ

『暇と退屈の倫理学』よりもさらに、わかりやすくて面白かったです。

コロナ禍に自分が考えていたことを振り返るのにちょうどいいきっかけになりました。

これからはもっと「考えること」を大切にしていきたいと思いました。

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2023年10月22日

Posted by ブクログ

講話録ということでとてもわかりやすかった。暇と退屈の倫理学の解説も、改めて理解が深まった。目的に従属的な消費より、行為自体のための浪費をしよう、それが人間本来的な幸福な生き方のひとつのあり方、という話。一つのあり方というのが大事。全てを帰そうというのではない。考えてみたいのは、資本主義、貨幣経済が必ずしも消費だけを促すわけではなく、コンサートとか芸術とか、浪費も貪欲に取り込んでいること。資本家に促される浪費とは、どういう位置付けができるのだろうか。あと、当初あった目的を超えていく行為とはどんなものか。
面白い。これからの生き方を考えるヒントになる。

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2023年08月14日

Posted by ブクログ

第一部において、コロナ禍におけるアガンベンの問題提起という事例を通して哲学の役割について考察し、第二部において、これまたコロナ禍における''不要不急''の排除という事例を通して「目的」「手段」「遊び」と人間の自由との関係性について考察しています。講和という形式で語り口もやさしく、読みやすいですが、折に触れてアガンベン、アーレント、ベンヤミンの言説の解説なども交えながら、内容はしっかりと論理立てて組み立てられており、さすが國分先生だなと感じました。

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2023年07月20日

Posted by ブクログ

ネタバレ

全体
読み物としてはわかりやすい
→途中、読みきれないところもあったけど
学生への講義方式だから言葉は簡単に書いてる
それでも、内容が内容だけに咀嚼が必要とも思える
國分功一郎先生の考えが面白いので少し他のも読んでみる

前半
考えること、疑うことを辞めてはいけない
死者を敬うことよりただ生きることが優先された
移動の自由ってとても価値の高いこと
それを制限することは刑罰やベルリンの壁崩壊するパワーにもなるうる
ブラック企業とかから逃げられないのも自由がないから
もはや科学は疑ってはいけない宗教とかしてきた
行政は法を運用する場所で、法は万能ではないから、様々な解釈がある
そこを実態と擦り合わせるのが行政
コロナ禍のときのように根拠となる法律が曖昧なときに行政に任せすぎると三権分立が歪み、行政の独裁になっていく
だからこそ、根拠はなぜなのか、しっかり考えて正しいことをしていくのか監視しないといけない
立法する人達は選挙で選べるが、行政は首長しか選べない
→民主主義なようでそうでもないのかもしれない
→俺としてはそこまで考えたくないから、任せてしまうし、自由を手放したくなるのではないか
自由って毎回選択を迫られてすごく疲れることだとも思う

後半
上手く飲み込めず細かいメモできず
目的のないことも生活には大事
コロナ禍の不要不急を経験して、より目的のないものは排除していいよねってなりがち
元々、排除の傾向があったけど、コロナ禍で加速した
オンライン授業と対面授業はやっぱり身体の重みが違うし、一緒とは思えない
無駄な遊びをどう残すか
反対活動とかは目的というか同じ目的の仲間と集まりたいから、役割を与えられたいから、ずっと反対することが目的になってしまうことがある
→成田とか反基地運動とかかな
たしかに、気持ちがいいけど、そこは割り切らないといけない
人間は役割を欲しがるもの
政治というもの真剣に行う遊び、目的のためだけでなく真剣に考えるもの

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2023年06月03日

Posted by ブクログ

会社、ある組織を例にすれば、その組織を良くしたいという目的に対して手段や犠牲を正当化することなく、目的からはみ出て自由であることこそが組織の幸せであり楽しみが見出せる、つまり良くなることなのだろうか。

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2023年05月27日

Posted by ブクログ

本書は哲学者である著者の講演をベースにしてまとめられた書籍です。講演録なので基本的に読みやすいですし、色々と考えさせられることが多かったと思います。第1部ではイタリアの哲学者であるアガンベンの主張を取り上げます。コロナ禍のような例外状態によって、いかに我々市民が易々と権利や民主主義を放棄してしまうのか、行政権力が立法を超えて強力になり、ひいてはナチス政権のようなものを、我々市民が作り出してしまうのか、といった話になります。この話で印象に残ったのは、「死者の権利」という概念、「移動の自由」の重要さ、そして常態化する危機による民主主義の弱体化です。最後の点について著者は、「現代においては、恐ろしい独裁者が出てくるよりも、もっとマイルドな仕方での支配が行われる可能性が高い」と述べていますが、私はAIもしくはアルゴリズムによって支配される世界を想像しました。我々市民が「AIに判断を任せておけばいいじゃないか」といってある意味自主的に意思決定を手放すような世界です。

後半は目的、手段、遊びをテーマにします。目的は手段を「常に」正当化する、というアーレントの主張をベースに、目的が人間の自由を制限していると述べます。そして消費と浪費の違いについての話になって、消費は目的があるが浪費は目的を持たない、資本主義は人々に消費を促していて、人間の自由の制限だという論が展開されますが、ここは同意できませんでした。資本主義にとって、浪費は大変ありがたい存在であり、できるものなら市民全員が浪費してくれれば良いと思っているはずです。むしろ資本主義で起こっていることは、生産者から消費者へのパワーシフトであり、生産者としては、いかに「不必要なもの」に意味を与えて浪費してもらうかに腐心しているわけです。

しかしいずれにせよ、著者が主張するような目的を外れた行動の大事さについては同意します。ただ本書を通じて思ったのは、目的というのは「ある」「ない」の二元論ではないのだろうなということです。おそらく企業の利益最大化のように、かなり明確に目的が設定されているものから、無目的な行動の間に多くの中間的な「目的があるようでないような」状態があり得そうだということです。つまりスペクトラムとしての目的があるのではないかというのが感想でした。

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2023年09月22日

Posted by ブクログ

2023.14th
前半はコロナ禍での権利制限について、三つの論点が提示されています。①価値があるのは生存だけなのか?②死者の権利(葬儀の権利)を蔑ろにしていいのか?③移動の自由の重要性を忘れていないか?の3点です。その上で、著者は権利制限けしからん!と主張する訳ではなく、提示された論点を踏まえてちゃんと考えようね?!と問題提起しています。
後半は合目的性について。目的は手段を正当化するもの、人間が人間らしく生きていくためには目的から自由なそれ自体が目的である行為(芸術とか高級な食事とか)が必要だと言っています。
かなり要約するとこんな感じかな?前半後半共通してテーマにされているのは、考えることの重要性だと思います。別に現代の社会のあり方を否定するのではなくても、多角的に考える習慣は大事ですね!
たまにはこういった本を手に取るのも考える良いきっかけになりそうです(^^)

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2023年07月24日

Posted by ブクログ

対談形式だったので斜め読み。心に留めておきたい言葉はいくつかあった。コロナ危機を通しての社会の在り方や責任、「不要不急」とは何かを問う。コロナで身動きとれない状態になったことは致し方ないが、マスクをしないという考え方など個人の考え方を主張することは大切だという。全く同意。コロナで恐ろしいと思ったのはウイルスそのものではなく、同調圧力や自粛警察、デマからのパニックによるマスクやトイレットペーパーの品薄、孤立による自殺の増加。「命を守る」というキレイゴトで思考停止した人々の行動そのものが恐怖だと思った。

目的という概念の本質は手段を正当化するところにある。まさに現代社会を皮肉った鋭い見方だ。この一言を一度会社で上司に放ってみたい。

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2023年05月25日

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